60話 うさみさん、命がけの任務です!
旧魔王城跡地。
空は重たい雲が立ち込め、薄暗い曇り空が一面に広がっている。火山噴火後の名残か、大気には微かに硫黄の匂いが漂い、灰色の雲が陰影を落としていた。荒廃した大地には無数の穴や瓦礫が散らばり、風が吹くたびに灰と砂ぼこりが舞い上がる。その荒野に、うさみは音もなく潜んでいた。
敵に見つからないためには、風と一体となり、自然と溶け込む必要がある。うさみは、風の流れに身を任せ、自然そのものに同化していた。目の前に広がる瓦礫越しに見えるウィルとの距離は約1km――その距離が、果てしなく遠く感じた。
瓦礫の影に身を潜め、うさみはゆっくりと深く呼吸を整える。AImonが解析してくれたルートを確認しつつ、慎重に次の行動を決めていく。
彼女の本来の任務は、誰にも見つからないことが絶対条件だ。だからこそ、常に「本当にこれでいいのか」と自身の直感に問いかけ、納得できたときだけ動き出す。その慎重さは、まるで哲学のように彼女の行動に根付いていた。
うさみが装着するオールヴィジョン・ゴーグルは、もともと熱感知、赤外線、暗視モードなどの基本機能を備えていたが、マッチ社長の手によってさらなる改良が加えられた。新たに追加された機能には、空気流動、動体検知、そして「上空視認」が含まれている。
特に「上空視認」機能は、戦場での彼女の戦術を大きく変える画期的なもので、彼女の才能を最大限に活かすために設計されていた。この機能を極限まで使いこなすことで、彼女は戦場全体と自分の位置を俯瞰的に把握し、最適な行動を取ることができた。まるで自分が操作キャラクターであるかのように、第三者視点から動きを管理するこの技術は、彼女の磨き上げた技の集大成だった。
慎重に、そして正確に歩みを進めたうさみは、ついにウィルのそばにたどり着くことができた。これまでの行動から、近辺に新たな敵の姿は見当たらないと判断する。
膝をついたまま動かないウィルがそこにいたが、うさみは焦らず冷静に、次の作業に取りかかる準備をし始めた。
彼女はアーマーの収納袋から、非接触型の札を取り出す。
それはマッチ社長から渡されたもので、特別なスクリプトが埋め込まれている。この札をウィルに貼れば、指定されたパスからログファイルを回収できる仕組みだ。
「これを……ウィルさんに……」
息を整え、ウィルの頭にそっと札を貼り付ける。貼った瞬間、かすかな振動がウィルの体を伝い、頭の上にステータスバーがポップアップした。残り時間がカウントダウンされ、静寂の中に緊張感が漂う。
「大丈夫、スクリプトは正常に動いてる」
うさみは半歩後ろに下がり、じっとウィルの様子を見守っていた。
静寂が続く中、ふいにウィルからシステム音声が響き、うさみの耳に不安を呼び起こした。
System Booting...
Low Storage Detected.
Warning: Storage capacity at critical levels.
File Overload Detected: Risk of Data Corruption.
Warning: System instability. Kiosk mode activated.
If no action is taken, DragonApp will automatically start in 40 seconds.
「……何……?」
うさみはシステム音声が何を意味しているのか理解できなかったが、直感的に危険な兆候だと感じ取った。
心臓が鼓動を早め、緊張感が体全体を覆う。
「何かが起こる……」その予感は明白だった。彼女はすぐに距離を取り、ウィルの様子をじっと見守る。
「5……4……3……2……1……」
カウントダウンがゼロに達した瞬間、ウィルの目が真っ赤に光り出した。その光は、冷たく無機質で、彼の意志とは無関係の何かに操られているようだった。うさみはその光景に息を詰め、彼の変わり果てた姿に恐怖を覚えた。
DragonApp Initializing...
Loading Core System Components...
Verifying System Integrity...
Storage Levels: Critical
Error: Insufficient storage for neural data.
Warning: System overload imminent. Emergency shutdown disabled.
DragonApp Boot Complete. Kiosk mode engaged.
赤く輝くウィルの目に反射する景色は、彼がもう「ウィル」ではないことを示していた。ただのプログラム――魂のない器が動いている。うさみの胸に、かつて一緒に戦場を駆け抜けたウィルの面影は、もう微塵も残っていなかった。
「■■□敵を全て排除せよ」
その指令がウィルの中から響き渡ると、周囲の温度がじわじわと上昇し始め、彼の体内に抑えきれないエネルギーが溜まっていくのを、うさみは直感的に感じ取った。「逃げろ!」と本能が叫ぶが、まだ札の回収が完了していない。彼女は札のステータスバーに目をやり、完了を示す表示が点灯したのを確認すると、すかさずウィルの頭から札を剥がし取った。
手にした札を胸に引き寄せた瞬間、ウィルから抑えられていた膨大な熱エネルギーが一気に解放され、周囲に熱波が押し寄せた。足元の地面がひび割れ、赤く燃える溶岩が湧き上がり始め、まるで火山が噴火したかのように激しい熱があたりを焼き尽くさんばかりに噴き出した。
間一髪で札を取り戻したうさみは、体中にみなぎる緊張を振り払うように、その場から全力で後退し、直感に従って逃げ出した。
「10km圏内の敵の情報体を取得……完了……1名補足……殲滅を開始する」
「ドラゴンジッパー生成……失敗……」
「エネルギーをそのまま放出します」
ウィルの手が不自然に動き、うさみに照準が合わされた。AImonの冷静な声が響く。
「うさみ、攻撃くるよ。3秒後に思いっきり右へ飛んで!」
ウィルの体を通じて手に集約された赤いエネルギーは、まるで血管を通る血のように輝き、危険な美しさを放っていた。
「今!」
AImonの指示に従い、うさみは全力で右へ飛び出す。だが、思ったよりも近くに迫った熱エネルギーは、彼女のアーマーの表面を溶かし始めていた。全身に焼けるような熱が押し寄せ、神経が痛みと共に叫びを上げる。
「ここで立ち止まったら死ぬ!」
その思いが、うさみを立ち上がらせた。思考を巡らせる余裕もなく、ただ目の前の進むべき方向に全力で走ることしかできなかった。生存本能が彼女を突き動かし、何も考えずにただひたすら走る。3人称視点で移動を操作するリソースも残っていない。ただ必死に、迫りくる危機から逃げるだけしかできなかった。
「対象の存在を確認……再度攻撃を仕掛けます」
システム音が再び鳴り、ウィルはまた攻撃動作に入る。しかし、その直後、彼の動きがピタリと止まった。
「……助かった……」
うさみは安堵の息を吐き、10km圏内のウィルの影響範囲からなんとか逃れた。しかし、脳はまだ恐怖に支配され、体は勝手に匍匐前進を始めていた。息も乱れ、心臓が壊れそうなほどに鼓動する中、彼女の体は本能的にまだ逃げなければならないと感じていた。
「うさみ……もう大丈夫だよ」
AImonの声が何度も繰り返され、ようやく彼女はその場で動きを止めた。後ろを振り返ると、止まったままのウィルがそこにいた。まるで滅びの使者のように、無機質で冷たい姿がただ立ち尽くしていた。
「ウィルさん……」
彼女の胸に押し寄せるのは、仲間であったウィルがもう存在しないという絶望、そして助けると誓った自分の無力さだった。ウィルを救えなかったこと。今、自分が恐怖で震えているという無力感。それが、嗚咽と共にこみ上げてくる。
「……ごめんなさい……ごめんなさい……ウィルさん」
涙が止まらず、うさみはその場で震えながら泣き崩れた。助けたかった、恩を返したかった――その思いが溢れ出す。しかし、今の彼女にはどうすることもできなかった。




