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Ep.61「陽だまりに包まれる夢」

 ざざん、ざざん。

 ざざん、ざざん。


 聞き慣れた海の音がする。やわらかい砂の感触に、ボクは目を開いた。

 ここは、――ボクの夢の世界だ。

 遠くに見える流木に誰かが座っている。その人影はボクが知るひとではなかった。

 白衣を着ていて、遠くから見てもわかる黄色と青色のツートンカラーの髪を三つ編みにしてひとつにまとめている。どうやら女のひとだ。

 ボクははっとなって駆け出した。近づくと、腰かけているそのひとはボクを見て微笑んだ。


「やあ、初めましてだね。君が、(そよぎ)遊兎都(ゆうと)君?」

「……あなたは……」

「あれ、雨汰乃(うたの)から話を聞いてない? 私は、宮雲(みやくも)維央(いお)だよ」

「あなたが……」


 このひとが、雨汰乃さんと雅知佳(まさちか)さんの大切なひと。

 いなくなったはずのひとがどうして、ここに?

 というかボク、どのタイミングで寝たのだろうか。そのあたりの記憶がぼやぼやしている。


「特別なんだって。こんなこと滅多にしないから一回だけだよって、言われちゃった」

「へ?」


 思案に耽ろうとしたボクの耳に、維央さんのやさしい声が届く。

 特別? 維央さんを見ると無邪気な子どものように笑っていた。


「ふふふ、向こうにも偉いひとっているんだねえ。でも話の分かる偉いひとでよかった、すっごくやさしい」

「それって、どういう……?」

「まずは座りなよ。……ってここは君の世界だから私の言うセリフじゃないか」


 ごめんね、と舌を出して謝る維央さん。とても愛嬌にあふれているひとだ。

 ボクは促されるまま、彼女の隣に腰を下ろした。

 相変わらず沈みかけたままの太陽がボクの夢をオレンジ色に照らし出していた。


「君の世界はきれいだねえ、夜でもなく朝でもない……。ちょうど境目のところ。世界の縮図みたい」

「そんな、大層なものではないです……」

「ふふふ。雨汰乃から私の話を聞いて、泣いてくれたんだって? ありがとね」

「……お礼、なんて……」


 それこそ大層なものだ。


「君はきっと、他人のために泣ける子なんだね」

「……え?」

「ひとの心のやわらかいところ……か。確かに、私も雅知佳もあんま見せなかったかも」

「……」

「……私ね、政略結婚だったの。一尺八寸(かまつか)は私の旧姓なんだ」


 ボクは維央さんを見た。

 その髪色と目の色は、見覚えがある。唄爾(べに)さんと呉綯(くれない)さん――ふたりは、彼女の息子だ。

 夕日に照らされた維央さんの横顔は、とてもきれいだった。


「私んち、お金持ちでさ。ガクカはその時すっごく貧乏で。だからお金目当てで一颯(いぶき)は私と結婚した。世継ぎも必要だって、子どもも作った。……でも、幸せじゃなかった」

「……」

「空っぽな毎日だった。子どもはね、かわいかった。唄爾も呉綯もやんちゃだったけど……でも、それすらも奪われて……。どうやって生きようか、いっそ死んじゃおっかな、なんて思っていた時に。雅知佳に出会ったの」

「そう、だったん……ですか」

「うん。でも、あの子にはそういう裏事情言ってないんだ。……子どもがいることも、言わなかった」

「……知られたく……、なかった?」


 維央さんは笑った。

 とても、哀しそうに。


「……なんとなく、ね。子どもを被験者にして、その罪から逃れるように死のうとした……母親失格。そんな無責任な自分を、彼女に知られたくなかったの」


 維央さんの、やわらかくて脆いところ。

 ボクなんかが触れていいのだろうか。本当は、雅知佳さんが触れるべき場所だったんじゃないのか。

 戸惑いながらボクは、夕日に照らされる彼女の横顔を見つめた。


「雅知佳の過去のこと、勝手に知っちゃったの。そしたらますます言えなくて……。ひどいことされて、子どもを持つこともできなくなったあの子に私……、同情したの。可哀想って思っちゃった」


 声が震えていた。

 涙をこらえている声だった。


「……」

「……ひどいのは私のほう。……だから、好きなんて。……言えなくなっちゃった」

「……維央さん」


 同情を抱くことは誰にも責められることじゃない。だって人間だから、そう思うのは仕方がないことだ。ボクだってこんな経験しなければ、きっと可哀想だって思っただろう。

 可哀想だと思うことは、なにも悪いことじゃない。

 でも、やさしいひとほど苦しむ。

 〝可哀想〟という言葉に。


「遊兎都君」

「……はい」

「雅知佳のこと、助けてあげてね。あの子、頑固だからさ。……ちょっとやそっとじゃ止まらないの」

「……」


 ――〝頑固なんだから〟じゃねえかな


「……雨汰乃さんも、同じこと言っていました」

「え?」

「今の雅知佳さんを見たら維央さんはどう思うでしょうか? って聞いたら同じことを答えていました。〝雅知佳は頑固なんだから〟って言うんじゃないのか、って」


 維央さんが目を見開き、それから口元を押さえて笑い出した。


「ふふふ、さすが雨汰乃。私の偉大なる友人のひとりだ」

「偉大なる友人……?」

「特に親しかったひとのことを私が勝手にそう呼んでるんだ。雨汰乃には『区別するな』って怒られちゃったけど」

「ふふ……、雨汰乃さんらしいですね」

「ね。でもそんな雨汰乃だからふたりを……唄爾と呉綯(あの子たち)を託した。きっといい影響を与えられるって思ったから。あの子たち、投薬とか改造とかの影響でいろんなところが歪んじゃったからさ……。だから軍事利用しようと思えばいくらでもできる。でも雨汰乃だったらそんなことさせないって思った。きっと〝人間〟として、扱ってくれるって」

「……」


 ――そうか、ありがとう。わかったから一旦離れろ呉綯

 ――そのへんでやめておけ、てめえは力加減ができねえ

 雨汰乃さんの物言いは乱暴だけれど、ふたりのことを物のように扱っているわけではない。ちゃんとふたりに向き合って、そのうえで愛ある、と思われる暴言を吐いている――ような気がする。

 正直、微妙な気持ち。


「ビミョー?」

「へ」

「ふふふ、君って顔に出やすいタイプだね」

「……お恥ずかしい限りです……」


 顔が熱かった。思わず頬を両手で押さえた。

 雨汰乃さんと兄弟の関係性は、一緒に暮らしていたころからあまり変わっていないから、正直よくわからない。でも雨汰乃さんが変に気遣っている風ではないから、きっとある程度気は許しているのだと思う。

 そもそも雨汰乃さんは、見下したり威張ったりしないひとだけれど。


「雨汰乃はね、いいひとなの。本当に、とっても真面目で真っ直ぐで……あとすごくきれいだね。指見たことある? 長くて節くれだってなくて、本当にきれいな指なんだよ。だからネイルしたら絶対映えるよって言ったら『俺にいらねえだろ』って素っ気なく言われちゃった。……でも、その次の日からネイルするようになったんだよ、かわいいよね」

「指は……知らなかったです」

「今度見てみて」


 維央さんはウインクした。ああ、本当に陽だまりみたいだ。

 あたたかくて包み込まれるようで、話していると心の扉が段々開いていく感じがする。

 このひとにならなんでも話せそう、なんて思ってしまう雰囲気だった。


「あ、あとね」


 維央さんがはっとなったように声を上げた。赤い目がボクを見る。


「? はい」

峰理(みねり)のことも、責めないであげてね」

「え? み、ねり……?」

「そう、羽詰(はづめ)峰理。君は知っているはずだよ」

「……」


 ボクが知っている羽詰峰理はひとりだけ。やさしい『掃除屋』で『葬儀屋』。

 白い髪で赤い目をしていて、ボクのことを友人だと言ってくれたひと。

 あれ、そういえば――


 ――私は〝科学の街〟ガクカの生まれなんです


 って言っていた。

 え、それってまさか。


 ――峰理さんが、裏切者……?


 頭を鈍器で殴られたみたいな衝撃だった。言葉が出なかった。

 ボクの顔を見て、維央さんが寂しそうに目を細めた。いろんな思いが赤い瞳に宿っていた。


「峰理はね、すっごく優秀なの。一颯の研究所なんかにいなければきっと世界中のひとを助けられちゃうくらい。……でも、押しに弱いんだよね。だから、一颯の言いなりになっちゃって」

「……」

「ああ、でもね。私は峰理のこと、一切恨んでないよ。だってあの子が、私の子に……唄爾と呉綯に教育をしてくれたから」

「……峰理さん、が」

「そう。峰理の人の好さ、あの子たちもわかっていたんだろうね。すっごく懐いていたの。〝先生〟って呼んでね」

「……」

「峰理もね、自分を責めているの。自分に起こったあらゆることを裏切った罰だって思い続けている。だから、自分のことを好きな子に対しても申し訳ないって思って、自分なんかが誰かを好きになるなんておこがましいって思っている」


 それは慈玖(じく)君のことだろう。

 勝手に関係性を空想していたけれど、峰理さんもずっと苦しんでいたんだ。

 ずっと自分の罪を、背負い続けて。


「峰理のしたことはそりゃあ……。みんなからしたら、すごい裏切りかもしれないけどさ。……でも、峰理の人生だもん、峰理がしたいようにするのが正解なの。だから、何も間違っていない」

「……維央さん」

「雨汰乃がずっと庇ってくれててうれしかったなあ。峰理って押しに弱いし、気も弱くってね。だから、ひととこじれるとなかなか修復できない子で。閉じ込められた部屋の中でずっと泣いていたの。声が聞こえてて、つらかった」

「……」

「あの子と友だち、やめないであげてね。あの子は良い子なんだよ、ほんとうに」

「……はい」


 どうしてあなたは――そんなにもやさしいのか。

 いっそ愚かなほどに、維央さんはやさしかった。

 痛くて、切なくて、苦しくて、あたたかい。


「そんな顔しないで。私のことだから」


 ボクの顔色を見て、維央さんが言った。


「みんな、正しいんだよ。自分の人生で間違っていることなんて、きっとほとんどないの。……でも、それだと正しさがぶつかって、争いになってしまうから。だから、基準が必要になる……、ああ、ほんと。難しいよね」

「あの、……維央さん」

「うん?」

「……こんなこと、突然聞かれて困るかもしれないんですけど……」

「いいよ、全然問題ない。私、考えるの好きだから。ね、なあに?」

「……維央さんは今の世界のあり方を、間違っている……、と思いますか?」


 歴史なんて、まともに習ったことはない。

 ボクは『学校』という教育機関に縁遠かったから。

 今の世界は同じ価値基準を持つひとたちで〝街〟という大きな集団をあちこちで形成している。だから部外者にはとても厳しいし、基本は排他的で、共通貨幣の概念もない。教育だってバラバラで、教えることも全部違っている。

 だから、〝街〟の外に出ることは、とても恐ろしいと誰もが思っている。


「うーん……」


 維央さんはちょっと悩んでから、それから笑った。

 花が咲くような笑顔だった。


「これも誰かが生み出した結果だから、間違ってはいないと思う。いろんな価値観があって私は遊園地みたいで楽しい。でも、ちょっと寂しいかも」

「寂しい……?」

「だって知らないひとと出会うって、自分の知らない部分を知るきっかけだから。それが今簡単じゃない。知ろうとすると怒られちゃう。そんなの寂しいよ。――だって、自分っていちばん付き合う他人なんだからさ、自分を知るきっかけがなくなるの私は寂しいかな」

「……いちばん、付き合う他人」

「そ。だから大切にしなくっちゃだめだよ、遊兎都君。自分のことは自分にしか救えないから」


 自分のことは自分にしか救えない。

 それはきっと、ボクもそうだし雅知佳さんもそうだ。

 あのひとを救うのは誰かじゃない――あのひと自身なんだ。


 弱さに涙を流すように。

 裏切る覚悟をするように。

 向き合う決心をつけるように。

 自分を救う。救ってあげる。

 掬ってあげなくちゃ、いけない。


「維央さんは……、ひとが好きなんですね」


 話を聞いていて思ったことを、そのまま素直に口にした。

 彼女から憎しみや恨み、そういうどろどろした黒い感情は全く感じなかった。

 純粋にすべてを愛し、無垢なまま受け入れている。


「うん、大好き」


 笑顔が眩しかった。いっそ泣きたくなるほどに。

 どうしてあなたがこの世にいないのだ、と言ってしまいたくなるほどに。

 あなたはきっと、世界にとって必要な存在だったのに。


「人も動物も――この世界も好きだよ。ていうか、嫌いなひとを作るの苦手なの。……私ってば、だからお人好しとか八方美人とか言われちゃうのかな」


 ――維央は、なんていうか、やさしさと無垢と純粋とお人好しが人間の形しているみてえなやつだった

 雨汰乃さんの言っていた意味が、よくわかった。

 このひとは、光だ。そして、道しるべである。

 歩く道を照らし出す彼女を、神のように崇めてしまう気持ちは少しだけわかる。

 ボクもきっと出会っていたら、彼女のことを――


「――君は女王様でしょ」


 ボクの思考を、凛とした声が遮った。

 維央さんがにこにこしながらボクを見つめている。


「……へ?」

「君はワンダーランドのやさしい女王様」

「……あ、え? ……なんで、知っているんですか……?」


 維央さんは「ナイショ」と笑った。

 恥ずかしかったけれど、無邪気な笑顔でそう言われてしまうと言及ができなかった。

 顔が熱かった。


「ふふふ。あのね、君が女王様になれば、きっとこの世界はもっとよくなるよ」

「え、……えぇ? そ、そうですかね……?」

「そうだよ。君はすっごくやさしいひとだから」

「やさしい、ですか」

「うん。やわらかくてあたたかいひと。本当に目の色といっしょだね。……月明かりみたいなひとだ。いいね、夜は安らぎの時間だから」

「安らぎ……」

「あ、そうそう。ツクヨミって月の神さまのことを言うんだよ。だから君って――」

「――話は終わった?」


 月明かりか、なんて考えている思考に突然、全く知らない誰かの声が割って入った。

 少女にも少年にも聞こえる、中性的な声音だった。

 びっくりして声のしたほうを見ると、少女がいた。長くて白い髪をした小さな女の子。

 でも纏う雰囲気はどこか成熟した女性らしさを感じさせる。不思議な子だった。

 薄い生地のワンピースに羽織った真っ赤な上着が目を引いた。


「……あ」

「あんまり長居はおすすめしないのだけれど」

「ごめんなさい。もうそんな時間経っていた?」

「だいぶ。そろそろその子、起こしてあげないと。心配で胃に穴が開きそうなのか何人かいるし」

「おっと、それは大変だ。一個だけ彼に伝えてもいい?」

「どうぞ。一個だけだよ」


 ふたりの会話を近距離で盗み聞きしていると、維央さんがボクを見てうなじを掻き上げた。

 それか彼女は「ここ」と指さした。

 掻き上げたうなじの生え際にごく近い部分に小さなホクロがある。あれは……星?


「見える? 星形のホクロ。これ、雅知佳しか知らない私の秘密」

「えっ」

「雅知佳にここで見聞きしたこと、伝える時に。きっと嘘だって言うもの」

「……維央さん」

「――私は幸せだった。ちゃんと楽しかった!」


 維央さんは本当に幸せそうに、声高らかに宣言した。


「もう私に囚われないでほしい。悲しいこともあったし、苦しいこともあった。でも、それ以上に幸せだった。だから、私のことを思い出にしていいんだよって。私はもういないけれど、あなたたちが生きて思い出してくれている限りそばにいられるよって」


 彼女はそこで、一度言葉を区切った。天を仰ぎそれから意を決したように、


「もう、十分だから。自分のことを、許してあげてって。ね?」


 今にも泣きそうな、笑顔だった。まるで、掻き消えてしまいそうな、か細くて、やさしい光だった。

 維央さん、と呼ぼうとしたけれど、声が出なかった。

 視界がぼやけていく。滲んだ色彩の中で、少女の声が「維央、それ一個だけじゃないよね?」と諫めた。


「あ、ごめん<紅姫(べにひめ)>」


 注意された維央さんはぺろっと舌を出した。彼女に苦言を呈した<紅姫>はボクを一瞥して、「また、会うことになるよ」と言った。


「……え?」

「今はまだその時間じゃない」

「それって、どういう、……?」

「それじゃあね、梵遊兎都。君はきっと――に」

「……え?」


 夢から覚める、と自覚した瞬間、ボクの視界は真っ白に覆われた。

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