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魔族IT革命  作者: 白樹春來
龍仙谷編
41/68

41話 ボクは旅に出ます

 雨が降りしきる午後、街の小路こみちは水たまりで覆われ、太陽の光が雲間から時折顔を覗かせるが、すぐに大粒の雨にかき消される。住人たちは傘を差し、歩道を行き交っていた。車が通るたびに水しぶきが跳ね、都市全体にひとときの静寂をもたらしている。


 ウィルは龍仙谷りゅうせんこく行きの寝台列車のチケットを片手に握りしめ、傘をさして歩いていた。傘に当たる冷たい雨の音が心に染み、足元には波紋が広がる。道端の水たまりを避けながら、魔京都の北東にある大きな駅を目指していた。


 駅に着くと、ウィルは駅員にチケットを見せ、確認を受けてからホームの階段を上る。


 2番線に到着すると、係員にチケットを再び提示し、執事に案内されながらラウンジへと向かう。豪華なラウンジでは、高級な飲み物が提供され、その香りと味を楽しみながら、列車の到着をゆったりと待った。


 やがて、待っていた龍仙谷りゅうせんこく行きの寝台列車がホームに滑り込む。


 その列車は、長距離移動の概念を覆すような、動く贅沢そのものだった。


 ウィルは執事に案内されながら車内に足を踏み入れると、その独特の空間に心を奪われた。部屋の中には、龍仙谷の伝統を映し出す美しい意匠が細部にまで施されており、走るアートと形容するにふさわしい華麗さだった。室内の装飾は、龍仙谷の古い模様を取り入れた木材や和紙のパネルが並び、艶やかな漆仕上げが空間に深みを与えていた。


 案内された部屋は109号室。その列車で最も贅沢なスイートルームである。高い天井が視界を広げ、大きな窓は車窓越しに広がる風景を余すことなく取り込む。暖炉の灯りが静かに揺れ、檜風呂から漂う香りが心を和ませる。部屋の中央には柔らかな感触のソファが置かれ、その上に体を預ければ、時間さえも忘れてしまいそうな感覚に包まれる。


 列車の振動とともに、ウィルはこの特別な空間が持つ静かな贅沢を、じっくりと味わっていた。


「こんな豪華な作り……どんな技術で実現しているのだろう?」と、彼は目に映る全ての装飾に驚嘆し、職人たちの技術に思いを馳せた。


 やがて、列車はゆっくりと発進し、駅員たちに見送られながら出発した。外の景色がゆっくりと流れ始め、ウィルはベッドに横たわりながら車窓をぼんやりと眺めた。誰もいない空間、アイもマッチもいない静寂に包まれた世界は、ウィルにとって久しぶりの孤独な時間だった。


 異世界に転生してから、ウィルは使命のために身を削るように働いてきた。正社員ではなく、創業者として自ら会社を立ち上げ、日々の忙しさに追われる生活を続けていた。休日もなく、常に頭を使い、体を酷使してきた彼にとって、マッチとのケンカは心の限界を迎える引き金となり、完全に燃え尽きていた。


「もう、何もかもやる気がない……ただ、のんびりしたいだけなんだ」と、ウィルは自分にそう言い聞かせた。


 マッチからもアイからも、全てから遠ざかりたい。そう思った彼は、片道500万コルもの高額なチケットを購入し、龍仙谷という新たな都市へ向かうことに決めたのだ。


 1泊2日この寝台列車で移動する必要があるが、しばらくは戻りたくないという思いが強く、この贅沢な逃避行に満足していた。ウィルは前世でも孤独を楽しむタイプだった。会社員時代も、1人で生活し、気ままに国内を旅することが多かった。


 その自由な旅は楽しく、まるで社会の楔から解き放たれたかのような感覚を味わったものだ。列車が魔京都を離れ、自然豊かな景色が広がると、ウィルは優雅に水を飲みながら車窓を眺めた。都会の喧騒を忘れ、心が洗われていくような気がした。やがてディナーの時間が訪れ、ウィルは別の車両に案内された。そこで、料理人が目の前で調理を行う鉄板焼きスタイルのディナーを楽しむことができた。


 前菜から始まり、肉料理や魚料理まで、どの料理も丁寧に調理され、ウィルはその贅沢な食事に満足した。食事を終えて部屋に戻ると、再びベッドに横たわり、静かに車窓の景色を眺めた。


 ウィルは心の中で自分に言い聞かせた。


(今まで頑張ってきたな……)


 異世界に転生し、殺されそうになりながらも力を手に入れ、敵を倒し、前世の知識とアイの力で会社を設立した。IT産業の先駆者として、彼は一歩一歩、時代を前に進めてきた。そして、今やその歯車は止まることなく回り続けている。


「もう俺なんかいなくても大丈夫だよな」と、ウィルは思い、現実から逃げ出したくなった。


 ウィルは、この世界で莫大な富を手に入れていた。彼の決済カードには700億コルもの大金が預けられており、何も不自由することはない。けれど、そんな財産も今のウィルには何の意味も感じられなかった。


「もういいじゃないか……社会全体としての技術レベルは大幅に向上している。俺がいなくても後は勝手にやってくれるのではないか?」と、彼は自分の中でぐるぐると考えを巡らせ、やがてその思考は面倒な感情に押し流されていった。


 すべてがどうでもよく感じられ、現実から逃げ出したいという気持ちが溢れてきた。


 そして、翌日。


 ウィルはある問題に直面する。


 それは「暇の潰し方がわからない」という問題だった。


 前世では、ウィルは情報漬けの毎日を過ごし、インターネットを通して遊べるエンタメやソーシャルゲーム、アニメに夢中になっていた。しかし、この世界にはそういった娯楽が存在しない。


「異世界には俺の趣味を満たす娯楽がない……」


 彼はスイートルームを見渡し、何とか時間を潰そうとする。風呂に入ったり、冷蔵庫にあるジュースを飲み干したり、意味もなく踊ってみたりする。しかし、どれも彼の心を満足させることはなかった。


「デバイスがあったとしても、娯楽がないんだ……」と、ウィルは気づく。


 動画もあるにはあるが、戦闘系の動画ばかりで、彼の求める娯楽とは程遠いものだった。ウィルは次第に、元の世界が恋しくなり、胸の中に広がる虚しさに耐えられなくなっていた。


「元の世界では、何もしなくても情報があふれていた……指一本で、無限に新しいコンテンツが手に入った。映画、音楽、ソシャゲ、アニメ……好きなものを、いくらでも楽しめたのに……」


 彼はため息をつき、心の中にぽっかりと空いた空虚さを感じた。


「サブスクリプションに加入すれば、自分の好きなものが毎月、無限に届いたんだよ。何も考えなくても、新しいエンタメが目の前にある。無料で楽しめる娯楽はいくらでもあったのに……なんで俺はこんな世界に来たんだ?」


 胸の中で燻る疑問が次第に苛立ちへと変わっていく。


「何もない、情報がない、娯楽がない……」


 彼は天井を見上げて声を漏らすように呟いた。


「ただ生きているだけだなんて……なんて虚しいんだ……俺はなぜこここにいる……!」


 ついに、耐えられなくなったウィルはベッドから跳ね起き、大声で叫び始めた。


「異世界に転生なんて、フィクションの話だろ!?現実でそんなことが起きたら、絶対に嫌だ!こんな生活、誰が望んだんだ!?やだやだやだやだやだ!!」


 彼の叫び声は車両の中に反響し、止まることを知らなかった。


「見てるだけで楽しかったんだよ……フィクションの世界だからこそ楽しいんだ。『転生したい』だなんて冗談とか与太話の類だろ!、現実でなんか絶対あり得ない!現実世界では、見ているだけで幸せだったのに!」


 彼は拳を強く握りしめ、まるで何かに向けて当たるかのようにベッドを殴る。


「サバイバル動画を見て、『ああ、面白いな』って思って!実際にサバイバルをするやつなんかマジモンの変態か動画投稿者ぐらいだろ?、少数の人間しかやらないんだよ!ましてや異世界なんて俺はそんなこと望んでいない……!」


 ウィルの心の堤防は完全に決壊した。


「大多数の人間は、見るのが楽しいんだよ!動画も、アニメもフィクションだから見ているだけで十分だったんだ!俺だってそうだよ……見ていたいだけなんだよ!!」


 彼の心の中で押し殺していた感情が一気に噴き出し、抑えきれなくなっていた。


「なのに、戻れるかわからない転生なんて……こんな現実で、俺は何をすればいいんだ!?俺の好きなものなんて、この世界には何1つない……何も楽しくない……!」


 言葉を尽くしても、その虚しさは拭えず、ウィルは何度も叫び続けた。


「……元の世界に戻りたい……ただ、戻りたい……」


 数時間にもわたる叫びの末、ウィルはついに声を出す力を失い、疲れ果てた体をベッドに投げ出した。彼の胸の中で渦巻いていた感情の奔流は一旦静まり、ただ虚しさだけが残った。現実から目を背け、逃げ出そうとするウィルの心は徐々に壊れかけていた。しかし、ウィルの叫びは誰にも届くことなく、彼の痛みを共有する者もいなかった。


 豪華な寝台列車は、そんな彼の感情など気に留めることもなく、静かに、そして確実にその行く先へと走り続ける。窓の外には、龍仙谷へ向かう美しい景色が広がり始めていたが、ウィルの心にはその風景すらも響かない。列車は、彼の孤独な旅路を淡々と進み、龍仙谷へ向かってひた走っていくのだった。

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