23話 ファームウェア更新
ウィルの意識は闇に包まれていた。まるで深い水の中に沈んでいくような感覚が彼を襲い、体の感覚は次第に薄れていく。目の前には何も見えず、耳には何の音も聞こえない。ただ、無限のデジタルの海に溶け込んでいくような感覚だけが残っていた。
その過程は、まるで死に向かって加速しているように感じられた。彼の思考は断片化され、時折、稲妻のように記憶の断片が閃くが、それもすぐに闇に消えていく。漂い続ける中で、ウィルは自分が果たしてまだ存在しているのか、それともすでに消滅してしまったのかさえも分からなくなっていた。
時間の感覚も失われていく。どれだけの時間が経ったのか、もう分からない。無限に続くかのようなこの闇の中で、彼の意識だけがかすかに揺れ動いていた。それでも、その微かな光のような意識は、まだ彼が完全には消え去っていないことを示していた。
「ダメ……だったのか……」
ウィルは賭けに失敗したと思い、自分の存在がバイナリーコードに分解されていく様子を、まるで死への道を進んでいるかのように感じながらも、やれることはすべてやったのだと諦めかけた。
その時、突然、アイの声が闇の中に鋭く響き渡った。彼女の声はいつもの冷静さを保ちつつも、その底には焦燥感が潜んでいた。
『ウィル、聞こえてる?これは最後のチャンスよ。絶対に諦めないで、今、ヘルプ申請を行使するわ……!』
アイは手元のデータを走査しながら、ウィルの意識が完全に消滅する前に、なんとか救いの手を伸ばそうとしていた。
『……これは仕様に基づいた正式なプロセスであります。現在の状況がファームウェア更新の条件を満たしているか、確認を急いで……!』
彼女の言葉のトーンには、冷静さを保ちながらも、まるでその瞬間に世界の全てを賭けているかのような焦りが感じられた。
その声に応じて、冷酷で無機質な「世界の声」がその場に響き渡る。まるで全てを見透かすかのように、無慈悲な審判を下すような声音だった。
『申請を確認……IT技術基盤、十分。身体損傷レベル、致命的……条件を満たしていることを確認。ファームウェア更新を許可します……』
その声が響いた瞬間、ウィルの意識は無慈悲にデジタルデータとして分割され、メモリバンクに強制的に保存される感覚が彼を襲った。身体が完全に消え去っていくような恐怖が押し寄せる中、微かな希望だけが残された。
『ウィル……!まだ終わりじゃない、耐えて!』
アイの声は、ウィルにとって唯一の光となり、彼の意識が完全に消滅しないように引き留めていた。
『次のフェーズに移行……ファームウェア更新の開始を確認……肉体再構築プロセスを開始します……』
無機質な声が淡々と続く一方で、アイは内心、焦りを隠せなかった。マッチの技術力で辛うじて成り立っているこの世界のIT基盤が、ウィルの命を繋ぎ止めているのだ。
『……お願い、絶対に失敗させないで……!』
彼女は祈るように心の中で呟きながら、ウィルのためにプロセスを監視し続けた。
ウィルの意識は徐々にシャットダウンされ、彼のデジタル意識はメモリバンク内に一時保存された。そして、その間に破損した身体はゼロから再構成され始める。かつての肉体はデータとして分解され、新たに生み出されるその身体は、次元を超えた存在へと進化を遂げようとしていた。
進化の核となるのは、Photonic Central Processing Unit(PCPU)。これは従来のシリコンチップを超える超高速処理を可能にする光学プロセッサだ。電子信号ではなく光子を使うことで、情報の伝達速度は限りなく光速に近づく。
PCPUが搭載されたことで、ウィルの脳は従来の数千倍の処理速度を手に入れ、反応速度と戦闘データの解析力が劇的に向上する。新しい身体の各部位は、戦闘に即応するためのリアルタイム・インターフェースによって統一され、全ての動作が滑らかに同期されていた。
肌の質感はピクセル単位で再現され、まるでCGをリアルに映し出したかのような精密さだ。筋繊維は弾性アルゴリズムによって最適化され、俊敏性と強靭さを両立している。さらに、彼の神経経路は複雑なネットワーク・ルーティング・プロトコルを用いて編み込まれ、脳から末端のセンサーまで、遅延ゼロの通信が確立された。
アップデートが進行する中、最も重要な武器が生成される。それは、マッチ、アイ、そしてウィルの3人で考え抜いた、鬼切舞に勝つための秘策だった。
アップデートは最終段階に入る。ドライバのインストールが完了し、システムはセルフテストを開始。あらゆる動作が最大限の精度で検証され、戦闘用モジュールも一つひとつチェックされていく。システムが完了を告げると同時に、ウィルの身体は完全な形を取り戻していた。
「ファームウェアアップデート──完了」
無機質なシステム音声が告げた瞬間、ウィルは新たな力を得た。これまでにない速さ、精度、そして力が、彼の身体に漲っている。まるで世界そのものと同期したかのような感覚が、全身を駆け巡る。
彼は、次元を超える存在へと進化したのだ。
◇◇◇
舞の秘技がウィルに届く寸前、虚空に次元の裂け目が開いた。裂け目から放たれた膨大なエネルギーの束がウィルに集まり、彼の身体は一瞬にして消滅した。まるでその場から消え去ったかのようだった。
その衝撃の余波は闘技場全体に響き渡り、ココとララが展開していた結界にさえ亀裂を生じさせた。観客たちは何が起きたのかもわからず、ただその恐るべき光景に息を呑んでいた。
舞もまた、何が起こったのかを理解できず、ただその激しい余波に押し流されないように必死で耐え続けた。膨大なエネルギーの奔流は際限なく続くかのように思えたが、やがてその勢いは次第に衰え、エネルギーは霧散していった。
エネルギーの奔流に飲み込まれたはずのウィルが、その場に再び姿を現した。
「うそ…」
舞は思わずつぶやいた。信じられない光景が彼女の目の前に広がっていた。消え去ったはずの両腕が復元され、さらにウィルの姿はこれまでのものとはまったく異なっていた。新たな姿に変貌を遂げ、装備も2丁拳銃ではなく、見慣れない刀を帯刀していた。
何が起こったのか、舞には全く理解できなかった。しかし、その疑問の中でウィルは一瞬の隙も見せず、戦闘態勢を整えつつあった。
「マッチ!」
ウィルが大声で呼びかけると、観客席からマッチがカセットを投げる。そのカセットを素早く手に取ったウィルは、手際よくカートリッジに装着し、アプリをダウンロードする。同時に、帯刀している刀のNeuralLinkをONにした。
刀は無線短距離通信機能を持つ特殊な機器で、接続が成功するとすぐに動的にIPアドレスが割り振られ、通信が開始される。刀のドライバがインストールされ、ウィルの脳内に剣術や刀の仕様が一瞬で流れ込むように理解されていく。
0.01秒という驚異的な速さで、彼は剣術と刀についての全てを学び終えた。
マッチが作成したアプリは、刀の機能を視覚的に表示し、性能を限界まで引き出すためのパラメータ設定ができる仕様となっており、ウィルの要求を完全に満たしていた。ウィルは、短時間でこのアプリを作り上げたマッチの技術力に感心し、心の底から感謝の意を示した。
「マッチ、ありがとう。行ってくる!」
マッチはその言葉に応えるように、確信を持って力強く言った。
「ウィル、いってらっしゃい!」
その声に背中を押されるようにして、ウィルは新たな力を得た姿で再び闘技場へと向かう。彼の心には、これまでにない強い決意と覚悟が漲っていた。
鬼切厳も驚愕していた。自らの当主が秘技まで用いて瀕死寸前に追い込んだはずのウィルが、再び立ち上がり、しかも新たな力を得て再び戦おうとしている。ウィルの復活の仕方も、彼の持つ刀の能力も、厳にはまったく理解できない。
「手掛かりがないまま、当主様と対峙させるわけにはいかない」
厳はそう考え、補佐としての立場を使い、試合に参戦することを決意した。
「将軍、自分が先陣を切ります。相手の能力を見極めるために、私を使ってください」
舞はその申し出に頷き、厳が戦場に立った。
厳が先陣を切ると、ウィルはすかさず刀を抜刀し、円を描くようにして間合いを把握する動きを見せた。厳の角からは放電が放たれ、彼自身が雷と一体化したようにウィルに襲いかかる。
そのエネルギーの奔流は激しいものだったが、舞のそれと比べると力不足だった。ウィルの間合いに入った瞬間、放出されていたエネルギーが霧散し、威力を失った厳はただの突進と化した。ウィルはその攻撃を難なく避ける。
ウィルは刀を納刀し、次に抜刀の構えをとった。
「1割でもいけるか?」
『問題ないわよ』
アイの確信に満ちた言葉を聞き、ウィルは試し斬りを試みることにした。
「斬」
ウィルが抜刀の構えから、一息の間も与えず刃を走らせた。刀が鞘を離れた瞬間、電位差から生まれた莫大なエネルギーがほとばしり、音速を超える斬撃が雷鳴のごとく厳を貫いた。その一閃で、厳の体は儚く霧散した。
さらに、斬撃の余波で生じた衝撃波が、切り裂かれた結界の亀裂を一層深め、粉々に打ち砕いた。観客たちはその凄まじい光景に悲鳴を上げ、ココとララは結界の修復に追われ、動くことができなかった。
衝撃が収まり、結界がようやく修復されたのを確認すると、ウィルは舞に鋭い視線を向けた。舞はその恐ろしい光景を目の当たりにし、声を震わせながら尋ねた。
「それは…何だ…それは一体何なのだ!」
「これ? お前を殺すための武器だよ」
ウィルは落ち着いた声で、まるで日常の会話をするかのように言った。その冷静さが、逆に周囲の人々を震え上がらせた。
彼は刀をゆっくりと掲げ、短く言葉を続けた。
「名前はそうだな……『雷刃』と名付けよう」
ウィルは視線を刀に落とし、簡潔に説明を始める。
「この刀と鞘には、それぞれ2つの機能がある。まず、刀は電子を吸収して蓄電する。電子が足りないときは、自分のエネルギーを注ぎ込んで充電することもできる」
ウィルは柄を軽く握りしめ、その感触を確かめるように言葉を続けた。
「もう1つ、柄巻を通して電子の方向を操作できる。この機能で雷のエネルギーを受け流すことも可能だ」
彼は鞘に目を移しながら、さらに説明した。
「刀を鞘に納めると、内部でエネルギーが圧縮される仕組みになっている。電子や正孔が特殊な小さな構造に集められ、これにより強いエネルギーが蓄えられるんだ。納刀した状態では、電荷が分離して大きなエネルギーの差が生じるように設計されている」
ウィルは刀をゆっくりと持ち直し、静かに舞へと視線を戻した。言葉はそれだけで十分だった。
短い沈黙が流れた後、舞の表情には困惑が浮かんでいた。彼女には、ウィルの言葉がまるで異次元の話のように感じられた。同じ言葉を話しているはずなのに、その意味をまったく理解できなかったのだ。
舞はゆっくりと首を横に振り、理解できないことを示す。
「そうか……」
ウィルは少し残念そうにしたが、すぐに気を取り直し、敵として向き合う覚悟を決めた。
舞もまた、抜刀の構えを取り、全力で相対する決意を固めた。
闘技場には再び緊張感が走り、観客たちは次に何が起こるのかを固唾を飲んで見守っていた。
最後の言葉が紡がれる。
「敵対したことをあの世で懺悔しろ!!!」
「ウィル&マッチ創業者 機械生命体ウィル お前を敵としてターミネートする!!!」
その言葉が闘技場に響き渡ると、互いの殺意は最高潮に達した。舞は自身の持てるすべての力を解放し、全力でウィルに斬りかかる。ウィルもまた、舞の剣術に合わせるように間合いを詰め、全身全霊で彼女に挑んだ。
互いの剣戟が激しく交錯する。舞の動きは以前のウィルであれば見切ることが難しかっただろう。しかし、アップデートによって強化された視覚能力と画像処理能力のおかげで、ウィルは舞のすべての動きを捉え、問題なく対応する速さを持っていた。両者の距離は絶えず変化し、それぞれが剣技を駆使して相手の隙を狙っていた。
舞の刀が地を割るように鋭く斬り下ろすと、ウィルは瞬時に身をかわし、すぐさま反撃の横斬りを繰り出す。ウィルの刀が縦に切り上げると、鋭い風切り音が響き、舞の刀がそれを受け止める度に金属がぶつかる高い音が周囲に鳴り響く。舞は一瞬で位置を変え、再びウィルに向かって素早く切り返しを行う。両者の刀が交差するたび、火花が散り、剣筋が光の軌跡を描いていた。
一瞬の隙をついて、舞が地を這うように低い構えから急激に上へと切り上げる。ウィルはわずかに後退してその攻撃をかわし、即座に剣の位置を変え、下からの反撃を試みた。彼の剣先が舞の腰帯をかすめると、舞は反射的に距離を取る。2人は少し離れた位置で一時的に構え直し、互いの次の一手を警戒した。
この戦いは、ただの力と力のぶつかり合いではなかった。高度に計算された動きと速さが求められる技術の応酬であり、それぞれが相手の次の動きを予測しながら、次の攻撃を繰り出す計略の応酬だった。
戦いがクライマックスに達した。両者ともに、次に繰り出す一撃が決定的なものになることを互いに理解していた。緊張が一層高まり、闘技場の空気が震える中、舞は抜刀の構えに入った。莫大なエネルギーが彼女を中心に奔流し、彼女自身をまるで雷の化身へと昇華させるかのようだった。
対するウィルも抜刀の構えを取る。鞘のLEDランプは最大の数値を示し、アプリで操作できるパラメータはすべて最大に設定されていた。鞘からは冷却しきれない熱が放出され、今にも爆発しそうな稼働限界状態へと移行している。
「アイ、いくぞ!」
『任せて』
ウィルとアイの覚悟も決まった。
舞が瞬間的に地を蹴り、前へと大きく踏み出すと同時に「鳴神」が発動された。その動きは目で追うことすら難しい速さで、彼女から放たれる猛烈なエネルギー波がウィルに向かって飛んできた。
ウィルの処理能力を最大限にまで引き上げ、アイはエネルギーが放つ威力と指向性を瞬時に計算した。計算が完了すると、アイが指示を出す。
『ウィル、今よ!』
「雷斬!」
ウィルは全力で向かってくるエネルギーに対して居合い斬りを放つ。その刀の動きは光速に近い速度で、放たれた光の刃が舞のエネルギー波と激突する。
強烈な光と音が闘技場を震わせ、結界が粉々に吹き飛んだ。ウィルの放った光の刃は、計算された精確な指向性で舞のエネルギー波と対峙し、両者の力がぶつかり合う。ウィルの放った圧倒的なエネルギーが舞の放つエネルギーを押し返し、徐々にその優位を決定づけた。この壮絶な力の交錯の末、舞のエネルギーは完全に抑え込まれ、彼女の身体はウィルの放つエネルギーの衝撃に耐えられず消滅した。
戦いが終わった瞬間、闘技場は驚愕と畏怖で静まり返り、ただウィルだけがその場に立ち続ける姿が、圧倒的な存在感を放っていた。
この作品を見つけてくれて、読んでくれて本当にありがとう。
2024/12/5まで毎日投稿致します。




