2話 転生しても意味わからん?
真っ暗な世界の中、ウィルはふと目を覚ます。
意識はまだ朧気で、自分がどこにいるのか理解できなかった。
(……ここはどこだ?)
その疑問が頭をよぎると同時に、ウィルの体が強く縛られていることに気づいた。
腕や足はまるで獣のように拘束され、自由を奪われていた。そして、彼を取り囲むように立っている複数の男たち。彼らは一切の説明もなく、ただ無言でウィルを棒で叩き続けていた。
鈍い音が響き、その度にウィルの血が地面に飛び散る。罵倒が飛び交い、意味もわからない言葉が次々と浴びせられる。
ウィルは痛みと屈辱にまみれながら思った。今までの自分は、法の下で守られた世界でしか生きてこなかったのだと。
「おい! お前、餌用のアカウントだろ?捨てアカのくせに、なんでまだ生きているんだよ 。ベン!!お前のところから入ってくる餌って、なんで生きてる個体が混じっているんだよ。ちゃんと確認しておけよな」
奥の部屋からそそくさと申し訳無さそうにベンがやってくる。
「申し訳ございません、ボン様。今すぐに殺しますので、少々お待ちください」
俺を叩いているのがボン、謝罪しているのがベンか。
頭の中でこいつらを絶対に許さないリストに入れた。
ひとまず生き残るために行動しなければならないが、行動できる状況ではない現在は耐えるしか選択肢がない。
「ボン様、まずは他の餌から解体していただいて、私はその間にこやつを処分しておきます。次の取引では割引を検討しておりますので、何卒よろしくお願い致します」
「しょうがないやつだな。今回のことは見なかったことにしてやる。次から気をつけろよ」
「ありがとうございます。今後とも長い付き合いをよろしくお願い致します」
不敵な笑みを浮かべながら話し合う2人を横目に、時間だけが無情に過ぎていった。
ウィルは縛られたまま、何の打開策も浮かばないまま運ばれていく。ベンの話を終えると、無言でウィルを処刑台へと引きずっていった。運ばれる途中、視界に入ってきたのは、餌として処理された人々の無残な姿だった。床に転がる彼らの遺体は心臓がえぐり出され、まるで家畜のように扱われていた。
(心臓がえぐり出されている。こんなのただの家畜じゃないか。俺はこのまま家畜として処分されるのか……)
死がますます現実味を帯び、ウィルの胸に苛立ちと喪失感が湧き上がる。
どうしてこんなことになったのか、どうすれば逃れられるのか、答えの出ない問いに絡め取られ、ウィルは縛られた身体で必死にもがいた。
しかし、無力感がその体を覆っていく。
そんな中、ベンがウィルの前に再び姿を現す。先ほどの弱々しい態度は消え、冷酷な笑みを浮かべたその顔には、弱者をいたぶることに何のためらいも感じていないことが見て取れた。
「お前のせいで次の取引は大赤字だ。少し知能があるだけの餌の分際で俺様に面倒をかけさせやがって……」
ベンは鞭を手に取り、不満をぶつけるかのようにウィルを何度も打ち据える。
言葉に呼応するかのように、鞭がウィルの体に容赦なく叩きつけられ、鋭い痛みが走る。
時間が過ぎ、鞭打ちが終わったかと思うと、ウィルはそのまま処刑台へと引きずり込まれた。
抵抗の余地もなく、彼は処刑台の上に載せられる。
「こんなに殴っても、まだ動けるとは……しぶとい奴だ。だが、ここで終わりだ。餌」
ベンは手を掲げ、魔術の詠唱を始める。
「神の名のもとに、魔術を行使する――部分発火」
突如、ベンの手に炎が纏わり、赤く光を放ち始めた。ウィルは、心臓が狙われていることを理解していた。
だが、逃げ出すことは叶わず、ただ魔術の炎が手に宿る様を見つめることしかできなかった。
燃え盛る手が、そのままウィルの胸元に突き刺さり、心臓が抉り取られる。
心臓が引き抜かれると同時に、ウィルは奇妙な感覚に襲われた。
熱さと共に、空いた隙間に冷たい風が流れ込み、痛みではなく温かさと喪失感が入り混じった感覚が広がる。
生と死の狭間で、意識が次第に遠のいていく。
死は確実に近づいていた。
何も果たせないまま、何も知らないまま、訳もわからずこのまま死を迎えるなんて――ウィルの中に怒りと無念が渦巻く。
(死にたくない……まだ何も果たしてないんだ……許さない、絶対に許さない!)
「あ~汚い、汚い。さっさとボン様に心臓を渡さないとね」
手に心臓を持ったままベンは部屋を後にし、ウィルの意識は徐々に薄れていく。
死の淵に立たされ、視界は暗転し、まるで全ての感覚が途絶えていくようだった。
その瞬間――走馬灯のように、転生前の記憶が一瞬のうちに、頭の中を駆け巡った。
(まだ……まだ生きたい……)
「いoal;msdlo;fjmきaigfshnafklemたalkgnhsl;fieafnselkfnmseい・・・・・・」
虚空に向かって、ただ生きたいという思いだけが叫び声となって漏れ出る。そして、次の瞬間――
『ヘルプ申請を受理しました。 権限を確認中……』
不意に、どこからともなく響くシステムメッセージがウィルの耳に届く。
これは幻聴か、あるいは死後の囁きなのか。だが、その声は次第に明確になっていった。
『代理ユーザーとして登録されていることを確認。本人の意志を確認します。あなたは生きたいですか? (y/n)』
「y」
かすれた声でそう応えると、ウィルの体にかすかだが、微弱なエネルギーが流れ込む感覚があった。
『確認しました。生存に必要なパッケージのインストールを開始します』
突然、ウィルの体全体に広がるように何かがダウンロードされてくる感覚が押し寄せる。
それは、冷たいデジタルコードが彼の肉体を覆い尽くし、細胞一つひとつを再構築していくような、異様な感触だった。
『接続を確立……指定のディレクトリまで移動。代理権限で世界からのGiftをダウンロードします』
ウィルの脳裏に無数のコードが流れ込む。
彼は、プログラムされたデータが自分の体を作り直していることを本能的に理解した。
エネルギーの奔流が、データという形で彼の体を覆い、あらゆるシステムが再構成されていく。
『ダウンロード中……ダウンロード完了』
電流のようなビリビリとした感覚が体中を駆け巡り、全身が徐々に硬直していく。
そして、冷たく無機質な感覚の中で、新たな命が徐々に形作られていく。
『ローカルで解凍します……解凍完了』
『緊急性が高いため、心臓に必要なパッケージのみを優先してインストールします』
ウィルの胸部に、かすかな光が点灯し始める。
それは心臓を失った場所に新たな命が芽生えるかのように脈動を始めた。
温かい光がその場に集まり、形を作り出す。そして――
『生存に必要な心臓の生成を開始します……生成完了』
ウィルはその瞬間、胸の奥で新たな心臓が動き始める感覚を確かに感じ取った。
血液が再び流れ出し、全身に生命が戻ってくる。
まるでデジタルの波が実体化したかのように、その心臓は確かに自分の体内に存在し、再び命を宿していた。
『移植を開始します……移植完了。これより心臓を稼働させて正常に動作するかテストを開始します』
システムが着々とウィルの体を再構成していく様を、彼は感じ取っていた。
心臓の鼓動が刻一刻と高まり、生命力が再び彼の体を満たしていく。
シナリオに沿ってテストケースが作成され、動作確認が進められていく。
『テスト完了。引き続きパッケージのインストールを進めます』
『インストールする上で再起動を実施します。許可しますか? (y/n)』
「y」
そして再起動が始まる――ウィルの肉体はまるでデジタル空間のプログラムとして再生されているかのようだった。
意識が薄れ、次第にリブートされていく。
空虚なデジタル空間の中で、彼の肉体は次第に再構成されていった。
まるで精密なコードでプログラミングされたかのように、新たな命が形作られていく。
目の前には、光の粒子が集まり、ラインを描き出す。それはウィルの肉体を一から作り上げていくプログラムの一部だった。
彼の意識はデバッグコンソールのような感覚で、その再構築の過程を見守っていた。
肌のテクスチャが形作られ、筋繊維が伸縮し、神経の繋がりが次々に結ばれていく。
感覚器官が順次ロードされ、全身に微かな痺れと共に感覚が戻ってくる。
そしてついに、すべての感覚が覚醒した。
『すべてのインストール完了しました。ヘルプ申請を終了します』
ウィルの意識が覚醒すると、全身に生命の息吹が吹き込まれるような感覚が広がり、体の隅々まで活力がみなぎっていくのを感じた。
かつての肉体とは異なり、若々しく力強い身体がそこにあった。確かな新たな力が自分の内に宿っていることを実感し、思わず拳を握りしめる。
『その他不明点があれば、パッケージに含まれているAIにご相談ください。今回のみユーザーの権限を無視してONにしてあります』
雑音のように感じていたシステムメッセージが、今はクリアに聞こえる。
そして、次の瞬間。
『世界の敵を全て排除せよ』
冷酷な使令がウィルの中に響いた。
『Administratorによる使令を受諾しました』
ウィルの新たな人生が始まったのである。
意識が戻り、夢から急速に現実へとシフトする。ウィルは処刑台から一気に身を起こした。
「はぁっ……。俺はまだ生きてる?心臓は?」
ウィルは動揺しながら、自分の胸、抉られた心臓のあたりを恐る恐る手で触った。
そこで感じたのは、今までにはない感覚。通常ならば異物として体が拒絶反応を起こすはずの場所が、今は自分の体の一部として馴染んでいる。
奇妙だが、拒絶感は全くない。
変化はそれだけではなかった。
目の前に映し出される景色は、ベンに殺される前とはまるで違っていた。
視界の両端に複数のアイコンが表示されているのが見える。
まるでAR画面が浮かび上がっているような光景だった。
(これは……ARグラスか?)
前世で試したことのあるARグラスを思い出したが、解像度やUIの精度は比べ物にならないほど優れていた。
アイコンが目の端にあるものの、視線を意識的に向けた時だけ認識できるという感覚は、直感的で操作性が高い。他にも変化があるのでは、とウィルは焦ることなく、自分の体を見渡して確認する。
手や足の形は人間のままだが、感覚が違う。
中身は明らかに別の存在になっている。
だが、その変化を驚くよりも、生きていることに何より安堵した。
「よかった。まだ死んでない……」
なぜ生きているのか、理由はわからない。
それでも、生き延びたことがラッキーだとウィルは思い、状況を打破するために行動を開始する。
ベンが去った後のドアは開きっぱなしになっていた。
(今がチャンスだ)
ウィルは素早く周囲を見渡し、脱出できるかどうかを確認した。
廊下も室内も埃まみれで汚れていたが、そのおかげでベンがどの方向へ向かったのか、足跡で簡単に分かった。
「ひとまず、反対側から逃げるか」
勇気を振り絞り、反対方向へ逃げ出そうとする。
逃げ出すための一歩を踏み出した瞬間――背後から幼い少女の声が響いた。
『何してるの?』