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Ep.94「竜虎相搏」

「……皇彌(おうみ)君。……手加減したら、許さないからね……」

「この皇彌が怪我をしているからと言って、そんな手心を加えるとでも? ――全力で叩き潰しますよ」


 お互いに殺気立つふたり。

 どうして、こんなことになったのか。

 ――少しだけ時間は、さかのぼる。


 ◇


 慈玖(じく)君に連れて行かれたというのは、竹林だった。

 隠れ里にはあちこちそういう場所があって、一族のひとたちが鍛練によく使うそうだ。

 そういえばシジにいた時(すい)君が、見通しの悪い場所での鍛練したほうが上達が早いって、言っていたっけ。


「あの雑魚(ザコ)、皇彌さんに何かしたら本気で関節外してやる」

「や、やめてよ翠君っ! 滅多なこと言わないで」


 翠君は怒っていた。慈玖君と本当に相性が悪い。これはもう完全に性格の不一致である。

 皇彌さんのことが大事だからこそ、なのだろう。でも、血で血を洗う争いは避けたい。そもそもここ、他人の家、なわけだし。

 結構気持ちは焦っているのだけれど、傍らの凛彗(りんぜ)さんは全くの無関心だ。皇彌さんとは仲が良いと思っていたが、案外そうでもないのだろうか。

 ボクがいろいろと考え事をしているうち、竹林に辿り着いた。

 そこには慈玖君と皇彌さんがいた。視界の端で黒いコートが揺れる。


「ッ、クソ……!」

「――どうしました、動きが先ほどより悪いですよ」

「だぁっ、くそ! ――ッうわぁ!」


 慈玖君が派手にずっこける。皇彌さんは半歩動いただけだ。


「体力はあるのでしょうが、制御ができていませんね。常に全力だとスタミナ切れで相手に隙を突かれます」

「……うす」


 傍目からわかるほどの落ち込みようだった。慈玖君が、のろのろと体を起こす。様子を眺めていた皇彌さんは、表情を崩すことなく眼鏡の位置を直した。

 それから淡々と、「――ですが、教える前よりナイフの扱いが上達しました。覚えの方は悪くないようですね」と褒めた。

 讃辞を受けた慈玖君は途端、ぱあと顔を明るくして「……っあざす!」と、全力で頭を下げた。

 彼らの応酬を見つめていた翠君が突然、


「――ずるいっ!!」


 とものすごく大きな声で叫んだ。

 びっくりした、鼓膜が破れるかと思った。凛彗さんも嫌そうに顔をしかめている。


「あ?」

「……翠玉(すいぎょく)


 慈玖君が苛立った様子で振り返り、皇彌さんが溜息をついた。彼は〝厄介な奴に見つかった〟という顔をしている。


「ずるい……っ、ずるいずるいずるい! なんで雑魚相手に鍛練してんの、皇彌さん! だったら僕にしてよ! 全力で僕を殺しにかかってよ!!」


 物騒な言葉が聞こえたような気がする。

 突っ込んだら負けかもしれない。ここは一旦無視で。


「てめえ、またオレのこと雑魚って……」


 慈玖君がこめかみをぴくぴくさせながら、翠君に近づいてきた。翠君も負けじと青筋を立てて「なんだよ、雑魚」と応戦する。いや、応戦しないで。


「雑魚ざこ言うんじゃねーって、何回言やぁわかンだ、アァン? てめえのおつむはハムスターサイズなのか、アァ?」


 トウキョウで見かけた、路地裏で喧嘩をふっかけてくるガラの悪い連中みたいな煽り方をする慈玖君。でも、ハムスターサイズって。たとえがかわいいな、おい。


「雑魚に雑魚って言ってなにが悪いんだよ、ざぁこ。皇彌さんに鍛練してもらっているからって調子に乗んな」


 翠君、引かないし。そんなに口が悪かったんだね、君……。

 見る目が変わりはしないけれど、新鮮で複雑な気持ちだった。


「はぁ? 調子になンか乗ってねーし、どこに目ぇついてんだよ」

「ここに目があるんですけど? 大丈夫? 目より頭が悪いんじゃないの、君」

「あ゛ぁ゛っ!?」


 あ、どうしよう。呑気に観察している場合じゃなかった。

 仲裁に入ろうと「こら、ふたりとも」と声をかけながら、近づいた瞬間だった。


 ゴンッ!


 鈍い音がした。

 皇彌さんの鉄拳が翠君と、慈玖君にも下っている。双方頭を抱えてもんどりを打った。

 かなりいい音がしたので、音の分、痛いはずだ。


「やめなさい、馬鹿共」


 両の手を拳にした皇彌さんが、醒め切った目で激痛に身もだえるふたりを睥睨していた。


「あ……っつう~……てぇ……」

「……うぅ……痛いぃ……()()()()けどぉ……」


 ん?


「翠玉、お前は私に殴られたがるので鍛練の意味がない、と以前に申し上げたはずですが」

「……そうだっけぇ……?」

「そうですが」

「……うぅ」


 ()()()()()()


「翠君って……、もしかして、殴られるのとか……好きなの?」

「……え」

「あ」


 しまった。オブラートに包まず、そのまま聞いてしまった。

 性癖なんて、特に気を付けなければならない話題だというのに。

 ボクってやつはまったく……、とちょっと後悔しかけた思考に「そうだよ?」と、あっけらかんとした翠君の声が被さった。


「へ」

「僕は好きなひとになら、何をされてもいいんだ。何されたってうれしいんだよ。皇彌さんになら殴られてもいいし、首を絞められたって構わない。普段の罵詈雑言なんてご褒美だね。だから、鍛練してもらうとどうしても殴ったり蹴ったりしてほしくなっちゃうんだよね。……うぅ、でも雑魚を鍛練するのは話が違うじゃん……」


 頭のてっぺんをさすりながら、とんでもない暴露をする翠君。

 思わぬ爆弾発言に慈玖君は引き攣らせながら、赤面している。年齢相応の初心さだった、見ていて眩しい。凛彗さんはあくびをしていて、全くどうでもいいといった態度だった。

 翠君と凛兄ちゃんもあんまり、仲良くないからなあ……。


「ふー……っ」


 翠君の発言を受けて、皇彌さんが深呼吸した。

 怒りだけではないであろう理由で、顔に血管が浮いている。

 翠君に振り回されていて楽しいとは言っていたけれど、これはまた別の振り回され方だ。

 主に忍耐の方の。


「……すみません、聞かなかったことにしますので……」


 ボクが謝ると、皇彌さんは「いえ」と目頭を揉みながら首を振った。


「どうせバレることでしょうから。……『生業(なりわい)』については話さなかったようですが」

「はっ」

「自分の不利な情報だけは明確に口を噤む……小賢しい知恵ばかりは回るな、クソガキ」

「……だってぇ……」


 口を尖らせてぶつぶつ言いつつも、ちょっと嬉しそうな翠君。

 皇彌さんの粗雑な言葉遣いは翠君のことを想って、――なのかもしれない。

 恋人同士の内情だし、あまり想像するのもよくないけれど。


「それにしても、慈玖君。鍛練、なんて。どうして?」


 慈玖君に訊ねると、彼はバツの悪そうな顔をして「……守り、きれなかった、……から」と小さく言った。

 守り切れなかった。

 ――峰理(みねり)さんを? まさか――


羽詰(はづめ)峰理なら無事ですよ」


 ボクの嫌な予感を、皇彌さんのはっきりとした声が断ち切った。

 彼の物言いはいつでも清々しく、そして明瞭である。


「あ、……そうなんですね」


 ボクの予想は悪い方向ばかり当たるので、安心した。

 ほっと胸を撫で下ろす。


「医学の心得があるということで、(にしき)さんの手伝いをしていらっしゃいます。重傷者がそれなりにおりましたからね。雨汰乃(うたの)さんとそこのクソガキ、あとは……あなたもですね、凛彗」


 皇彌さんの視線を受けて、凛彗さんは肩をすくめた。「君はさすがだね」と言葉を添えて。

 見るところ、皇彌さんは怪我をしていないようだった。おそらく、そういう意味での〝さすが〟なのだろう。

 凛彗さんがひとを褒めるのは珍しい。というより、そもそもこのひとは他人というものを視界に入れない。いつもひとりでいて、それを当然としているような佇まいだった。

 だから、皇彌さんと仲が良い様子を見てボクはだいぶ驚いた。

 いや、仲が良いのかどうかは微妙なので。


「皇彌さんと凛彗さんって仲が良いんですか?」


 ボクは正直に思ったことをぶつけた。すると、お互いに顔を見合わせて「……どうかな」「さあ」と言った。


「……? えぇっと……?」


 やっぱり違うらしい。

 皇彌さんが眼鏡に触れながら、「志が似ていた、というだけですよ」と言った。


「私は翠玉を捜していて、彼はあなたを捜していた。お互いに手を伸ばせば届くはずだったものを、己の無力によって取りこぼしてしまった……その経緯が似ていただけです」


 皇彌さんの話はエデンのお風呂場で聞いたけれど、凛彗さんは聞いたことないな。

 何かの機会に聞いてみようかな。


「――じゃあ、ふたりって戦ったことあるんすか」


 無邪気な問いかけは、殴られた痛みから回復した慈玖君だった。

 さすが若いな、と感心しつつ、翠君を見遣るとどことなく名残惜しそうに頭をさすっていた。予想するに、痛みが引くのを惜しんでいる。回復してほしくなさそうだった。


「……戦ったこと……? 共闘なら、だいぶ前にあるけれど……」


 凛彗さんは首を捻りつつ答えた。「ええ、『遠征活動』で」と皇彌さんが付け加える。

 慈玖君が腕を組んで、「あーそうじゃなくて」と言葉を選んでいた。


「その、お互いに戦うって、ことで……。詳しくは知らねえっすけど、ふたりとも強ぇやつってアタマ張ってたんでしょ?」

「あれ、慈玖君は『活動員』のことはあまりよく知らないんだっけ」

「え? あぁはい……さわりぐらい、しか」

「『活動員』は通称。正式名称は『治安維持活動員』……改革されたザイカに残る不穏分子を排除するために組織された……所謂、私兵。軍隊さ」

「軍隊っすか……すごいっすね」

「ザイカは『殺し屋』が結構いたからね。その中から抜擢されていたんだ。『活動員』には『階級(ランク)』があってね、これによって活動範囲、報酬なんかが決まっていた。選抜試験、……のようなものがあったのだと思うけれど……。そこらへんはわからないや。――そのうちでとびぬけた実力……『階級』に収まらない実力を持ちうるとして『規格外(エラー)』が存在していて、それが凛彗さん、皇彌さん、一尺八寸(かまつか)兄弟なんだよ。人数は四人なのだけれど、兄弟は常に一緒だからひとつと数えられて『三大(トライアングル)規格外(・エラー)』なんて呼ばれている」

「へえ……。それじゃあ、タイマンとか張ったりしないんすね」

「タイマン? 一対一で戦うってこと?」

「そうっす。強いもんって集まると、こう……、競うじゃないっすか」

「そう……?」


 ボクが疑問に思っていると、皇彌さんが眼鏡の位置を直す音がした。


「一度だけありますよ」

「えっ」

「えぇ!?」


 皇彌さんの言葉に最初に反応したのはボク、次に翠君。

 翠君はますます不満そうな顔をしていた。半眼で凛彗さんを睨みつけている。当人は素知らぬ顔だ。

 やっぱり仲が悪い。


「やむを得ず、でしたが」

「やむを得ず……?」

「『遠征』に行った際に、大勢の敵と遭遇しまして。すべてに対処をしたところ、凛彗が興奮状態から戻ってこなくなりましてね。仕方がないと思い、戦ったことならあります」

「ああ……あの時か……」


 凛彗さんが斜め上を見つめながら、ぼやいた。

 覚えがある。ちょうど、列車で大勢と相対したあの時と、同じような状態だろう。


「……」


 凛彗さんが首を捻りながら、皇彌さんをぼんやりと見た。

 なんだろう、と様子を窺っていると彼は「……興味は、……あるよ」と言った。


「ほう」

「……皇彌君、一度も……。僕に、素手で立ち向かってきたこと……ないでしょ?」


 皇彌さんが眼鏡の位置を動かす。図星のようだ。

 慈玖君の一言で、話が妙な方向に進んでいる気がする。しかしながら誰も止めようとしていない。

 ボクも、止める気になれなかった。


「素手であなたと戦え、と?」

「……別に。自信がないのなら……無理に、とは言わないよ……」


 不意に、凛彗さんの言葉に挑発が混じった。

 皇彌さんもそれを受けて、眼光を鋭くさせる。


「……言ってくれますね」

「……」


 皇彌さんがコートを脱いだ。コートは見た目よりもかなり重厚な音を立てて、地面に落ちた。

 ――いや、本当に。しみじみ感じてしまうけれど。

 皇彌さん、めちゃくちゃ着痩せをするタイプだ。筋肉の塊ひとつひとつが結構な大きさをしているから、相当鍛えている。ワイシャツとベストを押し上げる筋肉は、凛彗さんよりもいくばくか小さいくらい。つまるところ、相当立派な体格をしているというわけで。

 皇彌さんは大きく腕を回した。凛彗さんも手を首に添えて、ぐるっと回す。

 誰も彼も黙っている。ボクも口を挟まなかった。

 理由は簡単。


 ――見てみたかったから。

肉体型(フィジカル)規格外(・エラー)』と『才能型(タレント)規格外(・エラー)』の本気の戦いを。


 そして、冒頭に戻る――


 ◇


 ――すごい。その一言に尽きる戦いだった。

 始まってすぐ。凛彗さんが姿勢を低く保ったまま特攻を仕掛けた。皇彌さんのおなかにしがみつくようになって、彼を空中に浮かせて後方へ放り投げようとした――巴投げってやつだ――が、失敗した。皇彌さんは投げられることなく、頭が地面に着く直前で手をバネのように使って、一回転した。


 ――いやまったく原理がわからん、どういう動きだ、今の。


 拘束から逃れられた凛彗さんは、半身を捻って右の裏拳を当てる。鈍い音がして皇彌さんの頬を抉ったが、彼も彼でその腕を掴み上げて、投げよう、としたが。

 凛彗さんが重いので投げられないと理解するやいなや、皇彌さんはものすごい力で彼を引き寄せた。近づいたところを長い脚を振り上げ、凛彗さんの顔面に、蹴りをお見舞いした。

 ――人間の足って、そんなに上がるものだったっけ。

 顔面に足蹴りを食らった凛彗さんは怯むことなく、自由になっている腕で、皇彌さんの顎下に左の拳をぶちこんだ。


 そうして、ふたりは再び奇妙な恰好で相対する。


 顎下にかなり強烈な一発を食らったはずの皇彌さんは、微動だにしなかった。彼は捕まえたままの腕に足を絡ませ、しがみつく。それから全身を使って、腕を捻り上げようとした。

 凛彗さんの表情が一瞬苦痛に歪んだが、本当に〝一瞬〟だった。

 纏わりついている皇彌さんごと、腕を地面に向かって振り下ろした――意味がわからない。成人男性を片腕で投げられるものか?


 衝撃音と共に落ち葉が高く、舞い上がる。


 落ち葉の帳をぶち破るようにして皇彌さんが前に出た。どうやら受け身を取っていたようだ。そして今度は右ストレートを――。

 ――何がどうなっているのかさっぱりわからなかったが、実力が拮抗しているのだけは理解できた。

 とにかく、お互い一歩も引かない。一進一退の攻防である。


「っ、! ……っ!」

「……ふんっ」


 呼吸、打音、地面を擦る音――あらゆる音がひとつの律動になって、ふたりの戦いを奏でている。

 とんでもないものを見せられている、おそらくボク以外のふたりもそう思っていることだろう。


「……すげえな……」

「……やば」

「……わあ」


 それぞれ感嘆しか漏れなかった。

 けれど、凄まじい打ち合いの中でわかるのは、ふたりはそれぞれタイプが違うということ。

 凛彗さんはパワータイプ。長身だし、筋肉もあって全体的に重量がある。全速力で突っ込めば、それは列車が猛スピードで突っ込むのとほぼ同義。つまり、死ぬ勢い。

 皇彌さんはスピードタイプ。筋肉質であるけれど、凛彗さんほど重くないから、彼に比べてかなり軽やかな足取りだった。腕や足のしなやかさが、まるで鞭のような動きをしている。痛そうだったし、継続に当て続けられれば相当消耗させられるだろう。

 重さでぶつける鈍器と一点集中で射抜く利器、みたいな感じかな。

 いや、でも……。


 ふたりとも、きれいだった。


 戦い方が美しい。

 見目麗しいというのはそうだけれど、動きが洗練されていて無駄がないというか。

『規格外』と呼ばれるだけある。


 次元が、違う。世界が、違う。

 圧倒される戦いぶりだった。


「皇彌さんの強さはわかっていたつもりだったけど、あのひとすごいや……ずっと努力しているから、強さが僕の想像以上になっている……」

「……オレ、やべえひとに修行お願いしちまった……」


 翠君は吐息混じりに言った。

 慈玖君は後悔と感動が綯交ぜになった感想を吐き出した。

 ボクはただ唖然と、口を開けて見ていた。

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