Ep.72「再会」
まさかの再会を果たしたボクらは近くの喫茶店に立ち寄った。
裏路地にあったこぢんまりとした古風なお店で、上等な珈琲の香りが店内を満たしていた。全員入ると窮屈だろうと凛彗さんと皇彌さんは入店しなかった。
ボクと翠君が横並びに座り、正面に『掃除屋』のふたりが同じように座っている。運ばれてきたのは珈琲ふたつと冷たいカフェオレ、あとはクリームソーダ。
各々一口ずつ味わってから、峰理さんが口を開いた。
「驚きました。まさかとは思ったのですが、凛彗さんの姿が見えましたので」
「ああ、そうですよね。目立ちますよね……」
「お元気そうで何よりです。暫く姿を見なかったから」
「ああ……」
『神霧教』で雅知佳さんとの交渉が決裂した後、ボクらはホテルに寄らず、そのままシジに向かったのだ。だから当然峰理さんに何も伝えられていない。
「いろいろあって。……すみません、ご心配おかけして」
「いいえ、ご健在であれば何も。――そちらの方は?」
峰理さんが翠君を見る。翠君はクリームソーダの上の、アイスクリームをつつく手を止め、峰理さんに向き直った。
「初めまして、僕は纐纈翠玉と申します。どうぞ、お手軽に翠君とお呼びください」
「纐纈……?」
「はい、纐纈です」
「……そう、ですか」
翠君の自己紹介に何か思うところがあるのか、峰理さんは神妙な顔になった。もしかしたら、纐纈一族の境遇に思うところがあるのかもしれない。雨汰乃さんの体の秘密を知っているくらいだから、翠君たち一族がその整った相貌でどういう目に遭っているか、知っているのだろうか。
少しだけ間を置いて、「私は羽詰峰理と申します」とにこやかに返した。
「峰理、さん。……ふうん。ゆと君の友だち?」
翠君がボクを見るので、頷いた。
「うん、そうだよ。『便利屋』でいろいろお世話になってね。包帯も融通してもらって」
「へえ……」
翠君が品定めするような視線を峰理さんに送った。
もしや皇彌さんの言っていた〝雑魚か〟〝雑魚じゃないか〟を見極めているのかな……?
ちょっとハラハラしていたが、翠君は特に何も言わず「よろ」とだけ言って、隣に目を移す。
そういえば慈玖君は翠君と年が近いはずだ。
「この子は慈玖君だよ。確か十八歳だったっけ」
「……ああ。……まあ。……そうっす。……阿弥陀仇、慈玖っす……」
お、ちゃんと自己紹介している。
峰理さんに言われたのかな、なんてしみじみしていると、
「――え? なに? あみだくじ君?」
「……あ?」
翠君の聞き間違いに、慈玖君が青筋を立てた。
あれ、同世代だから仲良くなれるかも……とか思ったのだけれど。
「じ、く、だ。……っち」
「ふうん」
「あ?」
「君の名前なんかどうでもいいなあ、って」
あ。
「てめえ……、気に食わねえ目ぇしやがって」
「はあ? なに、突然キレだして意味わかんないだけど。短気ナンダネー」
「……て、め、え……」
あ、あ。
これは、まずい。
なんか慈玖君の後ろに般若の面が見えた気がする。
気のせいだけど、錯覚だけど。
でも、そんな鬼気迫る感じだった。
「――もういい、コロス」
「は?」
慈玖君が立ち上がる。同時に翠君も立ち上がった。
あ、慈玖君の方が、背が高いんだ。
――じゃない、そうじゃない。
「――慈玖!!」
「わー! 翠君、だめだめだめ!」
慌てて、ボクと峰理さんが仲裁に入った。
これはだめだ、根本的に相性が良くないっぽい。
峰理さんに諭されて、慈玖君の怒りはひとまずは治まったらしい。よかった。
翠君も不承不承って感じだったが、身を引いてくれた。
ふたりとも根は素直でいい子なのである。
「失礼いたしました。どうも短気で仕方がない……」
「……」
「い、いえこちらこそ。……翠君、だめだよ」
「……先に言ったのはあっちだよ……」
口を尖らせて翠君が文句を言ったけれど、「それでもだめ」と念押しすると、「……わかった」と拗ねたまま返事をした。
慈玖君は不貞腐れて、体ごとそっぽを向いてしまった。子どもっぽいと思ったが、慈玖君はまだ十八歳。難しいお年頃なのだろう。
「申し訳ありません、こちらもよく言い聞かせますので……」
峰理さんが平身低頭に謝るのでボクは首を振った。
――閑話休題。
「峰理さんも、雅知佳さんに招待されたんですか?」
訊ねると峰理さんは一瞬息を呑んだ。そして意を決したように頷く。
「えっ。……ええ、正直招待状が来た時は驚きましたけど……」
何を求めて雅知佳さんが峰理さんを呼んだかはわからない。
維央さんは彼のことを優秀な科学者だと言った。その気になれば世界中の誰をも幸せにできる力がある、と。
だからその頭脳、だろうか。
「……遊兎都君も雅知佳さんとお知り合いだったんですね」
峰理さんは無理矢理笑みを作って、ボクに訊ねた。
明らかに取り繕っている。
「あ。……ええ、まあ。ザイカにいた頃、お世話になって」
「そうですか。……私もガクカにいた頃に」
「……」
「……」
どうしよう、なんて切り出せばいいのか。
雨汰乃さんから話は聞いているけれど、あの時、雨汰乃さんははっきりと人名は口に出していない。ボクが峰理さんを裏切者だったと知っているのは、維央さんに会ったからである。
だからその事実を伝えるためには、維央さんに夢で出会ったことも伝えなければならないのである。元科学者である彼に、そんな荒唐無稽な前提を信用してもらえるだろうか。
でも、異能のことは信じてもらえたし一縷の望みはあるのでは。
一か八か。
「……あの、峰理さん」
「……はい」
「ボクら実は雨汰乃さんの知り合いで」
「えっ」
峰理さんの顔色が変わった。
「雨汰乃さんにはお世話になったんです。それで、ここに来るのも雨汰乃さんが」
「あ、……ああ。そうだったんですね……そうですか……雨汰乃さんの……」
峰理さんの視線が下を向く。どこか恐れているようにも思えた。
維央さんは言っていた。彼は自分を責めている、と。
自らの罪が暴かれると思って怖がっている。でもきっとそれすら峰理さんは罰だと甘んじて受け入れるだろう。
果たしてそれでいいのか。いいわけがない。
維央さんはとても悲しそうだったから。
ボクは女王になる。
だから、多少の我儘は許されてしかるべき。
傲慢さもまた、ひとつの素養である。
「それで……その。雨汰乃さんから、話を聞きました。――維央さんという、ひとのこと」
「――ッ!!」
峰理さんが弾かれたように顔を上げた。驚愕と恐れ、そして怯え。あらゆる感情が赤い目に押し込められている。
気配で察した慈玖君が咎めるような視線をボクに向けたのがわかったが、今は無視した。
言わなくちゃいけない。
「そのひとはたくさんのひとに愛された方だって言っていました。そして――世話をしたひとに裏切られたってことも」
「……ッ……」
「その裏切者が……あなただ、ってことも」
がたんっ! と音がしてボクの体が宙に浮いた。慈玖君がボクの胸倉を掴んだのだ。
慈玖君は怒っている。まさか峰理さんがそんなことをするはずないと、思っているからだろう。
峰理さんのやさしさを一番に感じているのは、きっと彼だから。
「いくら……、いくら遊兎都さんでも、……許さねえぞ……!!」
引っ張り上げられて、目と鼻の先に慈玖君がいた。
目のなかに、炎が燃えている。怒りと愛情と正義感を綯交ぜにした、眩しい光。
慈玖君が峰理さんを深く想うゆえに激昂としているということがありありとわかった。
だから恐ろしくはなかった。
「慈玖君、ごめんね。でもボクは――」
「――活きのいい雑魚だな」
ボクの声と、底冷えするような声が重なった。
翠君である。彼の目は殺意に満ち溢れていて危険だった。
彼は立ち上がると、慈玖君の手首に自分の手を乗せた。
「そのひとを庇うのは勝手だけど、ゆと君に何かしたら許さないよ。おまえの関節、全部外してやるからね」
「あ……?」
「いいから手を離せよ、雑魚」
「てめえ……! さっきから雑魚ザコって――」
「翠君だめだってば!」
胸倉を掴まれたままの状態で叫ぶと、ふたりが同時にボクを見た。
慈玖君も翠君も少しばかりの間を置いて、お互いに引いた。慈玖君がボクを投げ捨てる。
翠君はボクに、慈玖君は峰理さんに寄り添う。
襟元を正すと、再び峰理さんに向き直った。彼の顔色はあまり良くなかった。
「――ボクは維央さんに会いました。夢のなかで死んだ彼女と話をしました。彼女は言っていた、〝峰理のことを、責めないであげてね〟って」
「……」
「峰理さんはとても優秀で、維央さんの旦那さんのもとにいなければ世界中のひとを幸せにできると。でも押しが弱くて、ひととこじれるとうまく修復できないって。でも峰理さんのしたことは間違いじゃないって、峰理さんの人生だからって」
「……」
「――ボクの言っていること、嘘だと思いますか」
峰理さんは俯いていて表情が伺えなかった。でも、彼は静かに首を横に振った。そして、ゆっくりと顔を持ち上げる。
峰理さんは、泣いていた。
「……いいえ……」
「峰理さん……!」
慈玖君が慌てている。ボクも峰理さんが泣く姿を見るのは初めてだ。
彼は頬から伝う涙をそのままに、口を開いた。
「……宮雲……いいえ、一尺八寸博士は……慈悲深い、方でした。……科学を、本当に未来のために……使おうと……尽力されていらっしゃいました……」
ぽつりぽつりと峰理さんは語り出した。
彼と彼女にまつわる、贖罪の過去を。




