Ep.33「口は禍の元」
雅知佳さんがいなくなって、すぐのことだった。
タイミングを見計らって――というより、見計らったタイミングで白い法衣姿の軍勢が部屋に入ってきた。中心には着替えた禮世さんがいた。
詰襟で裾も襟も長い服に身を包んでいる。吟慈さんと同じく肌色が見えるのは顔くらいで、他はほとんど白で覆い尽くされていた。吟慈さんと違うのは纏っている雰囲気だろう。官能的だったそれとは正反対に陰鬱だった。
「兄さん」
「……僕はもう帰るよ、禮世」
「……許されるとでも?」
「……許されなくても」
「そもそも、どうやって帰るつもりだい? ここは絶海の孤島だよ」
あ、そうだった。
ここは本土じゃない、離島だ。
行きはよいよい、帰りはない。本当にどうやって帰るのだろう。
「安心しろ」
言ったのはハニーBだった。
「方法はある」
自信満々だった。虚言ではない、と信じたい。
その言葉を聞いて反応したのは、意外にも凛彗さんだった。
「……おじさん、嘘をついたら首をもぐからね」
言うが早いか、凛彗さんが消えた。
――違う、跳躍したのだ。あまりに軽やかすぎてボクの目には彼が消えたように見えただけである。
彼の横に薙いだ足で複数人の頭が空中に飛んだ。人間噴水の出来上がりだった。
首の切断面から勢いよく血が飛ぶ。その様子に驚いて他の信者たちは次々と逃げ出した。禮世さんに血はかからなかった。幻影だからだ。後ろの壁が透けている。
本当が見えてこない。禮世さんは一体どこにいるのだろう。
そうやって凛彗さんに酷似した顔を眺めていると、不意に彼と目が合った。
「……私にはあなたが恐ろしく思えます」
「えっ?」
「他人の人生をそうも簡単に掌握するあなたが、私は恐ろしい」
「え……」
「兄さんはあなたに出会ってからあなたの話ばかりするようになりました。それがあのひとには気に食わなかったようです」
「だから、あんなに刺々しかったのか……」
幼少期から嫉妬されていたとは。
執拗に凛彗さんと愛し合う姿を見せようとしたのは、そのためなのだろうか。
禮世さんは視線を落とした。再び上げた時、凛彗さんと同じ色であるはずの目に、違う色が混じっていた。
「今なら……、兄さんの気持ちがわかる気がします」
「……」
禮世さんは視線を虚空に彷徨わせた。
昔のことを、思い出しているようだった。
「私たちが生まれたときからずっとあのひとの奴隷でした。そして、……それをわかってくれるひとはお互いのほか、誰もいなかった……」
「……禮世さん」
「でも、君はわかってくれましたね」
「あ……」
――お前はただ自分の思い通りに動く奴隷が欲しいだけだろうがッ!!
吟慈さんに感情が赴くままに吠えた言葉だった。
「僕までも救おうとするなんて……。強欲なやつだな、梵遊兎都」
「……!」
寂しげに禮世さんは笑った。
その笑った顔は、凛彗さんじゃなく、全くの別人だった。
「……ユウ君」
「行くぞ」
凛彗さんに呼ばれて、ハニーBに腕を引っ張られた。
ボクは引きずられるように部屋を出た。
禮世さんとは、もう目は合わなかった。
◇
先頭を凛彗さん、真ん中にボク、一番後ろはハニーBの順で走る。ネウは例のごとくフードの中である。こんな時ぐらい走ったらどうだろうか。
『王宮』の構造は来た時よりも単純化されていた。凛彗さんはわかっているようで、迷いなく走っている。
「島のすべて……この『王宮』も含めて、すべては禮世の幻影によって生み出された紛い物だから」
「え……、そんなこと、できるんですか?」
「……無理ではないよ、……無茶ではあるけれど」
「それって……」
「……禮世はずっとこうやって偽装させられ続けていた……でももうその必要はないから、『王宮』内部がかなりわかりやすくなっている」
「……」
凛彗さんが徐々に走る速度を落とし、立ち止まった。見上げた彼の横顔は憂いを帯びていた。
「凛彗さん?」
「……」
「……救いたかったな……」
「……凛兄ちゃん……」
「――おいお前ら、前見ろ!」
しんみりしかけた空気を切り裂くように、ハニーBが叫んだので、ボクらは声に従って前を見た。前方に武器を携えた信者たちが立ち塞がっていた。
凛彗さんがボクを庇い、ハニーBが前に出る。ふたりがボクを庇う形になった。
「っち、数が多いな……凛彗、行けるか?」
「…………おじさん…………戦えないの?」
「馬鹿言うな、俺ぁ情報屋だぞ? 戦闘は専門外だ」
おじさんは胸を張って言った。
いや、それって、自信満々に言うことじゃないよね……?
「…………はあ」
「うわ、あからさまに溜め息ついたよこの子!?」
「……気持ちはわかるよ、凛兄ちゃん」
「遊兎都までッ!?」
漫才のような三者三様に、ネウに「危機感ねえな、てめえら」と突っ込まれてしまった。
信者たちはじりじりと距離を詰めているようだったけれど、ふたりはボクの前から動かなかった。ボクも一応戦えるのだけれど……聞いてもらえなさそうだ。
「……ひとまずこの先が玄関のはずだから、あれを片付ければ外に出られるよ。……それで。……おじさんが言っていた、脱出方法って?」
「俺がこの島に来た時に隠しておいたクルーザーがある。そいつで脱出できるはずだ」
「……」
「なんだよ、その目は」
「……島には禮世の幻影がかかっているから、彼の意図しない物品は即座に処分されるよ……はあ、やっぱり首をもがなくては駄目かな……」
「……ちょ、ちょちょちょいまて!! 待てってば、おい!!」
凛彗さんが殺意をむき出しにして、ハニーBに迫った。
喧嘩、というより一方的な虐殺が始まろうとしていた。ボクも慌てて止める。
「凛彗さん、待ってください! こ、殺すのはちょっと勘弁していただいて……!」
「……」
凛彗さんの顔がぐっと近づいた。きれいな顔が急接近するとすごく心臓がうるさいからやめてほしい。そして彼は唇を指でなぞった。何かを確かめるように。
「あ……っ、あの……凛彗さん……?」
「……ねえ、何かあった……?」
「え?」
「……何か、あったんだよね……?」
「……えぇっと……」
言うべきか。ハニーBに情報提供代として口づけをされた事実を。
でもそれを言ったら、即座に彼の生首が完成するだろう。さすがにボクは見たくなかった。
「あ、あとでなんでも言うことを聞きますので……その! これに関しては不問に付してください!」
「……これ?」
「あ……っ」
ネウが「……バカ」と言う。
はい、そうです、ボクは救う価値のないバカです。
言い訳を思いつかずに黙っていると、「情報提供したからお代に遊兎都の唇をもらったんだよ。ちゅっ、じゃねえぜ? ぶちゅう、の方だ」とあろうことか、ハニーB本人が暴露した。
うわっ、語彙がすごくおじさんだ。――いや、そんなことはどうでもよくて。
「……ふうん?」
「なんだよ、怒るんじゃねえよ。遊兎都にだって腕が二本ある。そのどっちかに預けてもらったっていいじゃねえか」
「……」
凛彗さんが止まった。
信者たちとの距離が近いことに気づいたのだろう。休戦らしい。
彼は再び溜息をついて、ハニーBから視線を逸らした。
凛彗さんは何も言わず走り出して、拳ひとつで真っ白な軍団を一瞬で赤い肉塊に変えた。
真っ赤な道が出来上がると、凛彗さんが振り返ってボクらを呼んだ。彼の言う通りその先には巨大な正門があった。
「ハニーB……あんなこと言って大丈夫なんですか?」
「あ? あぁ……ま、平気だろ。それに、あいつ本気で殺そうとしていなかったぞ」
「え?」
そうなのか? 結構本気で怒っていたように見えたけれど。
「凛彗が道を拓いた。行くぞ、遊兎都!」
ハニーBが再びボクの手を取った。
あたたかさが、なんだかくすぐったかった。
◇
信者たちの追撃はなおも続いた。
クルーザーが処分されているとなったら、一体どうやってこの島から出ればよいのだろうか。
思いながら走っていたら、つまずいてこけた。
「っわ」
「おっと」
ハニーBに腕を引かれて、そのまま体が空中に浮かぶ。そして気が付いた時にはすっぽりと彼の腕の中にいた。所謂お姫様だっこというやつである。
「えっ!?」
「お……っ、やっぱお前軽ぃな」
「か、軽くないですよ、標準体重ですっ、ていうかボクを担いだまま走るのはおじさんには難しいんじゃ……」
「おじさんをあんまり舐めんなって」
ウインクしてハニーBが走り出した。凛彗さんが不満げに顔を歪ませたけれど、特に殺意を露にする様子はなかった。本当にいつの間に打ち解けたのだろう。
そうこうしているうちに浜辺に着く。寄せては返す波の音が聞こえ、一瞬穏やかな空気が漂うけれど絶賛逃亡中である。やり過ごすためボクらは岩場の陰に身を潜めた。
「お? あれは」
岩場にできた小さな洞窟にハニーBが向かった。無論ボクを抱きかかえたまま。いや下ろして。
ハニーBの向かった先には白い鉄くずが散乱していた。ネジやらボルトやら部品と思しきものが見られるから、おそらくこれはクルーザーの残骸である。予想通り完膚なきまでに壊されていた。
「……あークッソ。高かったのになああれ」
「ハニーB」
「まあいいや。なんとかなんだろ」
「ハニーBってば」
「いやしかしあいつらしつけえな、そんなに俺たちを島から出したくないのかよ」
「蜜波知さん! 聞こえていますよね!?」
ボクが怒鳴ると彼はきょとんとこちらを見遣る。
とぼけるな、絶対聞こえていただろ。
「おう、どうした。おヒメサマ」
「どうしたもこうしたも、お姫様じゃないですし……おろしてください」
「いやだっつったら?」
「なんでですか」
「くっついていたいんだよ、おじさんは人肌恋しくってね」
「なんですかそれ……」
「俺はもう遠慮しねえぞ」
急に真面目な顔になるから、戸惑う。
それはボクに向けられた言葉でもあるし、凛彗さんに向けられた言葉でもある。
どうしよう、またボクのせいで争いが……。
「……いいよ」
凛彗さんの声だった。何の感情もない、澄んだ声だ。
「え?」
ボクがびっくりした。
凛彗さんは笑っている。
「……僕は遊兎都と両想いだし、遊兎都も僕のお嫁さんになってくれるって了承してくれたし……僕と遊兎都は切っても切れない仲……ううん、永遠に誰にも切ることのできない仲になったわけだから……別に、構わないよ?」
余裕たっぷりな凛彗さんの発言を、ハニーBはこめかみあたりをぴくぴくさせながら聞いていた。
ネウが「……マウント取ってんな」と解説する。
「はぁ? ……おいおいおい、わっかんねえぜ、オイ。お前よりも俺の方が上手いかもしれねえだろ? お前よりメロメロになるかもなあ?」
「ちょ……っ、なんでそういう話になるんですかっ!?」
「女は愛嬌、男は技巧っていうだろ」
「言いませんよっ、聞いたことないし!」
「んぁ? まあ、あれだ。まずはカラダの関係から……ってよ」
「不純だ! ボクが言うのもあれだけれど……不純すぎる! 普通そこは友だちからでしょう!」
「友だちぃ? 無理むり、俺ダチほぼいねえし。いいだろ、別に。俺けっこー評判いいのよ?」
「知らねえよ! いや、知りませんっそういうのいいですからっ」
降ろしてくださいってば! と叫んだところで、地を這うような凛兄ちゃんの「……最低だね」という声が聞こえた。
「……なにが」
「そういうのしか自信ないんだね、おじさんは……。まあ、仕方がないよね、人間的成長が難しい年齢だしね……」
「あぁ? 体の相性ってのは大事だろうが。そこから駆け引きってのが始まるんだよ。ったく……これだからオコサマは。でけえのしか取り柄がねえからってよ……」
「……は? オコサマはそっちでしょ……知性が足りないからって、ひとの体をとやかく言うのは下品だよ」
「知性が足りてねえのは、てめえもだろうがこの脳筋野郎」
何故ボクを挟んで喧嘩するんだ、このひとたち。
しかも加熱していて、全く終わる気配がない。
ボク個人の希望――もといわがままとしては仲良くしてほしい。でも、ボクと凛兄ちゃんが恋人同士状態である限り、この争いはやまない。
ハニーBのことは好きかどうか、まだわからない。けれど、触られて嫌な感じはしない。
このひとはいいひとだ。いいひとだからって抱かれるというわけではないけれど。
これから、たぶん……、長い付き合いになると思う。だから有効で友好な関係が築いていきたい。
ええっとつまり……。
「あ! そ、それなら……三人ですればいいんじゃないですか!?」
「え?」
「は?」
? 今ボク、なんて言った?
三人で? なんだって? は?
凛兄ちゃんもハニーBもぽかんだ。そりゃあびっくりするよな。
突然三人でしましょう! しかも追われているこの緊急事態に。
バカか、ボクは。いやバカだな、ボクは。やっぱりボクはバカです。
ごめんなさい。
「……遊兎都、それ……本気で言っているの?」
凛兄ちゃん、そんな目でボクを見ないで。
「……遊兎都……お前……」
ハニーBも若干引いているし。
なんだか、心外。
「……あ、あの……すみません……あ、争わないでほしいのでその……それが歪曲したといいますか、婉曲的表現を申し上げたと言いますか……」
何言っているのだが。
ボクは恥ずかしくって顔から火が噴き出そうだった。
「……す、すみません。その……忘れてください……」
何度かそういう場面があったから、振る舞いについては心得ている。
でも、愛する者同士でするには、かなり特殊な状況だと思う。
三人とも仲が良ければまだわかるけれど、ふたりは肩を組んでダンスを踊るような仲ではない。そもそも手すら繋がないだろう。繋いだ瞬間、凛兄ちゃんなんかは念入りに洗いそう。
どうしよう。とんでもないことを口にしてしまった。
穴があったら入りたい。あ、でもここ洞窟だから実質入っているようなものか。
あははは。
「……いいよ」
「構わねえぜ」
「……………………は?」
今、なんと?
「……遊兎都がそう言うなら試してみてもいいかもしれないね……」
「お前を抱けるならどんな状況だって歓迎だ」
「……? は? え? す、するんですか? ほんとに? 三人で?」
「遊兎都が言ったんでしょ……? でも遊兎都はやさしいね、こんなおじさんの相手もしてあげるなんて……」
うわあ、凛兄ちゃん、いい笑顔だ。
「うるせえ野郎だな……」
「ま、……あの、な、え? お、おふたりとも……、いつそんなに仲良くなったんです……?」
「仲良くなんてなってないよ……でも、遊兎都が求めるなら僕は与えてあげたいと思うんだ……」
「お初はふたりきりでしてえけどな……ま、それは追々しような」
「……は? 許さないけれど?」
「あ? 三人でするんだったらふたりでするのも変わんねえだろ」
「変わるよ……僕のいないところで勝手に遊兎都に触れないでくれる……?」
「あぁ? じゃあなんだ、お前に見られてりゃあヤっていいのかよ」
「はあ……おじさんってすぐそういう悪趣味な解釈をするよね……」
「ちょ、ちょっとちょっと待ってください!」
話が進みすぎているし、また喧嘩になりそうだし。
なんなの、このひとたち。
「あの……えっと、まずは、ここから出ましょう……?」
ボクらは脱獄途中である。
ここで仲違いをしている場合ではない。
ボクの声にふたりはお互いを見合って、それから、
「じゃあ……、帰ったらたっぷり……、愛してあげるね、遊兎都……」
「おう、楽しみだなあ、なあ? ――遊兎都」
うわっ、怖。ふたりとも顔、怖っ。
あ、そうだ、こういうときこそ。
癒し! 癒し効果のあるネウを抱き締めて落ち着こう。
「遊兎都……お前ってやつは……」
「あ~……ネウはふわふわで気持ちがいいね、最高だよ……」
「現実逃避するなっ! お前らもとんでもねえ顔でオレを見るんじゃねえ!」




