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Ep.40「血の帳の中で」

 どっと疲れた。

 気を張っていたようだ。紫乃盾(しのたて)晴矢(はるや)がいなくなった後、ベッドの上に座り込んだ。

 右隣に凛彗(りんぜ)さん、左隣に蜜波知(みつばち)さんが座る。三人分の重みを受けて、ベッドがきい、と少しだけ鳴いた。

 顔を上げて視界が薄いピンクによって隔たれていることに気づいた。


「……そういえば、ずっと天蓋の中にいましたね」


 外に出て空気を吸おうと腰を上げたところで、手首を掴まれた。蜜波知さんだった。


「やめとけ、外は血なまぐさいぞ」

「え? 血なまぐさい?」

「……全部。……殺してきた、から」


 ボクの疑問に答えたのは凛彗さんだった。心なしか表情が曇っている。

 〝全部殺してきた〟。

 ボクは目を凝らしてピンクに隔たれている外側を見た。そして言葉の意味を知る。

 外には夥しい量の肉塊が転がっていた。いなくなったと思っていた男たちは、みんな殺されていたのだ。みんな、頭が潰されている。体がひしゃげているのもある。いつもの凛彗さんの殺し方より少々荒々しかった。

 薄布のおかげなのか、血の匂いは漂ってこない。それにしてもこの殺戮に気づかないくらいに、ボクは兎戯(とぎ)君に翻弄されていたのか。


「……あの、蜜波知さん」

「なんだ」

「……『魔性』ってなんですか?」

「……体質、だ。異能じゃねえ」

「体質……?」

「お前の父親、(そよぎ)璃雨都(りうと)も同じ体質だったらしい」

「えっ!?」


 初耳だった。


「父さんが……?」

「ああ。『魔性』っつうのは……その、正直ちゃんと定義のあるもんじゃねえんだ。クソガキにゃ適当言っちまったが。だが、いっこだけ確実なことは――〝人生を狂わせる天才〟だってことだ。出会う人間の人生を、意図せず狂わせる……」

「……」

「軽く調べたが、白樺(しらかば)吟慈(ぎんじ)も同じ体質だった。あいつの場合は、それを宗教に利用していたみたいだがな」

「……吟慈さんも……」

遊兎都(ゆうと)


 蜜波知さんの説明に、凛彗さんが口を挟んだ。


「……僕が君のことを好きなのは、体質のことはなにも関係ないからね……」


 彼の言葉に、蜜波知さんが続けた。


「ああ、俺もだ。俺はそのまんまのお前を好きだから心配すんなよ」


 ふたりの言葉があったかくて、ボクは自然と笑っていた。

 しかし不意に、凛彗さんの顔が曇る。


「……」

「なんだよ」

「……おじさんとこうも意見が重なるのは嫌だな、って……」

「なんだそりゃ」


 ふたりのいつもと変わらぬやりとりを見ながら、ボクは少しだけ考えた。

 父と同じ体質。昔からよく誘拐されていたのは、この体質のせいだったのかもしれない。

 そういえば、兎戯君は〝神に同じ体質にしてもらったけれど、ボクのようにはならなかった〟と言っていた。

 霧の向こうの、異能を与える神。

 異能。黒い砂。

 ボクは凛彗さんを見た。


「あの、りんぜ……凛兄ちゃん」


 彼もまたボクを見る。

 凛兄ちゃんの心の、やわらかくて傷つきやすいところに、手を伸ばしている。


「……教えて、もらえない……かな? その……凛兄ちゃんの、こと」

「……」

「凛兄ちゃんも……異能。……あるん、だよね?」

「……」


 凛兄ちゃんはゆっくりと頷いた。

 いつか、きちんと話そうと思ったんだ――そう彼は言った。


 ◇


「僕が神を名乗る化け物に会ったのは、君と出会ってすぐのことだった」


 凛兄ちゃんと蜜波知さんの間でボクは話を聞いていた。手が重なるのが相当嫌なのか、凛兄ちゃんは肩に、蜜波知さんは腰に、それぞれ手を回していた。


「父さんが突然……、〝霧の向こうに神さまがいるから会いに行こう〟って言いだしたんだ。あれは……僕が、十二歳くらいのころ……だったと思う。霧の向こうのことに関して、父さんはとても熱心に調べていたから、そのうちに知ったのだろうね。あれでも……昔は頭が良かったから……」


 宗教を興す過程はわからないけれど、大勢の人間を自分の思う通りに動かすというのだから並大抵の頭脳ではままならないだろう。

 実際、吟慈さんの美に対する歪んだ考えに信者は賛同していた。普通はおかしいと思うことも、彼が言えば真実なのだ。


「父さんと僕は船に乗って、霧の向こうへ向かった。霧を抜けた先には霧のまま……だったよ。全体が霞んでいて……よく、見えなかったけれど。……確かに大陸のようなものはあった。そして、岸部のようなところも。船を降りて、……霞んだ世界を探索していて、不意に甘い花の香りがしたんだ。その瞬間に……父さんは叫んだ。――〝あれがそうだ〟と」


 神は長い首と寸胴の体を持っていたという。首の先端には花が咲いていて、頭の代わりに花束が刺さっているようだった、と凛兄ちゃんは語った。

 神は求める願いではなく、真の願いを汲んで異能を与えるらしい。


「真の願い?」

「そう……僕たちが潜在的に抱いている望みを引き出して叶える……」

「……凛兄ちゃんの願い、って?」

「……」


 凛兄ちゃんは蜜波知さんに聞かれたくないのか、ボクの耳元に唇を寄せた。

 そして囁きかけるように、


「……僕の一番大切なひとがずっと幸せでいられますように、だよ」

「……!」


 心臓がきゅうと収縮するみたいだった。

 凛兄ちゃん、ずっとボクのことを……。


「おい、のけ者にすんなよ凛彗。同じベッドで寝た仲だろ」


 蜜波知さんがやや不機嫌そうに顔を突き出してきた。凛兄ちゃんが半眼になって、明らかに気分を害した顔になった。


「……気持ち悪い言い回し、しないでくれるかな……」

「事実だろーが」


 実際に同じベッドでボクを挟んで寝た仲だけれど。

 している最中もふたりは小さな言い合いをしていたっけ。

 ボクは頭をどろどろに溶かされながら「やめてくらさい……」なんて回らない舌で制したけれど、意味をなさなかった。でもあれで、寧ろ加熱していたような……?

 いやいや、今思い出すことではない。なんで思い出したんだ。

 首をぶんぶん横に振るとふたりが怪訝そうな顔で見てきた。


「なんでもないです……それで、その望みを神はどんな風に叶えたの?」

「……接触を増やすことで、……君に、僕の命を渡すことができる異能を寄越してきたよ……神は『連綿の異能』と言っていた」

「え……っ!?」


 命を、渡す?

 それってつまり、ボクが凛兄ちゃんの寿命を奪い取っているって意味か?


「り、凛兄ちゃんっ」


 ボクの顔を見て考えていることがわかったのか、凛兄ちゃんは微笑んだまま首を振った。

 手を握ってくれた。


「……ああ、大丈夫だよ。渡すだけじゃ、ないんだ……もし君が少しでも……ほんの少しでも、……僕を想ってくれるなら、……僕も、もらうことができる……。繋がるんだ、心も命もね」

「……つながる……」

「君が幸せであるためには、……僕が、生きて守らなくちゃいけない。……そういう力なんだと思う。……君だけを生かすなら、僕がもらう必要がないしね……」


 ボクの幸せを繋ぐために。彼の異能はボクのためにある。

 理解するうち、じわじわ心の底があたたかくなった。

 ――うれしい。うれしくて、どう表現していいかわからない。

 わからなくて、凛兄ちゃんを見つめ返した。

 ボクの大好きなひとは、とびきりやさしい顔で笑ってくれた。


「……でも、君が幸せであるのに……、僕ひとりだけ……という制約は、ないみたいだ。……君が他の誰かを同じように思えば……。その命も、繋がる」

「……え?」

「……おじさんの命も、繋がっているんだよ」


 凛兄ちゃんが、静かに蜜波知さんを見た。そこに不機嫌な色は見えない。

 蜜波知さんは予想外だったのか、「え? 俺?」と口に出して、自分を指さして驚いている。


「命を繋ぐと、傷の治りが早くなったり……致命傷を受けたとしても、……生き延びられたりするんだ……僕は丈夫だから、あまり実感はないけれど……」

「……傷の治り……あ」


 そういえば腫れていた蜜波知さんの頬がボクと口づけを交わしたあと、良くなっていた。

 あれはボクと彼の命が繋がったから、なのか。


「……てえことは、なんだ? 俺も異能の影響を受けているってことかよ」

「……そう。……だから仕方がないかな、って……。手が触れ合う外的接触より、接吻や……、性行為なんかの内的接触の方が、影響が出やすいから……」

「はぁん、だから俺が遊兎都に告ったのお前は許したのか」

「……そうだよ。遊兎都が君を受け入れたのなら、夫の僕だって受け入れるべきだからね」

「なるほどなるほど……って、おい、今さらっと夫っつったか?」

「……うん? そうだけれど……それが、何?」

「何? じゃねえよ。なにさらっとマウント取ってんだよ、てめーはよ」

「マウントなんか取っていないよ……はあ、おじさんは血気盛んで嫌だね……体力ない癖に……」

「あぁ!?」


 あれ?


「体力ならあるぜ、お前よかずぅっとな」

「子どもっぽい嘘はやめた方がいいんじゃないかな……僕より先にへばっていたでしょ」

「へばってねえよ、一時休戦ってだけだ。遊兎都の体がぶっ壊れちまわねえように気遣ったんだよ。お盛んなオコサマと違って引き際を見極められる大人だからよお?」

「はあ……そういうどうでもいい言い訳ばかり……。君って本当にどうしようもない大人だね。……もし大人がそうなら、僕は子どものままでいいよ……」

「んだとコラ」


 なんで、喧嘩の雰囲気になっているのだろうか。

 というか、ボクを挟んで口論しないでほしい。


「大体てめーは俺のやることなすことに文句言いすぎなんだよ。姑かってんだ」

「は? ……君が遊兎都のお嫁さんとかありえないよ、妙なことを言うようなら首を、……もごうか?」

「こっわ!! てか、文句言うところそこかよ……」

「言っておくけれど。……遊兎都が僕のお嫁さんであることは決して覆らない事実だよ。君が何を喚こうともね……」


 ふたりの言い合いは続いている。

 収拾がつかなそうだったので、一旦ボクは彼らの口喧嘩を意識の外に追いやる。

 膝の上で寝ているネウに目を遣った。寝ているふりをしているので構わず抱き上げる。


「んにゃ?」

「……命を繋ぐ、か」


 猫の造形はなぜこんなにも可愛いのだろうか。

 まんまるの目、小さい額に、鼻。長いひげ。そしてふわふわでもこもこの体。


「どうかしたか、遊兎都」

「……猫は九つの魂を持つ……って言うよね」

「あ? あぁ、まあ……」

「だったら、いっか」

「え?」


 ボクは可愛らしく閉じた小さな口を見つめる。

 そして、それから、


「んにゃ……!?」


 ネウの口に自分のそれを重ねた。獣の香りがする。嫌じゃない。

 ああ、もふもふが唇に当たってなんとも言えない心地だ……。

 ペットを吸う習慣もあるらしいし、これくらい。

 大丈夫だと思った。


「……え?」

「……遊兎都……」


 大丈夫だと、思ったのだけれど。

 ……あれ?

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