Ep.69「異郷」
そこはまるで、異世界のようだった。
「……想像以上だ」
あちこちに背の高いビルが並び、歩いているひとたちは最先端の技術を纏って溌剌と闊歩している。ボクらになんて一瞥もくれない。他の街に入ると大体よそ者が来た、という目で見られるけれどそれがなかった。
舗装された道路には車が行き交い、警邏する『都市軍』が道に迷ったらしいひとを案内していた。女性のほうが多いのかなと思いきや、そういうわけでもなさそうだった。『都市軍』は皆男ばかりのようだけれど、住人はその限りではない。家族連れ、カップル、年端のいかない少年少女――老若男女問わず誰もがボクらの横を通り過ぎていった。
街は平和な賑わいで包まれている。身元不明の死体も、猫撫で声で擦り寄ってくる売人もいない。
ボクの知るザイカの面影など、どこにもなかった。
「久遠寺雅知佳の手腕は確かだった、ということですね」
皇彌さんが言う。
本当に、その通りだ。
たった二年でこれほどまでにザイカを組み替えた。てっきり表面上だけかと思いきや、結構根本にまで手が加わっている。
確かにここまで治安が良ければ、わざわざ外から前科者を入れたくはないだろう。招待制度なのも頷ける。
変わりように唖然としているボクらに蘇中部さんが向き直る。
「雅知佳様は公務で現在非常にお忙しくていらっしゃいます。ですので、皆様とお会いできるのは三日後の午後になります。それまでは、皆様に観光を楽しんでほしい、と雅知佳様はおっしゃっておられました」
「え? 観光……ですか?」
ザイカでついぞ聞くことのできなかった単語である。
観光でなんて来てみろ、身ぐるみ剥がされて明日にはもう道路に転がっているような場所だったのに。
「はい。神の都市と自称するエデンを是非ご堪能ください、とのことです。何かお困りごとがあれば、警邏の者にお尋ねください」
「……」
彼女は当初の敵意をどこへやら、親しみを感じる笑みを浮かべて言った。
言葉を失うボクらを無視して、蘇中部さんは「本日はお疲れでしょうから、先に宿にご案内します」と案内された宿泊施設もこれまた、立派だった。
『和風』をこれでもかと使ったお屋敷で、『旅館』というそうだ。
部屋はボクらと翠君と皇彌さん、雨汰乃さんと一尺八寸兄弟で用意されていた。
利用料金に関しては無論タダ。風呂は露天と大浴場があり、大浴場は男女で時間交代制。食事は大広間で、食事の間にその間に布団を敷いておく……などなど。
最後に「ごゆっくりとお寛ぎくださいませ」と使用人頭と思しき女のひとがにこやかに告げて、出て行った。
ふう、と息をつく。
「……好待遇すぎて目が回りそうだよ……」
「まったくな。お、酒あるじゃん、これもタダか?」
「なんだかんだノリノリじゃないですか蜜波知さん……」
置かれた小さな冷蔵庫を覗き見ながら蜜波知さんが言う。部屋は走り回っても支障ないくらい広かった。畳敷きにテレビがあり、服を収納するクローゼットもある。一区画が絨毯になっていてその部分に二人掛けソファが小さな机を挟んでコの字に並んでいた。
「……」
凛彗さんは神妙な顔つきのまま、壁にもたれて座っている。
いろんな感情が駆け巡っているのだろうなと思って、ボクはそっと隣に腰かけた。
「……凛兄ちゃん」
ボクに気づくと、凛兄ちゃんは微笑んだ。
「……ああ、ごめん。……さすがに僕も、驚いてしまってね……」
「そう、だよね……。ボクも……驚いているよ」
治安がいいのは悪いことじゃない。いいことのはずなのに。
二年という短期間でこうも変わってしまうと、喜びより先に驚きと気味悪さを感じてしまう。
統制された平和、統治された平穏。暗い影のない、真っ白な光を浴びた街。
それが逆に、不安を掻き立てていた。
「平和になることってとてもいいことだと思うのだけれど……なんでだろう、なんだか……ぞわぞわするっていうか……」
「――不気味だよね」
「わ!?」
見れば部屋の入り口に翠君がいた。後ろに皇彌さんもいる。
翠君が驚いて固まるボクを見て、きゅっと眉をひそめた。
「あ……。ごめんね、もしかしてお邪魔した?」
「う、ううん! 大丈夫。ごめん、大きな声出して」
「そう? だったら上がってもいい?」
「え? あ、どうぞ?」
翠君は畳敷きに上がってきた。皇彌さんは「失礼いたします」と丁寧に頭を下げてから入ってくる。靴が揃えられていなかったのか、翠君に向かって「行儀を疎かにするんじゃありません」と注意していた。当人はぺろっと舌を出して誤魔化していたけれど。
翠君は勝手知ったると言わんばかりに部屋の窓を開けた。風が吹き抜けてエデンの空気を運んでくる。いやな香りはしないけれど、やっぱり全然知らない街の香りがした。
「……遠慮を知らない子だね」
凛彗さんがぼそっと言った。不機嫌さが滲み出ていて、ちょっと心配になった。
いつどこで何があったのかわからないが――凛彗さんと翠君、どうやら仲が悪いらしい。
うう、困った。
友だちと恋人。天秤にかけられるはずもないふたつの大切な存在。
でもボクがふたりが大切だとて、ふたりにとってお互いがそうであるわけではないし。
蜜波知さんと凛彗さんだってする時は意気投合するのに、結局朝起きたらなんだかんだ口喧嘩しているし。
うーん、難しい……。
「ゆと君」
「え?」
「眉間にシワが」
「あ」
とん、と眉間をつつかれる。
翠君の距離の近さに、凛彗さんが殺気立つのを感じた。
「駄目だよ、可愛い顔が台無し」
「へ」
「ゆと君はもっと自分のことを知った方がいい。君はね、すごく可愛いんだよ」
「は」
「僕も最初見た時、天使かなって思ったもん」
「う?」
「はは、なにそれ面白い」
く――口説かれているのこれ? え、口説いているの?
なに? なにが起こっているの……!?
翠君がにこにこ楽しそうだから水を差すのも悪いし、かと言ってされるがままだと凛彗さんが怖いし。
助けを求めて皇彌さんを見ると、彼は既に行動を起こしていた。
首根っこを掴んでボクと翠君を引き剥がしたのである。
「ぐぇ」
「再三注意したはずですが、翠玉」
皇彌さんは翠君を真横に放った。そのまま無様に着地する――ことはなく、器用に受け身を取って皇彌さんを睨んだ。
いつの間にか冷蔵庫から缶ビールを取り出して作業している蜜波知さんが、かすかに身を引いたのが見えた。ちゃっかり飲んでいるし。本当に異次元の肝の据わり方だ。
「大変申し訳ございません。これは言うことを聞かないもので」
「……い、いえ。……なんていうか、その。……こちらこそすみません……」
恋人が他人を口説いている場面なんて、きっと皇彌さんの心証も悪いだろう。
しかし皇彌さんは面食らった表情をしてから、「いえ」と柔和に微笑んだ。
「翠玉は基本的に他人を見下している人間でしてね、大体〝雑魚〟か〝雑魚でないか〟で他人を区別するんです。ですが、――あなただけは全くの別枠だった。だから執着があるんです、凛彗に対し対抗意識を燃やしているんですよ」
「は、はあ……」
〝雑魚〟か〝雑魚ではないか〟とは。とんでもない選別方法だった。
だからって翠君を見る目は変わらないけれど。
「ちょっと、皇彌さん!!」と翠君が慌てて皇彌さんに向かってきた。皇彌さんは翠君の方を見ることもせず、慣れた手つきで押さえ込んだ。片手で彼の顔を鷲掴みにして。
翠君は顔を押さえられて前に進めず、両手をぶんぶん振り回して暴れていた。
「お゛う゛み゛さ゛ッ」
「暴れるなクソガキ。――凛彗はあなたの傍にずっとついている。どうやらこれには、そのことが気に食わないようで」
「え、あ」
「……ッおい、ガキ。大人しくしていろ、頭を握りつぶされたいのか?」
「た゛っ゛て゛え゛っ」
「お前の意見は聞く価値がない」
「お、ぅぼ……うだ……ッだ、だだッ」
「――ああ、失礼。どうにも、聞き分けが悪くて仕方がない。私も苦労していましてね」
こちらを慮りつつ翠君を制圧している姿は、毛を逆立てて噛みついてくる猫をたしなめているみたいに見えた。
それに、いつも丁寧な敬語しか聞いたことがなかったから、粗野な物言いが新鮮である。
これが、翠君が言っていた、〝ふたりきりの時の皇彌さん〟なのかな。
――というのが、顔に全部出ていたらしい。
「? 口調の事でしたら、お気になさらず。できうる限り崩さぬよう努めておりますが、難しいですね。これがあまりにも手を焼かせるもので……」
皇彌さんが、ボクに気遣って言ってくれた。
翠君はお構いなしに暴れ続けていた。噛みつくような仕草もしているし、腕を引っ掻き始めもしている。とうとう皇彌さんも限界なのか、大きく舌打ちしてから翠君の顔を持ったまま、後ろに引き倒した。そのまま馬乗りになったついでに、強烈な頭突きを食わらせる。
ごちん! という明らかに無事では済まされないような音が響いて、翠君はそれきり動かなくなった。白目を剥いている。この間、一分もなかった。三十秒くらい。
――え。
「……苛烈だね、皇彌君」
凛彗さんは笑いを堪えている。ボクは少しばかり呆然。
「これくらいしないと止まらないんですよ、これは」
皇彌さんは仰向けで気絶している翠君を見ながら言った。
「……本当にお前は好かれるな、遊兎都」
フードの中から声がした。ネウである。
「そう……だね。ありがたいことに、ボクが大切にしたいと思っているひとたちは、みんなボクのことを大切にしてくれているよ」
得難いものである。
だからこそ、ボクは守りたいと思う。
この光にあふれる世界が虚構で終わらないように。
この幸せが幻のように消えていかないように。
たとえこれが、嵐の前の静けさだったとしても。




