55話 ひらめきのキャッシュクリア
2024/11/21 字下げに対応しました。
戦況は次第にウィルの不利に傾いていた。
勇者との戦闘で、ウィルは徐々に傷を重ねていき、その傷は深くなっていく。負けじと聖女を狙って攻撃を集中させようと試みるが、聖女のバリアはまるで鉄壁のようにその刃を防ぎ、逆に勇者と賢者からのカウンター攻撃が容赦なく降り注いだ。
アイのサポートは強大だが、それでもウィルは追い詰められていた。状況はますます悪化し、回避する手段を狭められている。しかし、ウィルの頭は冷静だった。
「アイ、10秒だけこいつらの攻撃を完全にかわして、何もされない時間を作ることはできるか?」
『検討してみる』
アイの膨大な演算力がフル稼働し、ウィルの望む「時間」を稼ぐためのあらゆる手段を模索していた。無数のシミュレーションが一瞬で走り、最適な行動パターンを導き出す。
『30%の確率で死ぬけど、やってみる?』
「頼む」
勇者の剣が一閃し、ウィルは咄嗟に身をかがめた。刃がウィルの髪をかすめる瞬間、彼はアイの指示に従い体を動かす。割れた大地に足を滑らせながら、相手の視線をうまくかわし、戦場の一角に一瞬の隠れ場所を見つけ出した。賢者の雷撃が後方の地面を爆ぜさせ、その轟音が響く中、ウィルは息を潜める。心臓の鼓動すら抑え込むように、ただ機械的に身を潜めたふりをする。
その時、聖女が召喚していた火と水の大精霊に「とどめを刺せ」と指示を与えた。
2つの大精霊が融合し、激しい閃光とともに爆発が巻き起こる。衝撃波が大地を揺るがし、高温の水蒸気が戦場を一気に包んだ。立ち上る蒸気が視界を遮り、耳をつんざくような轟音が響く中、ウィルはその瞬間を狙って動き出した。
蒸気が視界を遮る中、ウィルは素早くスライムバリアを5重に展開し、自身を守る体制を整えた。まるで地獄の熱気がその場を焼き尽くすかのような激しい爆発の中で、彼は一瞬の静寂を作り出すために、わずかな「休息」の準備に入った。
『今よ。10……9……8……』
アイの冷静な声が響き渡る。カウントダウンが進む中、ウィルは地面に身を伏せ、眠った。不必要に溜まっていたメモリが解放され、頭はすっきりとクリアになっていく。体の動きが軽くなり、無の時間が10秒間広がる。
『3……2……1』
勇者がウィルを視界に捉え、聖剣で一撃を放った。スライムバリアはその全力の一撃で3枚ほど破られ、残るバリアも次の衝撃に耐えられそうにない。次の一撃でウィルを確実に仕留められる状況が整ってしまった。
『0!』
アイがウィルの体を強制操作し、瞬時に回避させる。ウィルは目を見開き、ギリギリのところでその場を切り抜けた。
「お前、何してるんだ?」
勇者の冷たい声が響く。
「寝てた」
ウィルは素っ気なく答えた。その答えに、勇者は驚いた表情から笑い声をあげる。
「お前、異常だよ!」
勇者の笑い声が戦場に響き、緊迫した空気が一瞬揺らいだが、すぐにまた喧騒が戻ってくる。だがウィルはそんな言葉に動じず、冷静に自身のタスクを進めていた。頭の中は今、快適に動作している。
「アイ、クロノス・シフトについてわかっていることを事実だけ列挙しろ」
ウィルの視界にアイの解析データが次々と表示され、冷静な声で報告が始まる。
「ポータル検知なし、感知センサー反応なし、テクスチャーの変化もなし。プログラム上の異常もない。ただ、少し気になるのは同期ズレかな。それ以外は特に異常は見られないね」
ウィルはデータを整理しながら、頭の中で仮説を組み立てる。少しずつピースがはまり、考えが形を成していく。
「同期ズレって……つまり、魔京都と俺自身の時間がズレているってことか?」
『そうだよ』
「どれくらいズレていた?」
『3秒だね』
その言葉を聞いた瞬間、ウィルの中に閃きが走る。
仮にクロノス・シフトが「時間を止める」能力だと仮定する。でも、勇者は止まった時間の中で動いている……なぜだ?
彼の思考は一気に加速した。
そもそも、時間って本当に止まるものなのか?
時間とは、変化を測るための基準に過ぎない。もし本当に時間が止まっているなら、空間そのものも静止し、あらゆる運動や変化が凍りついたように停止するはずだ。物質を動かす「エネルギー」すら存在しない……
つまり、勇者が動いている時点で、時間そのものが完全に断たれているわけじゃない。むしろ、時間の流れに「歪み」や「遅延」が生じていると考えた方が自然だ。
彼の脳裏にひとつの仮説が浮かぶ。
もしかしたら勇者は「スリープ機能」を使っているかもしれない。自分以外の対象をプログラムの一部を待機させるように特定の範囲だけが止まっているかのように見せかけている。
この仮説が正しければ世界全体の時間は流れていて、範囲内の「動作」だけが止まっているという仕組みが成り立つはずだ。
ウィルは思わず口元に笑みを浮かべ、確信に満ちた声で告げる。
「アイ、クロノス・シフトは『スリープ機能』だ。範囲内の動きだけが一時停止しているから、ポータルもセンサーもその範囲内での変化を検知できないんだ」
『対策は?』
「考えをシンプルにしよう。『魔京都との時刻ズレ』を検出した瞬間に強制的にスリープを解除するか、スリープの対象から外れるように機能を実装すればいい。その検出タイミングをトリガーにすれば、勇者と同じようにスリープの影響を受けずに動き続けられるはずだ」
『OK……任せて』
ウィルの指示を基に仕様が再構成され、スリープ解除機能が即座に実装されていく。画面には無数の計算が走り、完成へと向かってプログラムが構築されていった。
「ドラゴンアプリケーションの方はまだか?」
『あと30秒だね』
ウィルはアイの言葉にうなずき、ついに反撃に転じる時が来たと確信する。勇者もその変化を感じ取っていた。これまで逃げ回っていたウィルが、突然猛攻を仕掛けてきたのだ。勇者は目を細め、彼の動きに疑問を抱く。
(攻撃する隙はないのに、どうして攻めてくる?)
その疑問が、勇者の攻撃意識を無意識に防御へと切り替えさせた。ウィルはその隙を逃さず、猛然と勇者に接近し、押し込むように拳を振り下ろす。殴撃が何度も勇者の盾に叩きつけられ、光の閃きが戦場を照らす。
「お前にはもう手はない。もしかして、死を覚悟しての特攻か?」
勇者は不安を押し隠しながらも挑発的な声を出すが、ウィルは不敵な笑みを浮かべて応じる。
「もう終わらせるか」
その言葉とともに、勇者は力を解放した。聖剣が眩い光を放ち、彼のすべての魔力が一挙に聖剣へと注ぎ込まれる。その刃は脈動するように光を放ち、力の奔流が剣の周囲に揺れる空気を震わせていく。
圧倒的なエネルギーが解き放たれる中、大地には亀裂が走り、空間そのものが飲み込まれるかのような圧力が生まれた。
ウィルは最後の時間稼ぎとして、ふと勇者に質問を投げかけた。
「ちなみにさ、君はどうして魔族を餌だと思っているの?」
予期せぬ問いに、勇者は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐにそれを嘲笑で隠した。
「はははははっ! はっはっはっはっはっ! あーっはっはっはっ! なんておかしいんだ! お前、本当にバカじゃないのか? はははっ、あー……涙が出るほど笑わせてくれる!」
腹を抱えて笑いながら、ウィルを見下ろす。その目は冷徹そのもので、目の前の存在を単なる玩具か、何の価値もない獲物のように扱っていた。口元には嘲笑が浮かび、わざとらしい溜息を漏らしながら、まるで説教するような口調で語り始める。
「お前たち魔族も、動物を狩って食べるだろう? 同じことだ。ただ、俺たちはお前らを狩って経験値を得て、餌を神に捧げる。それが食物連鎖だ。理解できたか、下等生物?」
ウィルは冷静に視線を勇者に向け、軽く肩をすくめながら問いかけた。
「なるほど、神様に魔族を捧げるのが食物連鎖だと思っているのか。で、その神様は、捧げられた魔族をどうしてるんだ?」
勇者は目を細め、苛立った表情を浮かべた。
「そんなことはどうでもいい。神は我々に恩恵を与え、その恩恵で俺たちは強くなる。循環しているじゃないか?」
ウィルは冷静に矛盾点を突く。
「狩猟された魔族は、神に捧げられる。だが、神はそれをどう使っているのかわからない…… 自然界の食物連鎖では、捕食者もやがて土に還り、次の命の糧となる。しかし、お前が崇める神はどうだ? 循環するどころか、一方的に吸い上げるだけで、還元しているように見せかけているのではないのか?」
勇者は声を荒げた。
「黙れ! 神の恩恵は絶対だ! 俺たちが神の意志を問う必要なんてない。お前みたいな下等生物に理解できるわけがないんだよ!」
ウィルは少し笑いながら、目を細めて話を続ける。
「都合の悪いことには耳を塞ぐんだな。まあ、いいさ。勇者も所詮同じ穴の狢だということがわかった。そこらの冒険者となんら変わらん」
その時、ウィルの耳にアイの声が響いた。
『ウィル、準備できたよ。ただし、検証はまったくされてない。本当にやるの?』
ウィルは覚悟を決める。
「ああ……、やるぞ!」
『いくわよ!』
ウィルは虚空を見つめ、低く静かに呟いた。
「ドラゴン……インストール……」




