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Ep.34「カーテンコール、そして」

 起床。そして認識。

 両側に裸の男。かたや美丈夫。かたやダンディなおじさん。

 このおじさん、割といいカラダをしている。自堕落な生活をしているから相応の体格かと思えば、そうでもなく。ちゃんと胸筋はあるし、腹筋も見事に六つに割れていた。

 哀しいかな、凛兄ちゃんと並ぶと、平均的に見えてしまうのだけれど。

 体の節々、主に下半身に違和感があるけれど、無視してボクは浴室へ向かった。

 浴槽に湯を溜めている間、脱衣所で膝を抱えてしゃがみこんだ。


「……やってしまった」


 三人でしましょう! なんて言葉が、こんなにも早く実現するなんて思わなかった。

 凛兄ちゃんはともかくとして。蜜波知(みつばち)さんも随分手慣れていた。ふたりから揃って責められた時にはもう何が何だかさっぱりだった。

 ――蜜波知さんの気持ちにまともに答えていないのに、ボクというやつは。


「……また、気持ちを伝える前に体の関係を築いてしまった……」


 よくないことだと思う。でも抵抗できなかった。

 抵抗する気があったかどうか聞かれると、微妙である。

 快楽に弱いボクの体が恨めしい。


「……最悪だ、ボクは……」

「――おう、この世の終わりみてえな顔して、どうしたよ」

「……ああ、うん。ちょっとね」

「後悔してんのか?」

「後悔……後悔かあ……していると言えばそうだし、していないと言えば……そう、かな」

「そうか」

「……でも、蜜波知さんのこと、嫌いじゃないんだよ? でも、好きかどうかわからないんだ。いや、好いてもらえるのは嬉しいのだけれど、その、……なんていうか……」

「――まあ俺ぁのんびり待ってっからよ、そう急いで答え出さなくてもいいぜ?」

「そっか、急がなくても……って、え!?」


 ぼーっとしていた。ネウだと思って会話していたけれど――


「みみみみ蜜波知さん!?」


 当人だった。

 空気にほんのり苦みが混ざる。ああ、煙草を吸っていたんだな。


「よう、おはようさん。目ぇ覚ましたらいねえもんだからどうしたのかと思えば、風呂か」

「へ? あ……はい。いろいろと……その、大変なことになっているので……」

「なんだかんだ凛彗(りんぜ)が全部、片づけはやってくれたろ?」

「……まあ、……ソウデスネ……でも、ゆっくりしたいし……」


「まあそうか」と言って蜜波知さんはボクの隣に座った。

 煙草臭さが増した。でも不快感はなかった。

 あんなに、煙草の香り嫌いだったのに。鼻が慣れてきたのかもしれない。


「いやーしかし、驚いたぜ俺ぁ。凛彗ってよーこう、淡泊な感じかと思ったら割と野獣なんだな? お前あんなのと毎日……、ヤってたのか? よっく、そのちっせえ体で耐えられたな」


 蜜波知さんが世間話みたいに、しみじみと言う。

 いくらボクとはいえ、他人に自分の性生活を明け透けに語られるのは嫌だったので、「……別に毎日じゃないですよ」と返した。

 毎日じゃない。ほぼ、毎日。

 だから、違う。違うったら、違う。


「あ」

「はい」

「そういや昨日。盛り上がりまくってゴム使い切っちまったけど、……腹ぁ下してねえか?」


 恥ずかしさというより、気まずさでボクは目を逸らした。

 避妊具がなくなったから終わりにしよう、と言ってくれたのは凛兄ちゃんで。

 じゃあしょうがねぇな、と賛同したのが蜜波知さん。

 そして彼らの厚意をいやだ、で台無しにしたのがボク。

 畢竟、ボクのせいである。


「大丈夫です……」

「そうか。なら、よかった」


 蜜波知さんの目と目が合う。

 琥珀色の目。昨日は官能に濡れて、すごくきれいに見えた。

 今もまだ、余韻がある。

 ああ、このおじさん。色気があるんだ。ずいっと顔が迫ったので、口づけられると思って目を瞑った。唇には感触はなく、代わりに耳の近くで吐息がした。


「――遊兎都(ゆうと)、すっげえエロくてかわいかったぞ」


 ぞわ、と背中に何かが走った。反射的に耳を抑えて後ずさる。

 蜜波知さんは笑っていた。

 顔が熱かった。


「いいね、その顔」


 おじさんは満足げに言って、立ち上がった。その背後に、殺気立った凛彗さんがいた。


「何しているの、君」


 ふたりはにらみ合っていた。その横をすり抜けてネウが現れた。

 ひとまず現実逃避にその体毛を堪能することにした。

 ネウはなぜか、とても不機嫌だった。


 ◇


 朝起きて支度を整えたボクらは、教会に向かっていた。扉を叩くと、すぐに開いた。出てきたのは神父服に似た姿をした、峰理(みねり)さんだった。


「おはようございます、峰理さん」

「おはようございます、遊兎都君」


 お互いに朝の挨拶を交わし、峰理さんがどうぞ、と身を引いた。その時後ろにいる人数がひとり多いことに気づいたらしく、「珍しい方がご一緒ですね」と言った。

 その言葉にハニーBの方を向くと、彼は峰理さんに向かって手を上げた。


「よう、『掃除屋』」

「ええ、……どうも」


 峰理さんは警戒しているのか、ちょっと素っ気なかった。中に入ると慈玖(じく)君が隅っこの方で佇んでいるのが見えた。

 ボクは持参した謝礼金を渡した。こういう時お金じゃないほうがいいのかもしれないけれど、峰理さんが収集している『和風』のものはなかなかお目にかかれない。だから、仕方なくお金になった。

 封筒を受け取ると、峰理さんが困ったように笑った。


「わざわざお礼なんて……構いませんのに。遊兎都君にはお世話になりましたし」

「いいえ、危ないところを助けていただいたんですから……」

「私は何もしていませんよ。したのはほとんど慈玖です」


 慈玖君に話を振るも彼は口を真一文字に結んだまま、無反応だった。慈玖君は迫りくる追手を引き受けてくれた。立ち振る舞いを見るに、戦うことには慣れているようだった。いつもと変わらぬ態度の彼に、峰理さんが溜息をつく。そしてその赤い目をボクに戻した。

 ボクらをあの忌まわしい純白の牢獄から救い出してくれたのは、彼らだ。


 ◇


 自分のとんでもない発言で個人的窮地に陥っていた時に、遠くから何か音がすると言ったのはネウだった。音のした方を凝視していると、海の向こうに豆粒くらいの影があった。影はどんどん大きくなって、船だとわかった。

 ――一体誰がこんなタイミングで?

 よくよく見れば、船には黒い服を着た二人組が乗っていた。峰理さんと慈玖君だった。

 何故来たのかと訊ねると、彼らは事前に頼まれていたという。ほかでもないハニーBに。


「クルーザーがぶっ壊されるってのは、想定の範囲内だった。〝行きはよいよい、帰りはない〟ってのがあそこの常だったからな。でも、アシが潰されちゃあ、お前が島から出られねぇ。で、頼める相手と言ったら『掃除屋』くれえだろ」


 最初からハニーBはボクを助けるつもりだった。つまり、初めから彼は雅知佳さんを裏切る気だったのである。

 ――それがどんな危険を孕んでいるのか、承知の上で。

 その覚悟に気づいた時、ボクの中で錆びた歯車が回ろうとする音が聞こえて困惑した。

 ハニーBは教会の長椅子の背もたれに大仰によりかかり、半眼で傍らの凛彗さんを見遣った。


「しっかし、凛彗……。お前だって気づいていただろ、俺が別の手を打ってるって」

「……だから何? ……君が、ユウ君の同意なしに押し倒した事実は何も変わらないよ」

「あ? まだアレ、根に持ってんの?」

「……首、もがれたい?」


 凛彗さんが本気の殺意を垣間見せる。ハニーBは肩をすくめて、溜息をつくだけだ。殺意に気づいているだろうに、気にも留めていない。肝の据わり方が異次元すぎるな、このおじさん。

 仲が良いのか悪いのか。どちらにせよ、ボクを挟んで喧嘩をするのはやめてほしいな。

 その様子を見ていた峰理さんが「ふふ」と笑った。


「峰理さん?」

「ああ、すみません……遊兎都君は罪なひとですねえ」

「へ?」

「君はとても良い子だから、たくさんのひとに好かれて大変ですね」

「そ、そう……ですかね?」


 自覚がない。

 他人を邪険にすることはあまりないけれど、だからといって誰にでも好かれるように八方美人みたいな振る舞いはしていないつもりだ。

 しかしフードの中でネウが「そうだな」と言い、ハニーBもうんうん頷いている。極めつけは凛彗さんすら「……ユウ君は、危なっかしいからね……」と付け加える始末だ。

 えっ、なになに、みんなそう思っていたの? えぇ……。

 げんなりしたボクを見て峰理さんが「好かれることは悪いことではありませんよ」と気遣ってくれた。微笑んだ彼は不意に真剣な表情に変わって「……でも、私はそんな遊兎都君が少し心配なんです」と言った。「え?」

 ボクの不可解な表情を見て、峰理さんが話し出した。


「愛情は植物に注ぐ水と同じです。与えすぎれば根腐れを起こすし、与えなさ過ぎれば枯れます。遊兎都君のそれが()()()()()()()()()()となってしまわないか、私は少し心配で」

「……甘い水……」

「ええ。枯渇している、或いは濁った水だけで育った見知らぬ誰かが、不意に透明な水に触れた時……。その依存性は飛躍的に高まります。水それ自体にはなんの薬効もありません、単なる水でしかない。けれど、与えられる側が〝これは甘い水だ〟と思い込むことで、ただの透明な水は甘い水になる……。甘い水は得難い幸福でもありますが、だからこそ失ったときの絶望は倍になります。時に、()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「私は……。ガクカにいた頃愛に飢えた誰かが、気まぐれに渡された愛情に依存して堕ちていく姿を見たことがあります」

「……覚えがあります……ボクにも」


 愛を求めすぎて役目を果たせなくなった子たちを何人も見た。

 客の言う気まぐれな〝愛している〟を信じてしまうのだ。

 そんなの場を盛り上げるためだけの戯言に過ぎないのに。ボクが言っても信じ仕切ってしまった子に声は届かない。あのひとは違う、あのひとは特別なんだ――そう言って、替えの効く道具だと知った次の日、自室で首を掻き切った。

 鉄さびの匂いが充満する部屋で、彼は笑みを浮かべて――


「遊兎都君?」

「あっ……」


 思考の海に浸かっていた。慌てて海面に顔を出す。


「すみません。でも……。ありがとうございます、気を付けます」

「いいえ。……あなたは、大切な私の友人ですから」

「へ」


 友人? 思わぬ言葉に固まってしまったボクを見て、峰理さんが慌てだす。


「あ……っ、す、すみません! 勝手に友人だなんて……」


 忘れてください、と峰理さんが言うので、ボクもあたふたしながら「あ、あぁ! 違うんですっそうじゃなくて!」と身振り手振りで否定した。


「……」

「……」

「……あの、遊兎都君……」

「……うれしい、です。ボク、友だちが少ないので……。ありがとうございます、峰理さん」


 ボクの言葉に、峰理さんが気恥ずかしそうにしつつも、笑った。

 きれいな笑顔だなあ、と眺めていると彼は不意に真顔になり、「あの……遊兎都君」と言って前のめりになった。きれいな顔立ちがぐっと近づく。

 少しだけ目元に入った皺すら、装飾品みたいだった。


「それでその……。友人、としてお願いがあるのですが……」

「はい、なんでしょうか?」

「……もしよろしければ」

「はい」

「……ネウさんを触らせていただけませんか? 私ではなくて慈玖なんですけれど……。あ、しゃべらなくても、結構ですので」

「へっ」


 変な声が出た。やっぱり峰理さんは、ネウが話せることに知っていたらしい。

 というか慈玖君。猫が好きなのか。だからいつもボクを睨んで――じゃなくて、見ているのか。

 かわいいなあ、とか触りたいなあ、とか思いながら?

 それで凛兄ちゃんのことも見ていたのかな、あのひとの着ている服ところどころ猫っぽいし。

 ――それって、なんだか。


「か、……かわいい、ですね……」

「え?」

「あ、……い、いえ。なんだか、慈玖君かわいいなあって」


 何気ない感想だった。

 十八歳、〝猫を触りたい〟が言えないお年頃。

 子供の成長を見るような愛おしさを意味する、かわいいだったのだが。

 峰理さんはわかってくれたらしいけれど、ボクの両隣が。


「……へえ」

「……」


 なに? なにその反応。

 圧が強い。とりあえず慈玖君にネウを渡そう。

 ボクは視線から逃れるように慈玖君のもとへ向かった。

 ネウを愛でる慈玖君は年相応って感じですごくかわいかった。ピアスだらけの顔をあまり変化させることのない彼が、幸せそうにネウの喉や額を撫でる様は、ネウとは違った癒し効果がある気がする。

 でも絶対口に出しては言えない。

 だって、ふたりがずっとボクの背中を、穴が開くほど見ていたから。


 ◇


 慈玖君に愛でられているネウは、嫌がっている様子はなかった。たぶん扱いがうまいのだと思う。

 存分にその()()()()で、()()()()な体を堪能したのち、慈玖君はボクにネウを返してきた。ちょっと照れくさそう。


「……ありがとう……、ござい、ました……遊兎都、サン……」


 ぎこちなくお礼を言う姿もまた、かわいい。


「また触りたかったら、遠慮なく言ってね。ネウも嫌じゃないみたいだし」

「そうっすか……。よかった、……です……」


 安心したように薄く笑う慈玖君は、子どもみたいで庇護欲に駆られる。実際ボクよりも年下なのだけれど、なんていうか幼さが垣間見えて印象が変わった。

 峰理さんが恥ずかしがり屋だ、って言っていたの、うっすらしか信じていなかったけれど本当みたいだ。

 帰ってきたネウも、フードの中で「……こいつは猫心をわかっている」と呟いていた。満足そうだった。

 峰理さんにもう一度手厚く礼を述べて、ボクらはホテルに戻った。ホテルに戻ると、フロントのひとから預かっているものがあると言われた。


「こちらです」

「ありがとうございます。……手紙、ですか」

「ええ。お客様宛に来られて不在を伝えましたらそれを渡すように、と」

「どんな方でしたか?」

「男性お二人組でした。背の高い方と小さな方がご一緒に」

「……なるほど」


 誰だろう? ボクらみたいな組み合わせだなと思いつつ、部屋に戻った。

 この前、招待状でロクでもない目に遭ったばかりなので、若干警戒している。

 でも、依頼だったら困るし。

 部屋のソファに座り、手紙を検分する。

 見た目はごく普通の便箋。封蝋で閉じられていたから、念のため凛彗さんに見てもらった。


「……ううん。……白樺(しらかば)の紋ではないよ。……知らない家紋だね」

「お? ああ、それ」

「知っているんですか、ハニーB?」


 手紙を見せるとハニーBは「ああ、やっぱりそうだ」と合点のいった表情をした。


「最近新しくトウキョウに来たっていう〝貴族〟様だよ」

「……貴族?」


『貴族』を名乗る者はザイカに大勢いた。

 物語に出てくる分には、全く問題のない身分だけれど――ザイカではほぼ、成金と同じ意味だった。

 だから、あまり聞きたくない名称だ。


「自分で名乗ってんだよ。名前は――」


 その名を聞いて、ボクはついさっき中断した思考の海に、再度浸かる。

 潜った先、暗い水底に彼が横たわっていた。首から血を流して、でも口元は笑っている。

 ボクと並んで人気だった少年。白い肌にそばかす、茶色の髪に同じ色の瞳。彼は人一倍愛に飢えていた。

 はじめて会った日、彼はボクに訊ねてきた。

 とんでもなく無邪気に、無垢を装って。その声は、声変わり前の少年のように若々しい。


「その喘ぎ方、どうやるの? おれもそうしたら愛してもらえるかなあ」


 三月櫓(さんがつやぐら)兎戯(とぎ)君。

 男娼時代に出会った、男の子だった。

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