第1話 夢の続き、日常は続く。
「……僕の、何が悪かったんだよっ……!」
ガタン、と大きな音がして、意識が現実に引き戻された。
(……また、あの夢か)
胸の奥が、じんわりと痛む。
目を開けると、見慣れた教室の天井があった。
もう二年も前のことだ。
なのに、夢の中ではいつもあの日のままで──
声も、表情も、言葉も、やけに鮮明だった。
夢から覚めても、違和感だけは残り続ける。
まるで、まだ終わっていないと言われているみたいに。
「はあぁ……」
深いため息が、勝手に零れ落ちた。
「くすくす……」
小さな笑い声が、教室のあちこちから聞こえてくる。
……そうだ。今は授業中だった。
「お前の全てが悪かったんだよっ!」
「いたっ」
パチコーン!
乾いた音が教室に響き渡る。
「次やったら、テスト採点しないからな」
「……すみません」
(よりによって山上かよ……)
数学科の山上。学内でも有名なはずれクソジジイだ。
恥ずかしさと苛立ちをごちゃ混ぜにしながら、椅子に座り直す。
「おい、今の最高だったな」
隣の席から、にやけた声が飛んできた。
吉原達也。
体格は特別大きいわけじゃないが、背筋は妙に伸びていて、動きだけは無駄にきびきびしている。
黙っていれば少しはまともに見えるのに、口を開いた瞬間、全部が台無しになる男だ。
小学生の頃からの腐れ縁で、気づけば人生の半分近くを一緒に過ごしている。
「最高の体罰だったな。録画しとけばよかった」
「そんなことしても、お前のバカっぷりが世に広まるだけだぞ」
「黙れ」
達也はケラケラと笑う。
その、人を小馬鹿にしたような笑い方も、昔から何ひとつ変わっていない。
俺は突っ伏して寝るか迷ったが、これ以上怒られるのは御免だ。
仕方なく、窓の外へ視線を向ける。
四月。
まだ少し冷たい空気の中、桜の花びらが風に舞っていた。
(出会いと、別れの季節……か)
柄にもないことを考えてしまう。
きっと、あの夢のせいだ。
チャイムが鳴り、ようやく授業が終わった。
「昼飯だー!」
達也が、ロケットみたいに立ち上がる。
「昼飯ごときで騒ぐなよ」
「ノンノン、今日は特別だ!」
ババン、と勢いよく弁当箱を掲げる。
「俺の妹が作ってくれた!」
(相変わらずのシスコンだな……)
この話、もう何回目だ。
「えー、なになに? 見せてよ」
達也の横からひょこっと顔を出したのは、澪だった。
長い黒髪に、穏やかな目元。
見た目とは裏腹に、声は明るくて活発だ。
澪が身を乗り出すと、まとめた髪が肩からさらりと落ちる。
派手なタイプじゃないのに、不思議と目に入る。
「お、澪も興味あるか!」
達也は満面の笑みで蓋を開け──
「「……」」
「……ぐちゃぐちゃだな」
中身は、見事に原型を留めていなかった。
どうやら、さっきから振り回していたのが原因らしい。
「オー、ノー……!」
達也は、そのまま床に崩れ落ちる。
「自業自得だね」
「飯食おうぜ」
しおれたキノコみたいな達也を横目に、俺と澪は昼食の準備を始めた。
昼飯の席順は、いつも決まっている。
俺の隣に達也、向かいに澪。
いわゆる、いつメンだ。
「慰めてくれよお!」
「知るか」
足にしがみつく達也を、軽く蹴り払う。
昼飯の時間は、だいたいこんな感じだ。
くだらないことを言って、突っ込んで、笑う。
大したことのない日常。
それでも──僕は、この時間が嫌いじゃなかった。
弁当の蓋を開ける。
白米に、卵焼き、タコさんウィンナー。
「その卵焼きちょうだい」
澪が、箸で指す。
「物々交換だ。代わりに何かよこせ」
「じゃあ、唐揚げ。冷凍だけど」
成立。
澪が卵焼きを食べ、少しだけ考え込む。
「……私、甘くない卵焼き派かも」
「もう二度とやらん」
「ごめんってば」
くすくすと、澪が笑う。
その笑顔を見て、なぜか一瞬だけ、視線を逸らしてしまった。
澪は、いつも一歩引いたところで話を聞いている。
なのに、気づくと会話の中心にいる不思議なやつだ。
「俺にも──」
「お前にはやらん」
「ちぇー」
達也が、しぶしぶ自分の弁当を食べ始める。
「そういえばさ」
澪が、ふと思い出したように言った。
「このクラス、転校生来るらしいよ。女の子の」
その瞬間、箸が止まった。
「転校生?」
「うん。今日、職員室で担任と話してるの見た人がいるって」
……どうでもいい。
そう思った、はずだった。
なのに、胸の奥が、ざわつく。
「可愛い子だといいな!」
「それしか頭にないのか」
「正義だろ?」
可愛いは正義。
それは否定しない。
でも──
(……来るな)
そう願ってしまった自分に気づいて、胸の奥が少しだけ軋んだ。
誰かと深く関わるのは、面倒だ。
期待して、失って、また同じ夢を見るくらいなら。
予鈴が鳴り、教室が慌ただしくなる。
「次、移動教室だっ」
澪が席を立ち、達也が弁当をしまう。
日常は、まだ続いている。
あの夢の続きなんて、来なくていい。
僕は最後の卵焼きを口に放り投げ、胸の奥のざわつきを押し込めるように、ゆっくりと立ち上がった。
母さんの甘い卵焼き。昔から変わらない味だ。
変わらないものが、少しだけありがたく思えた。




