10話 M&A
翌朝、マッチが目を覚ますと、既に準備を整えたウィルが笑顔で彼女を待っていた。
「おはよう、マッチ!」
「おはよう、ウィル」
マッチはすぐにベッドから起き上がり、軽く伸びをしながら挨拶を返す。
2人はお互いの目を見つめ合い、微笑を交わす。
これからの新しい1日が始まることに、少しばかりの期待とわくわくが2人の間に漂っていた。
「今日は事務所を探しに行くつもりだ」とウィルが言うと、マッチは目を輝かせて質問を投げかける。
「ウィル、会社の名前はどうするの?」
ウィルは少し間を置いて、肩をすくめるように言った。
「マッチが決めていいよ」
その一言に、マッチは驚きつつも、少し悩み始めた。
目をキョロキョロさせながら、何か良い名前が浮かばないかと考え込む。
「う~ん、じゃあ……『ウィル&マッチ』ってどう?」
マッチはウィルの顔をちらりと見上げ、少し不安そうな表情を見せる。
自信があるわけではなかったが、彼女なりに考えた名前だった。
ウィルはあっさりとした態度で答えた。
「じゃあ、それでいこう」
その返事に、マッチは驚いて目を見開く。
「えっ、いいの?もっと壮大な名前とか、何かこだわりとかないの?」
マッチはウィルが何か特別な名前を考えているものだと思い込んでいたので、あまりに簡単に決まってしまったことに少し戸惑っていた。
ウィルはふっと笑って、少し照れくさそうに言った。
「俺は名前を決めるのが苦手なんだ。どんなものか分かれば、名前なんて大したことじゃないと思ってる。それに、語呂合わせとかセンスを持ち合わせてはいなくてね」
マッチはウィルの正直な答えに少し驚いたが、その理由を聞いて納得した。
ウィルがあまり名前にこだわらないのは、彼らしいと感じる。
「そうなんだ……」と、少し笑いながらマッチは頷いた。
「でも、ウィルがそう言うなら、名前はこれで決まりね」
ウィルは軽く笑みを返し、「よし、じゃあ行動開始しようか」と声をかける。
マッチは元気よく頷き、2人は意気込んでホテルを後にして事務所探しを始めた。
街を歩きながら、ウィルとマッチは互いに意見を交わしつつ、最初の不動産屋へと向かった。
幾つかの候補を頭に浮かべながら、理想的な事務所を見つけるべく歩き続けた。
やがて、不動産屋に到着し、扉を開けるとすぐに受付嬢が笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。どのような物件をお探しでしょうか?」と、丁寧に声をかけられる。
「フロアは小さくてもいいので、セキュリティがしっかりしている事務所を探しています」と、ウィルが具体的な要望を伝える。
「ご予算はいくらほどをお考えですか?」
「月50万コルくらいで考えている」
「少々お待ちください」
受付嬢は手元の資料をめくり、いくつかの物件をピックアップして提案してくれた。
「こちらはどうでしょうか?」と手渡された資料をウィルは手に取り、アイに助言を求める。
「アイ、この中で1番セキュリティが良さそうな物件はどれだ?」
『う~ん……この中だと、警備員付きのこの物件が最適ね。マンションの最上階で専用エレベーターがあり、窓も3重で守られているし、家具も一式揃ってるわ』
ウィルは資料を確認し、警備員付きの3LDKの部屋に興味を惹かれた。マンションの最上階で、専用エレベーターが1つだけ。防犯面も万全で、すぐにでも事務所として使える環境が整っていた。
「マッチ、この物件、なかなか良さそうだと思うんだけど、どうかな?」
ウィルはマッチに意見を求めた。
「うん!家具も揃ってるし、すぐに事務所として使えるね!」と、マッチは満面の笑みで答えた。
「じゃあ、この物件で決まりだな」とウィルが言うと、不動産の受付嬢に契約を依頼した。
契約が無事に済んだ後、2人は新しい事務所へと足を運んだ。
資料通り、綺麗に整えられた部屋は、ライフラインも全て整備されていて、すぐに業務を開始できる状態だった。
部屋に入った瞬間、マッチは嬉しそうに辺りを見回し、「ここ、本当に素敵な場所だね!」とウィルに声をかけた。
「そうだな。ここなら安心して仕事に集中できるだろう」とウィルは頷いた後、マッチの頭を優しく撫でた。
「マッチ、俺はこれから役場に行って会社名を登録し、営業を再開するよ」
「うん、わかった。私はアイさんの指示に従って、ハードウェアの開発を進めておくね」と、マッチは元気よく返事をした。
ウィルは軽く微笑んで、マッチに別れを告げると役場へと向かった。
受付に到着すると、ウィルは会社名登録の手続きを進めた。
「会社名を登録したいのですが、『ウィル&マッチ』でお願いします」とウィルが告げると、受付の職員は書類を確認しながら進めていった。
「はい、会社名『ウィル&マッチ』の登録手続きが完了しました。こちらが会社の登録証明書カードになります」
ウィルは受け取ったカードを確認し、手続きを終えた。
会社名が正式に登録されたことで、営業の準備も整い、彼は少し肩の荷が下りたように感じた。
「さて、次は営業だな」
登録手続きが無事に終わったウィルは、昨夜に確認した企業リストを頭に浮かべながら次の行動を考えた。
リストの1番上にある「虫のおめめ」という会社を訪ねることに決め、すぐにそちらへ向かう。
小さなビルに到着すると、ウィルは辺りを見渡した。
ほとんどのテナントは空きで、建物全体が静まり返っており、活気がない様子に、ウィルは思わず眉をひそめたが、気を取り直してドアをノックした。
「すみませ~ん。誰かいらっしゃいますか?」
奥の方から声が返ってくる。「は~い、どちら様ですか?」
やがて姿を現したのは、トンボとヘビだった。
「お待たせしました。虫のおめめ代表取締役社長のトンボです」
「企業代表者のヘビです」
「本日は、我が社に足を運んで下さり、ありがとうございます。どのようなご用件でしょうか?」
「初めまして。ウィル&マッチの企業代表者、ウィルです。この度は、御社の製品に興味があり、ぜひお話を伺いたいと思い、お邪魔させて頂きました」
突然の訪問と商談の申し出に、驚いたヘビが小声でトンボに耳打ちする。
「社長~!うちみたいな廃業寸前の会社に、お客様が来るなんて!希望の光が!」
「落ち着け、ヘビ。ちょっと外に出ていろ」と、トンボは焦るヘビを外へ追い出し、お茶の準備を始めた。
「お待たせいたしました、ウィル様。こちらが我が社のパンフレットになります」
ウィルはパンフレットを受け取り、内容に目を通しながら気になる製品のサンプルを見せてもらいたいと頼んだ。
トンボは製品を持ってきて、ウィルに手渡す。
ウィルは製品を手に取り、すぐにアイに指示を出す。
「アイ、これを解析して内部構造を調べてくれ」
『了解。……視野角拡張、熱源感知の機能がついてるわね』
ウィルは満足げに頷く。
「アイ、これを改良してデバイスに組み込めるか?」
『もちろん可能よ』
ウィルは製品を元に戻し、トンボに向き直った。
「素晴らしい製品ですね」
トンボは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。我々としても渾身の出来ですが、なかなかお客様に売るのが難しくて……」
「そうですね。特殊な市場を狙っている製品ですから仕方がないことです。しかし、私が今日ここに来たのは、その問題を解決できる手段があることをお伝えするためです」
「ほんとうですか?」
「もちろんです」
トンボは驚きのあまり机を叩きそうになったが、すぐに冷静を装って謝った。
「失礼、つい興奮してしまいました……。そのお話、ぜひ聞かせてください」
「まず、現状を確認しましょう。御社の製品は、虫一族に備わっている感覚器官を機械で再現するために開発されたものですよね?」
「はい、まさにその通りです」
「この製品の開発経緯は、戦争で感覚器官を失った虫一族が再び普通の生活を送るため、と認識していますが、正しいですか?」
「はい。30年前の戦争で感覚器官を失った先代が、同じ苦しみを持つ仲間たちのために、この製品を開発しました」
「ただ、休戦後の需要減少に加え、開発が進むにつれて市場が限られ、売上が思うように伸びなかった、と」
「はい、その通りです……。売り上げが追いつかず、今は経営が厳しい状況です」
ウィルはトンボの説明に耳を傾けながらも、落ち着いた口調で提案を切り出した。
「なるほど。そこで私からの提案ですが、この製品を、より広い市場に向けて改良することができれば、もっと多くの顧客に売れるはずです」
トンボは目を見開いてウィルを見つめた。「そんなことが可能なのですか?」
ウィルは頷いて、力強く言った。
「はい、問題ありません。ただし、そのためには契約が必要です。技術流出のリスクを避けるために、お互いの権利と利害を明確にした契約を結びましょう。そうすれば、御社と我が社の双方に利益がもたらされます」
トンボは少し考えた後、「契約の件は承知しました。しかし、当社にはもう体力が残っておらず……契約したところで会社が自然消滅するかもしれません」と、弱々しく返答した。
『まずいわね……ウィル、商談が終わりそうよ』とアイが不安げに声をかけるが、ウィルの表情には余裕があった。
「社長、正直なところ、今のままでは御社は立ち行かないというのは分かっています。しかし、会社を畳むおつもりですか?」
トンボは黙り込んでしまった。
ウィルは、彼が答えにくい理由を理解していた。魔京都では、一族単位で企業を運営している。つまり、倒産は一族全体の生活を脅かすことになるのだ。だからこそ、トンボは簡単に答えられない。
「トンボ社長、御社のような種族単位で経営している企業が抱えている問題は、私もある程度理解しています。そこで提案です。御社を買収させて頂き、我が社の関連会社として事業を継続してもらう。その後、規模が拡大した段階で吸収合併を視野に入れています」
ウィルの提案に、トンボは一瞬驚きを見せたが、すぐに疑念を口にした。
「買収して、私たちを支配するおつもりでは?」
「そうではありません。我々はまだ駆け出しの企業です。協力関係を築きたいのであって、支配するつもりはありません。契約書にもその旨を明記しますので、ご安心ください」
ウィルはトンボに目を向け、もう一押しが必要だと感じた。
「さらに、労働契約書も結んでいただきます。これは社員の皆さんが安心して働けるよう、環境を整えるためのものです。我々が一方的に権力を振るうつもりは一切ありません」
トンボは、しばらく沈黙した後、純粋な疑問をぶつけた。
「なぜ、そこまでしていただけるのですか?」
「利益を上げる手段があるからです。そして、我々が駆け出しのベンチャー企業である以上、信頼を得るためにはこれくらいの誠意を見せなければならないと考えています」
その瞬間、外で聞いていたヘビや従業員たちが、社長のもとに駆け寄った。
「社長!この話を受ければ、私たちは助かるんですか?」
「私たちの苦しい生活が終わるんですか?」
従業員たちの期待に満ちた視線に押され、トンボもついに決断した。
「分かりました。契約させていただきます。詳細を紙で送っていただけますか?」
ウィルは満足げに頷き、「もちろんです。今後とも、よろしくお願いいたします」と言って、トンボと堅く握手を交わした。
◇◇◇
オフィスを後にすると、アイはウィルのことを感心したように褒めた。
『ウィル、凄いね。あんなにスムーズに交渉を進めるなんて、まるで得意みたいじゃない?』
ウィルは肩を軽くすくめながら、アイの言葉に応じた。
「いや、得意ってわけじゃないよ。今回の勝因は、マッチが稼いできてくれた資金のおかげが一番大きい。最初からリードして、相手に考える暇を与えずに話を進めることができたから、結果的になし崩しで手に入ったんだ」
アイはウィルの謙遜に少し首を傾げながらも、次の質問を投げかける。
『ちなみにさ、下手に出る交渉のやり方って問題はないの?もっと強気で出るべきなんじゃないかな?』
「問題ないさ」と、ウィルは即答した。
「企業価値が高まって物が売れ始めれば、自然と皆はこの会社で働きたいって思うようになる。お金だけじゃなく、心も大事にしないと、ついて来ようとは思わないだろ?」
アイはウィルの言葉に納得しながらも、少し驚いた様子で答えた。
『なるほどね。意外と深く考えてるんだね、ウィル』
「まぁな」とウィルは軽く笑った。
『次はどうするの?』と、アイが興味津々に問いかける。
「この調子で営業……つまり買収を続けるよ」と、ウィルは淡々と答えた。
その後、ウィルの営業活動は夜まで続いた。
◇◇◇
夜遅くにホテルへ戻ると、ベッドの上でマッチがゴロゴロとくつろいでいた。
彼女の無邪気な姿を見て、ウィルは思わず微笑む。
「ただいま、マッチ」
「ウィル~おかえり~!」マッチはベッドの上で体を揺らしながら、ウィルを迎え入れる。
ウィルはマッチの姿に触発され、自分もベッドに倒れ込むように横になり、ゴロゴロとくつろぎ始めた。
「いつか、ずっとゴロゴロできる生活に戻りたいな……」と、ウィルは夢見るように呟く。
すると、マッチがウィルのそばに寄り添い、優しく彼の頭を撫でながら言った。
「会社を大きくして、お金をたくさん稼げば、ずっとゴロゴロできるよ!」
ウィルはその言葉に、なんとも言えない表情を浮かべた。
「でもな……平和が前提じゃないと実現は難しい。いつか人類との戦争が終われば、ニートになれるかもしれないけど」
「ニートってなに?」
マッチが不思議そうに尋ねた。
「自由を謳歌できる最強で最高の称号だよ」とウィルが冗談交じりに答えると、マッチはクスクスと笑った。
「じゃあ、ウィルがニートを目指すなら、私もニートを目指す!」
2人はベッドの上で他愛もない会話を楽しみ、マッチが眠りに落ちるまで穏やかな時間が続いた。
◇◇◇
マッチが寝た後、ウィルは再び仕事モードに切り替え、アイとコンタクトを取った。
「アイ、スライムファミリーズから提供されたスライムの解析は進んでるか?」
『進んでるわよ。一応、できそうなことをピックアップしておいたわ。確認してみて』
ウィルはアイから送られてきたリストを確認しながら、いくつかの実装可能な機能を目にして頷いた。
「スライム技術を応用すれば、足場や防御にも使える。これは便利そうだな」
『他にやりたいことは?』
「もちろん。いくつかアイデアを共有するから、それに基づいてまずはサンプルを作って欲しい」
『OK、任せて』
ウィルはさらに付け加えた。
「あと、メタルスライムの件なんだけど、リストにはなかったが、爆薬としてうまく活用できないかと考えている。これも後でイメージを共有するから、実現可能か判断してくれ」
『了解、後で確認するわ』
その夜、ウィルとアイは朝まで技術開発に没頭した。




