Ep.87「蜘蛛のこんがらがった話」
「アレは、かつての神が創造した有機物の形をした楔だ」
八目さんは端的にそう言った。
神の創造した、有機物の――楔。
楔……楔、か。そういえば、誰かがそんなことを。
それは、えっと。
……そうだ。
――簡単に言えば世界がぶっ壊れねえようにするための楔って話だ。未曾有の人災や災害で世界が根本からぶっ壊れちまわねえよう、最後の最後、瀬戸際で食い止める存在なんだよ
「……たしか、ネウも……、そんなことを言っていました」
ボクの長考を、八目さんは待ってくれていた。
彼女はボクの答えに、にんまりと笑った。
「『神使者』を創生した『慈母』の影響を、<紫乃盾>もまた受けているからな」
「えっ……?」
「『慈母』は名の通り。慈悲深いんだよ、小僧」
慈悲深いから、あんなモノを?
意味不明だ。だったら最初から作らないでほしかった。
「ふ」と笑みの音がした。顔を上げる。
八目さんが片方の口の端を吊り上げて、ボクを見つめていた。
「小僧、静鳴の言っていた通りだな。おまえ、ずいぶんわかりやすく顔に出るじゃねえか」
「……あ」
「くははは、いいぜ。構わんよ、素直なのはいいことだ」
いいことなのだろうか。わからないけれど褒められているようなので否定はしないでおく。
八目さんは、「慈悲深いからこそ、あれを装置にしておけなかったのさ」と続けた。
「アレに――『人類統率機構』なんて名前だ、アレはもともと単なる装置なんだよ。神さまが人類に手を出すための、干渉器。それが、『人類統率機構』。これは四十七基創生された」
「よ、四十七……!?」
あんなのがそんな量? ありえない。
世界が、ひっくり返るじゃないか。
「くははは。面白えな小僧。言わなくたって言いたいことがわかるのは便利でいい。――だが、正しく『起動』したのは、たったの四基だけだった」
「……四基……」
「そう。<紅凱><紫乃盾><魔王><御伽姫>……この四基だけが、創生されて正常に動いた。なぜだか、わかるか?」
ボクは首を振った。
わかるわけがない――と顔に出さないよう注意しながら。
でも八目さんにはお見通しなのか「くはは」と笑われた。
「『慈母』が関わり『自我』を与えた四基だったからだよ」
「『自我』……」
「そうだ。存在意義、さ。装置ではなく、『人間』として生きるために。『慈母』は彼らに己で考え、己の思うよう生きる術を与えた。そうしたものだけが、正しく『起動』した。なぜ、なんて問うなよ、小僧。神さまの――超自然的で、異次元に住む、ひとの形をしているのかもわからねえ、思想そのものみてえな、宇宙空間の概念みてえな――おれたちの考えの及ばぬところに住む神さまの思いつきさ。おれたちが逆立ちしようが、ヘドロ飲み込もうが、電気椅子にかけられようが、わかりゃしねえ」
途方もなくどうしようもない存在。
ボクらとは世界も次元も、きっと姿かたちですら違うイキモノ。
イキモノと言っていいのかさえ、わからない。
それらが考えること。
確かに宇宙規模だろう、わかるはずもない。
だったら、紫乃盾の考えがわからないのもなんとなく納得できる。
アレはもともとボクらと同じところにはいないのだ。
「まあわかることと言えば、世界に関わるためにゃ人間に関わったほうが早え――とそう思ったんだろうな。だから『人の形』で接触を試みた。でも、救うためじゃねえ、支配をするためだ。けれど、これは失敗した。『自我』を宿した<紅凱>が止めたんだ」
「……止めた?」
「世界を乗っ取ろうとする神さまを殺したのさ。まさに飼い犬に噛まれるって感じだな」
くはは、と八目さんは軽快に笑うけれど、とんでもない話で頭が追いついていかない。
神が作った創造物が、神を殺した? なんて皮肉に利いた話なのだろう。
「そうして一巡目。世界は壊れて再び創生された」
「世界が……壊れ、て?」
「そうだ。壊れたんだよ、小僧。世界は、一度完膚なきまでに壊れているのさ」
「……」
信じられない話だ。でも疑うことはできない。既に釘を刺されたことだ。
物語を読むような心地で、ボクは相槌を忘れて話に聞き入った。
「壊れて創り直された。創り直された世界は『天秤』だった。片方に生者の歩く『現世』を、片方に死者の渡る『彼岸』を置いて、均衡を取った。最初はな、うまくいっていた……だが途中で頓挫した」
その理由は問わなかった。
物語に没頭するためだった。
「頓挫した結果、世界は再構築された。壊れる前に。わかりやすくたとえよう――ここに積み木を用意する」
さながら手品師だった。
ぱ、と開いた扇子を畳に向かって立て、それを横にずらす。すると何もなかったはずそこに、赤い積み木が現れた。簡易的な家の形で、四つ積まれている。三角形がひとつ、長方形が三つ。
「最初の世界がこの積み木。この積み木を手の内に収めようとしたが<紅凱>がこれを壊した」
扇子が積み木を薙ぐ。積み木はバラバラになり、家の形は失われた。
「これを壊し、色を変えた」
扇子が倒れた積み木に被さる。退けると、真っ赤な積木が真っ青になっていた。
「色を変えた世界はさっき言った、『天秤』だ。形が違う」
再び扇子が青い積み木を隠し、そして露にされた。青い積み木は五つで、すべて正方形だった。それらは特別な形でもなんでもなく、ただ縦に積まれていた。
「これが二つ目の世界。これがこう……不安定になったわけだな」
下から二個目に積まれている積み木を扇子でずらす。すると全体がぐらりと揺れた。今にも崩れそうである。
「だから全部壊れる前に形を変えることにした。それが再構築だ」
扇子が上から順々に積まれている積み木を隠した。大仰な仕草で扇子を閉じると、五つの青い積み木は六つに増えていて、形も三角形、丸、長方形、ひし形と様々だった。それらが絶妙なバランスで積まれている。
「再構築された世界は複数世界で支え合うものだった。だからこそ、ひとつでも壊れちまうと大きな影響が出る。それこそ、世界がぶっ壊れかねない」
八目さんが丸い積み木をつついた。ぐらぐらと六つ全部の積み木が揺れる。
「だから<紫乃盾>が『起動』し、これを阻止した。――それが、始まりだった」
「……始まり?」
ボクはそこで初めて口を挟んだ。
八目さんは目の前の積み木をそのままに話を進めた。
「この世界はな、小僧。一度、大きな厄災によって壊れかけたんだ」
「……え?」
「その厄災を<紫乃盾>が止めた。その時、たくさんの人間が争い、死に、生き残る様に――<紫乃盾>が『自我』に目覚めた」
「……それ、は……」
――〝完璧だったものが壊れていく様は、美しい〟
声は確かに八目さんのものだったはずなのに、なぜか紫乃盾晴矢の声が重なった。
嫌悪感に鳥肌が立った。憎悪が蘇って、奥歯を噛んだ。
紫乃盾は、神の作った人の形をした装置は――あれは、大きく歪んでいる。
「だから壊そうとしている。きれいなものをぐちゃぐちゃに踏みつぶしておしまいにしようとしている。……そうなったら、どうなると思う? 小僧」
「……均衡、が。……破られて……」
「そう。ここだけじゃねえ、ほかの世界も滅茶苦茶だ。――ようやっと『慈母』が目覚めたっていうのになあ」
投げやりに言って八目さんは眼前の六つ積まれた積み木を強く小突いた。均衡はあっけなく崩れ、様々な形をした積み木たちは、音を立てて畳に落ちた。
あれが世界だったのなら。
考えると、恐怖を感じた。得体の知れない、経験したことのない類の恐ろしさが、つま先から蛇みたいに這ってくるようだ。
「――だからおれたちは一堂に会し、ここにおまえを呼んだのさ。梵遊兎都」
「……ボク、を」
「おまえが要なんだ。アレはおまえを欲している。――なにゆえ、か」
一息。八目さんが目を瞑り、そして開いた。
その瞳は赤と金。紫乃盾と同じ色をしている。
「小僧、おまえが『神擬体質』で世にも珍しい『慈愛型』だからだ。おまえがいれば、救いの手を求めてより多くが塔を登るだろう。そうして、ツクヨミ大陸の人間がほぼ全員塔に登った後、<紫乃盾>は塔を壊す」
「……塔、ですか」
「ああ、見ていないか。おまえは二週間も眠っていたわけだからな」
「……塔……」
――高い塔の上で会おう
<紅姫>が言っていた。彼女はそこにいるのだろうか。
「まあここを出た後にでも見てみろ。世界がまさに一変している」
八目さんがひらひらと扇子を持った手を振った。
世界が一変、か。
「……それも紫乃盾がやったんですか」
「そうだとも。人間を虜にするのは容易だ――干渉器だからな。ああいうのを<過干渉>と、世界に対する過剰な作用だと、そう言う」
「……ネウが、言っていました」
「そらそうだ、『神使者』は知っているだろうよ。だが手は出せん。嵐神尾祢憂に戦闘に類する許可が出ていないからな」
「……許可?」
「アレらはあくまで監視なんだよ。監視以外の行為は禁じられているのさ」
だから、ネウは――祢憂はわかっていても何もできない。
知っていることをボクに教えるくらいしか、できない。
ううん、違う。彼はそんなことよりもずっとずっと大切なことを教えてくれた。
彼がどんな役割を与えられていたって、関係ない。
彼はボクの相棒で、恋人なんだから。
「小僧、ひとつ。ひとつ訊ねるが」
「……! はい、なんでしょうか」
ぼうっとしていた。
八目さんは座ったままずい、と身を乗り出した。
「おまえ、本当に、嵐神尾祢憂を好いているんだな」
「……………へ?」
何を言われたか一瞬理解ができなくて、そんな、間抜けな声で返事をしてしまった。
八目さんは物珍しそうに顎をさすっている。
「いやあ、まさか。うん、そうか。なあるほど……いやいや……ふうん?」
「……えっと。……だめ、ですか?」
「いや? 駄目なわけはない、全く全然、問題はないよ」
「……そう、ですか?」
なにか引っかかる言い様だった。
「ソウサイインシ、だというのなあ」
その呟きは聞こえたけれど、なんのことやらさっぱりで、ボクは聞こえないふりをした。




