6話 味方と敵
ウィルは、倒れたボンとベンを見下ろし、一呼吸ついた。
激しい戦闘が終わったことを実感し、肩の力が抜ける。
「アイのおかげで倒せたよ。ありがとう。でも、なんだかすごく眠い…頭がボーッとして……」
ウィルの声は徐々に弱まり、視界がかすんでいく。
身体が鉛のように重くなり、動かすたびに疲労が押し寄せてきた。
『それは稼働限界が近づいているのよ。これ以上無理に動く必要はないわ。身体が回復するまで、ゆっくり休みなさい』
アイの言葉に促され、ウィルは必死に目を開けようとするが、まぶたは重く下がり続ける。
全身に広がる心地よい疲労感が、彼を深い眠りへと引き込んでいく。
「でも……マップ上に……複数の点が……あるけど……敵じゃないのか?」
ウィルはかすれた声で呟いたが、その時にはもう意識が朦朧としていた。
『違うわ。安心して、彼らは味方よ。もう心配しないで、眠って』
アイの穏やかな声がウィルの心を安心させた。彼はすべてを委ね、アイの言葉を信じてそのまま意識を手放した。
暗闇が一気に広がり、深い眠りに落ちていく。
◇◇◇
その頃、森から少し離れた場所に、武装した部族の戦士たちが物陰に潜み、周囲の異変を感知していた。
彼らは、遠くで何者かが戦っている気配を感じ取っていた。
「誰かが戦っている」
「我が部族の森を荒らす者は皆、敵と見なす」
「族長、ご指示を」
族長は目を細め、静かにウィルの方を見つめていた。
森の中から響いてくる気配をじっと感じ取りながら、冷静に言葉を放った。
「少し待ちなさい。あの者は1人で戦っているが、敵には見えぬ」
「では、どうなさいますか?」
族長はさらに目を凝らし、周囲の状況を確認してから言葉を続けた。
「私が直接確認する。他の者たちは、森の中に潜む敵を全て排除しろ」
族長が指示を出すと、部族の戦士たちは音もなく、素早くそれぞれの方向へ散っていった。
◇◇◇
族長は、森の奥からウィルの戦いをじっと見つめていた。
冒険者との激しい戦闘の中、ウィルの動きは一見すると我流で荒削りに見えるが、その行動の一挙手一投足が驚くほど緻密で、計算されつくされたものだと気づいた。
粗野な印象の中にも、的確な動作と判断がある。攻撃を受ける瞬間に正確に対応し、無駄な動きが一切ない。
「我流か……だが、これは計算された動きだな」
族長はその独自の戦闘スタイルに感心しつつも、冷静にウィルの動きを観察していた。
目の前の冒険者は、達人には及ばないものの、十分な実力を持つ強者。
そんな相手に対し、ウィルが戦いを挑む姿には驚きを隠せなかった。
普通であれば、この状況で心が折れても不思議ではない。
しかし、ウィルにはそのような迷いが一切感じられない。
むしろ、彼は戦場に溶け込み、負けることを考えていないかのようだった。
「この若者……恐れを知らぬのか……」
族長の胸中に湧き上がるのは、長としての冷静さと、同じ戦士としてウィルを讃えたいという欲望の葛藤だった。
族長として、冷静にこの状況を見守らなければならない。
しかし、戦士としての血が沸き立ち、ウィルの戦いぶりに対して強く心を動かされていた。
冒険者が放つサーベルの一閃に対し、ウィルは素早く反応し、無駄なくそれを避け続ける。
彼の動きは完璧であり、戦いの流れを確実に自分のものにしていた。
そして、最後に放った拳が、冒険者の顔面に正確に打ち込まれ、彼を倒す瞬間を族長は目の当たりにする。
「……見事だ」
ウィルが2人の冒険者を倒した瞬間、彼の体は限界を迎え、力尽きたかのようにその場に崩れ落ちた。
しかし、その顔には満足そうな表情が浮かんでいる。
戦士としての勝利の証であるかのように、彼の全身からは充実感が滲み出ていた。
族長はその姿を見つめながら、自分の中で葛藤を抱えていた。
このまま冷静に見守るべきか、それとも自分が手を差し伸べるべきか。
長としては決断を急ぐべきではない。
しかし、この若者の戦いぶりを見て、見捨てるわけにはいかないという思いが心の中で強くなっていた。
「……この若者を見捨てる理由はない」
族長は静かにそう呟くと、周囲の気配を探る。森の中に他の敵の存在を感じることはなかった。
彼は慎重にウィルの元へと歩み寄り、そっとその若者の手を握った。
冷たくなっているが、まだ生命の力はしっかりと残っている。
「若者よ、よく戦った……」
彼の口調は穏やかでありながら、どこか厳粛さも感じさせる。
そして、そのままウィルを抱きかかえ、ゆっくりと歩き出した。
族長の中には、この若者が部族にとって何か大きな意味を持つ存在になるのではないかという直感が芽生えていた。
しかし、それを言葉にすることはせず、静かに風が吹き抜ける森の中を歩きながら、自らの住処へと彼を運んでいった。
◇◇◇
2日後、ウィルは森の静けさの中で目を覚ます。
『ウィル、おはよう』
アイの声が耳に入り、ウィルはゆっくりと目を開けた。
ぼんやりとした意識の中で視界が少しずつ鮮明になり、目の前にアイの顔が映り込んだ。
彼女はいつも通り魅力的な微笑みを浮かべ、ウィルを見つめている。
その穏やかな笑顔に少し安心したウィルは、彼女の顔をじっと見つめていた。
しばらく見つめていると、ふとおでこに小さな角が生えていることに気づいた。
角が生えている姿があまりにも意外で、ウィルの中で笑いがこみ上げてくる。
しかし、眠りから覚めたばかりのぼんやりした頭では笑うのをこらえるのがやっとだった。
そんな彼の様子に気づいたアイは、ウィルをさらに楽しませるために「ガオー!」と突然怒ったような表情をしてみせた。
その瞬間、ウィルの心の中で笑いの波が大きく膨れ上がる。
アイの無邪気な顔つきと、まったく怖くない「ガオー」の表情がツボに入り、思わず吹き出しそうになったが、何とかこらえる。
「ふふっ…いや、ちょっと待て、今のは反則だろ」とウィルは笑いをこらえながら、目尻を抑えつつ返事をした。
アイが「ガオー」としてふざける表情は、あまりにもかわいらしく、まったく怖くない。
そんな彼女のいたずらがウィルの心に軽やかな笑いを呼び起こす。
「アイ、おはよう。ここはどこかわかる?」
『いいえ、わからないわ。でも、あなたを助けてくれたダークエルフさんならいるわ』
「そうか、ありがとう。詳しい話はその人に聞いてみるよ」
アイの指示に従い、ウィルはダークエルフ族長に会うために外に出た。
彼が足を踏み入れたのは、巨大な樹木が立ち並ぶ美しい森だった。
ダークエルフたちが住む幻想的なこの森は、見たこともないような緑に包まれ、風がそよぎ、鳥のさえずりが響き渡っていた。ウィルは、リアルの世界でも見たことのないような自然の美しさに圧倒され、まるでおとぎ話に迷い込んだような気分になった。
「リアル以上の情報量だな。こんな美しい森、夢でも見たことがない……」
彼は足元に咲く花を眺め、感嘆のため息を漏らす。そんな美しい景色に夢中になっていたため、前を歩いていた少女にぶつかってしまった。
「ご、ごめん。大丈夫かい?怪我してない?」
ウィルははっと我に返り、慌てて声をかける。そこには、乱れたボブヘアにハイトーンのメッシュが入った小柄なダークエルフの少女が立っていた。黄金色の瞳が驚きに大きく見開かれ、彼の顔をじっと見上げている。
「だ、大丈夫です。ごめんなさい!」
少女は腕に小さな傷を負っており、ウィルは申し訳なさそうに彼女を見つめ、そっと彼女の手を取った。
「本当にごめん。僕が不注意だった」
少女はその言葉に少し微笑んで、「大丈夫です。あなたのせいではありませんから……」と、傷ついた腕を隠すようにしながら、そそくさと走り去っていった。
「アイ、俺、何か悪いことしちゃったかな?」
『ちょっとした不注意だったけど、あなたの慌てぶりが面白いわね』
「まぁ、驚かせちゃったみたいだし……」
ウィルは彼女を見送ると、気持ちを落ち着かせて再び森を歩き始めた。
その後、ウィルは森の中を進み、ついにダークエルフの集落にたどり着いた。
集落には市場が広がっており、商人たちが様々な品物を売り、活気に満ちた雰囲気だった。
周囲を見回していると、見回りをしていたダークエルフの戦士に見つかり、立ち止まらざるを得なくなった。
戦士は厳しい表情でウィルに声をかける。
「ここで何をしている?」
見回りをしていたダークエルフの戦士に声をかけられたウィルは、少し戸惑いながらも答えた。
「俺は、族長に助けてもらったんです。お礼を言いたくて……」
ウィルの言葉を聞いた戦士たちは、一瞬顔を見合わせたが、すぐに納得したようにうなずいた。
「それならば族長に会わせよう。ついて来い」
戦士たちはウィルを囲むようにして案内を始めた。森の中を進んでいくと、巨大な樹木の中にある集落が見えてくる。
ウィルはその美しい景色に少し感動しながらも、緊張を感じていた。
やがて、重厚な扉の前にたどり着く。戦士が扉を叩くと、中から声が返ってきた。
「族長。例の少年をお連れしました」
「通せ」
扉が開き、ウィルは族長ゾンの前に立たされた。
壮年のダークエルフ族長は、静かながらも鋭い目でウィルを見つめていた。
ウィルは頭を下げ、丁寧に礼を述べる。
「お初にお目にかかります。ウィルと申します。この度は助けていただき、本当にありがとうございました。お礼を申し上げたく、参りました」
族長はウィルの挨拶をじっと聞き、少し考えるように目を細めた。
そして静かに問いかける。
「早速だが聞きたいことがある。ウィルはなぜあそこにいた?あそこは我らの管轄区域。立入は魔王様の命により禁じられておる。ここら近辺に住む者であれば子供でもわかることなのだが…」
族長の話を聞いたウィルは、しばし返答に迷った。
自分がこの場所に迷い込んだ経緯をどう説明すればよいのか、慎重に言葉を選ばなければならないことは明白だった。
沈黙が数秒続き、胸が高鳴るのを感じた。
「ウィル、お主がどうやって幻想森林に迷い込んだのか、順序立てて話せ。返答内容によってお主をどうこうするつもりはこちらにはない」
族長の言葉は厳かだが、その中に優しさも含まれていた。
それでもウィルは、どう答えれば良いのか迷っていた。
彼の中で、戦いの疲れや森に辿り着くまでの緊張が蘇り、頭が真っ白になるような感覚に襲われる。
「……廃墟だと思われる施設で冒険者に襲われました。なんとか逃れようと必死に逃げていたのですが、ある場所でポータルを見つけました。そのポータル先が、この幻想森林だったのです」
ウィルの言葉は少し震えていたが、正直に話すしかないという思いが彼の声を支えた。
族長はウィルの顔をじっと見つめ、しばらくの沈黙の後に重々しくうなずいた。
「お主はポータルでこの幻想森林に移動してきたのだな」
「はい、意図して入ったわけではなく、偶然見つけたポータルに入ったらここにいました」
ウィルが説明すると、族長は考え込むようにうなずき、嘘偽りがないことを確認したようだった。
そして、近くにいた部下に命じた。
「マルモ、稲荷家の者に伝達を頼みたい。幻想森林でポータルが発見されたと伝えよ」
「承知いたしました」
ウィルの話を聞き、族長は一度落ち着いた様子で再びウィルに向き直った。
その表情には、少し和らいだ気配が感じられた。
「ウィルよ。そなたには感謝する。この幻想森林は我々ダークエルフの管轄区域だ。もしもポータルを発見できずに敵に見つかっていたら、冒険者どもにこの森を汚されていたかもしれぬ。礼を言おう」
ウィルは族長の言葉に少し驚いたが、すぐに頭を下げた。
自分の行動が感謝されるようなものだったとは思わなかったが、ただ流れに任せるしかなかった。
「ありがとうございます。しかし、助けていただいたのは私の方です」
族長は満足げにうなずき、少し考えた後、ウィルに提案を持ちかけた。
「ウィル、お主が冒険者と戦闘するところを見ていたのだが、あれは何かの流派なのか?」
その問いかけに、ウィルはまたしても答えに迷った。特に誰かから戦闘を学んだわけではなく、実際にはアイのサポートのおかげで勝てた戦闘だった。
アイの助けがなければ、どうなっていたか分からない。
だが、今はそれを正直に話すべきではないと直感的に感じたウィルは、少し言葉を濁しつつ答えた。
「いえ、特に学んでいる流派はありません。戦い方も、自分でなんとか身に付けただけです」
ウィルは少し後ろめたさを感じつつも、あまり深く追及されないようにその場をやり過ごそうとした。
内心ではアイのサポートがどれほど大きな助けになったかを痛感していたが、それを口にすることは避けた。
族長はその言葉を聞いて少し驚いたようだったが、すぐに冷静な表情を取り戻し、ウィルをじっと見つめた。
「何も学ばずしてあの冒険者とやりあえるだけの実力……もはや天賦の才能としか言いようがないな」
族長の言葉にウィルは一瞬戸惑った。
彼自身、アイの助けがあってこその勝利だと思っていたが、そんな評価をされると不思議な感覚が湧き上がってくる。
それでも、彼の評価をありがたく受け入れることにし、深く考えるのはやめた。
アイの存在があってこその結果だったが、今はその力をどう活かしていくか、まだ答えを見つけられないままだった。
族長はウィルを鋭い眼差しで見つめ、そして再び提案を持ちかけた。
「お主がよければだが、この村にしばらく滞在するつもりはないか?」
「いいのでしょうか?」
ウィルは驚きながらも、族長の提案に心が動くのを感じていた。
戦闘での疲れがまだ完全に取れていない中、この申し出はまさにチャンスのように思えた。
「我が村では、皆が戦士として育てられている。お前の戦闘を見て何か光るものを感じた。私の気まぐれかもしれぬが、ここで学んでみる気はないか?」
族長の急な申し出に、ウィルは一瞬戸惑った。だが、これは大きなチャンスであることは明白だった。
ウィルは族長の目を見つめ、感謝の気持ちと共に申し出を受け入れる決意をした。
「ぜひ、よろしくお願いします!」
話し合いが終わると、外はすでに夜を迎えていた。
「族長、しばらく修行するにあたって衣、住、食はどうすればよいのでしょう?」
「それなら、この家を利用するがよい。リナを呼ぶようにしよう」
族長は部下に命じ、リナという人物を呼び出した。しばらくして、お世話係のリナが姿を現した。
リナは黒髪ロングの少女で、引き締まった体つきをしており、快活な雰囲気をまとっている。
「お待たせいたしました。リナでございます。ご要件は何でしょうか?」
「リナよ。ウィルの面倒をしばらく見てやってくれ」
「承知しました」
「これからお世話になります」
リナに案内され、ウィルは新しい住居へと向かいながら、これから始まる修行の日々に胸を躍らせていた。