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Ep.82「戸惑う刃」

 エデンの住人が全員集結したのではないかと思うほどの、密集度。彼らは全員で輪を作ってボクらを取り囲んでいた。

 目に光がないわけじゃないのに、人形じみた不気味さを感じる。

 歴然たる異常に対し、狼狽えるひとも動揺するひとも驚くひとも――統治者を心配する声すら、上がらない。皆口を閉ざし、ただ穏やかにボクらを見つめている。


「気持ち悪。なにこの雑魚たち。敵?」

「洗脳されているようには……、見えませんね」


 (すい)君が吐き捨て、皇彌(おうみ)さんが腰に手を当てていた。

 ボクもカッターナイフの柄に触れる。

 襲い掛かってくる風でもない、ただ事象を見守っているだけの、――まるで銅像だった。

 銅像たちが不意に意思を宿して動き出す。ひとつの道が生まれ、そこから現れた人物にボクは目を見張った。


「やあ、遊兎都(ゆうと)。迎えに来たよ」


 片手を上げて親しげに挨拶するその男は、紫乃盾(しのたて)晴矢(はるや)だった。傍らには虚ろな目の兎戯君がいる。紫乃盾は以前と何も変わらない上等なスーツ姿だったが、片腕に兎のぬいぐるみを抱きかかえていた。

 口の端が縫われている。ちょうど、ボクと同じ側に。

 ぞっとした。鳥肌が立って、無意識のうちに後ずさっていた。


「うん? どうしたんだい、そんなに怯えて。ああ、これ? かわいいだろう? お前が手に入らない寂しさを埋めるのに作ったのさ」

「は? ……え?」

「これを兎戯(とぎ)に抱えさせてね、疑似的にお前と何度も交わったよ」

「………………は?」


 紫乃盾は、笑顔で、ボクにそう言った。

 ぬいぐるみをボクに見立てて、兎戯君に役目を負わせて、それで、ボクと、疑似的に?

 それは筆舌に尽くし違い嫌悪感だった。

 全身に虫が這うような、腐臭のする粘液をかけられたような、正しく表現する言葉が見当たらないくらいに、気持ちが悪かった。

 足が震えた。全身が紫乃盾という存在を拒否していた。ボクを庇うように凛彗さんが、翠君が前に出た。


「気持ち悪すぎ。拍車かかってんじゃん、やっぱ死んだほうがいいよお前」とありったけの侮蔑のこもった声は翠君で、それに静かに「……同感だね」と凛彗(りんぜ)さんが同意していた。


 対する紫乃盾は平然と「だって欲しいのだから仕方がないだろう」なんて言っている。なんでそんな発想ができるんだ、こいつは。

 どういう思考回路をしていたらそんな、悪趣味すぎることを考えつくんだ。

 眼前にいる存在をボクは信じられなかった。

 人間のようには思えなかった。


「『人類統率(じんるいとうそつ)機構(きこう)』<紫乃盾(シノタテ)>」


 ネウがフードの中から顔を出した。ついでボクの肩に前脚をかける。


「え?」

「あいつは人間じゃねえ、オレたちと同じ。――神の被造物だ」

「……うそ、でしょ……?」

「ウソじゃねえ……黙っていて悪かった。あれは、オレたちとは別格なんだよ」

「別格も別格さ。私は世界を『統率』できるよう調整されているからね」

「……『過干渉(オーバーエフェクト)』だぞ、テメエ」

「そう? でもこうしたほうが話が早いだろう?」


 オーバーエフェクト? 神の被造物? 紫乃盾が?

 この最悪の男が? 神様に作られた?

 なに、何の話?


「勘違いするなよ。本来であれば『人類統率機構』は〝世界が著しく危険に及んだ時〟に一時的な世界の保存を目的に使用されるモノだ。だから本来『自我』なんざねえんだよ」

「え? え、ちょっとまって。わかんない、全然わかんないよネウ。じんるいなんちゃらってもわからないし、一時的な世界の保存もよくわからないよ」

「……簡単に言えば世界がぶっ壊れねえようにするための楔って話だ。未曾有の人災や災害で世界が根本からぶっ壊れちまわねえよう、最後の最後、瀬戸際で食い止める存在なんだよ」

「……は、はあ……」

「うーん……どう説明したらいいもんか……」


 話が壮大すぎて、頭が追いつかなかった。

 状況にも混乱しているし、紫乃盾のおぞましさにも思考がこんがらがっている。


「――つまりね、ゆと君。このクソ野郎は神様から人間をとりまとめる権利を与えられた厄介な人外ってことなんだよ」


 翠君がボクのこんがらがった思考の糸をほどくように、説明を加えてくれた。

 なんとなく、本当になんとなくだけれど理解ができそうだった。


「……翠君、知っているの?」

「僕、というより僕たち纐纈(はなぶさ)一族……ううん。『絡新婦(じょろうぐも)血族(けつぞく)』はこの人外が世界の脅威になりうると判定されたら、それを止める役割にあるんだ。なんにもなかったらそのままなんだけどさ、これはちょっと気持ち悪すぎだよね。ふつうに」


 翠君が足を肩幅に開く。凛彗さんも拳を握った。

 世界の脅威。人外。纐纈一族。絡新婦の血族。

 ボクの知らない世界の話。

 どうして、ボクがそんな状況に直面しているんだ?


「『絡新婦の血族』……『慈母』に懸想して地に堕ちた()()()か……。まあいい、どうでもいいさ、私には。私が得たいのはお前だけなのだから――遊兎都」


 紫乃盾の甘ったるい声が耳に絡みつく。目がボクを撫ぜる。

 不快感で総毛だった。


「――おいで」

「――させないよ」


 爆ぜた。

 凛彗さんが高く飛び上がり、その顔めがけて右足の蹴りをお見舞いしていた。手によって阻まれたが、そのまま手ごと足を押し込んだ。紫乃盾の体が僅かに傾ぐ。凛彗さんは空中で態勢を変えて、今度はかかと落としを敢行した。反応が遅れた紫乃盾は脳天に凛彗さんの強烈な一撃を受けた。前方に倒れかけたが、倒れはしなかった。前のめりの紫乃盾はゆっくりと顔を上げた。


「おっと?」


 着地した凛彗さんの代わりに、翠君が飛び出す。不可視の『糸』を振るうように両腕を左右に薙いだ。紫乃盾は上体を逸らせて回避する。翠君の動きは止まらない。両腕を順番に高く掲げた。地面がその動きと同時に削れた。しかし攻撃はかするばかりで当たらなかった。

 紫乃盾が攻撃を避けつつ、溜息をついた。


「――まったく障害が多いね、遊兎都。お前は私のものなのに」


 ボクを見て、男が言う。

 気味の悪い、得体の知れない、不気味な男が、笑う。

 臆してはいけない。怯えてもいけない。

 ボクは――女王だから。

 だから、平静を装って、答えた。


「――お前のものじゃないって何度言えばわかるんだ」


 そんなボクの心境を見透かすように、男は笑った。

 厭らしい笑みで、ボクを見た。


「わからない。私は理解しない」


 まるで子どもの駄々みたいに、紫乃盾は言った。

 紫乃盾は、翠君たちと一旦距離を置く。

 ぬいぐるみを撫でながら、はあと大仰に息をついた。

 兎戯君はその場に佇んだまま、動く気配はなかった。生気を抜かれて人形になってしまったみたいだ。


「……こうやって会えたのにまた離れ離れは辛い。だから私も少々手荒で卑怯な真似をさせてもらうよ」


 紫乃盾が片手を上げた。すると、取り囲んでいた群衆の目に危険な光が灯った。

 あれは、まさか!


「多勢に無勢……いや、無礼、かな?」


 紫乃盾が腕を振り下ろすのと、群衆が武器を持って襲い掛かるのはほぼ同時だった。


 ◇


 群衆は軍人であるか。――否。

 群衆たちに罪はあるか。――否。

 群衆たちに殺意はあるか。――否。

 群衆たちを、――殺すのは、正しいか。


「ッ! クソっ!」


 ボクはカッターナイフを振るったが、どの首も掻き切っていない。

 だって()()()()()()()。武装した一般人が、操られてボクらを襲っているだけに過ぎない。

 彼らには罪もなければ、殺意もない。害意の一切もなく、ただ紫乃盾の道具として利用されている。

 ()()()()()()()。これを殺してしまったらボクはきっと〝梵遊兎都〟を失ってしまう。

 近寄らせないよう腕や足を切りつけるので精一杯だった。


「遊兎都ッ!」

「わっ」


 気が付いたら蜜波知(みつばち)さんが後ろにいた。

 蜜波知さんは困惑していた。船内で躊躇なく殺していたのを見ているから、ボクの行動を不審がったのだろう。彼は瓦礫から見つけてきたらしい、混凝土(コンクリート)の破片を片手に応戦していた。


「お前、なんで殺さねえ」

「……すみません……」

「謝れってんじゃねえんだよ。理由を聞いてんだ」

「……相手は……一般の方なので……」

「……お前」

「蜜波知さん、うしろっ」

「っち」


 蜜波知さんは持っていた破片で思いっきり相手に叩きつけた。青年だった。頭から血を流して昏倒する。死んでいないといいのだけれど……。


「一般人だからってなんだ。殺されてもいいってのかよ?」

「そうじゃないですけど……殺したら戻れなくなる、気がして……」

「……」


 緊急事態だというのに。臆病なボクが、ボクの手足を引っ張っていた。

 彼らは紫乃盾に何らかの影響を受けているだけ。つまり、被害者である。

 だから、だから。

 だから――だから?


「遊兎都……?」


 だから、――なんだ。

 彼らが被害者? 馬鹿馬鹿しい。

 自分を殺そうとしているんだぞ?

 だったら殺すしかないだろう。

 生まれたところでお前は何を学んだんだ。

 ()()()()()()()()

 お前は、『暴君』の――


()()()()()()()()()()()()()()()()


「……遊兎都、おい!」


 ボクは殺した。

 人間を。

 邪魔をする奴らを。

 襲ってくるニンゲンを。

 人間を殺せる人間。

 殺人者。殺人鬼。

 ボクの父さんは、『殺し屋』。

 ボクには殺し屋の血が。


()()()()()()()()()()()、『()()()』。


「ユウ君、危ない!!」


 はっとなった。

 目前に、それが迫っていた。振り下ろされる銀色。

 落ちてくる。あれで、ボクの頭が割られて血が出て、死ぬ。

 ああ、死ぬ。ボクはここで。死ぬのか。


「仔犬」


 視界で銀色が弾けて、粉々に砕け散った。

 黒い影がボクの視界を覆っていた。


「仔犬。駄目だ、お前が死ぬと雨汰乃(うたの)が悲しむ」

「……唄爾(べに)さん」

「僕たちは雨汰乃を悲しませたくない。だから仔犬、お前を守る」

「……ボクを? 雨汰乃さんじゃなくて……?」

「雨汰乃の頼み事だ。だから僕はお前を守る」

「……」


 黒い影が割れた。露になる牙。牙が獰猛に輝き、迫りくる武器を次々と破砕した。武器を壊すと住人たちは自身の両手を呆然と眺めた。

 ――武器を奪うと無力化できる、ってことか?

 濁りかけていた思考が、徐々に透明さを取り戻してくる。

 ボクは地面にへたりこんだまま、唄爾さんに庇われていた。


「……すみません」

「謝るな。雨汰乃はそんなものを望まない」

「……」

「仔犬。お前は人を殺すのに躊躇いがあるのか、なぜだ」

「え?」


 がきん。ぐしゃ。べき。ぱりん。

 唄爾さんはボクの眼前からほとんど離れることがないまま、群衆を迎撃していた。

 時に武器を壊し、時にひとをも壊し。

 視界に血が飛ぶ。血が飛ばなくても、人体が飛んだ。

 なんだか悪い夢でも見ているかのように、現実感がなかった。

 唄爾さんという大きな影に覆われて、世界から隔絶されている気がした。


「なぜ……って」

「死ぬかもしれないのに、なぜ躊躇う。死にたいのか。雨汰乃が望んでいないから死なせることなどしないが」

「……逆に聞きますけど。唄爾さんはどうして殺せるんですか」

「どうして? どうして……だと?」


 唄爾さんが群衆の顔を掴み、そのまま横に引き倒した。鈍い音がした。死んでなければいいけれど、と眺めていると唄爾さんの顔が不意に近づいた。

 口の端を吊り上げて、笑っている。初めて見る笑顔だった。


「――()()()()()()()()()()()()

「……!!」


 それは人間を辞めた人間の顔だった。

 生物兵器――違う。彼は、怪物、だ。


 その時。

 ボクの耳をつんざくような、咆哮がした。


 はっと我に返ってボクは声のした方を見る。

 呆然自失の余韻を残したボクの視界に飛び込んできたのは――


「翠君……?」


 鬼気迫る表情をして紫乃盾に向き合う翠君の姿だった。

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