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Ep.43「不思議な夢」

 トウキョウは大陸の末端のほうにあるので、どこへ行くにもかなり時間がかかる。シジまではあと五日間ほどかかるという。ボクとしては一週間もかからないのか、列車ってすごいな、と思った。

 なにせ、生まれてこの方遠出なんてものをしたことがなかったから、ちょっと浮かれている気持ちはあった。

 浮かれているとロクなことがないと散々学んできたはずなのに。


「こいつの命が惜しかったら俺につけ、白樺(しらかば)凛彗(りんぜ)


 こめかみに冷たい感触。

 ガラスをぶち破ってきたのは軍人くずれのヤクザたちで、あろうことか列車に戦車で並走してきた。

 戦車なんて代物、どこから調達するのやら。

 戦車からわらわらやってきた連中に、ソファで呑気にしていたボクは、あっという間に捕縛された。

 はたから見れば、猫の子を抱きかかえているみたいな無様な恰好だった。


「おい、聞いているのか? 久遠寺(くおんじ)雅知佳(まさちか)から聞いているぞ、このガキ……お前の情婦(イロ)なんだってなあ?」

「……は?」

「情婦って……おいおい、冗談にしたってタチ悪すぎんだろ」


 凛彗(りんぜ)さんが青筋を立て、蜜波知(みつばち)さんも嫌な顔をした。

 たぶん、雅知佳さんはそんな広め方はしていないと思う。あのひとは過去に『使用人』だった経験があるから、性的搾取な物言いをとても嫌っている。だからヤクザが挑発する意味で、発しているだけだろう。しかし、相手が悪かった。

 凛彗さんの前で、ボクをそういう目で見ているなんて言ったら。


「大事な情婦を殺されたくなきゃ――」


 ヤクザが言い終える前に、ボクの後頭部に突風が吹いた。吹っ飛んだ頭部が、ガラスを突き破って彼方へ消えていく。血の雨があたり一面に降り注いだ。ああ、高そうな絨毯がもったいないことに。

 周囲にいた屈強なひとたちは、突然ボスと思しき男の首が消えたので、呆然としている。

 凛彗さんは予備動作もほとんどなく、軽く地面を蹴って跳躍したのち、ヤクザの首を足蹴りひとつでもぎ取った――のだと思う。

 彼の動きはとても目で追えるものではない。これは、ボクの長年傍にいて戦い方を見ているがゆえに培った経験則からの想像である。本当に軽やかに空中に飛んでしまうから、時折凛彗さんの足にはバネでもしかけられているのでは、とすら考えてしまう。

 馬鹿馬鹿しい妄想だと思われても、目の前で起こる非現実に対し、納得するためにはそういう馬鹿みたいな妄想も必要なのだ。

 そして、凛彗さんにより救出されたボクは、その身を蜜波知さんに預けている。凛彗さんは玉砕覚悟で特攻してくる部下たちを、肉塊に変えているところだ。

 ぐしゃ、べき、ばきゃ、ごしゃ――ありとあらゆる破砕音がして人間が物体に変貌していく。腕を、拳を、足を、そう強く振るっているようには見えないのに、破壊力は抜群である。食堂車は赤いペンキをぶちまけたみたいな有様になった。

 どうするんだ、これ……。


「……これじゃあメシ食うどころの騒ぎじゃねえな」


 ネウがフードのなかで嘆息した。


「そうだね……ハニーB、どうするんですかこれ」


 凛彗さんの戦う姿を眺めていた蜜波知さんに振り返る。彼は眼前で次々と人間が肉の塊になるのに全く動揺していなかった。人が死ぬ光景は見慣れているのかもしれない。

 蜜波知さんはボクの問いに、うなじを掻きながら、「掃除すりゃいいだろ。待ってろ、業者手配すっから」と事務的に対応する。

 そういう問題なのだろうかこれは……。

 業者手配を終えた蜜波知さんはぼそっと、「でも事前に情報漏らしておいてよかったぜ」と呟いた。

 情報を……なんだって?


「情報を漏らしていた……ってなんですか、それ」


 ちょっと詰問するように言えば、蜜波知さんは全く動揺する素振りもなく、説明してくれた。

 大人の余裕、ってやつなのか、これが。


「どうせ雅知佳がなにかしら手回しするだろうって思ってよ、襲撃するには三号車、食堂車が最適って先にこっちから流しといたんだ。そうすると馬鹿はバカみてえにここに集中するだろ?」

「ああ……なるほど」


 どうりで食堂車ばっかり狙われるわけだ。

 敢えて標的を固定することで、迎撃しやすくしているのである。


「情報網の掌握で『遠瀧(とおたき)電工』に勝てるやつなんかいねえよ。凛彗のことを完全に隠蔽することだって俺にゃあ簡単だ。……だが、そんなことしたらあの女がなにするかわかんねえだろ。だから凛彗を含めた『三大(トライアングル)規格外(・エラー)』の情報については好きにさせて、その後の情報詳細はこっちで操作してんだよ」

「……ははあ」

「泳がせんのも策のうちだってこったな」


 使えるものはなんでも使う女だからな。

 蜜波知さんが言った。

 確かに、雅知佳さんは手段を選ばないひとだ。自分の思い通りにならないとなれば、どんなものでも――それこそ驚くべき兵器とか――使って計画を遂行しようとするはず。

 だから思い通りにさせつつも、完全に主導権を握られない微妙な塩梅で情報の遮断、漏洩をしている。

『遠瀧電工』の代表だけあって、結構頭いいのかこのおじさん。


「……おい、遊兎都。お前今失礼なこと考えてねえか?」

「え」


 琥珀色の瞳が突然こっちを向いて驚いた。

 ボクはニ、三度瞬きをしてから、「……そんなことないですよ」と嘘をついた。

 見破られて、デコピンされた。


 戦車ヤクザたちを一通り物体に変えた凛彗さんは気が昂ったようで、ボクを早々にひっつかんでベッドに押し倒した。珍しいことではないからボクは抵抗しなかったけれど、その様子を見た凛彗さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、それからボクの首筋に顔を埋めた。ふーふーと荒い息が耳にかかってくすぐったい。

 いつもなら荒々しく服を脱がし始めるか口づけしてくるか、なのに全然ないから、寧ろ心配になって声をかけた。


「……り、凛兄ちゃん……?」

「……嫌になる」

「え?」

「……こうやって……君を犯すことで情緒を保っている……自分が」


 どうやら自己嫌悪真っ最中らしい。

 ボクは肩で息する凛兄ちゃんの頭を撫でた。ふわふわでやわらかくて、猫みたいだ。


「気にしなくていいよ」

「……僕が気にするんだよ」

「じゃあ気にしても、気にしなくていい」

「……」

「ボクは凛兄ちゃんのことが好きだし、求められるのも嫌じゃない。荒っぽいのも……意外に好きだし」

「……」


 こういうの、被虐嗜好(マゾヒスト)っていうのだったか。

 わからないけれど、凛兄ちゃんにされることで嫌なことはほぼない。このひとが助けてほしいと思うなら助けてあげたいと思うし、抱きたいと言うのなら拒まない。

 彼がボクのすべてを受け入れるように、ボクだって凛兄ちゃんのすべてを受け止めたいのだ。


「……ユウ君」

「うん、なあに凛兄ちゃん」

「……今日は少し、やさしくできないかもしれない」

「いいよ」

「……君の体に傷をつけることになるかも」

「いいってば」


 凛兄ちゃんが体を起こした。紫苑色の目のなかいっぱいに、ボクがいる。

 何度このひとが瞬きをしても、ずっとボクだけがいる。

 その事実を考えると、不意に心臓がきゅうと掴まれた。


「……? どうしたの? ユウ君、顔が、赤いよ……? 体調でも悪い……?」

「あ……え……っ、……ご……ごめん……。り、凛兄ちゃんの目のなかに、ボクがいるって思ったら……ど、ドキドキしちゃ、……って……」


 なにを、生娘みたいなことを。

 恥ずかしくて凛兄ちゃんから顔を逸らしたかったが、顎を掴まれてできなかった。

 深く、まぐわうような、口づけ。ようやっと終わったころには、ボクはすっかり出来上がっていた。


「……あんまり……、煽らないで……っ」


 そう言う凛兄ちゃんの顔があんまりにも色っぽくてきれいで――ボクはほう、と溜息をついた。

 その息すら、食べられてしまったけれど。


 ◇


 ざざん、ざざん。

 ざざん、ざざん。


 ああ、波の音がする。

 ゆらゆら揺れて、心地がいい。

 満月は変わらずまんまるで、明るくて、でも、その目はもっと濃い色をしていて。


「……正直羨ましいと思っている。凛彗も、蜜波知も」

「……」


 黒い髪、黄金色の目。

 会ったことがあるはずなのに、思い出せないきれいなひと。


「……きれいじゃねえ。……お前にとってオレは癒しだろ」


 癒し? ボクは誰に癒されていたっけ。

 思い出せない。


「……それだけでよかったのにな……」


 手が伸びてきて、触れても、わからない。

 あたたかいのか、冷たいのか、本当に触れられているのかどうかも。

 曖昧な感覚のなか、頭だけが妙に冴えている。

 なのに、記憶の蓋が開かない。


「……お前が――」


 ざざん。ざざん。

 ぶつっ。


 電源が切れるみたいに視界が真っ暗になって、ボクは目を覚ました。

 隣で規則的な寝息を立てて、凛兄ちゃんが眠っている。

 なんだろう――すごく、悪いことをした気分だ。


「……ユウ君……?」


 凛兄ちゃんが薄く目を開けてボクを見つめる。

 咎められるようなことは何もないのに、後ろめたい気持ちになって俯く。このひとは察しがいいからすぐ起き上がって、「……悪い夢でも見たの?」と訊いてくる。


「……夢を見た……んだけど、覚えてなくて。……でもなんだか、凛兄ちゃんと一緒のときに見るような夢じゃなくて……」

「……? よくわからないけれど……僕と一緒にいる時に見てはいけない夢なんてないよ。……たとえ、おじさんとまぐわう夢でもね?」

「っ! そ、そんな夢見てないよっ!」


 声を上げて抗議すると、そこには上機嫌な凛兄ちゃんがいた。

 意地悪が成功した子どもの顔だ。


「……さすがに僕も夢のなかまで縛らないよ。……夢のなかはユウ君ひとりのものだからね」


 凛兄ちゃんはやさしく言って、額に口づけた。

 夢のなかは、ボクひとりだけのもの。

 その言葉が、いやに鮮明に心の中に落ちていった。

遊兎都は情交前に滅多に赤面しないので、凛彗は体調不良を疑っています。

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