16話 稲荷地区代表管理者 稲荷シロ
稲荷地区本殿内は静寂に包まれ、厳かな雰囲気が漂っていた。古い木造建築の柱や梁に彫られた美しい装飾が、時の流れを感じさせ、まるで歴史そのものがこの場所に宿っているかのようだった。周囲には淡い香の煙がゆっくりと漂い、神聖な空気が満ち、外界から切り離された異世界のような静寂が支配していた。
この場所を守る存在が「稲荷シロ」、通称「白狐様」と呼ばれる人物である。稲荷地区の運営管理者として、長年にわたりこの土地を守り続けてきた彼女は、その智謀と魅惑的な美しさで多くの者から敬意を集めている。彼女がそこにいるだけで、場の空気が静まり返るほどの威厳があった。
白狐様は、年齢不詳の神秘的な狐族で、彼女の長い白髪は月の光を受けたかのように輝き、優雅な立ち振る舞いがその神秘的な魅力をさらに引き立てていた。柔らかい表情と穏やかな声でありながらも、その瞳には一瞬の油断も許さない鋭さが隠されており、彼女が持つ知恵と経験の深さが伝わってくる。
本殿の奥に座す白狐様は、手元にある扇子を静かに揺らしながら、目の前に立つウィルに視線を向けていた。ウィルに対する興味と警戒が同時に込められたその視線は、彼女の冷静な判断力を物語っている。
一呼吸置いた後、ウィルは話を切り出した。
「用件を言います。都市開発を魔王トゥデイから委任されたため、安全性の低い稲荷地区から着手することになりました。従って都市開発に必要な権限を一時的にウィル&マッチに移譲して貰えないかというお話です」
手元にある扇子を広げ白狐様は長考する。
魔王トゥデイからの要請なので断れないことは明白であるが、なぜウィルという男に魔王は開発を依頼したのか、様々な仮説を立てて推測していく。
「ウィル様は稲荷地区の脆弱性をどのように捉えていますか?あなたの主観をお聞きしたい」
ウィルは一瞬だけ考え込み、言葉を慎重に選びながら、相手の意図を汲み取るように丁寧に返答を始めた。
「まず、地理的に人類と戦争になった場合、稲荷地区は最前線になりえる非常に危険な区域です。現在は休戦中ですが、戦争のダメージが癒えておらず、度重なる侵入者への対応に追われ、立て直しを図る機会が作れていません。時間をかければ、いずれは状況が好転する可能性はありますが、その方法が次の戦争までに解決できるかどうかは甚だ疑問です」
「さらに、次の戦争では敵が従来の防衛手段を理解した上で攻めてくるでしょう。従来の方法のままでは、稲荷地区全域が近い将来、敵側に占領される可能性がある、というのが私の回答です。細かい点は省きましたが、大きな視点でお話しできたと思います」
白狐様は扇子で顔を隠し、熟考する。
「脆弱性に対して、こちらでも対策を試みようと施策案を考えているのだけど、決定的な案がまだない状態なの。ウィル様は、この状況を打開できる一手がおありですか?」
ウィルは、自分の考えに揺るぎない自信を持って、まっすぐに白狐様の目を見つめながら返答した。
「はい、あります。ただし、ここから先の話は権限の移譲を認めて貰わないとお聞かせできません」
「少しだけでもダメかしら?」
「申し訳ありませんが、企業として利益を確保するためにはどうしても言えないです」
「お金だけあっても力がないと結局は何もできませんわ」
白狐様は視線を落とし、少し寂しげに目を伏せた。
「白狐様にとって、力とは何を指すのでしょうか?」とウィルは優しく問いかける。
「種族的な力です。種族が一丸となり生物的限界を突き詰めることで世界の真理に辿り着くと考えています」
「確かに種族的な力を高めることで強くなることはできますが、そこに技術はありますか?」
「技術ですか?一族の弱点を克服するすべは種族全体が意識しています。これは技術の向上を指していると思いますが違いますか?」
「そうですか……」
元々人間であるウィルは生物的限界値がこの世界における種族とは比べ物にならないくらい低いため、現実世界における強さを経済力=物を生み出す力、作り出せる力こそ強さだと認識していた。
しかし、この世界における強さとは生物的な限界の突破=技術だと認識されている。例えるのであればスペックがこれ以上上がらない且つ部品もアップグレードしないPCを操作方法のみで高速化を実現しようとしているみたいなものだ。
環境が変わらなければ強いままで要られるかもしれないが、現在進行系で人間が魔術という技術を確立し使用してきている現状を考えると年月が過ぎれば環境が変わり今までのやり方では通用しなくなる恐れもある。
そういう意味で考え方が自分と異なるため、白狐様の答えをどう受け止めるかウィルは悩んでいた。
「この世界の仕組みを全て把握しているわけではないですが、物事の強さは環境の変化にあると思います。つまり、力とはその環境下で最適な技術を保持し適切に扱えること指すと私は考えています。これから私が稲荷地区ですることは今の環境下でも対応できる基盤作りをすることです。抜本的改革せず現状維持をしたままでも生き続けることはできます。ですが、抜本的改革せずに現状維持を選択し続けた結果、未来で選べた選択肢を捨てて改革を起こす力(資源)が不足し、他の力なくしては生きられなくなった国を私は知っています。大事なのは創造的破壊です」
ウィルの話す内容にはなぜか説得力を感じた。
根拠があるかはわからない、だがしかし、ウィルへの猜疑心は説得力のある言葉へと昇華され、胸の中で抱いていたモヤが取れて頭が軽くなる。
「あなたは何者ですか?」
「実は自分にもよく分かってません」
かつて、魔王と勇者の戦いを間近で見たことがある。
勇者は確かに人間だった。しかし、この世界の他の人間とは何かが違う。
種族の頂点に立つ魔王と互角に渡り合うその姿を見て、もはや彼をただの人間とは思えなかった。
そして、今目の前にいるウィルに視線を戻すと、その存在に同じような異質さを感じずにはいられなかった。
魔王様でも勇者でもない。
けれど、それと同等もしくはそれ以上の何かを感じる。
これは直感だが、白狐様はその直感を信じることにした。
「わかりました。全ての権限をウィル様に移譲します」
「ありがとうございます」
「でも1点お願いがあります」
「はい、なんでしょう?」
「ココとララをあなたの会社で働かせてあげてください。ウィル様の会社で何か学べることがあるかもしれないです」
こうして話は順調に進みココとララが新たな従業員としてウィル&マッチに入社することが決定した。




