Ep.81「鋼鉄の卵は孵化する」
唄爾さんと呉綯さん。維央さんの子どもたち。
呉綯さんはガラスの壁を背にしてあぐらをかいていた。
唄爾さんはその横で影のように佇んでいた。
「ねえ、長々といろいろ話しているけどさ。結論、どうなったワケ?」
「一尺八寸呉綯……」
雅知佳さんの声には、明確な憎悪が宿っていた。
問いに答えられなかったことに呉綯さんは何も思わなかったらしい。こてん、と首を横に倒して「うん、そうだよ。俺ちゃんだよ~知佳ちゃん、お久」と言った。
「……貴様は維央を殺した……」
ありったけの憎悪がその一言に込められていた。感情をこれ以上出さないよう押し殺しているのが、ボクからでも見て取れた。
雅知佳さんの言葉を受けてもなお、呉綯さんは笑っている。「うん? うん、そーだね。殺したネ?」なんて冗談っぽく言いながら。
「……ッ」
空気がひりつく。しかし、雅知佳さんは動かなかった。
激情を堪えている――だって眼前にいるのは、自分の最愛を殺した最悪のふたりなのだから。
あんな風に死んだことをなんともないように言われれば、きっとボクなら頭に血が昇ってもうすでに手が出ているだろう。
呉綯さんは睨まれているのが不思議なようで、首をしきりに傾げながら「うーん? 怒ってる? 怒られてる?」と彼なりに考えていた。
それから、お手上げだったようで「わかんないなあ」と言った。
「ママちゃんがそうしてくれって言ったから、俺ちゃんたちは殺したのにね」
……え?
今、なんだって?
「なになに、みんな変なカオ~」
「呉綯……お前、今……なんて?」
「うん? 雨汰乃ちゃんどうしたの? かわいいカオしてる♡」
「違う! そんな話じゃねえ! ――お前、今、維央がそうしてくれって言ったか?」
雨汰乃さんが訊ねると、「そうだよ~」と呉綯さんが肯定した。
「ママちゃんが、〝もし私が化け物になってしまったらあなたたちが私を殺すんだよ〟って。ねえ、唄爾ちゃん」
呉綯さんが唄爾さんを仰ぎ見る。唄爾さんは微動だにしないまま答えた。
「ああ。ママが言っていた。万が一はすべて僕たちに任せると。そのときまで、どうか誰も殺すなと」
「そうそう。だからさー、俺ちゃんたち、いい子に誰も殺さないでいて、ママちゃんのことをちゃんと殺したのにね~?」
「ああ。だからどうして雅知佳がママを殺したことに怒っているのかわからない。僕たちは言いつけを守っただけなのに」
「ね~」
維央さんが事前に殺してくれと頼んでいた?
化け物になってしまったら?
それって……。
「全部わかっていたというのか……維央は……」
雅知佳さんの声はかすれていた。彼女の言葉を受けて、呉綯さんは口元を半月型にしたまま「うん」と無邪気に答えた。
「そうだよ。ママちゃんぜーんぶ、わかってた。でもわかってるってことがパパちゃんに知られたら、ぐちゃぐちゃにしたやつもせんせえも殺されちゃうから黙っているんだって。だからこの話はナイショだよーって」
呉綯さんの言葉に、唄爾さんが首肯した。
「言っていた。機会を窺っているのだと。でも最後まで自分は自分のやりたいを貫き通すのだと。僕たちにはよくわからなかったが、ママは幸せそうだった」
「そうそう。ママちゃん、幸せそうだったね。にこにこしてたね」
呉綯さんは、その時のことを懐かしむみたいに笑っていた。
全部、わかっていた。維央さんはすべてをわかったうえで。
「……維央は、……最初から……私たちを……生かす、つもりで……?」
雅知佳さんは混乱していた。
ボクも、混乱していた。
「〝私ひとりの犠牲で済むならそれが一番いい〟って言ってた。うーん? みんなどうしたの?」
「僕たちはもう飽きた。血が流れないのならここにいても仕方がない。帰ろう雨汰乃」
唄爾さんが歩き出すのにあわせて、「そーそーつまんない」と言って呉綯さんも腰を上げる。
ふたりがこちらに向かってくるさなかに、それは起こった。
どおんっと突き上げるような振動。そして続く、激しい横揺れ。
凛彗さんが素早く身を低くした。ぱらぱらと天井から破片が落ちてきた。
「え!? なに!?」
「……ユウ君、掴まっていてね」
「爆破されたか」
「わわわすごい揺れるるるる」
「雅知佳!!」
「皆さん!」
「クソ、なんだよいきなり……!」
「あはっなにこれすごー、おもしろ」
「……」
そうして、混乱するボクらを置き去りに無情にも建物は崩落した。
◇
「……う」
鈍痛がする。うつぶせに倒れていたらしいボクは、肘で自分の体を押し上げる。しかしうまくいかないことに気づき、続いてボクが誰かに庇われているという事実に行き当たった。
凛彗さんが、分厚い混凝土の破片からボクを守っていた。彼はボクの肩のあたりに顔を埋めて微動だにしなかった。
一瞬にして血の気が引く。
まさか、まさか、まさか――?
「り、凛彗さん……?」
恐る恐る声をかける。しかし反応がない。
うそ、嘘だろ? ウソだよな……?
「凛彗……っ、凛兄ちゃんっ? 凛兄ちゃん!」
何度も何度も呼びかける。凛兄ちゃんはぐったりしたまま動かない。
そんな、ありえない。そんなこと、あっていいはずがない。
このひとが、死ぬなんて。馬鹿馬鹿しいことが……。
目の前が真っ暗になりかけたそのとき、凛兄ちゃんが小さく痙攣した。それからゆっくりと頭を上げる。
「凛兄ちゃん……っ!」
「ん……うん」
凛兄ちゃんはボクを確認すると緩く笑った。
「ああ、ユウ君。……怪我はない?」
「ないよ! それよりも凛兄ちゃんは!? みんなは!?」
「わからない……。僕は、平気だよ。……大丈夫」
凛兄ちゃんの指がボクの目の下を滑った。知らぬ間に泣いていたらしい。ボクは乱暴に腕で目元を拭う。最近涙もろくなってしまったようだ。
凛兄ちゃんは身を起こすついでに背中に乗っていた瓦礫をどけた。土煙を上げて瓦礫が落ち、視界が開ける。あたり一面、建物の残骸に覆われていた。
どこか入口だったか、どこか待合室だったか、何もかもわからないくらい崩れてしまっている。
瓦礫の中から抜け出して立ち上がると同時に、誰かがやってくるのが聞こえた。
「――遊兎都! 凛彗! 無事かお前ら」
声がして、蜜波知さんが現れた。額から血が流れている。
ボクがそれを指摘すると「ああ、かすり傷だよ」と彼はニヒルに笑った。
「怪我は?」
「ありません、凛彗さんが庇ってくださったので」
「いや……僕だけじゃないよ」
「え?」
凛彗さんがボクの足元を見た。視線を追っていくといつの間にかそこにはネウがいた。
「あれっ、ネウいつの間に。大丈夫だったの?」
「……問題ねえ。いいからフードに入れろ」
「? うん」
ネウを抱き上げてフードにしまう。
「……ネウが君を庇ったんだ……その時、僕も一緒に庇ってね。……ユウ君が目を覚ます前に、彼はさっさと戻ってしまったから……」
様子を見届けていた凛彗さんが追加の説明をしてくれた。
つまりふたりがかりでボクのことを庇ってくれたということ。どうりでボクが無傷なわけである。
フードのネウに「ありがとう」と言うと、ネウは何も言わず尻尾を持ち上げて振った。
照れ隠しかもしれない。
「……なんか、悪ぃな」
蜜波知さんが、バツが悪そうに頭を掻いた。多分自分ひとり何もできなかったことを悔やんでいるのだろう。気にしなくっていいのに。いいひとなんだから。
だから、ボクは「いいですよ」と笑った。
こんなこと、予想外の出来事だし仕方がない。
それよりも先に確認することが山ほどある。
「それよりもほかのひとたちは? 翠君や皇彌さんは……」
「――僕なら無事だよ」
瓦礫の陰からひょっこりと翠君が顔を出した。皇彌さんも後ろにいる。どちらも目立った傷はなさそうだった。
「よかった。でも本当に大丈夫なの?」
「だいじょうぶ。僕の『繭玉』は頑丈だからね」
「『繭玉』……?」と聞き慣れない単語を復唱すると、皇彌さんが「『糸』で編む防御術のひとつです」と説明してくれた。あの一瞬で冷静に対処できるなんて、翠君はすごいなあ。
感心していると、皇彌さんの顔が不意に曇った。
「……ただ編むのにかなりの『糸』を消費しますので」
皇彌さんはそれ以上言わずに、心配そうに翠君を見遣った。ああ、そっか。体内で生成する『糸』だから、結局翠君の体に負担があるのは避けられない。だから、心配なのだろう。
当人は「全然問題ないよ、心配性だね皇彌さん」なんて言っているけれど、皇彌さんの心中はなんとなく察せる。
強いひとの「大丈夫」とか「問題ない」とか、強いからこそ気づかない瑕疵が存在するから怖い。
ボクも覚えておこう。とんでもない無茶しようとしたら止められるように。
ふたりは無事。あとあの部屋にいたのは――
「雨汰乃さんたちは?」
「たぶんあっち」
「あっち?」
翠君が指をさす方向を見ると、ごく小規模な人だかりができていた。黒い服のふたりと二色に分かれた頭髪が目につく。その様子が尋常でないのは遠目でもわかった。ボクらも慌ててそちらへ合流する。
「雨汰乃さん……っ!」
「雨汰乃ちゃんっ」
「……雨汰乃」
口々に雨汰乃さんを呼んでいた。
人だかりの中心を覗き込み、ボクの心臓が大きく飛び跳ねた。
仰向けに倒れた雨汰乃さんの脇腹から、真っ赤な血が流れている。
呼吸も荒いし、顔色も悪い。
死に、かけている。
「雨汰乃さん……!?」
近くで雅知佳さんが呆然と雨汰乃さんを見ていた。彼女に怪我はなさそうだった。一方で、雨汰乃さんは負傷している。
――状況だけ見て考えうるのは、雨汰乃さんが雅知佳さんを庇ったのだろう。
峰理さんが青い顔をしたまま、彼の状態を伝えてくれた。
「混凝土の鉄筋が脇腹を貫いたようです。出血がひどい……ある程度処置はしますが、きちんとした医療機関で診てもらわないと。……内臓が、傷ついているかもしれない」
峰理さんは止血を試みていた。傷口に当てているガーゼは真っ赤に染まっていて、吸い取り切れないそれが彼の手を汚していた。
「……どうして……私を……」
雅知佳さんは呆然と、雨汰乃さんに問いかける。
「……っは……どうして、か……」
ぜえぜえと荒い息の合間に雨汰乃さんは答えた。
「……偉大なる……友人、……だからな……」
「――!!」
雨汰乃さんは笑っていた。
死ぬかもしれない局面で、雅知佳さんを慮って笑っていた。
やさしいひとたちがこんな目に遭う。
やさしいひとが死ぬかもしれないなんて。
どうして、世界はこんなにも残酷なんだろう。
「雨汰乃ちゃんっ、せんせえ、ねえっ、雨汰乃ちゃん死なないよね!?」
「雨汰乃、雨汰乃。駄目だ……、死ぬなら僕も連れていけ。雨汰乃」
唄爾さんは明らかに動揺していて、呉綯さんは泣きそうだった。
ふたりとも生物兵器だなんてとても思えなかったし、単なる餌として雨汰乃さんの心配をしているようにも思えなかった。
本当にふたりは雨汰乃さんのことを……。
「うん? あ」
「どうしたの、翠君。なにかあ――」
言葉はそこで途絶えた。
時間が止まったような感覚がした。
異世界に迷い込んだような実感だった。
「……なにこれ?」
瓦礫の山を大勢の人間が無表情に取り囲んでいた。




