20話 戦争の合図
吾輩は愛無猫。社内では「キャット」という愛称で親しまれている。社長に怒られたあの日から改心し、今では社のために心から忠誠を捧げる1人の社会人である。
数日前、社長から直々に呼び出され、会議室に向かった。
そこで告げられたのは、鬼切家が当社を来訪する可能性があるという情報と、本日の14:00までは重要な会議があるため、社長は一切顔を出すことができないという内容だった。
さらに、鬼切家との関係が悪化する恐れがあるとして、来訪時の対応チームが選出された。
トンボ社長補佐、上司のモグオ、吾輩、そして他の2人を加えた計5名で、そのチームを編成することになった。
その日までに、さまざまな議論が交わされ、対策案が練られた。最終的に、作戦名が名付けられた。
作戦名:「雷雲の平定」
この名のもとに、一同は気を引き締め、この日の準備を進めてきた。
作戦の要は、鬼切家がアカヤを捜しに来ても、彼が社に所属していないと装うことだ。
社長が14:00まで顔を出せないため、その時間まで何とか鬼切家を引き止める必要があった。
具体的には、鬼切家の当主たちがリラックスできるよう、高級なお茶や土産物を提供し、心地よく過ごしてもらう。そして、絶え間なく話題を提供することで、相手に時間の経過を意識させないという作戦だった。
チームメンバーはそれぞれの役割を果たす。キャットは受付で丁寧に対応し、モグオとトンボ社長補佐が鬼切家当主と幹部たちとの会話を繋ぎ、場を和ませる。他の2人は、給仕としてお茶やお菓子を適宜提供し、万全の態勢で迎え撃つ。
会話が途切れないよう、誰かが常にリードして時間を稼ぐのが、この作戦の肝だった。
ついに、その時がやってきた。鬼切家の当主と幹部たちがキャットの前に立ちふさがる。
空間は一瞬にして緊張感に包まれた。
互いに戦う意図はないものの、相手を仮想敵として認識している以上、自然と空気が張り詰めていく。
「ウィル&マッチ株式会社 総務部 受付窓口担当をしております、愛無猫でございます。当オフィスへお越しいただき、誠にありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか? 差し支えなければお伺いしてもよろしいでしょうか?」
鬼切家の当主、鬼切舞は一言だけ、簡潔に告げた。
「アカヤを出せ」
キャットはすぐに応対し、「少々お待ちください」と言ってデバイスで「アカヤ」という名前を検索した。
しかし、社内のデータベースにはその名前が見当たらない。困惑したキャットは、すぐに上司に確認してきますと室内へ入り、待機していたモグオに相談しにいった。
モグオは深々と考えた後、冷静にキャットに告げた。
「この対応はもう私に任せてくれ」
キャットはモグオと目を合わせ、頑張れといった意味合いで軽くハイタッチする。モグオは次は俺の番と張り切り、真面目な顔を作り、受付へと向かっていった。
数分後、モグオは受付に現れ、鬼切家の当主に深々と頭を下げた。
「お待たせいたしました。当社にはアカヤという者は在籍していないようですが、社長をお呼びいたしますので、少々お待ちいただけますでしょうか。どうぞ、こちらの会議室でおくつろぎください。」
モグオの案内に従い、一行は重い足取りで来客用の部屋へと向かった。
部屋に入ると、すぐにお茶が用意され、各地から集められた高級な土産物が美しく並べられている。
しかし、鬼切家当主の表情は硬く、部屋全体に緊張感が漂っていた。
キャットは、少しでも場の空気を和らげようと、お茶を勧め、笑顔で対応する。続けて、モグオが各地の名産品について丁寧に説明し、トンボ社長補佐は鬼切家の歴史や伝統に敬意を表しながら会話を繋ぐ。彼らは時間稼ぎのために、絶え間なく話し続け、鬼切家に時間を感じさせないように努めた。
「どうぞ、お茶です。ゆっくりおくつろぎくださいね」とキャットが一瞬だけ小声で冗談を交えたが、鬼切家の当主、鬼切舞は一切の笑みも浮かべず、ただ静かに首を横に振った。その瞬間、キャットは内心で「しまった、ちょっと言い過ぎたかも…」と軽く冷や汗をかいたが、すぐに真面目な顔に戻った。
時間が経つにつれて、鬼切家の当主、鬼切舞の表情は次第に険しくなっていく。いくら豪華なもてなしをしても、鋭い目つきはその場を支配し続けた。
キャット、モグオ、トンボは必死に場を繋ごうとしたが、次第に言葉を失い、焦燥感が募る。そしてついに、鬼切舞がテーブルに拳を叩きつけ、怒りを露わにする。
「いつまで待たせるつもりだ! アカヤはどこにいるのか!」
その瞬間、部屋のドアがゆっくりと開き、時刻はちょうど14:00を指していた。
長引く会議を終えたマッチ社長が、冷静な表情で堂々と入室する。
「お待たせしました。お話を伺わせていただきます」
一瞬の静寂が場を支配し、緊迫した空気の中で、マッチと鬼切舞がついに対面する。対面する2人の間には、まるで雷雲が立ち込めるような重々しい緊張感が漂っていた。
鬼切家の当主、鬼切舞は冷ややかな目でマッチを見据え、静かに口を開いた。
「アカヤがウィルとあなたに匿われているという情報は、こちらで確認している。くだらない言い訳をする前に、正直に白状するのが賢明だと思うが?」
その言葉には鋭い声で脅しをかける舞の態度が色濃くにじみ、周囲の空気はさらに張り詰める。
だが、マッチは微動だにせず、落ち着いた口調で応じた。
「本日の14:00をもって、鬼斬アカヤは当社の社員として正式に迎え入れました。ですので、アカヤを社員としてお呼びすることはできます。ただし、引き渡すことについてはお断りします」
マッチの冷静な宣言に、鬼切舞の顔が一瞬険しく歪んだ。
「そんなことはお前たちの都合であって、こちらの都合とは全く違う。逆らうつもりなら、鬼切一族は総力を挙げてお前たちを潰すまでだ。アカヤを処罰することは既に決定事項。こちらの要求を通してもらう」
その言葉には鋭い声で脅しをかける舞の態度が色濃くにじみ、周囲の空気はさらに張り詰める。
その言葉に応じるように、マッチはしばらく沈黙を保ち、重い空気が場を支配する中で深い息をつき、意を決したように語り始めた。
「創業者であるウィルからの言葉を、ここでお伝えいたします。『当社の社員が襲撃されるようなことがあれば、企業代表者として、鬼切一族当主・鬼切舞に対し、企業代理戦争を宣言する。アカヤを一刻も早く処罰したいのであれば、当主自ら企業代理戦争を宣言してください』」
その瞬間、鬼切舞の顔に怒りの炎が燃え上がった。
これほどの屈辱を味わったのは久しぶりのことだった。彼女の口からは震えるような声が漏れる。
「いいだろう、戦争宣言をしてやる。私自ら貴様らをぶっ潰してやると伝えろ!」
激しい怒りを露わにする鬼切舞を前に、会議は終わりを迎えた。
彼女は鋭い視線を投げかけながら立ち上がり、出口へ向かう。
しかし、去り際にふと立ち止まり、振り返った。鬼切舞は冷笑を浮かべながら言った。
「ところで、あなたが開発したデバイス……私も使っているのよ」
彼女は胸元から小さなデバイスを取り出し、指先で巧みに操作する。
そして、意地悪な笑みを浮かべながら続けた。
「このデバイスを使って動画を撮影してみたんだけど……綺麗に撮れてびっくりしたよ。この動画をアカヤに送っといてくれない」
その言葉と共に、鬼切舞はデバイスを操作し、動画データを転送してきた。
マッチは一瞬、動画の内容を確認しようとしたが、慎重に考え直し、先にアカヤ本人に見せるべきだと判断した。
これまでは予測の範囲内で順調に進行していたが、動画に不穏な内容が含まれている可能性を感じ、胸に一抹の不安がよぎる。
「これを送っても大丈夫だろうか……」
マッチは内心でそう呟きながらも、鬼切舞の意図を探りつつ、動画をアカヤに送信した。
しかし、この一連の出来事が、後にさらなる波乱を呼ぶきっかけになることを、マッチはまだ知らなかった。




