35話 ギルドマスターの受難
稲荷地区の最前線を越え、戦闘区域を抜け、さらに非武装地帯を進んだ先に、冒険者の町「アラン」が広がっていた。
この町は、冒険者たちの拠点として栄え、日々、数多くの冒険者が集い、活動を繰り広げている。その中心にはギルド本部があり、ギルドマスターがその町を統率していた。ギルド本部の一室で、ギルドマスターと教会の司祭が向き合っていた。
静寂の中、司祭はその重々しい雰囲気を纏い、冷静な口調でギルドマスターに話しかけた。
「ギルドマスター、今日はお願いがあって参りました」
その一言が部屋に響く。ギルドマスターは司祭の目を見つめ、静かに頷いた。彼にはすでに、司祭が何を求めてきているのか、ある程度察しがついているようだ。
司祭は無駄な前置きもなく、核心に迫った。
「5年ごとに行われる催事「贄奉祭」――その祭りに必要な「贄」の数が不足している」
ギルドマスターはその言葉に動じることなく、すぐに反論を始める。なぜならば、彼は冒険者たちのことを第一に考えていたからだ。
「ギルドは中立を保っています。冒険者たちが得た成果に応じて報酬を与える、それ以上の義務を課すことはできません。それは教会との正式な取り決めでもあります」
ギルドマスターの言葉は筋が通っていた。しかし、司祭もまた一歩も引かない。
彼の表情は一切揺るがず、その冷静沈着な態度は、どこか厳かでありながらも、圧力を感じさせた。
「確かにその取り決めは承知しております。しかし、実際には贄の99%を冒険者たちが収集しているのも事実です。教会があなたに文句を言いに来たわけではありません。ただ、ここ最近、強力な魔族が現れ、冒険者たちの進軍が滞っていることをお伝えに参りました」
司祭の声には一切の感情が乗っていない。それはまるで、冷静かつ非情な現実を淡々と伝えるだけのように思えた。
「ギルドマスター、あなたにお願いがあります。その魔族を、あなたの手で討伐していただけないでしょうか?」
ギルドマスターは目を細め、思案に沈んだ。自分が戦場に出るということは、若い冒険者たちの成長の場を奪うことになる。なぜならば、レベル100の私にはこれ以上成長する余地が残されていないからである。未来を担う者たちの芽を摘むような行為を、私は本当にすべきかどうか迷っていた。
「私が出るとなれば、若い冒険者たちの成長を阻むことになる。それを承知の上で、私に依頼しているのですか?」ギルドマスターの声には、僅かな躊躇が含まれていた。
司祭は一瞬沈黙した。冷静な表情のまま、苦渋の決断を下そうとしていることがうかがえる。そして、彼は溜めていた不満を吐露するように呟いた。
「もちろん、わかっている……わかってはいるのだ。しかし、贄奉祭は期限が決まっているのだ。わたしが求めているのは、冒険者たちを犠牲にすることではない。根源となる原因を取り除いてもらいたいのだ。その原因さえいなくなれば、残りは冒険者たちがなんとかしてくれるだろう」
その言葉に、ギルドマスターは再び考え込んだ。司祭の提案には一理ある。
原因となる魔族さえ倒せば、残りは冒険者たちに狩ってもらうことで餌と経験値を配することができるし、贄奉祭も無事に進められる。
だがしかし、強力な魔族との戦闘経験を積むことができず、成長の機会を奪ってしまうデメリットもある。経験値をいくら集めたところで戦闘経験が積めないのであればどのみち強い魔族との戦闘には敗北してしまう恐れがある。自分が出ることで彼らに与える影響も少なくない。長い沈黙の後、ギルドマスターは深い息を吐き、覚悟を決めたかのように静かに口を開いた。
「……わかりました。お引き受けしましょう」
司祭はその言葉を聞くと、ほのかな満足感を浮かべ、少しだけ表情を緩めた。
「感謝いたします。ギルドマスター、あなたのお力があれば、贄奉祭も無事に成し遂げられることでしょう」
その言葉と共に、司祭は静かに立ち去っていった。ギルドマスターはその背を見送り、1人残された部屋で、再び窓の外に広がる夜空を見つめた。星々の光が、どこか冷たく、遠くに感じられる。
(再び、あの戦場に戻るのか……)
ギルドマスターは深いため息をつき、遠くで待ち受ける戦場に思いを巡らせていた。
◇◇◇
ギルドマスターは、自分のすべき日常業務をすべて片付けてから、出発の準備を始めた。装備を丁寧に確認し、万全の態勢を整える。彼が背負う使命の重さに比べれば、装備の準備などはほんの些細なことに思えたが、全てを完璧にこなしてこそ、ギルドの頂点に立つ存在でいられるという自負があった。
ギルドの受付で、若い職員がギルドマスターに不安げな表情を向けていた。
「本当におひとりで大丈夫ですか?」その声には心配と尊敬が交じっていた。
ギルドマスターは軽く笑みを浮かべ、「もちろんだ」とだけ言い残し、受付を後にした。
彼には単独で十分すぎるほどの自信があった。旅の道中、非武装地帯に差し掛かったところで、小休憩を取る。長い旅路だが、この時間が嫌いではなかった。
ふと過去を思い返し、ギルドマスターは若い頃の自分を思い出していた。
「そういえば、昔はこうやって仲間と少しずつ進んでいったよな……」
かつての冒険の日々、仲間たちと共に戦った記憶が鮮明に蘇る。共に汗を流し、時には命をかけて戦った彼らの顔が浮かんだ。今はもういない者もいるが、その思い出はギルドマスターの心の中でずっと生き続けている。数日間歩き続け、ついに戦闘地区に到着した。
「ここからだな……」
彼は呟き、意を決して歩き出した。敵は強力かもしれないが、今までと同じように戦えば勝てるはずだ。長年培った膨大な戦闘経験と知識が、確かな自信を与えていた。壊れた廃墟のビルが並ぶ戦闘区域を真っ直ぐ突き進む。
しかし、彼は次第に違和感を感じ始めた。
普段ならこの区域には冒険者たちの姿があり、戦闘音が響いていてもおかしくないはずなのに、それが一切ない。
(おかしいな……冒険者がいない)
ギルドマスターは心の中でそう呟いた。彼はギルドの長として、冒険者たちを送り出し、彼らの成長を見守ってきた。
若者たちを自分の子供のように思い、育ててきたのだ。それなのに、ここまで来ても冒険者の姿を見かけないのは異常だった。その奇妙な静寂が気になっていたが、彼は考えを振り払い、すべての事象を無視することにする。ここは戦場いつどこで狙われてもおかしくはない。ただひたすら、魔族の本拠地に向かって歩を進める。しばらく歩いていると、突然「カチッ」という音が鳴った。
「何だ?」
ギルドマスターは驚き、足元を見つめた。
何かを踏んだ感覚があり、足の裏を見ると、そこに仕掛けられていた装置が爆発した。
瞬時に反応し、彼は咄嗟に両腕で顔をガードした。
爆発は直撃だったが、彼の体は無傷だった。
バリアを展開する間もなかったが、それでもダメージを受けなかったのは、彼が保有しているスキルに由来しているからだ。
探知魔術には引っかからないが誰かがいると思って行動した方がいいだろう。
それに他の冒険者が戦闘をしていて隙を伺っているかもしれない
(もしかしたら、強い魔族に出会えるかもしれないな……)
彼は少しだけ口元を歪め、薄く笑みを浮かべた。戦いが近づいていることを悟り、自然と緊張感が増す。しかし、それは恐怖ではなく、むしろ長年の経験から来る戦闘に対する期待だった。
戦闘区域は静まり返っていたが、その静けさの裏に潜む新たな敵との邂逅を、ギルドマスターは楽しみにしていた。




