1-1 魔術と龍神の加護
魔法陣の部屋から解放された俺はオズの案内で、居間に通してもらった。
「とりあえず、気を楽にして座ってくれ」
「ありがとう」
魔法陣があった暗く湿った部屋とは打って変わって、居間の方は良い香りのする、木造の部屋だった。
同じく木で造られた椅子に腰掛ける。
「これ、どうぞ…」
「あ、ああ。ありがとう」
マナが飲み物を入れてきてくれた。ハーブだろうか。落ち着く香りがする。
「さて、と。改めて…舞い上がっちまってすまなかった」
先程のテンションはどこへやら、オズは落ち着いた様子で切り出した。
「ここはドア大陸・ナトゥラ地域南西にある、ナムラク村ってとこだ。まあ村っつっても、家はここにしか建ってねえんだけどな」
「ドア…ナムラク……はぁ…」
うん、はてなだ。地理の偏差値が50もない俺でも、世界地図にそんな大陸やそんな王国の名前などなかったことはわかる。やはり、全く知らない世界のようだ。
「まあ、当然わからないことだらけだよな。でまあ、俺とマナはここで、魔術の研究をしてるのさ」
「魔術って本当にあるんだな…」
ああ、まだ夢でも見てるのか?俺は。
魔法陣に、魔術に……処理が追い付かない…。
「ん?ちょっと待ってくれトウヤ。お前、魔術の存在を知らねえのか?」
本気で驚いてるようだった。
「全く知らない…。まあ…残業とか、ハラスメントとか……そういうのはある種、黒魔術と呼べるかも…」
「ザンギョー?ハラスメント…?」
「いや、こっちの話だ…とにかく、魔術というものの存在には驚きを隠せない」
「なるほど…信じがたいが、魔術文明のない異世界人か。こりゃ、飛び切り珍しいタイプかもしんねぇな…」
「珍しいタイプ?」
「はい…」
少し遅れて着席したマナが、会話に参加する。
「私たちが研究している魔術の一部である【召喚術】はまだ、この世界に存在する7つの地方のうち、どこかの地方から単純な呼び寄る程度のものなの…」
マナはハーブティーを一口、こく、と飲んだ。
「だから…私たちが知りうる知識と方法で行われる召喚術で、異世界の方が召喚されるというのは極めて稀で、滅多に起こることではなくて…確率としてはほぼ0%に等しい」
「あ、こう見えてマナ、めちゃくちゃに驚いてるからな」
オズがはっはっはと笑い、マナも無表情で頷く。
「そもそも…人間が召喚されること自体が驚くべき事象…。ほとんどは動植物だから…」
「なるほど…」
「ま、正直俺も相当驚いてる。魔術が当たり前といえど、『異世界から人が来る』なんてのは、夢物語だと思ってたからな。世界は一つじゃなかったってことだろ?すっげぇなぁ…」
オズはおそらく、こちらの世界で言えば20代半ば、といったところだろうか。
大人であることは間違いないが、物珍し気に俺を見るその目は、少年そのものだった。
「で、トウヤ。あんたさっき…死んだ、とか言ってたか?」
「ああ、言った。そう、以前の世界で俺は死んだんだ。死んだはずだ。…なぜ死んだかは、思い出せないけど…」
「はぁーーー…すごい奴を呼び寄せちまったかもなあ」
更に驚いた様子を見せる。
「じゃあ、これから第二の人生だな!」
正面からオズの腕が伸びてきて、ぽん、と肩に手を置かれた。
「そういうことに、なるのかな…」
「でもオズ、トウヤが魔術を知らないなら、もちろん使うこともできないってことだよね」
「あー、確かにその可能性もあるか。……よっしトウヤ、ちょっと待っててくれ」
「あ、ああ」
オズが先程の魔法陣があった部屋に再び入っていった。
「やっぱり、魔術が使えないと立場とか悪くなるのか…?」
「立場が悪くなるというよりは、魔術が使えない状態というのはつまり、0ということで…」
「ふむ」
「可能性が無限にある…簡単に言うと、赤ちゃんと一緒。生まれてすぐの赤ん坊は、誰も魔術を使用できない…というか、魔力をもっていないから」
「なるほど、赤ん坊…わかりやすいな」
「そして、通常は生後半年を迎えた頃に、赤ちゃんに対し『逢魔の義』という儀式を行う…」
「オウマノ…ギ?」
マグロか?
「はい。その人がどんな類の魔術に長けているか、それを判別するための儀式です」
「なるほど」
漫画やアニメの世界でよくあることだな。
説明を聞いていると、魔法陣部屋から出てきたオズが戻ってきた。
「よし、トウヤ」
「!」
「この瓶の中に、右手を突っ込んでくれ」
目の前に置かれたのは、ガラス製の花瓶だった。
一見何の変哲もない花瓶だが、オズはこの瓶に手を入れろという。
特に危ない感じはしないので、言う通りにしてみることにした。
「これでいいのか?」
「ああ。そのまま少し待ってくれ」
数秒の間の後、瓶に入れた中指に風が当たる感覚がした。
「何か感じるか?」
「風が…当たってるな」
「風……?」
俺の返答に、マナが少し困惑した表情を浮かべた。
同様に、眉をひそめたオズと顔を見合わせた。何かマズいのか?
「…まだだトウヤ、そのままだぞ」
「わ、わかった…」
部屋の空気が少し張り詰めたのがわかる。俺は少し怖くなったが、オズの言う通りにすることにした。
すると
「お……オズ…!これって…」
「い、いやいや…まさか…まさかだぜマナ…あり得ねえ…!と思いたいが…!」
指の周囲をぐるぐると回っているのがわかるほどに、風が強くなっていた。
その風は、普通じゃあり得ないことなのだが、黄金色に輝いていた。
そして、花瓶にひびが入った。
「はっ…………?!」
ピシッ、という音とともに、突如目の前が真っ白になった。
意識だけがどこかに飛んでいる感覚だ。視界は正面しか捉えることができず、身動きも取れない。
(どこだ…ここ)
口も開かない。脳内でしか言葉を発せない。
『器の子よ…』
「?!」
男の声が聞こえた。野太く、力強い声だ。
『汝に、我が加護を授ける』
「か、加護…?!いきなりなんだ!誰だ、あんたは!」
『我はドア七龍神が一人、賢龍神なり』
「龍神…?賢龍…?!」
『左様。我が加護を用い、来る天命の時に備えよ』
意味の分からないことを一方的に言われている。
「俺に…どうしろっていうんだ?天命の時って?」
『今はまだ…伝えられぬ』
「めちゃくちゃだな…」
『すまぬ、器の子よ…。だが今は、時間がないのだ。汝は必ず、異なる場所で再び我と邂逅するだろう』
「…」
『そこで、全てを話そう。まずは、我の加護を…汝の旅に大いに役立ててほしい』
「そんなこと言って…使い方もわからないのに…!」
『問題はない。自ずと覚えるはずだ』
「いや、そんな」
『頼んだぞ、我が器の子トウヤ……お主の生命の波動に、心を打たれた。我の…』
「どうして名前を…!ちょ、ちょっと待っ…!」
目を開けると俺は、テーブルの上に頬を付けるようにして伏していた。
心配そうなマナと、震えながらも口元だけ笑っているオズが目に入る。
「トウヤ…お前……」
オズが、ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。
「お前まさか……りゅ、龍神様の声を聴いたりしたか……?!」
ゆっくりと起き上がり、頷く。
「ああ、聴いた…加護が、どうとか…天命がどう、とか…」
それを聞いたオズはぽかんと口を半開きにした。
マナも、両手を口に当てて心底驚いている様子だ。
「……うそ…すごい…」
「マジか……ま、マジか……」
2人とも、空いた口が塞がらないようだった。
右手に違和感があったので見てみると、中指に金色の指輪が嵌められていた。
龍の形をしていて、結構なゴツさだ。
「この指輪は…」
「間違いない、こりゃ……賢龍神様の指輪だ」
オズの瞳が少年のそれになっていた。
「これで俺は…何かできるようになったのか…?」
「トウヤ、疲れてなかったら一度、外に…」
「外?ああ、いいけど…」
マナに手を引かれ、家の外へ出た。
その先で俺の視界に拡がったものは、広大な草原だった。
空は高く青々とし、これまでに感じたこともないような爽やかな風が身を包んだ。
オズとマナの家は、この広大な草原にただ一つ、ポツンと佇んでいたのだ。
「す、すげぇ…」
「こういう景色、初めて…?」
笑顔で俺の顔を見るマナに、俺はただただ頷くしかなかった。
「召喚術以外の魔術研究も行いやすいように、広い土地に家を建てた。ここでなら、大丈夫かなって…」
「大丈夫って?」
「魔孔の開放ってのがあってな」
オズも外に出てきていた。
「逢魔の義を終えて魔術に目覚めたら、今度は体のあちこちに眠ってる魔力の穴をこじ開けるんだ」
両手を内側から外側へ広げる素振りを見せる。
「で、その時の開放量ってのに個人差があってな、見た目何の変化もないタイプもいれば、爆発するタイプもいる」
「ばっ…」
「はっはっは!爆発っても、体が砕けるわけじゃない。魔力がって話さ」
「…なるほど…」
爆発はシャレにならない。
「…さてと。んじゃ、お楽しみの時間だ」
ふと、俺のみぞおちをオズの両手がぐっと押した。
なかなかの力加減なので、「うっ」と声が漏れてしまった。
「わりぃ、ちょいと我慢な。今から全身に初動魔力を送り込むから、そこから動かないでくれよ」
「わ、わかった」
ふぅーーー…と、オズが深く息を吐いた。そして
「はっ!!!!」
「!!!!」
掛け声とともに、感じたことのない衝撃が全身を襲った。
痛みはないが、足を必死で地面につけていないと、吹き飛ばされそうだった。
一瞬にして光が体中から立ち昇り、体温がどんどん上がっていくのがわかる。
そして、吹き飛ばされたのは逆に、オズの方だった。
「ぅおおおおっ?!」
「オズ!」
マナが心配そうにオズを呼ぶ。
オズは10数メートル吹き飛ばされて、地面をごろごろと転がり、やがて停止した。
「お、オズ!大丈夫か…?!」
「…いってぇ~……おう、大丈夫だ!!!はっはっはっはっ!!!!」
大爆笑していた。
オズはすぐに起き上がり、服の汚れをパタパタとはたいてこちらに戻ってくる。
「どうだ?」
「え?」
オズに問われてはっとした。
衝撃が落ち着いた俺の体は、依然とてつもない熱を持っていた。
それだけではない。あり得ないことが起こっている。
「な、なんだこれ。これは……まさか、魔術の知識か……?」
頭の中に、魔術に関する知識がなだれ込んできたのだ。
あまりの情報量に、脳がパンクしそうだった。
「それこそが」
オズがタバコのような巻物に火をつけ、ふぅーっと大きな煙を吐き出した。
「賢龍神様の加護さ」
「賢…龍神…」
さっきの声の主だ。いきなり俺に、天命がどうのと説いてきた、あの。
「へへへっ」
「?」
オズが嬉しそうに笑っている。
「なあ、マナ。これは、どデカイ研究成果と呼ぶべきか?」
「うん…呼んでいいと思う…。あと、運、かな」
「はははは!違ぇねえ!」
ひとしきり笑ったあと、オズは空を見上げた。
「トウヤ。どうやらあんたは、この世界においてめちゃくちゃ重大な役割を貰っちまったようだぜ」
「…そう、なのか?」
「まあ、詳しいことは後で説明するとして……と、いうことはだ」
俺の方に顔を向け、拳を正面に突き付けた。
「そのあんたを異世界から召喚した俺もまた、重大なことをしちまったってことだ」
「オズ、その言い方だと、ちょっとマイナス…。でも、そういうこと」
「あ、ああ…」
「要するに、俺たちとあんたはこれから、一蓮托生ってことで」
「運命、共同体…てことで」
「お、おお…」
全てが矢継ぎ早の出来事で、全くもってわからないことだらけだが
この2人と一緒にいれば、少しずつ慣れていけるだろう。直感的にそう思った。
それに、もう俺は一度死んでるはずなんだ。それなら、成仏前に少しくらい、夢を見てたっていいだろう。
「わかった、こちらこそよろしく頼む。オズ、マナ」




