第三話 ぼやいても始まらないんで 持つべきものは良い友人
ガルステン国という国がある。
オーファウセン島という大きな島の西側を占める国だ。
伝統的な王政を敷くガルステン国の特徴として聖女という職業が挙げられる。
聖女とは何か。
一言で説明するなら優れた回復術士だろう。
普通の回復術士と比較すればその差は一目瞭然だ。
致命傷を負った負傷者に対して、回復術士ならその出血を止めるのに最低でも10分は集中して回復を施さなくてはならない。
しかもその後完治するまでにはさらに時間がかかる。
患部に薬草を塗布するなどして自然治癒を促進するのが限界である。
一方、聖女ならどうか。
回復さえ使える状況ならばいい。
数十秒あれば傷口を塞ぐことが出来る。
さらに数十秒あれば完治させられる。
聖女とは治癒及び回復術を極限まで極めたプロフェッショナルということだ。
当然のことながら周囲から尊敬の眼差しで見られる。
それもそのはず。
そもそも聖女になるハードルは高い。
性別が女性であることは言うまでもない。
元々持っていた高い魔力を見込まれ、選抜試験に受かること。
試験合格後、半年間の集中的な研修を受けること。
研修後、一定レベルに達している者だけが聖女として正式に認定される。
いわば聖女とはガルステン国がお墨付きを与えたエリートクラスなのである。
法皇庁の管轄の下、聖女達は国を支える要職に就く。
聖女の責任は重く、同時に与えられる恩恵も大きい。
皆から羨ましがられ期待される職業なのだ。
ただし世の中そうそう甘くない。
中にはやらかして自分が望まない僻地に飛ばされる聖女もいる。
そう、ユスティナ・リーベンデールのように。
「むぅ、やっぱり釈然としません〜。コルデンなんて僻地も僻地、田舎も田舎じゃないですかぁ。何にも楽しみがない〜」
はああ、とユスティナは大きくため息をついた。
椅子の背もたれにだらしなく寄りかかっている。
どこからどう見ても聖女が取る姿勢ではない。
意気消沈しているユスティナに声がかけられた。
柔らかく包み込むような声だ。
「仕方ないじゃないの。聖女が人をぶん殴っては治してまたぶん殴るのが趣味なんて知れ渡ったら大変でしょ? ゼアードさんもきっと貴女のことを考えてくれているのよ」
声の主にユスティナは視線をやった。
自分と同年輩の若い女性だ。
明るいライトブラウンの髪に同色の目。
ほっそりした体を緑色の法衣に包んでいる。
その服装から彼女もまた聖女であると分かる。
女性に向けてユスティナは答えた。
「フローレンスの言うことは頭では分かっているんだけどぉ。なんだか納得出来ないんです〜」
言われた方、フローレンス・ラニエッタは眉をひそめた。
形の良い柳眉が下がる。
「どうして?」
「私は人を殴るのが好きってだけなのになぁ。それをおかしいと言われるのが気に入らないんですよねぇ」
「あ......そういうこと。困ったわねえ」
フローレンスは小さく苦笑する。
ここが彼女の家で良かった。
こんなことを他人に聞かれたら大変だ。
世間一般とユスティナの常識、あるいは倫理観には大きなギャップがある。
ユスティナ曰く「ほっといてくださいよぉ。大きなお世話ですぅ」なのだが。
問題は世間が放っておいてくれない点だ。
他の戦闘や冒険に関わる職業でも「殴るのが大好きです」と公言するのははばかられる。
ましてや聖女は単なる職業というより、生き方に近い部分がある。
誰が「私の仕事は治療や祈りを捧げることです。でも人を殴るのが大好きなんです。安心してください、殴って負傷させてもすぐに治しますから!」なんて言う人間を信用出来るだろうか。
無理だ。
「一応殴る相手は魔物や悪党に限定するように自制してるんですよぉ、これでもぉ」
「ど、努力はしているのよね......」
「うん。誰彼なしに拳を振るうようなのはただの狂人ですから!」
ユスティナは力強く言い放った。
フローレンスからすれば「ほとんど同じよ」と突っ込みたいところだ。
だが友人を落とさないだけの分別はぎりぎり働いた。
「貴女もその癖以外はごくごく普通なんだけどね」
「自分でもそう思うんですよねぇ。でも仕方ないじゃないー。生まれた時からこうだったんだからー」
「そうね。もう今さらかもね。今16歳よね?」
ユスティナに相槌を打ちながら、フローレンスは苦笑した。
ユスティナは「うん。フローの1歳下」と笑顔で答える。
年相応の可愛らしい笑顔だった。
誰がこの笑顔の下の本性を見抜けるというのだろう。
凶悪な聖女は自分の両手をじっと見る。
「私も思う時はあるんだぁ。普通の女の子みたいに刺繍や星占いやお料理、あるいは絵を描いたりすることが好きなら」
「好きなら?」
「こんな面倒くさいことにはならなかっただろうなあって。自分の好きなことを堂々と言えないのってしんどーい」
「そうかもね」
フローレンスにはユスティナの性癖は理解できない。
恐らく一生出来ない。
でもユスティナの悩みを理解出来る気はする。
彼女の性癖に共感してくれる人間は本当に少ないだろう。
そういう意味では孤独なのかもしれない。
頭の中の考えを振り払った。
フローレンスは「お茶のお代わりはいかが?」とユスティナに言った。
彼女らの前に置かれたカップから湯気は立っていない。
「お言葉に甘えていただきますー。フローの淹れてくれるお茶は美味しいんだぁ」
「そうでもないわよ。でもありがとう」
ユスティナの賛辞にフローレンスは心温まるものを覚えた。
人を殴るのが大好きという一点以外、ユスティナは性格がいい。
"自分以外にそういう美点を理解してくれる人がいてほしい"
茶葉を棚から取り出しながら、フローレンスは心からそう思った。