Ep.70「食事」
観光せよ、とのお達しなのでその通りにしようか、となったのはお昼ごろだった。
そういえばちゃんとごはんも食べていない、だったらご飯を食べに外に出よう――となったので。
ボクと翠君は、雨汰乃さんの部屋に向かった。
こんな機会は滅多にないし、たまには昔みたいに三人でごはん食べたいなと思ったのだけれど。
「俺は行けねえ」
部屋から出てきた雨汰乃さんは、首を振って断った。
「え……」
「あいつらが住人に何をするかわからんからな。悪いが、お前らだけで行ってくれ」
「……そう、ですか」
雨汰乃さんが後ろを振り向く。兄弟は部屋で大人しそうにしているが、外に出ればそうとは限らない。好奇心旺盛なふたりが何に興味を抱いて何をしでかすか――暫く一緒に暮らしていたボクらだって予想がつかないのだ、雨汰乃さんの憂いはもっともである。
考慮できなかった自責と一緒に出かけられない残念な気持ちとが綯交ぜになって、自然と視線が下を向いた。すると雨汰乃さんが、ボクと翠君の頭を撫でた。
「――だから。帰ってきたら土産話、よろしくな」
気を遣ってくれたのだ。
微笑む雨汰乃さんにボクらは顔を見合わせ、声をそろえて「はい」と答えた。
◇
『都入り』した時よりも、通りの賑わいは増していた。ショーウインドウに収められた洋服に話を弾ませるひとや、携帯端末を片手に慌ただしく走り去っていくひと、手を繋いで仲良く歩く兄弟――様々な人間模様が垣間見えた。
食事に選択肢があるというのが初めてだったので、随分迷ったが最終的に「あんみつがある」ということで、『和食』になった。
飲食店の店員さんはボクらを見て驚く様子もなく、にこやかに席まで案内する。案内された席は『座敷』で、靴を脱いで座るタイプのものだった。襖を閉じるとすっかり個室になる仕様だった。
「お決まりになりましたら、お声がけください」
店員さんはそう言って、襖を閉めて下がる。本当に異世界に来たみたいに、落ち着かない。
最先端の技術があるとこうも違うものなのだろうか。
静かになった部屋で翠君はボクの横を見ながら、
「ハニーさんも来ればよかったのにね」
と呟いた。
蜜波知さんも誘ったが、どうやらハニーBとしての仕事が忙しいようで「こっちでテキトーに済ませる」と言って来なかったのだ。
「一応ここは敵の本拠地ってことになるからね。それにエデンのプログラム管理は『遠瀧電工』が担っているわけだし……いろいろ気がかりがあるんだと思う」
「ふうん、大変だなあ」
「お前はもう少し緊張感を持ちなさい」
「えぇ」
隣の皇彌さんに注意されて、翠君は口を尖らせた。皇彌さんは割と真剣にメニュー表を眺めていた。さながら新聞を読むみたいに。
ボクもメニュー表に視線を落とす。
どの食材にも偏りはなく、そしていずれもトウキョウで見たことのない料理ばかりだった。
「あんみつも随分種類あるね。お。これなんかアイスクリーム乗ってる、すごいなあ」
翠君はほのぼのと甘味のページを見ながら呟く。言われてみれば甘味の種類もたくさんあった。
目移りしそうなほどの料理の量だが、さほど高いわけでもない。寧ろこの金額設定でこの店は儲かるのか心配になるくらいは、安い。
「久遠寺雅知佳は幼少期食事で苦労としたと聞いています。空腹であると人間は正気を保つのが難しいから、食事こそいの一番に改革したいところである――と以前、我々がまだ『活動員』のころに言っていましたよ」
「……そんな話を?」
「『三大規格外』の中で私が唯一情に訴えられそうだと踏んだのでしょう。残念ながら、私は他者の不幸に微塵も興味がないので、意味を為しませんでしたが」
皇彌さんは眼鏡を持ち上げた。
ザイカの治安を維持するために組織された『治安維持活動員』。これには『階級』制度があって、この『階級』が上がれば上がるほど、活動の幅が増えた。要するに活躍すればするほどに、お金が多くもらえたのだ。
ふたりはそのうち、最高階級よりも上――『規格外』の名を冠していた。文字通り、実力を制度内で留めることができない、という意味だ。この『規格外』を冠するのは彼らと一尺八寸兄弟のみ。だから行く先々で彼らは、羨望と畏怖の目に晒され続けていた。
あらゆるものを圧倒する暴力、技能、異常性。右に出るおろか、前にも後ろにも出ることができない最強たちは、まとめて『三大規格外』なんてあだ名をつけられていた。
ボクらに出会う前の詳細な『活動』については知らないけれど、『三大規格外』にこなせなかった『活動』はないと聞いている。
頂点に君臨する彼らを、他の『活動員』は神のように崇めていたが、当人たちは鬱陶しげだったのを覚えている。
「雅知佳さんのこと、やっぱりずっと危険だって思っていたんですか?」
皇彌さんに訊ねると、彼は少しだけ視線を彷徨わせてから「いいえ」と首を振った。
「やり方はあまり褒められたものではありませんが、やろうとしていることは間違っていない。ただし理想を求める過程で、牙をむくというのなら――」
黒い目が、見据える。
底の見えない深淵を覗いているような心地になる目だった。
「容赦はしません」
ボクは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
雅知佳さんは理想を追い求めている。だからこそ、力を欲してボクらの前に立ちはだかる。
だからといって容易く首を差し出すことはできない。抗う。
それが、生きるということだから。
「……それはそうとしてさ」
「うん」
「何食べるか、みんな決まったの?」
「あ」
全然考えていなかった。
◇
ボクは海鮮丼、皇彌さんはホッケの開き定食。翠君は肉うどんで食後にあんみつを頼んでいた。凛彗さんは――肉、魚、野菜の料理を一品ずつ。小鉢とかではない、すべて定食である。三人分の食事が凛彗さんの前に置かれている。最初、運んできた店員さんが目を白黒させていた。ボクも同じ気持ちだった。
皇彌さんは「お変わりないようで」と言って慣れているようで、翠君はそもそも興味がなさそうだった。
「凛彗さん、結構食べるんですね」
料理をしげしげと眺めていた凛彗さんが顔を上げた。
「……ああ、うん。……あまり、言っていなかったね……」
「いえ。あれ、でも……。もしかして、ホテルの料理足りませんでしたか……?」
『ラビットホール』をやっていた頃、凛彗さんがこれだけ食べる姿は見たことがない。ボクは基本三食で事足りてしまうし、なんなら、一食ぐらい抜いてしまっても問題なかったので、そこまで食事には頓着していなかったのだけれど。
本当はおなかを空かせていたのかな……。なんだか申し訳ない。
「……? ……ううん、大丈夫だよ。僕は君の食べる姿で……おなか、いっぱいになっていたし……」
「えっ」
「……ユウ君の食べる姿は、なんだか小鳥が餌を啄んでいるみたいで……可愛いから……」
「あ……そ、そうですか……」
なんとも言えない気持ちを抱いたまま、海鮮丼に目を移す。マグロにサーモン、タイにイカにエビと色とりどりの魚介類がきれいに盛り付けられている。なかなかよそではお目にかかれない豪勢さだ。
海鮮丼の隣には味噌汁がついていて、具材は海苔だけのシンプルなものだった。
いただきます、と各々号令をかけて食事を開始した。
途中、翠君が「うどんがもちもちしてて、ゆと君のほっぺたみたい」と発言して凛彗さんと冷戦状態になったが、皇彌さんが喝を入れてくれてなんとかなった。
ボクは個室の扉が開かないか確認しつつ、ネウに魚を与えていた。わさび醤油は平気みたいで、「んみゃ……」とか「なァん……」とか可愛い声を出して食べる姿は、なんだかほっこりした。




