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Ep.97「DAY1◇The sun brings not only blessings.」

 塔を登るまで、あと三日。

 素朴だけれど豪華な朝餉をいただき、これからどうするか考えようとしたところ――で。

 部屋の扉が開いた。水色の髪がちらつく。


「よう。お前が(そよぎ)遊兎都(ゆうと)だな?」


 精悍な声音とは裏腹に、顔立ちはずいぶんと幼さが残っていた。だいたい、十代くらいの少年の相貌だった。水色の長い髪を頭の高い位置で結い上げ、大きな目はよく磨かれたガラス玉みたいだった。小さな体躯にオーバーサイズの上着を着ていた。両手はおなかのポケットに収納されている。半ズボンは太ももが露になるほど短いけれど、纏う雰囲気に扇情的なものはなにひとつなく、あるのは冷ややかな落ち着きだけだった。

 襟の立った服を着ているので、顔の半分が隠れてしまっているが、彼が何者なのかは髪の毛と目で、なんとなく知れた。


「あなたは……」

「俺は(いちじく)青褐(あおかち)、青の褐色と書く。察しがついているとは思うが、群青(ぐんじょう)の伴侶だ」


 ボクの誰何を待たず、そのひと――青褐さんは自己紹介した。

 やっぱり。見た目が特徴的だからすぐにわかった。

 青褐さんはガラス玉の目を一瞬見開き、それから「本当にわかりやすいんだなお前……」と言った。

 ――あ。


「……すみません」

「ははっ、別に謝ることじゃねえさ。お前に用があるんだが、朝飯は食い終わったな?」

「はい」

「じゃあ来い。そっちのでっかいのは、白樺(しらかば)凛彗(りんぜ)か?」

「……そうだけれど」

「お前もついてきな」


 群青さんと同じで、青褐さんもまた闊達(かったつ)としていて無駄がない。

 さっさと歩いていこうとする彼を見て、ボクと凛兄ちゃんは慌てて立ち上がった。


 ◇


 歩きながら青褐さんはどこへ向かっているのか教えてくれた。


「『男衆』の話は皇彌(おうみ)から聞いたか?」

「え? ああ、はい。七鷗(ななお)さんが取りまとめ役だ、って」


絡新婦(じょろうぐも)血族(けつぞく)』は女尊男卑。そんな中で男たちが目指す場所。

 それが『男衆』。破格の待遇が望めるというけれど、詳細については特に聞いていなかった。

 続けてそう説明すると、「破格の待遇ねえ」と青褐さんはしみじみしながら、復唱した。


「違うんですか?」

「確かに破格の待遇だ。飯を作る必要も服や風呂を洗う必要もねえ。自由時間も多い。だが」

「……だが?」

「有事の際は、真っ先に駆り出される。要するに死ぬ覚悟がねえやつは『男衆』には入れねえってことだな」


 青褐さんは淡々と言った。

 〝死ぬ覚悟〟。もしかしたらこの先、それが必要になるかもしれない。

 ボクは彼の言葉を心に留めておくことにした。

 ほどなくして、風景が変わった。広い庭に面した廊下に出る。お屋敷を巡っていると、かなりの確率で廊下と廊下で囲われた場所に中庭を見つける。高い塀に周囲を覆われていても、閉塞感がないのはこのおかげかもしれない。どこにいるのか判然しないこの空間は、異世界にいるような心地だった。

 今まで見た庭の中で一番広いであろうその中心に、誰かがしゃがんでいるのが見えた。池のほとりで、鯉に餌をやっているらしい。声をかけようと青褐さんが前に出た瞬間だった。


 ばしゃん!


 派手な音と飛沫が上がり、そのひとは池のなかに転がり落ちた。

 ……何が起こった?

 呆気に取られているうちに、彼は自力で池から這いあがって、びしょびしょになった服の裾を絞っていた。

 目を瞬かせて事を眺めていると、そのひとがボクらに気づき大きく手を振ってきた。


「おぉーい! 青褐……と、あれえ? 誰だあ?」


 手を振るのやめて、そのひとはずんずん近づいてくる。びしょ濡れのTシャツと色褪せたジーンズ。腰にはタオルを巻き付けていて、足元は下駄だった。

 銀と黒の混じった髪を短く刈り上げ、覗く耳にはピアスが五つ連なっている。明らかに蜜波知さんより年上だ、だが老人というほどの年齢ではない。四十代後半か五十代前半か、ひとの年齢を判断する能力が十分に備わっていないボクには、彼の年齢を正しく推察するのは不可能だった。

 彼は金と赤のオッドアイしている。ということはつまり――


「ムツアシさん……なにやってんすか」


 青褐さんが自分のこめかみを人差し指でとんとん、と叩きながら言った。呆れている。


「あぁ、すまんすまん。鯉に餌をやってたんだが、下駄の歯を岩に引っかけちまってよう……事故だよ、事故。故意、じゃなくてな? 鯉だけに! なははは!」

「……」

「渾身の親父ギャグを無視(スルー)かよ……」


 がっくりと項垂れる姿は人懐こい近所のおじさんって感じだ。蜜波知さんと違って胡散臭さもなく、溌剌とした方である。

 ムツアシさんと呼ばれたそのひとに、青褐さんが「ちっこいのが梵遊兎都、でっかいのが白樺凛彗。フードの中のが、嵐神尾(らんかみお)祢憂(ねう)です」と紹介した。

 ネウの事も把握済みなのか、と感心しているとどん! と両肩に強い衝撃を受けた。ついでに冷たい。


「!?」

「お前かぁ、()()()()()()()の遊兎都っていうのは! いやあ、いい目してるじゃねえか! ()()()()()()()()()っていうより()()()()()()()()()()って感じだなあ!」

「……ど、どうも……?」


 目で物を見せてくれる、って顔に出やすいことを言っているのか……?

 ボクの両肩を掴んだまま、彼は後ろに立つ凛兄ちゃんに目を向けた。


「お前はでっかいなー! 身長いくつあるんだ? 百九十くらいか? 髪もいい感じだな、黒と赤! いい組み合わせだ、センスがいいんだな!」

「……」


 凛兄ちゃんはこういう、底抜けに明るいひととは相性が悪い。露骨に目を逸らしている。

 視線がボクに戻り、その後ろに注がれた。フードの中のネウだ。


「で、『神使者(しんししゃ)』殿は猫か! いいねえ、猫! 猫なあ……、飼ってみたいんだが、八目(やつめ)が嫌がるんだよ。おれだけでは不満なのかって文句言ってよー、でもそういうところが可愛んだよな、ははは!」


 豪快、というか。強引、というか。

 太陽みたいなひとだった。維央(いお)さんと違って、真夏の、ぎらぎらした太陽である。

 眩しい。あとは――


「ムツアシさん、初対面でそのテンションは暑苦しいぞ」


 見かねた青褐さんがフォローしてくれた。

 ムツアシさん……、八目さんのことを言及していたってことは、このひとは蜘蛛頭の関係者ということで。ボクの予想は当たっているだろう。このひとは、


「あー、悪い悪い! びっくりするよな、そうだよな! 俺は蜘蛛頭(くもがしら)六脚(むつあし)。六つの脚部、でムツアシだ。むっさんとかむーさんとか気軽に呼んでくれよ、遊兎都!」


 脳内で答えを出す前に、本人から正解を言い渡された。

 ぐ、っと親指を立てられて。

 真っ白な歯が存分に強調される笑顔を向けられて。

 六脚さんは、自己紹介した。

 暑苦しいと言われたのは、聞かなかったことにしたらしい。


 ◇


「とりまとめは七鷗がやってくれるんだ。俺はそういう堅苦しいの、苦手でよ」


 でしょうね、と出かかったのをぐっと飲み下す。しかし顔色を読まれて青褐色さんに頷かれた。

 びしょびしょだった服をさっさと着替え、先ほどと同じ格好で戻ってきた六脚さんに改めて部屋に案内された。

 ここは『男衆』が会合などで使用する離れだという。許しを得た者しか足を踏み入れることができない区域らしく、道なりも『男衆』に属する人間しか知らないのだそうだ。


「迷路みたいで面白いだろ? まあ俺はしょっちゅう迷子になるんだがな!」

「あんたはいい加減道を覚えてくれ……」


 自慢げに話す六脚さんに、青褐さんは額を手で押さえて項垂れた。彼の苦労が透けて見えるようで、胸中で労いの言葉をかけた。


「ここだ」


 六脚さんが足を止める。

 彼は立てた親指を障子戸の方へ向けた。


「この中にいるのは無論のこと――纐纈(はなぶさ)巌流師寺(がんりゅうしじ)締師走(しめしわす)餓蝋(がろう)一族の族長の伴侶、だ。基本的に伴侶ってのは族長と一緒にいるか、持ち場についていることがほとんどなんだが……今回ばっかは特別だな!」

「……族長の、伴侶」


 そうか。……ならば、志暈(しぐま)さんも。

 彼もまた――死ぬ覚悟を持って、翡翠(ひすい)さんの傍にいるのか。

 翡翠さんに会いに行ったとき、支えようと誓っていると言った彼の顔を思い出した。

 揺るがない意志。秘めたる思いは表に現れている以上なのだろう。

 ボクは自然と奥歯を噛み締めていた。


「そう緊張するな、誰も彼もいいやつだ!」


 本当に明るいひとだなあ。呉綯(くれない)さんも知り合いの中では明るいほうだけれど、それとはまた違った明るさだ。

 おそらくだけれど、いいひとであるのは間違いない。

 ちょっと空気が読めないだけで、やさしそうだし。

 八目さんと同じで、きっと気も長いほうなんだろうな――


「――俺がみんな()()()やったからな!」


 ――ん?

 躾けてやった?

 恐る恐る彼の顔を見遣ると、きらきらとした曇りなき眼で六脚さんは


「遊兎都も凛彗もネウも()()()がすぎると躾けるからな! なははは!」


 と笑った。

 え、いや、笑うところなの、そこ?

 嫌な予感に、青褐さんを窺う。

 青褐さんは、その予感は正解だとでもいうように、深く頷いた。

 前言撤回。このひと相当、癖が強そうだ。

「太陽がもたらすのは恵みだけではない」

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