Ep.6「親切な掃除屋さん」
フードから猫の首がにょきっと生えた。タケノコみたいだ。
タケノコのこと黒猫のネウは半眼だった。
「着衣でするのはやめてくれ。出て行く機を逸する」
「……ごめん」
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
大体する時、ボクは寝間着に着替えるからネウはそのタイミングでソファへ向かう。でも着衣のままだとそうもいかないようで、基本フードの中で寝たふりを続けるのだ。ボクが聞かれる分には別にいいのだが、ネウとしては聞いて心地いいものではないだろう。素直に申し訳ないと思う。
「……お前」
「うん」
「……苦しそうだよな。……大丈夫なのか?」
「へ」
まさかこのタイミングで体の心配をされるとは思わなかった。
数秒きょとんととしてしまい、ネウはじいっとそんなボクを見ている。時間が風のように過ぎて、はっと我に返って先ほどの問いかけに答えた。
「あ、ああ……まあ。凛彗さんがその、ご立派だから」
「ふうん……」
「……毎回不思議には思っているよ」
身長に比例してなのか、凛彗さんの凛彗さんは超弩級である。しかしながら人体とは不思議なもので慣らしてしまえば、呑み込めるようになるのだ。けれど毎回臓物を押し上げる感覚はなくならないので、喉にものが詰まったような声が出てしまう。
「……ユウ君」
凛彗さんの不機嫌そうな一声で、思春期真っ盛りの男子みたいな会話は終わった。ネウが「……っち」と舌打ちしたのが聞こえた。
そんなボクらは教会に向かっている。
『暴力的』でもなく『平和的』でもない『どっちつかず』にある教会は、神に縋ったり祈ったりする神聖な場所ではなかった。むしろそれよりずっと血なまぐさい。敬虔な信者がいたら憤りかねない使い方をされていた。
教会の扉の前に立ち、扉を叩く。
「峰理さーん」
呼びかけたが、反応はない。こういう時は待つに限る。連続して呼びかけても後が大変だ。
ボクたちはひとまず扉の前に座って待機することにした。待機して数分後、木製の扉が内側からノックされる。
扉が開いて、まなじりに垂れたやさしい顔立ちの男性が現れる。
「……すみません、お待たせしてしまって」
襟の詰まったロングスカートにスラックスを合わせた、神父服のような恰好。神父ではないけれど。
長い白髪を後ろでひとつにまとめて、やわらかな微笑みをたたえている。穏やかで落ち着いていて、窓辺で読書しつつ珈琲を飲んでいるのが様になる――ような、見目の彼は羽詰峰理さん。教会の管理人であり、『掃除屋』だ。
「いえ、こちらこそ。……お邪魔、しましたか?」
ボクは後ろを見ながら訊いた。背後では殺気立つ青年がこちらを睨んでいる。その様子は猫が全身の毛を逆立てて威嚇するような感じだった。
峰理さんは首を振って、「そんなことないですよ」と笑った。
「慈玖には困ったものです……ええっと、包帯ですよね?」
「あ、はい。すみません、毎回」
「いいんですよ。『掃除』以外でお役に立てるのがうれしいんです」
どうぞ、と招かれて教会の中に入る。
中央には誰も祈ることのない、朽ちた十字架の像が鎮座していた。木製の長椅子が等間隔にいくつも並んでいて、頭上高くに据えられたステンドグラスが陽光を取り入れて七色に輝いている。掃除が行き届いているようで埃っぽくなく、冷やされた空気が気持ちよかった。
近くの長椅子に腰かけると、「待っていてくださいね」と峰理さんは奥の部屋に消えていく。
包帯は衛生上毎日取り換えている。だから、定期的に買い足さないと間に合わないのだが、トウキョウには粗悪品ばかりで、まともな包帯に出会えなかった。そんな時に声をかけてくれたのが峰理さんだった。彼がボクの妙なこだわりに付き合ってくれている『親切なひと』だった。
峰理さんは仕事柄大量に仕入れるらしく、ついでとボクの黒い包帯も仕入れているのだ。もちろん相応のお金は払っている。峰理さんはこっちが勝手にやっているだけだからいらないです、と言ってきたのだがさすがにそれに甘んじられるほど、良心を捨てちゃいない。
峰理さんを待つ間、鋭い視線にボクは居心地が悪かった。視線の主はわかっている。ちら、とそちらを見るとやっぱり睨んでいた。
彼は阿弥陀仇慈玖君。十八歳という実年齢よりも少し幼く見える。ボクが言うのもなんだけれど。
ピアスだらけの耳に、紫色の短い髪。ピアスは耳だけではなく口にもしている。腰からぶら下げている革のベルトポーチには大量の刃物。目つきが悪いのはもともとなのか、或いはボクらに敵意を持っているからなのかはわからない。彼は峰理さんの手伝いで、ボクたちと同じような関係だった。
ただ、少し違う。
慈玖君は真っ直ぐに自分の想いを伝えていて、峰理さんもそれに答えてはいるようだった。峰理さんが慈玖君の想いをどのあたりまで本気で受け止めているか。そのあたりが曖昧だから、通ずるものを感じるなというだけだ。
勿論口にしたことはない。勝手な親近感だから。
慈玖君はゆっくりと立ち上がる。ポーチと一緒についた銀色のチェーンがじゃらじゃらと音を立てた。お洒落だろうか武器だろうか。なにせ常時刃物を身に着けて歩くような子だから、もしかしたらお洒落も武器も兼ねているのかもしれない。
じゃらじゃらと響かせながら慈玖君はこちらにやってきて、ぐっと身を屈めた。凛彗さんほどではないが、慈玖君もなかなか長身だ。
「……」
「? !? うわっ慈玖君!?」
近づいているなあなんて呑気に考えていたら、慈玖君が真横に立っていた。
よくあることだから慣れなければと思うのだけれど、やっぱりなかなか慣れるものじゃない。
そもそも慈玖君、気配の消し方がほぼプロ、手練れの暗殺者のそれに近い。
彼はじいっと、ボクを見てそれから視線を後ろに座っている凛彗さんに向けた。
「……」
「……」
「……?」
「おい、なんだこいつら」
「……知らないよ」
「念かなにかで会話しているのか?」
「さあ……そんな能力、ふたりとも備わっていなかったはずだけれど」
持っていても驚かないが。
ボクとネウが小声で会話していてもふたりの間に言葉はない。――ちなみにネウが話せることは峰理さんには隠している。でも、敏い彼はどうやら気づいているようだった。ボクらに気遣ってわざわざその話題に触れてはこない。
慈玖君はどうだかわからないけれど、わかっていたところで興味を示さなそうだ。
それにしても本当に何しているんだろう、このふたり……。
凛彗さんは真正面を向き、慈玖君は凛彗さんを凝視している。視線も交わらないし、言葉も交わさない。すべてが平行線なまま、奇妙な沈黙が続いた。静寂が耳に痛い。
「――慈玖」
峰理さんが呼びかけの声と共に戻ってきた。慈玖君はすうと音もなくその場から離れると、自分がもといた席に戻った。
……なんだったんだろう。
峰理さんが困った顔をしながら、包帯の詰まった袋を差し出した。袋を受け取るのと同時に、ボクは持ってきた封筒の入ったお金を差し出した。峰理さんは一瞬困った顔をしたけれど「ありがとうございます」と言って受け取ってくれた。
封筒を覗いて峰理さんが首を捻る。
「すみません、慈玖は人見知りなんです」
「え」
「おしゃべりはする方なんですよ。でもなにぶん、……恥ずかしいみたいで」
「はあ……」
そういえば慈玖君の声って聞いたことがないなあ。
座って数分で舟をこいでいる慈玖君を眺めながら考えていると、「おや、少し多いのでは?」と封筒を覗いた峰理さんが言った。妥当か或いは少ないかな、と懸念したくらいだったのだけれど。
「この前の『掃除』代金です。広かったし多かっただろうから」
「なんでもないですよ、あんな数。あれ以上の死体を片付けたこともありますし。それに凛彗君がほとんどの死体を半壊してくださっていたから回収も楽でした。溶液で流せば事足りましたしね」
峰理さんは世間話のように言った。
『掃除屋』とはそういうものだ。死体の処理、遺体の回収――彼はそれを慈玖君が来るまでひとりでやってきたという。どういう経緯でこんな血なまぐさい後処理に従事しようと思ったか、それを訊いたことはない。でも、頭がどうかしてしまってこの仕事をしているわけでないのは、目を見てわかる。
赤い目は、しっかりとした光が宿っているから。
「最近は『赤』での抗争が激化しているようで、大忙しです」
峰理さんが続けた。
「そうなんですか?」
「ええ。なにやら新しい組織……いえ、宗教? ですかね、そういうものにハマる人間が増えているようで。それで組織内部でいざこざが勃発しているようなのです。だから最近は真夜中に駆り出されることもしばしばで……臭い物に蓋をしたい連中ばかりですから」
「それは大変ですね……」
「仕方がないですよ、『掃除屋』も『葬儀屋』もこの街には少ないですからねえ」
「ボクも何かお手伝いできればいいんですけれど……」
「お気遣いありがとうございます。慈玖がいるので大丈夫ですよ」
峰理さんは居眠りしている慈玖君の顔を見て、破顔した。
トウキョウの価値観はかなり即物的である。信頼を勝ち得たとしても、一度失敗が知られればその瞬間築いてきた何もかもが瓦解するのだ。ボクたちも当初はなかなか依頼が来なかったけれど、ハニーBに出会ったから、依頼は倍になった。彼の面目のためにも失敗は許されないプレッシャーがちょっとある。
そんな話をボクも同じく世間話みたいに続けた。すると峰理さんが「遊兎都君はすごいですよね」と褒めるので驚いた。どうしてか訊ねると彼はなんでもない風に言った。
「あの人嫌いで有名なハニーBに協力を仰げるだなんて」
え? 人嫌い? ハニーB?
ボクは意味もなく何度も目を瞬いた。
あんな気さくなおじさんが、人嫌い?
「……人嫌い?」
「ええそうですよ。トウキョウでは有名な話です。情報屋ハニーBは人嫌いで金にしか興味がない……」
「だ、誰ですかそれ? 誰の話ですか? ハニーBってトウキョウにふたりいるんですか?」
ボクの問いかけに、今度は峰理さんが目を瞬いた。
お互いに頭上に疑問符が浮かんでいる。
「えぇ? トウキョウの情報屋でハニーBの名を持っているのはひとりだけですよ」
ではボクの知っているハニーBで違いない。
あのひとが、人嫌い? 全然そういう風に見えないのだが。
それとも、二重人格とかオンとオフで違うとかそういうあれなのだろうか。
いずれにしろ、なんだか意外な一面を聞いた気がする。それに――
「……ボクらからお願いしたんじゃありませんよ」
「え?」
「ハニーBの方から……協力を」
「……本当ですか」
「……」
ハニーBは路頭に迷いかけたところに現れた。
「よお、トウキョウで人助けなんざしようとしている奇特な連中……ってのはお前らか?」
そう言ってにやにや笑って、ホテルにやってきたのだ。