67話 ウィル&マッチ
暗闇の中で、ずっと眠り続けていた。こんなに長く眠るのは初めてだったが、不思議と心地よさがあった。夢は、自分の好きなことだけで満たされていて、何もかもが思い通りに進んでいく。
それがあまりに心地よく、このままここにずっといたいとさえ思った。しかし同時に気づいてしまった。自分で新しいものを生み出さなければ、いつまでも同じ夢を繰り返し見るだけだということに。
重いまぶたをゆっくりと開けると、視界の端にマッチの姿が映った。彼女はウィルの頭を膝に乗せ、祈りながら静かに涙を流している。その涙は彼女の頬を伝い、ひと雫がウィルの頬にポタリと落ちた。
ウィルはぼんやりとした意識の中で顔をわずかに動かし、周囲の様子を確かめる。戦闘の痕跡が深く地面に刻まれ、荒れ果てた大地が広がっていた。後頭部に触れる彼女の柔らかな太ももの感触が、現実の厳しさと微かな安らぎを同時に感じさせる。荒廃した景色を前に、胸の奥が締めつけられるような思いが広がっていった。
(俺は……何をしてしまったんだ……?)
胸の奥に、やり場のない罪悪感がじわじわと広がる。自分の選択が、ここまで荒廃した結果を招いたのだと、思わざるを得なかった。
「マッチ……」
ウィルは彼女の名前を静かに呼んだが、マッチは祈りに集中していて気づかない。
ウィルは重たい右腕を持ち上げ、彼女の頬にそっと触れた。すると、マッチは驚いて目を見開き、ウィルの顔をじっと見つめた。
「マッチ……」
ウィルがもう一度彼女の名前を呟くと、マッチの目から再び涙が溢れた。そして、抑えきれずにウィルの上半身にしがみつき、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
ウィルは何も言わず、ただ彼女が泣き止むのを待ち、静かに彼女の手を握り返した。
やがて、マッチが涙を拭うと、ウィルは最初に言うべき言葉を口にした。
「マッチ、ごめん……」
ずっと言えなかった謝罪の言葉が、今ようやく口からこぼれた。ここで言わなければ、もう二度と伝えられない気がしたからだ。
マッチは涙を拭いながら、かすれた声で言う。
「ウィルは悪くない……私がわがまま言ったせいで、こんなことに……」
ウィルは首を横に振る。
「違う。全部、俺の責任だ。マッチを巻き込んだのも、俺が未熟だったからだ。次は、ちゃんと改善する」
その言葉に、マッチは驚きの表情を浮かべた。ずっとウィルと一緒に過ごしてきたのに、彼の内面について何も知らなかったことに気づいた。
(ウィルと私の間には、まだ見えない心の壁がある……)
マッチはそっと問いかけた。
「ウィルはどうしてそんなに理性的なの?」
ウィルは少し戸惑いながらも、率直に答えた。
「理性的であろうと振舞っているからだよ」
マッチはさらに尋ねる。
「私のこと、好き?」
ウィルは即答する。
「好きだよ」
ウィルの淡々とした受け答えにマッチは違和感を覚えた。ウィルの言う「好き」が、自分の想いとは何か違うような気がしたからだ。そして、核心を突く質問を重ねる。
「その好きはどんな好き?」
少しの沈黙の後、ウィルは答えた。
「大事にしたいの好きだよ」
マッチは理解する。
ウィルの好きは家族としての好意そのものであるということに。
ふと、ウィルと会社設立した時の記憶が呼び起こされる。
「俺は、この世界でもIT技術を使えるようにしたいんだ。前世で実現できなかったことも、この世界でなら、マッチと一緒に実現できる。それが俺たちの目指すビジョンだ」
「具体的には、インフラの整備、ハードウェアの開発、ソフトウェアの普及……それらをすべて、この世界で実現するつもりだ。魔族はもともと優れた能力を持っているが、そこにIT技術が組み合わされば、人類に追いやられた魔族たちでも十分に力を持てるようになる。俺たちには、その力を与えることができるんだ」
ウィルは人類と戦うための力としてIT技術を活用している。
目的のための行動方針はこれからも変わらないだろう。
でもそれが終わったらウィルはどうするんだろう?
マッチは言葉を飲み込み、ためらいながらも、意を決して問いかけた。
「ウィルは、人類殲滅が終わったらどうするの?」
ウィルはあっさりと答える。
「帰る手段を探すよ」
「ウィルの世界には大切な人がいるの?」
「いや、両親はもう他界してるから、大事な人はいない」
「じゃあ、奥さんとか彼女とかは?」
「いないよ」
彼のあまりに淡々とした返答に、マッチはますます理解できなくなった。なぜ、ウィルはそこまで帰りたがるのか。
このままではウィルの内面を知る機会を失ったまま、彼は目的を果たした後、帰ってしまうだろう。
今動かなければ私の願いは叶うこともなく潰えるだろう。
マッチは溢れてくる気持ちを抑えられず、ウィルにあたってしまう。
「なんで帰ろうとするの? 」
「なんでいなくなろうとするの?」
「ウィルがどうしてそこまで帰りたいと思うのか、私にはわからない……」
マッチは堪えきれず自然と涙が流れてしまった。
ウィルも困り果てたような表情を浮かべながら、少しの沈黙の後、ため息をつくように答えた。
「俺はデジタルコンテンツが好きだ」
「デジタルコンテンツ……?」
彼女はその言葉の意味がわからず、首を傾げた。
「情報が溢れてて、何もしなくても面白いものが次々と手に入る。それを見たり、遊んだりするだけで、時間があっという間に過ぎていく。それが、俺にとっての幸せだったんだ」
「子供の頃、訳も分からず見ていたエンタメがキラキラと輝いていたんだ。わからないなりに心の中をワクワクで満たしてくれた」
「でも、大人になってから、キラキラと輝いていたエンタメは消費するだけのものに変わってしまった」
「働いていた時期は特に時間がなかった。楽しいが義務に変わって何も楽しくなかった」
「そんな中、人生に分岐点が訪れた。両親が亡くなって嫌なことがいくつも重なり、独りになる時間が増えたんだ。腰を据えてやるということができるようになってから、やっぱり楽しいなと思えるようになった」
ウィルの眉がわずかに寄り、唇が震えた。その顔には、どうしようもない戸惑いと失ったものへの喪失感がにじんでいた。
「でも、突然だったんだ」
「訳が分からないまま、気づいたらこの世界にいた」
「考えても、考えても、なんでこの世界にきたのかわからない」
「この世界にきて与えられているものは、人類殲滅という使命だけだ」
「世界の管理者から生きるための力を貰った代償であることは、わかってる」
「魔族から見れば、人類が倒すべき存在であることも、相対して実感しているつもりだ」
「でも、俺は前世で生きていた世界がいいんだ。物に溢れ、エンタメにも溢れ、表現の自由が約束されている。それがどんなに幸せなことなのか、今ならわかる。価値観の違いはあるけど、俺はデジタルコンテンツが好きだ」
「創作は、誰かが作ってくれないと楽しむことができないんだ」
「だから、俺は帰りたいんだ」
マッチは彼の話を聞きながら、ウィルが愛してやまないデジタルコンテンツが、どれほど彼の人生に影響を与えているのか、その影響の大きさに衝撃を受けていた。
人生に影響を与えるデジタルコンテンツという存在がどんなものなのか、マッチは興味を惹かれていた。
ウィルが愛してやまないその美しい世界を、もし自分も理解することができれば、彼のそばに居続けられるのではないかと――そう思った。
意を決してウィルに宣言する。
「ウィル、私……この世界でデジタルコンテンツを作ってみるよ」
「遠い未来の話になるかもしれないけど、必ず作るから」
「だから……」
「だから、この世界にずっと……いてほしい……!」
マッチはウィルを見つめながら、胸の奥から込み上げてくる感情を抑えることができなかった。言葉を紡ぐたびに、その気持ちはどんどん大きく膨らみ、次第に瞳が潤んでいく。溢れ出した想いは涙となり、気づいたときには頬を伝い始めていた。それは止めようとしても止まらず、次々と零れ落ちていった。
「……………………………………」
「マッチ……」
ウィルは少し困ったように視線をそらす。彼女の真剣な瞳にどう答えるべきか、迷った。
マッチが抱いてくれている好意が、自分が想っているものとは違うこともわかる。
でも、どんな言葉をかければいいのか、わからなかった。
自分なりにどう返すか、懸命に考えるがどう返せばよいのかわからない。
考えに考えた結果、ウィルは言葉を返した。
「マッチ……実は人類殲滅という課題だけで俺は一杯一杯なんだ。それにリューカのこともある」
「だから……」
言葉を飲み込み、マッチの目を見て微笑む。
「これからもよろしくな、相棒」
マッチはウィルの言葉に小さく笑みを浮かべた。
返答に納得のいくいかないではなく、今はそれでいいと思った。
そして、次の話題へと切り替わる。
「あのねウィル。ウィルがいなくなってから、社員のみんなが解雇通告を受けちゃったの。取り消してくれない?」
ウィルは申し訳なさそうにうなずいた。
「それはごめん。すぐに取り消すよ」
「それと……」
「何?」
ウィルは彼女を見つめた。
雲の切れ間から夕焼けが差し込み、温かい光が2人を包み込む。
「Hello World、ウィル」
ウィルは目を見開いた。
その言葉はこの世界に来てから初めて言われた言葉だったからだ。
なんとも言えない感情が渦巻く。
それは温かいスープのように胸の奥に沈み、体全体が満足感で満たされ、心に染み渡る。
ウィルは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう、マッチ……俺も、君と出会えて良かったよ」
こうして龍仙谷で起きた騒動は一幕を閉じたのであった。




