7話 マッチとの出会い
生活基盤が整ったことで、ウィルは本格的な修行に取り掛かることができた。
ウィルが学ぶ技は、怪力拳というダークエルフが使用する特殊な拳法である。
村の族長の計らいにより、ダークエルフの戦士で、族長に次ぐ実力を持つと言われるマルモから、直接指導を受けることとなった。
マルモは理論的かつ丁寧に、怪力拳の技がそれぞれどのような状況で活用できるのか、具体的な場面を挙げて説明してくれた。
ウィルにとって、この村で初めて感じる思いやりと優しさに触れる機会でもあり、その感謝の気持ちを込めて、彼は真剣に技を身に付けていった。
昼間、ダークエルフの戦士たちが森の自治や管理の仕事に従事する間、ウィルはアイと情報共有したり、リナからこの世界に関する知識を教えてもらった。
夜には、アイの能力を使って仮想空間を構築し、マルモの戦闘データを基に訓練を重ねていく。
睡眠を必要としない身体を持つウィルは、稼働時間を効率的に使い、短期間で技を驚異的な速度で習得していった。
「アイ、この調子だと、もうすぐ怪力拳を完全に習得できそうだ」
『ええ、順調ね。仮想空間での訓練が効果を発揮しているわ。このまま続けていけば、さらに強くなるわね』
数週間が経過し、ウィルは技の習得と並行して、この世界の仕組みについてもかなりの知識を得ることができた。
特に、リナから教わった魔族と人間に関する歴史や、魔王の統治する世界のことは、今後の行動に大きな影響を与えることになるだろう。
1. 魔族と人間について
「魔族」という呼称は、この世界が誕生した当初、種族間の生存競争の中で、最強の生物として誕生した魔王によって定められたものだ。魔王は生物の頂点に立ち、魔王の統治のもとで魔族たちは平和と繁栄を謳歌していた。
しかし、100年ほど前に突如現れた「人間」たちによって、その平穏は崩れ去った。人間は魔族を侮蔑の対象とし、敵対するものとして扱った。最初は魔族が圧倒的な力を誇っていたが、年月が経つにつれ、人間の戦力は増大し、ついには魔族が住む生存領域は徐々に縮小されていったのである。
2. 魔王と都市政策について
現在、この世界には3名の魔王が存在しており、それぞれが自分の領地を治めている。魔王たちの都市は異なる政策を推し進めており、その中でも、ダークエルフが治める幻想森林の北に位置する「魔京都」では、経済政策として「カンパニー設立支援制度」を推進している。
このカンパニー制度は、商売や私兵の育成を奨励するもので、魔王軍の補強と、戦争で疲弊した経済の回復を目的としている。実際、ダークエルフ一族もこの制度を利用して会社を立ち上げており、魔王の指示のもと、この幻想森林の管理を行っているのだ。
3. 都市と自治区について
魔京都の魔王区を中心に、稲荷区、妖精区、人鳥区、奈落区、鬼切区という5つの自治区が取り囲む形で形成されている。ウィルが滞在している幻想森林は鬼切区の最南端に位置し、この区は「鬼切一族」が治安を守る自治権を所持している。鬼切一族は、警察のような役割を果たし、村には交番も設置されている。
鬼切区、そして幻想森林を含むこの地域では、「力こそが全て」という絶対的な価値観が根付いている。村の住人たちは力を持つ者を自然と尊敬し、その力を証明した者こそがリーダーにふさわしいと考えている。この考え方は、村のすべての戦士たちに深く浸透しており、力のない者は軽んじられ、力を示すことで初めて一人前と認められるのだ。
この価値観の中で、鬼切一族の長「鬼切舞」は、特にその実力とカリスマ性で群を抜いており、将来の魔王候補とさえ噂される存在である。彼女は圧倒的な戦闘力と指導力で、村全体を支える重要な存在であり、村の住人たちは彼女に強い敬意と憧れを抱いている。鬼切舞はその地位を誇示することなく、力をもって村を守ることに尽力しており、村民の間では「舞様がいれば、この村は安泰だ」という声も少なくない。
村人たちにとって、鬼切舞のような強者は、ただ強いだけでなく、村全体の希望や未来を託せる存在だ。
そのため、彼女への信頼と畏敬の念は絶対的なものとなっている。
リナから教わったこの説明には、彼女自身の主観が多く含まれていたが、ウィルはそれを理解しつつも、この世界の仕組みや価値観を学ぶ上で非常に有益だと感じていた。
彼女の熱意ある説明を聞くことで、ウィルはこの世界の仕様について理解をさらに深めていった。
◇◇◇
翌日、早朝から修練場に向かう途中、ウィルは以前ぶつかってしまったダークエルフの少女がいじめられている現場を目撃した。
彼女は村の端にしゃがみ込んで泣いており、数人の少年たちが彼女を取り囲んでいた。
近づくと、彼らの罵声が耳に入ってくる。
「お前は村の恥さらしだ。戦士にもなれない半端者が、修練場の近くでウロウロするなよ。目障りなんだ」
「そうだー!出て行けー!」
少年たちは、震える少女を嘲笑い、さらに彼女に暴力を振るう。小さな身体を縮め、必死に耐える少女の表情には、屈辱と悲しみが浮かんでいた。涙を堪えているものの、その心はもう限界だった。
(まただ……私なんて、この村には必要ない。戦士にもなれない、何もできない自分がここにいる価値なんてないんだ……。誰にも認められない……)
少女は小さい頃からこの村で戦士になることを期待されてきたが、戦いの才能がないことが露呈するたびに、周囲の冷たい視線を浴びてきた。彼女の家族は立派な戦士として名を馳せている一族であり、そんな家に生まれた彼女が戦士として役に立てないことは、彼女自身を深く追い詰めていた。少年たちは、少女がこうした背景を背負っていることを知っていたため、容赦なく彼女を嘲笑い、さらなる言葉の刃を向けた。
「お前なんか、この村にいらないんだよ!」
少年たちは少女を突き飛ばし、彼女は無力なまま地面に倒れ込んだ。震える手で身体を支えようとするが、立ち上がる気力すら奪われていた。ウィルは黙って見過ごすことができなかった。彼は冷静に、しかし力強い声で彼らに向かって叫んだ。
「お前たち、彼女に何をしているんだ?いじめなんて許さないぞ。これ以上彼女に手を出すなら、こちらも黙ってはいない」
ウィルの言葉に少年たちは一瞬驚き、彼に視線を向けたが、すぐに笑みを浮かべた。
「やってみろよ、よそ者が」
彼らはウィルを囲むようにして暴力を振るおうとしたが、ウィルは全く動じなかった。
アイのサポートを受けながら、彼は少年たちの攻撃をいなし、逆に彼らの力不足を痛感させる。
『ウィル、いなすことに集中して。丁度いい鍛錬になるわ』
アイの声が響く中、ウィルは少年たちの攻撃を的確にかわし、反撃することなく、彼らの攻撃をすべていなしていく。
20秒も経たないうちに、少年たちは息切れし、呆然と立ち尽くした。
「こいつ、よそ者のくせに強すぎる……」
「全然、当たらない……」
「もうダメだ、疲れた……」
少年たちはしおれた花のように、その場から逃げ出していった。
彼らの背中を見送りながら、ウィルは静かに声をかける。
「もう二度と彼女に手を出すんじゃないぞ」
少年たちが完全に姿を消すのを確認した後、ウィルはようやく少女の方を向き、優しく声をかけた。
「大丈夫?痛かったよね」
少女は、涙を流しながら、無言でウィルに頷いた。彼女の体にはいくつかの擦り傷があった。
ウィルはその怪我を見て、即座に傷の復元を試みる。
「少し染みるけど、我慢してね」
ウィルは優しく傷口を触り、スキャンする。そしてナノマシンによる傷口復元作業を実行すると彼女の傷は瞬く間に復元された。
それを見た少女は目を見開いて驚き、信じられないように傷のあった箇所を触っていた。
「えっ……本当に、治った……」
「少しお話してもいいかな?」
ウィルの優しい声に、少女は少し戸惑いながらも、彼の方を向いて頷いた。
「俺はウィル、君の名前を教えてくれる?」
「私……マッチ」
「マッチって呼んでもいいかな?」
ウィルの問いかけに、マッチは一瞬戸惑った様子を見せたが、少し考えた後、静かに「うん」と頷いた。
その仕草は、今まで誰にも心を開けなかった彼女が、ウィルに対してほんの少しだけ心を許し始めたことを示していた。
「マッチ、戦士になれなくても、自分の得意なものを見つければ、それでいいんだ。誰だって得意不得意がある。無理に戦士になる必要なんてないんだよ」
その言葉に、マッチの心が少し揺れた。
だが、彼女の中にはまだ深い絶望感が残っていた。
彼女はこの村で「戦士」になれないという理由で軽視されてきた。
家族もおらず、誰にも頼れない孤独が彼女を苦しめていた。
そして、自分が何もできない存在だという無力感が、彼女を日々蝕んでいた。
「でも……私、何もできない……家族もいなくて、ずっとひとりぼっちで……」
マッチの声は震えていた。彼女はこの村でずっと孤独だった。
戦士としての役割を果たせなかったことで、村からも認められず、居場所を失った。
その重荷が、彼女の小さな肩にずっと圧し掛かっていた。
「なんにも……できないよ……」
彼女の言葉は心の底からの叫びだった。
彼女は戦士になることが村での価値を決める唯一の道だと信じていた。
そして、その道が自分には無理だと悟った瞬間から、ずっと自分を責め続けてきたのだ。
「私は、なにをやってもできないよ! 戦士にもなれないし、村にも迷惑ばかりかけて……!」
涙が彼女の頬を伝い、次々にこぼれ落ちた。
自分の無力さ、誰にも頼れない孤独、そして未来への不安が一気に溢れ出した。
ウィルは、そんな彼女の悲しみを静かに受け止めた。
「マッチ……君ができないと思っているのは、まだ可能性を探していないからかもしれない。俺だって、辛い時期はあった。でも、諦めなければ必ず道は開けるんだ」
ウィルの声は優しかった。
彼は自分が過去に体験した絶望と、そこから再び立ち上がった経験を思い出しながら、マッチに向けて言葉を紡いだ。
「俺も一度はすべてを失いかけた。でも、諦めなかった。辛くても、戦い続ければ、必ず自分の未来を掴める。欲しいものがあるなら、自分の手で掴みに行くしかないんだ」
その言葉に、マッチの瞳が少しずつ変わり始めた。
彼女の中で、ずっと塞ぎ込んでいた何かが動き出す。涙で濡れた瞳がウィルを見つめる。
彼の言葉はただの慰めではなく、実際に戦い続けてきた者の言葉だったからこそ、マッチの心に深く響いたのだ。
「ウィルさんは……幸せを掴んだのですか?」
「一度は掴んだ。でも、またその幸せを取り戻すために戦っている。諦めるつもりはない。だから、マッチも自分を信じてみてほしい」
ウィルの言葉に、マッチはまた泣きそうになるが、今度はそれは違う涙だった。
悲しみではなく、彼女の中に再び芽生えた希望の光が、涙となって溢れ出している。
何もできないと思っていた自分にも、まだ何かできるかもしれない、という小さな希望が胸の中で揺れていた。
彼女は何かを言おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。ウィルはそれ以上何も言わず、ただ彼女の隣で静かに寄り添い、彼女が泣き止むのを待った。
しばらくして、マッチは涙を拭い、少し顔を上げた。
彼女の表情は、まだ不安が残っているものの、どこか決意を固めたようにも見えた。
「もう大丈夫です……傍にいてくれて、ありがとうございます」
彼女は小さな声でそう言い、恥ずかしそうに顔を伏せた。
自分が今まで誰にも見せたことのない弱さを、ウィルに見せてしまったことが、少し気恥ずかしかったのだろう。彼女の顔は、少し赤くなっていた。
ウィルは微笑んで彼女に言った。
「諦めない覚悟があるなら、俺はいつでも君を支援するよ。一緒に君の得意なものを探していこう」
マッチは少しだけ距離を置き、深呼吸をしてからウィルの目をまっすぐに見つめた。そして、静かに言った。
「諦めない覚悟はあります……誰にも負けない何かが欲しいです。一緒に、探してくれますか?」
その瞳には、再び輝きが戻っていた。まだ小さな一歩ではあったが、確実に前に進み始めていた。
ウィルは頷き、力強く答えた。
「任せろ」