9話 魔京都(まきょうと)
古き良き時代の面影を残す町並みが、そこにはそのまま残されていた。路地を歩けば、どこか懐かしさを感じさせるレトロな風情が漂い、昔ながらの商店が並んでいる。喫茶店や小さな本屋、古民家風の居酒屋がひっそりと営業を続け、時間の流れがゆっくりと感じられる。
しかし、その風景の合間からは、経済成長に合わせて建てられたビルやオフィスが顔をのぞかせている。新旧が入り混じった町並みは、レトロな商店と高層ビルが隣り合い、時代の違いを感じさせながらも不思議な調和を保っている。静かな路地から見上げると、ネオンが瞬き、商店街の看板と現代的な広告が同じ通りに共存しているその光景は、まさに過去と現在が見事に交錯している様子を物語っていた。
そして、町のさらに奥に目を向けると、その調和を打ち壊すかのように、ひときわ大きな魔王城のようなビルがそびえ立っている。巨大なその建物は異質な存在感を放ち、まるでこの混沌とした町並み全体を象徴しているかのように、独自の威厳を保っていた。
「高度経済成長期の時代ってこんなものなのかな?」
『変革期だからこそ見える風景だわ。これはこれで風情があるわね』
「やっと最初の第一歩が踏み出せるな。まずは役場を探すか」
『そうだね』
「マッチ、行こうか」
迷子にならないようにと、ウィルはマッチの手を握り、役場に向かって歩き始めた。
役場に到着すると、重厚な木製の扉がゆっくりと開き、昭和の時代を思わせる広間が広がっていた。
木製のカウンターや古びた机には、役人たちが真面目な顔で書類に目を通している。
全体がどこか古いままでありながらも、都市の現代的な要素も同居しているように見える。
ウィルは案内係から番号札を受け取り、マッチと共に椅子に腰掛け、呼ばれるのを待っていた。
「ねぇ、ウィル。今日はどこに泊まるの?」とマッチがウィルに尋ねた。
「申請が終わったら、少し高めの宿を探そうかと思ってるよ」
「安い宿じゃなくて?」とマッチが首をかしげながら不思議そうに聞き返す。
「今はこの町の治安がどうなっているかわからないからね。安全もお金で買えるなら、買っておいたほうがいい。それに、しばらくはこの町を拠点に活動するつもりだから、立地の良い場所に泊まった方が何かと便利だろう?」ウィルは少し得意げに説明を続ける。
「さすがウィル、賢いね」とマッチが感心したように微笑んで、その瞳には素直な尊敬の色が浮かんでいた。
ウィルはその笑顔に、ふと気恥ずかしさを感じながらも、調子に乗って自分の知識をひけらかしている自分に気づいた。
少し意識しすぎたかな、と思った瞬間――
『あなたがこんなに得意げになるなんて、マッチがいるからかしら?』
アイのからかうような声が耳に響いた。
「うるさい、黙ってろ!」と、ウィルは顔を赤らめながら、思わず突っ込んでしまった。
アイに図星を突かれたことで、自分が調子に乗っていたことを指摘され、気恥ずかしさが一気に込み上げてくる。
その姿を見たマッチがくすっと笑って、ウィルに「なんか照れてる?」と、さらに追い打ちをかけるようにからかう。
「照れてない!ただ、あいつが――」とウィルは慌てて否定しようとするが、そんなやりとりに笑いを堪えきれなくなったマッチも思わず笑みを浮かべる。
ウィルは、アイとマッチの両方に突っ込まれて、少し居心地が悪くなりながらも、2人との穏やかなやりとりが心地よく感じられた。
「番号70番でお待ちの方、どうぞ」
『呼ばれたみたいだね』
呼ばれた声の元へ向かって歩みを進める。
そして椅子に座り職員さんを見つめた。
一呼吸置いた後、職員さんは落ち着いた声で説明を始めてくれた。
「それでは、会社を設立するにあたり、いくつか注意事項があります。よく聞いてください」
ウィルはじっと耳を傾け、マッチも真剣な表情で職員の話を聞いていた。
「魔王様の政策により、会社設立の手続きはかなり簡略化されています。申請にはこの資料に必要事項を記載していただければ、設立は許可されます。ただし、いくつかの決め事がありますので、それをお伝えします。まず、社長と企業代表者を決めていただく必要があります」
ウィルはそこで少し眉をひそめた。
「代表者とは、具体的にどういった役割のことですか?」
職員は資料を手元に置き、説明を続ける。
「企業代表者とは、その企業の代表戦士のことです。主に2つの役割があります。1つ目は、企業同士の戦争を抑えるための抑止力です。もし企業間で争いが発生した場合、代表者同士が決闘を行い、その勝敗で決着をつけるという仕組みになっています。これは、魔王様が人類との戦争で疲弊した経済を回復させるため、無駄な内部争いを防ぐ政策の一環です」
「なるほど、戦士としての役割も兼ねているわけですね」
職員は頷き、続けた。
「そして2つ目は、魔王軍の招集に対応することです。招集命令が発令された場合、代表者は必ず魔王軍に参戦し、軍の一員として戦う義務があります。これも魔王軍を再編成し、強化するための措置です。これらの条件を満たせるのであれば、書類にサインをお願いします」
マッチが心配そうにウィルに問いかける。
「ウィル、大丈夫なの?」
ウィルは彼女に安心させるように微笑み、「ああ、問題ない」と答え、手元の書類にサインをした。
書類を職員に提出すると、職員は内容を確認し、微笑んだ。
「書類に問題はありません。それでは、これで会社設立の申請は完了です」
「ありがとうございます。ちなみに、カードはどのように発行されるのでしょうか?」
「カードは、会社設立後に役場に再度来ていただければ発行されます」
ウィルはふと何かを思い出したかのように、少し戸惑った表情で尋ねた。
「すみません、1つ質問なのですが……その手続き、オンラインでできる方法はありますか?」
職員は一瞬戸惑いながらも、すぐに穏やかに答えた。
「オンライン……というのが何を意味するのか分かりませんが、基本的に紙の書類での手続きが原則となっています。他に方法はございません」
「そうですか、勘違いでした。すみません、会社設立後、もう一度役場に来ます」
「はい、お待ちしております」
ウィルは軽く頭を下げ、職員に礼を述べると、マッチと共に役場を後にした。
外に出ると、夕暮れに照らされた町並みが広がっており、2人は宿泊場所を探し始めた。
大通りに面した場所には、少しランクの高そうなホテルが見えてきた。
「ここにしようか。アクセスも良いし、しばらくここを拠点にするには最適だろう」
マッチはその提案に興奮した様子で頷いた。「うん、ここがいい!」
2人はホテルに入り、豪華なフロントでチェックインを済ませた。
1泊10万コルの高級ホテルで、ウィルは2週間分の宿泊費として140万コルを支払った。
「お支払いを確認しました。701号室のお部屋になります。鍵はこちらです。無くされた場合は、係員にお知らせください」
フロントスタッフが鍵を渡すと、ウィルはマッチに「いくぞ」と声をかけ、2人でエレベーターに乗り701号室へ向かった。
部屋に入ると、広々とした高級感のある室内が目に飛び込んできた。
窓の外には魔京都の夜景が広がり、遠くには荘厳な魔王城がその威厳を放っている。
「うわぁ~、きれいなお部屋だね!」とマッチは感嘆の声を上げながら、部屋をきょろきょろと見渡した。
「そうだな」とウィルは微笑む。
「こういうのは初めてか?」とウィルは質問すると「はい、幻想森林でしか暮らしたことがないので、全てが新鮮です」とマッチが答えた。
ウィルはその無邪気な反応が微笑ましく、マッチの頭を優しく撫でた。
彼女の純粋な喜びが、今の自分にとって癒しになっていることを感じながら、今後の話をするために椅子に座り、マッチもその隣に座った。
「マッチ、俺たちのビジョンを共有できるか?」
「はい、アイさんからウィルがどういう展望を描いているのか、何を目指しているのか、全部教えてもらいました」
ウィルは頷きながら、少し窓の外に目をやった。彼の頭の中では、今まで考えてきた計画が次々と浮かんできていた。
前世で学んだIT技術を、この異世界でどうやって活用するか。
それは彼にとって大きな課題であり、これまでは1人で実現するには困難だと思っていた。
だが、マッチとの出会いがその状況を変えつつあった。
(マッチなら、この世界でIT技術を普及させる手助けをしてくれるかもしれない)
ウィルはそう思いながら、自分の計画を口に出した。
「俺は、この世界でもIT技術を使えるようにしたいんだ。前世で実現できなかったことも、この世界でなら、マッチと一緒に実現できる。それが俺たちの目指すビジョンだ」
その言葉を聞いて、マッチは少し驚いたように彼を見つめたが、すぐに真剣な表情になり、ウィルの言葉に耳を傾けた。
「具体的には、インフラの整備、ハードウェアの開発、ソフトウェアの普及……それらをすべて、この世界で実現するつもりだ。魔族はもともと優れた能力を持っているが、そこにIT技術が組み合わされば、人類に追いやられた魔族たちでも十分に力を持てるようになる。俺たちには、その力を与えることができるんだ」
マッチはウィルの話をじっくりと聞きながら、その計画の壮大さに圧倒された。
彼の熱意と自信が彼女の心を動かし、しっかりと頷いてくれる。
「つまり、私がこのビジョンを実現するための技術者、実装者としての役割を果たす、ということですね?」
ウィルは無言で頷いた。
表向きはマッチに「頼むぞ」という気持ちを込めていたが、実は内心では違う考えもあった。
もともとウィルはめんどうくさがり屋であり、実際に計画を進める中で、自分が全てを担う必要はないと感じていた。
(Administratorの使令に従う必要はあるが、条件に俺が全部やるとは書いてない。マッチの才能をうまく使えば、俺が面倒な部分を避けても問題ないだろう)
さらに、ウィルにはもう1つの思いがあった。
この世界の住人がIT技術をただ享受するだけではなく、自ら学び、技術革新を起こさなければ本当の意味はない、ということだ。
技術は使う者の手に渡ってこそ力を発揮する。
そう考えると、マッチに技術開発を任せるのは合理的だと自分に言い聞かせた。
「最初は、世界から与えられたこの力を使って、今の技術力では再現できないものを実現させる。でも、それをマッチが解析して、この世界で再現できるようにしてくれ」
マッチはウィルの言葉を真剣に受け止めたが、その言葉に込められた重責を感じ取ることなく、ただ彼を信じていた。
「俺は企業の代表として営業や人材確保を担当する。そして、マッチには社長として企業運営と開発に専念してもらう。大変だと思うけど、君の才能ならきっとできる」とウィルはマッチの肩に手を置き、強い信頼を込めて言った。
「はい、頑張ります!」とマッチは力強く頷き、ウィルの提案にしっかり応えた。
「明日から忙しくなるが、これが俺たちの新たな挑戦だ。俺たちで魔族の未来を変えよう」
「うん、ウィルと一緒なら、どんな困難でも乗り越えられる!」
マッチの目には強い決意が宿っていた。
ウィルもその姿に安心しながら、内心では「これで少し楽できる」と思いつつ、彼女の頭を再び優しく撫でた。
◇◇◇
夜になり、マッチが眠りについた後、ウィルは再びアイとコンタクトを取った。深い静けさに包まれた部屋で、彼の思考は次のステップに集中していた。
役場から貰った企業リストの資料をデータ化してアイに赤字で倒産しそうな零細企業のリストを抽出してもらう。
「リストの抽出はできたか?」
『もちろん、すべて出力フォルダにまとめてあるわ』
「ありがとう」
アイが抽出してくれたリストをプレビューし、ウィルはじっくりと資料を読み進めていく。
表示される情報の中から、気になる企業をピックアップしていくのは彼にとって無意識的な作業だった。
事業内容、業績、技術力――ウィルの目が慎重にそれらの項目をスキャンしていく。
「アイ、気になる企業をいくつか抽出した」
『いいわね。それなら、詳細を別資料に出力しておくわ』
「ありがとう、確認する」
アイが提供した別資料を確認しながら、ウィルは買収候補の企業をさらに絞り込んでいった。
どの企業も、魔京都で生き残るのに苦戦している零細企業であり、明日にでも倒産しそうな勢いであった。
『今、見ている企業をどうするつもり?』
「できれば買収したい」
ウィルの声には、確かな意志が込められていた。
リストに上がった企業の中には、独自の技術を持っているものもある。
だが、経営が立ち行かなくなったために、その技術が埋もれかけているのが現状だった。
「この会社が作っているハードウェア技術に興味がある。もし計画を進める上で使えるなら、手に入れる価値は十分ある。いろいろできることが増えてくれば、やりたいことが山ほど出てくるはずだ」
ウィルは、まるでその技術の可能性を楽しむかのように言った。
IT革命を起こすための手段を次々と考え、技術を活用する構想が次々と浮かんできていた。
だが、その背景には、一刻も早く成果を上げて、面倒な使令から解放されたいという本音も隠れていた。
『あなたがどうするのか、私も楽しみにしてるわ』
アイの声に、ウィルは苦笑しながら返事をした。
彼女が常にサポートしてくれることが、彼にとっては何より心強かった。
そのままウィルは朝が近づくまで、企業情報の確認作業を続けた。
次の日に訪問する企業を慎重に選びながら、自分のビジョンを少しずつ形にしていく。
彼の目の前には、魔京都での新たな挑戦が静かに、しかし確実に動き出していた。