Ep.71「娯楽」
一通り食事が終わり、食休みの時間。
翠君だけ、甘味を堪能していた。翠君の前には丸く削り取られたアイスクリームののったあんみつがある。求肥も白玉もたんまり入っていて、フルーツも盛りだくさんだ。翠君は一口運ぶたびにすごく幸せそうな顔をしていた。
そんな彼を見つつ、ボクは膝の上ですっかり寝入っているネウの背中を撫でながら考えていた。
これからのことを。
「……」
雅知佳さんに会って伝える。維央さんが伝えたかったことを。
――でも、不安はある。
だって雅知佳さんにとって維央さんは大切なひとだ。そのひとと夢で会ってこんなことを言われた、なんて到底信じられることじゃない。
ホクロのことだって、もしかしたらハニーBの情報網から知ったって思われるかもしれない。
段々、自分のやろうとしていることがとんでもなく無謀なことなのではないかと、心配になってきた。
緑茶の苦みにほっとしていた胸中を、あの黒い蟠りが占拠した。
ふと、幸福な顔をしている翠君に目を遣る。宝石のようにきらきらした目とボクの目が合う。
「? ほうかひた?」
「翠玉」
口に入れたまましゃべったのを皇彌さんに咎められ、翠君が不満げに嚥下した。
それから「どうかした、ゆと君」と言い直した。
「翠君……。言ったよね? 船で、〝良くないことが起こる気がする〟って」
「うん、言ったね」
「それってさ」
「うん」
「……雅知佳さんに関すること? それともボクらに関すること?」
「うーん」
翠君は一度上のほうに視線を向けてから、「どっちもかな」と答えた。
「どっちも……ねえ、どうしてそう思うの?」
翠君は盛り付けられた蜜漬けの桃を口に放り、今度はきちんと飲み込んでから話した。
「――『紫乃盾』の気配がするから」
「え!?」
全員が翠君を見る。当人は気にせず、あんみつを食べ続けていた。
「『起動』したっぽいからわかるんだ」
「き、『起動』? 彼は機械か何かなの?」
『遠瀧電工』がひとの形を模した機械――アンドロイドというらしい――を開発しているというのは、実しやかに囁かれていた噂だ。もしや、それだっていうのか?
ボクの問いに、翠君は首を振って、「ううん、そうじゃないよ」と否定した。一安心だった。
凛彗さんは焦れたのか、「……はっきり言ってくれない?」とやや凄んで翠君に説明を求めた。しかし、翠君は、どこ吹く風であんみつを食べ続けていた。凛彗さんが殺気立つのがわかったので、ボクは慌てて彼の手に手を重ねた。はっとなって凛彗さんは「……ごめんね」と詫びた。
翠君は何か知っていて、わかっている。きっと、ボクらというよりも『紫乃盾晴矢』という存在に関する重要事項なのだろう。
いつの間にか起きていたネウが、「やはり……」と呟いていた。
――この平穏は風前の灯火なのだ。
ボクのこういう勘は一等当たる。
◇
気まずくなった食事を終え、店を出てすぐ翠君が「洋服が見たい」と言い出した。自由人の翠君らしい提案だ。彼はおそらく状況にあまり動じていない、寧ろ楽しんでいる風にすら見える。
「ゆと君、あそこのお店。かわいい、ゆと君に似合いそうだよ」
「あ、え、ちょっと!」
翠君がボクの手首を捕まえて駆け出すから、引っ張られるようにしてボクも走り出した。背後で再び殺気立つ凛彗さんを感じたが、こればっかりはどうしようもない。皇彌さんがうまくフォローしてくれていると、助かるのだけれど……。
翠君の見つけたお店は紳士服専門店のようだった。トウキョウにもこういう店があるが、大抵盗品で、しかもぼったくり価格である。でもここは価格も品質相応って感じだったし、縫製もきれいだった。
大きさも豊富で、ボクのような低身長にもやさしい品揃えである。
店員さんは何人かいて、いずれも女性だった。彼女たちはボクらを見つけると「いらっしゃいませ」とにこやかに挨拶した。
「ゆと君は袖、あった方がいい?」
「え? 袖?」
「そう、袖。僕はないほうがいいんだよね、ムズムズするから」
「そうなんだ……ボクはどっちでもいいかな。あ、でも。長袖は嫌かも、包帯を巻くから」
「りょ。それじゃあ半袖のがいいね」
翠君はかけられた洋服をいろいろ見繕い始める。
ちょっとしたフリルのついた豪奢なやつとか、ベルトが多用されたパーカーとか、襟の立った大人っぽいやつとか――とにかく片っ端からボクに当てては首を捻り、顎をさすって元に戻していた。
「す、翠君……」
「うん? なに? うーん、ちょっと派手かなあ……?」
「……翠君、もしかして洋服って自分のじゃなくてボクの選ぼうとしているの?」
「え? そうだよ? 僕たちの服はお抱えの仕立て屋が作るからね。でもゆと君は違うでしょ?」
「あ、あぁまあ……うん」
「友だちと買い物するの夢だったんだ。うれしい」
「……あ」
嬉しそうに笑う翠君を見て、不意に翡翠さんとの会話を思い出した。
翠君は、同年代の友だちを作ることができなかった。
そうか、ずっと翠君はひとりだったんだ。
でもボクも友だちとこうして買い物に来るなんて、初めてだし。
たとえこれが虚構であっても、いつか崩れ去るものなのであっても――
今この瞬間は、楽しんだって罰は当たらないか。
「あ、ゆと君。これなんかどうだろう」
「翠君」
「うん?」
「楽しもっか!」
翠君が一瞬驚いた顔を見せたが、「うん」と満面の笑みを浮かべた。
◆
「……強かだね、彼は」
「あの子の態度がそうさせるのでしょうが、あれは下心のない本音ですよ」
「……」
「彼もまた孤独だった。たとえそれに耐えうる強靭な精神力を持っていたとしても、寂しいと感じないわけではありません」
「……」
「人は人のぬくもりを知った瞬間に、弱くなる生き物です」
「……それは、なんとなく。……わかるよ」
◆
「ごごごめんね……」
「ううん、楽しかったし。全然問題ないよ」
あれだけ頭を悩ませてくれたのに、ボクが結局決断できなくて何も買わずに終わった。店員さんは嫌な顔ひとつせず見送ってくれたけれど、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
選べる立場にあったことが少ないから、選択肢が大量にもたらされると目が回ってしまうのである。結果混乱して――このザマだった。
そういうボクを見かねた翠君が「今度にしよっか」とお開きにしてくれた。
「皇彌さんたちも見ればよかったのに」
店の外で待っていた皇彌さんに翠君が言うと「十分に備えがあるので必要ありません」と答えた。凛彗さんは無視。翠君は気にしていなかった。
「同じようなのばっかじゃん」
「色はな。柄はひとつひとつ違うものです」
「へえ、そうなんだ。でも、黒じゃわかりづらいよ。たまには赤とか取り入れたら?」
翠君の提案に、皇彌さんの眼光が鋭くなった。
「死んでもお断りです。――赤はあの女が好んだ色なので」
傍で聞いていたボクですらわかる、あからさまな殺意。
前に翠君がちらっと言っていた、皇彌さんをいじめていたという家族のことだろうか。発案者たる翠君はさして変わらない様子で、「ああ、そっか。それじゃあダメだね」と応じていた。
そんな風に会話を交わすふたりを見ていると、肩を叩かれた。驚いて身構えたが、その心配はなかった。
そのひとは白い髪をひとつに束ねて、ひとのよさそうな赤い目を細めていた。着ている服は神父服のようだけれど、彼は神父ではない。
もうひとりは紫色の短髪で、耳にも顔にもたくさんピアスをつけている青年。腰に巻いた、ふだんは刃物だらけの革ポーチは空っぽだった。
「え、あ……峰理さん!?」
「こんにちは、遊兎都君。もうこんばんは、の時間でしょうか」
「……ども」
そこにいたのは『掃除屋』のふたりだった。




