Ep.88「彼の秘密」
話は以上だ、と告げられたのでボクは彼女に礼を言い、部屋を辞そうとした。その背に、八目さんの楽しげな声がかかる。
「――おまえはどうにもあの小僧に気に入られたようだな」
振り返って彼女を見ると、声の通り八目さんは破顔していた。
「あの小僧?」
「纐纈翠玉だよ。纐纈の坊主は一筋縄ではいかん相手なのになあ」
まるで子どもの成長を喜ぶみたいな笑顔だった。「そうですね、仲良くはさせてもらっています」と答えると、何やら思案げに「〝させてもらっています〟……ね」と言う。
「大したもんだ、アレの『生業』を知らんわけじゃあねえだろう?」
ああ、そのことか。
「はい。皇彌さんから教えてもらいました」
『生業』。それは『絡新婦の血族』がお互いに協力して生きる上で持っている役割のこと。
翠君――纐纈一族の『生業』は『拷問師』だという。なんでも一族に不義を働いたものに対する制裁を担当していて、翡翠さんはその才能がずば抜けているらしい。
あんなやさしい見目からは想像ができないけれど、ひとって、見た目には依らないものだし。
「恐ろしいとか思わなかったのか?」
「うーん……まあ名前だけ聞けばちょっと恐ろしいですけど。でも、不義の追及って必要なことだと思いますし……だって皆さんの居場所とかバレるとまずいんですよね?」
「そうだな、おれたちは世界の裏側に食い込んでいるから価値をつけて売ろうとするやつはごまんといるぜ」
「だとしたら……仕方がないのかな、と……」
それでなくても見目麗しいという理由だけで売買されるひとたちだ。身の安全を図るのに、多少強引な真似をしても許されるのではないだろうか。
もしかしたらこれは友人がその一族であるから、という贔屓目なのかもしれないけれど、少なくともボク個人としては『生業』に対する不快感はない。
八目さんはしばらく黙っていたが、そののち「くはははっ!」と天を仰いで笑った。
「? な、なにか変なこと言いましたか?」
「いや、まったく。実に慈悲深いなあ、とそう思っただけだ」
「それ錦さんにも言われたんですけど……」
「ああ、なんだ。いやか? それじゃあ言い方を変えよう、おまえは懐が深い」
「はあ……ありがとうございます」
なんだかすごく褒められる。
気恥ずかしいけれど、大仰に否定しても悪いし、それでなくとも彼女は偉いひとだし、ボクは曖昧に礼を言っておいた。
ボクの戸惑いがちなお礼を八目さんは「恥ずかしがらなくたっていいんだぜ?」と見透かしたように再び笑った。
◇
地上に戻ると真っ先にネウがボクのもとへやってきた。
心配だったのだろうか、姿かたちは猫じゃなくって人間だった。祢憂はぎゅうとボクを抱き締める。
「……大丈夫だったか」
「へ? え? ……大丈夫だよ、ありがとう」
心配してくれていたのだろう。ボクは気持ちが嬉しくて彼を抱き締め返した。
凛彗さんはボクらを抱擁に何か思う様子もなく、ただ呆れたように息を吐いていた。
気持ちはわかるから、見逃がしてやる――みたいな感じなのかな。
「お熱いわね、溶けちゃいそうだわ」
鈴の音色が転がって、ボクははっとした。
祢憂の姿で見えなかったけれど、彼女がいるのだった。
「す、すみません……群青さん」
謝ると群青さんは首を振り「いいのよ、静だってぎゅーするもの」と自分自身を抱き締める素振りを見せた。可愛らしい、と素直に思った。
「八目ちゃん、教えてくれたでしょ」
「はい。とても、わかりやすく」
「うふふ、よかった。じゃあ戻りましょうか」
群青さんはにこにこしたままボクらを導いた。
歩き出した彼女を見て、ネウはボクを離し、静かに猫の姿に戻った。
地上に上がると翡翠さんが待っていた。翠君のお姉さんで、纐纈一族の長。衣服はシジで会ったときと変わらず、今はその上から薄い羽織を纏っている。
傍らに志暈さんがいないので、思わずボクは捜してしまった。ボクの反応を見て、翡翠さんがその美貌をやわらかく笑みに変える。
「志暈様はいませんよ、遊兎都様、あの方がいると緊張してしまうでしょう?」
「え」
「うふふ、初めてお会いした時にびっくりされていたようだから」
「……」
み、見られていたのか恥ずかしい……。
完全に油断していた。
「案内を交代しますわ、群青様」
「そう? じゃあお願いしようかしら」
群青さんはくるりと体の向きを変えると、半身を捻った状態で「またね、遊兎都ちゃん」と言って去っていった。身のこなしも物言いも軽やかで気持ちのいいひとだな、群青さん。余計な仕草がなにひとつもない。そう思って眺めていると「群青様は血族の中で一番のしっかり者なんですよ」と翡翠さんが言った。
「あ、え」
また顔に出ていた……!?
ボクが両頬を押さえると翡翠さんは何も言わず「うふふ」と笑った。
たぶん、肯定の意味だろう。
「あなたが……凛彗さんね。翠玉が随分お世話になったようで」
翡翠さんの声が少しだけ重くなったのでボクは焦った。
翠君が敵対心を持っているということは彼を溺愛している翡翠さんも……、と思ったのだ。
しかし、ボクの考えは全くの的外れだった。
翡翠さんは「――ご迷惑をおかけしているようで申し訳ありません」と言って頭を下げた。凛彗さんは面食らったようだが、すぐもとの真顔に戻った。
「……別に。……あれくらい、どうということはないよ」
「ありがとうございます。どうか、仲良くしてあげてくださいましね」
あ、的外れでなかったかも。ちょっと圧を感じる。
凛彗さんも同じだったのか、気まずそうだった。
それから「ついていらして」と翡翠さんが歩き出したのでその後に続いた。
「知らない方ばかりで大変でしたでしょう」
歩きながら翡翠さんが気遣ってくれた。どこへ向かっているかはわからない。でも聞く理由もなかった。
「あ……まあ、でも。みなさん、いやな方じゃ、ないので……」
「ええ、意地悪な方は……少しだけいるけれど。でも、基本的にはいい方ばかりですよ。遊兎都様もきっと気に入ると思います」
「……あの」
「はい?」
「……様、はやめてください。……そんな大層な人間じゃないので……」
恐縮しながらお願いすると、特に気を害する素振りもなく「では遊兎都さんとお呼びしますね」と翡翠さんは即応してくれた。
「……すみません」
「あら、構いませんよ。……うふふ」
「? どうか、しましたか?」
「いいえ、ごめんなさい。皇彌さんにも同じように断れたなあって……」
「あ。……そうなんですか」
「ええ。初めてお会いしたときに」
空っぽの座敷牢で、項垂れている皇彌さんを見つけた時のことだという。
皇彌さんは、悲嘆にくれた状態で首を振ってボクと同じく「そんな大層な人間ではありません」と言ったそうだ。
「皇彌さんと遊兎都さんは似ているのね。だからきっと翠玉も気に入ったのだと思います」
「……似て、ますかね……? ボクは全然違うと思うのですけれど……」
「考え方やひととの接し方がよく似ているわ」
翡翠さんが断定的に言うのでボクは否定するのが憚られて、口を噤んだ。
考え方や接し方――か。どうなのだろう、類似点を探すためには、おそらくもう少し皇彌さんと話さないといけない気がする。
「皇彌さんもすごくひとに好かれるんです。あの方はあまり他人を邪険になさらないから」
「ああ……確かに」
「……」
ボクはちらっと凛彗さんを見た。彼は気づいてボクを見てから「……いいひとだよ」と一言添えた。
他人にほとんど興味を持たない凛彗さんがそういうなら、その通りなのだろう。
皇彌さんは人当たりがいい。ボクも初めて会ったとき、あまり緊張しなかった覚えがある。あのひとは他人を威圧するような感じもしないし、かといって露骨に他人に興味ありません、って態度もしない。だから自然と人が集まってくるのだと思う。
「だから翠玉がちょっとわがままになってしまうの。可愛いから私は見逃してしまうのだけれど」
「ああ……だから、わざと怒らせたり?」
「うふふ、そうなんです。可愛いって思うのは姉馬鹿かしら」
翠君は心配なのだ。皇彌さんの周りにたくさんのひとがいるのが。
皇彌さんは翠君のことをこの上なく大切に思っているし、よそ見するなんて考えられないけれど――でも、心ってやつは厄介で、自分でもままならないことがある。翠君もわかっているから、きっと不安になる。
だからわざと怒らせて関心を引いている。
自分を見て、って。
そう思うと益々――
「……可愛いですね、翠君」
ぼそっと言ったその言葉に翡翠さんの弟愛に火をつけたらしい。
「そうなの!」と突然声を張り上げるものだから、ボクは何かが破裂したかと思った。
「そうなんです! 翠玉って本当にかわいくって! あんなにいじらしくて一途で健気で可愛い子、他にどこにもいないわ! でもね、どこにも出したくないなんて思っていないのよ、あの子こそ外の世界に羽ばたいていってほしいの。だから皇彌さんに会うことができてうれしかったわ……あの方が翠玉の世界を広げてくれる、翠玉の目にたくさんの色を見せてあげてくれる……本当に! 本当に奇跡なの! 座敷牢に閉じ込められた時は私も絶望したんです、ああ、あの子をあんな、あんな不潔で不衛生で真っ黒な場所に閉じ込めるなんて、って……その頃私はまだ族長見習いで権力が何もなかったから出してあげられなくて……私の師範やあの子の師範も抵抗したのよ、でも抵抗したせいで……あぁ、なんてことなの……! 私が私のせいで怪我をしただけだったのよ? あの子はなんにも悪くなかったの。ふたりで訓練したいなんて言うべきではなかったのかもしれないわ……。あの子と一緒にいられる時間は限られているのに、あの子は身に宿している力のせいで短命だっていうのに……」
「あ、あの……翡翠さ……」
「……」
演劇の長台詞を聞いているような心地だった。猛烈に志暈さんに来てほしいと思った。凛彗さんが目の端で困惑しているのが見えた。ここまで感情を爆発させるひとが周囲にいなかったから止め方がわからないのだろう。ボクもそうだ。
でも、聞き間違えじゃないのなら――今、翡翠さんすごく大切なことを言わなかったか?
身に宿している力のせいで、短命……?
「無茶をすればするほどあの子の命は危険に晒される……それでもあの子は大切なひとたちを守るために……奥義の<血染めの阿修羅>まで! あれは血と糸両方を消費するし、鼓動だって速くなるからその分余計に……はあ……」
「翡翠さんあの」
「ああ、でもあの子の決意を、覚悟を、私は姉として見届けなくてはいけないんです! 身を裂くような思いだわ、でもきっとこれは皇彌さんも同じね、あの子が『繭玉』と奥義を使ったって聞いた時は驚きました、守りたかったのねっそれほどまでに」
「翡翠さん」
「わかるわ、あの子ってそういう子なの。身を削って命を賭して大切なひとを守る……ああ! 何っていい子なの、いい子なのに、どうして……あんな運命を……」
「翡翠さん!!」
「ッ!!」
叫んでやっと翡翠さんが戻ってきた。何度か目を瞬き、それからゆっくりボクを見る。
真っ白な肌が一気に真っ赤になった。
「ま、まあ! ごめんなさい、つい……。ああ、もう、駄目ね。弟のことになると自分が抑えられなくて……」
「い、いえ。それはいいんですけど……あの、短命って……?」
翡翠さんがお風呂場での皇彌さんと同じ顔をした。
〝知っていて当然だと思っていた〟顔である。
「え? ……あら、あの子話していなかったの?」
「……知らない、です」
「……そう、なの……」
翡翠さんは目を伏せ、胸の前で手を組んだ。
祈るみたいに見えた。
「……ごめんなさい、ならなおのこと。……あの子の口から聞いた方がいいかもしれません」
「……」
翡翠さんは悲しそうに眉尻を下げた。
『生業』のことは皇彌さんから訊いたが、今回の事は本人から聞いた方がいい、という。
ならきっと、よほどのことなのだろうと思った。
ボクは「翠君に聞きに行きます」と言って翡翠さんに案内をお願いした。
翡翠さんは「もちろん、そのつもりだったわ」と快諾してくれた。




