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Ep.31「I crazy for you」

 起きて覚めてまだ牢屋だった。それもそうか。

 大きく伸びをした。不衛生な環境下での睡眠には慣れている。体が痛いような気がするけれど、大したことではない。

 未だに監禁されていて、凛彗(りんぜ)さんには会えていない。

 心が寒いような感じがする、これが寂しいって気持ちなのだろうか。

 ところで、ボクはどうなるのだろう。ごはんとかも来ないし、まさかこのまま餓死するのかな。

 餓死は嫌だなあ、死ぬ時くらい満たされていたいものだ。この考えは贅沢かもしれないけれど。

 ネウはボクのフードで快適に寝ている。うらやましいな、この法衣確かに着心地はいいけれど寝袋としてはあまり役に立たない。そもそも寝間着として機能するようには作られていないのかも。

 ふう、と息を吐き、膝を抱える。


「……暇だなあ」


 二回目の同じ独り言。だって本当に暇だから。

 本ぐらい差し入れてくれたっていいのに。これじゃあ餓死の前に暇で死にそうだ。

 ネウのふわふわした体毛を撫でる。本人の言った通りに癒し効果は抜群だった。


 凛彗さんは雅知佳(まさちか)さんと話しているのだと思う。雅知佳さんは彼の力をずっと必要に思っているから、その再催促だろう。応じない確率の方が高いだろうが、絶対はない。

 だって凛彗さん――凛兄ちゃんの人生のことだから。


 ――でも、もやもやするなあ……。やだなあ、そんなの。

 大好きなひとの人生に、あのひとが関わってくるのは、不愉快だ。

 ()()()()()。なんで邪魔するの。ボクと凛兄ちゃんの間に。

 誰も来ないでほしいな、入ってこないで。邪魔だよ、邪魔邪魔。

 全部邪魔。いらない、全部、みんないらな――


 ――おっと。

 真っ黒な気持ちが浮かんできたので、ボクは蓋をするために無理矢理思考を切り替えた。


「……エデンに行くことになったら……、どうしよう」

「ん……にゃあ?」

「あ、おはよネウ。ネウはエデンに行ったら何がしたい?」

「うん? エデン? あー……そうだな、お前と一緒に暮らす」

「へ?」

「お前と暮らす。……オレは変わらねえ」

「……そう」


 ありがとう、とネウを抱き締めた。

 ボクはどうしようかな、折角だし郵便配達員の仕事を再開しようかな。

 一年くらいしかできなかったし、ちょうどいいかもしれない。

 もしもの話を考えているところにがちゃん、と金属音が割って入る。誰か来たようだ。


「……よう」


 暗い顔の蜜波知(みつばち)さんだった。頬が赤いままである。殴られた後に治療されなかったのだろう。

 あれ、いつもと違ってよれよれのシャツじゃないし、色褪せたジーンズでもない。

 かっちりしたスーツ姿で、やっぱりサングラスをしていない。これはこれで新鮮だった。

 物珍しそうにボクが見ていると、彼は牢屋の鍵を開けた。出ろ、と言われて大人しく従う。

 ひとが違っているように見えるけれど、二重人格ではない。目の色はボクの知っている蜜波知さんだったから。


「……何も言わねえのか」


 蜜波知さんは暗い顔と声のまま問うてきた。

 ネウがボクにしたものと同じ類の問いかけだろう。

 〝裏切られたと思わないのか〟

 だから、ボクはネウに返した答えをそのまま伝えた。


「まだあなたをよく知らないから」

「……知らないから、裏切られたって構わねえと?」

「知らないから信じられていなかったってことですよ」

「……」


 黙ってしまった。


「お前の事、好きだ……って言ったはずだが」


 琥珀色の目が不安そうに揺れた。

 たしかに言われた。――いや、言われては、ないか。


「好きだからって裏切らないってわけでもないでしょう。それに裏切っちゃいけないわけでもないし。好きは万能じゃありません、有能だけれど」

「……お前は……」

「だからそんな怖がらなくても大丈夫です。こんなことで蜜波知さんのことを嫌いになったりしませんよ」


 嫌うのも体力いるし。

 お世話になった事実はあるのだから、この一回で全部を嫌いになるのは、ボクには無理だ。

 だから、嫌わないし嫌えない。信じられるかどうかはまた別として。


「……遊兎都(ゆうと)

「はい」

「……どうして、お前はそうなんだよ」

「そう、とは?」

「だから……っ! なんで、……っ許すんだよ……!」


 悲痛な叫びだった。

 蜜波知さんは、ボクを壁際に押し付ける。所謂壁ドンってやつだ。

 壁ドンと言っても、ボクと彼との間には身長差があるので、腕はボクの頭上にある。

 見上げた彼は、すごく苦しそうだった。


「どうして許す? 俺はお前らを利用したんだぞ、わかるか? こんな目に遭わせて……なあ、遊兎都!」


 その言葉はまるで自分を責めてくれ、と頼んでいるようだった。

 実際、責めてほしいのかもしれない。

 でも――残念ながら、ボクは芸達者なほうじゃないし、やさしくもない。

 ()()感情を、()()ようには見せかけることは、できない。


「……随分偽悪的なことを言いますね」

「……は?」

「ボクにとってはこんなの子どもの悪戯くらいにしか思いません。あなたを憎む理由もない。凛彗さんは……どうかわからないけれど。少なくともボクは怒っていないし失望もしてないです。だから、……そんな苦しそうな顔をしないでください」

「……ッ!」


 蜜波知さんは言葉を失った。そんなことを言われるだなんて思ってもみなかった、という顔だった。

 彼はボクに寄り掛かってきた。重い。


「……み、蜜波知さん?」

「……クソ……」


 彼は一言そう呟いて体を離す。

 それから額を手で覆ったまま、ボクの隣に座り込んでしまった。


「蜜波知さん? どうかしました?」


 ボクがしゃがんで声をかけると、「……お前は……」と何かを言いかける。しかし、続きは言わずに、「……俺は、ずっとひとを利用して生きてきたんだ」と話し出した。

 ネウが何か悪態をついたようだけれど、聞こえなかった。


「……?」

「だから……、そうやって気を遣われることなんて、ほとんどなかったんだよ」


 要するにずっと他人に嫌われる人生を送ってきたから、ボクの対応が新鮮だった、ということだろうか。

 彼は顔を上げた。暗い顔はしていなかった。


「……遊兎都、俺はな」

「はい」

「……白樺(しらかば)禮世(らいせ)から依頼を受けたんだ。パーティーの招待状は俺があいつから直接受け取った。揺さぶりをかければ、きっと兄は動くって」

「わかっていたんですね」

「もういい加減、兄の影武者ではいたくねえんだとよ」

「……」


 ――兄さんに僕の気持ちなんかわからないよ

 苦々しく吐き捨てたのは禮世さんの本心だ。

 〝禮世〟でいることは許されず、兄の身代わりとして親に愛でられ続ける毎日。

 愛されているようで、愛されていない。

 ボクは、最後まで白樺吟慈(ぎんじ)の言うことを、なにひとつ理解できなかった。

 ひとの形をしただけの、別の生き物と会話をするような心地だった。


「凛兄ちゃん……凛彗さんが、吟慈さんを殺すのも計算のうちだったんですか?」


 蜜波知さんは首肯した。


「……そうすりゃ、雅知佳も禮世も手を汚さず厄介払いができる。禮世は親を失ったっていう悲劇を背負うことになるから、同情も集まるだろ。信者はみんな狼に吠えられるまま動いているだけの羊共だ、ちょっと追い立ててやればすぐ新しい柵ん中に入る」

「そうですね、そんな感じでした」

「『神霧教(しんむきょう)』は大陸最大の宗教だ。支部も多い。その人脈を、雅知佳は利用しようとしている」

「……ふうん」

「……興味なさそうだな」

「そうですね、雅知佳さんの思惑は正直どうでもいいです。終わったことだから」

「終わった、って……。向こうさんはそう思ってねえようだが?」

「そうですね……ボクには、わからないことです。少なくともボクには終わった話です」


 何もかも、終わったと思った。

 あの日、銃口を突きつけられて、引き金を引かれて、その銃弾はボクに届かなかったけれど。

 その瞬間に、ボクと彼女を結び付けるモノは断ち切られた、と思っていた。

 でも、それはボクのあまりにも幸福すぎる勘違いだった。

 彼女は未だにボクに――あのひとに執着している。


「……あいつはお前のことを〝他人の人生を狂わせる天才〟だと言っていた」


 唐突に蜜波知さんはそう言った。


「はあ……。心当たりありませんね」

「……」

「他人の人生なんてそう簡単に狂うもんじゃないですよ」

「……案外、そうでもねえぜ」

「はい?」


 あったかい。煙草の匂いがする。

 蜜波知さんに、抱き締められていた。


「……俺は他人の私生活を覗き見して、その情報をほしいと思うやつに売るのが生業だ」

「え……っ。それは悪く言いすぎじゃないですか?」

「……事実だっつーの、お前、ほんっと人たらしな……」


 なんだか、心外なこと言われた気がする。

 抱き締められたまま、ボクはむっとした。ネウが大人しい。

 さすが、空気を読める猫だ。

 頭上で彼は「まあいいか、それは」と話を続けた。


「俺はそうやって金を稼いで生きてきた。若いころは、情報を得るためならなんでもしたさ。恋人ごっこしたこともある、結婚……したこともある」

「へえ」

「ベッドの中でしか聞けねえ話もあるもんでね……」

「そうですね、文字通り丸裸ですからね」

「……」


 蜜波知さんはまた黙ってしまった。


「蜜波知さん?」

「……お前、ほんと……」


 頭を撫でられた。

 なんなんだろう。


「……他人は利用するものだってずっと思ってきた。だから……」

「だから?」

「……お前に出会って、どうすればいいのかわからなくなった……」

「え?」

「……お前を好きになった瞬間、俺はどうすりゃいいのかわからなくなったんだよ……」

「……蜜波知さん」

「……なんだよ」

「やっぱりすごく初心ですねえ」

「ッ……!」

「童貞の間違いじゃねえのか」

「こら、ネウ!」


 初心な反応するひとだと思ったら、本当に初心らしい。

 そう思うと、ちょっと可愛いかも、なんて。凛兄ちゃんに知られたら怒られてしまうかな。

 蜜波知さんが一度距離を取り、それからボクの胸のあたりに頭を押し付けてきた。

 あ、ちょっと白髪混じっているこのひと。


「……だから、狂わされてるんだろ」

「……。……ボクに、ですか」

「ああ」


 どうしたら、いいのだろう。

 こういう時ってやっぱり凛兄ちゃんに話しするべき、だよね。

 ボクとあのひとは恋人だから。

 あ、凛兄ちゃん。


「あのう……。蜜波知さん」

「うん?」


 蜜波知さんが伏せていた顔を上げて、ボクを見た。

 よく知っている情報屋のおじさん――ハニーBだった。


「凛彗さんって今、どうしています?」

「あ、ああ……。あいつはたぶん、今頃雅知佳と話していると思うぞ。今回こそはエデンに連れて帰るって言ってたな」

「……なるほど」

「雅知佳の入れ込みは異常だな、あいつ、凛彗に気でもあるのか?」

「……」

「な、なんだよ遊兎都」

「……冗談でも、そういうこと言うのやめてください」

「あ? あー……ヤキモチか?」

「……」

「わーったよ」

「……雅知佳さんが欲しているのは凛彗さん本人ではなく、凛彗さんの持っている力です」


 ひとまず、せり上がった黒くて苦い感情を飲み下して説明する。

 うまくコントロールできるようにならないと。


「あの……『肉体型規格外(フィジカル・エラー)』と呼ばれた力か」

「はい」


 人体を容易く破砕する恐るべき力。拳を振るえば弾丸と同じ、足を薙げば切れ味抜群の刃と同じ。

 どんな鍛練をすればああなるものか全くもって想像ができないけれど、凛彗さんの力が〝生体兵器〟になりうることはボクでもわかる。しかも彼は強靭な肉体のおかげで寒さ暑さにも強く、病気もしないし、武器もほとんど通用しない。あまりに人間離れした能力だ。


「……凛彗さんの力を求めるのは雅知佳さんだけではない、と思います。ザイカにいたころは厳しく情報統制されていて外部に漏れることはありませんでしたが、今はわかりません」


 雅知佳さんは徹底して凛彗さん含め、『三大(トライアングル)規格外(・エラー)』と呼ばれた超人的能力を持つ存在を隠した。あくまで内々の話として完結させ、外部にはそういう荒唐無稽な噂話として浸透させた。それが功を奏し、外部から彼らをスカウトするような動きはなかったけれど、今はどうなのだろう。

 雅知佳さんが独占することにこだわっているのなら、きっと彼の存在もまた隠匿しているに違いない。


「……遊兎都。……たぶん、雅知佳は今回それを条件に凛彗を引っ張り出そうとしている」

「え?」

「雅知佳は切り札を用意していると言っていた。切り札……要はお前さ、遊兎都。お前を危険な目に遭わせたくないのなら自分に従え、と言うはずだ」

「……」


 やりかねない。というより、やるだろう。

 その時彼は何を選ぶのだろうか。

 ボクは彼の選択を喜べるだろうか。


「なァん」


 ネウが突然鳴いた。


「? ネウ?」

「ここで悩んでいたって意味がねえ。ひとまず……行くぞ」

「……そうだね」


 ここでうだうだ悩んでいても始まらない。ネウの言う通りだ。

 ボクはハニーBを見上げた。


「ボクは行きます。……ハニーB、情報提供ありがとうございました。このお礼は必ずしますので」

「……情報提供、ね」


 ハニーBが意味深長に呟き、そして唐突に腕を掴んで引っ張った。

 何事かと考える暇もなく、ボクの唇が塞がれた。彼の分厚い舌が無理矢理口をこじあけて入ってくる。ネウが喚いていたけれど、腰を抑え込まれているし、腕は掴まれているし、ボクにはどうこうできなかった。


「ん……ッ、ンぅ……ん、ん!」

「……ッは」


 長い口づけが終わると、ボクの口の端から唾液がこぼれた。

 死ぬかと思った。


「……? ……? な、なんですか?」

「……お礼するって言ったろ。だからこれでチャラだ」

「……え?」

「おら、行くぞ。先にお前の服から取り返さねえと」

「あ、はい……そ、そうですね……?」

「っは、なんだ。意外とかわいー反応できるじゃねえか」


 かわいい反応……?

 なんのことやらわからないけど、ニヒルな笑みを浮かべて振り返った彼の、頬の腫れはすっかりよくなっていた。

 いつの間に……。

 ――それにしても、初心なひととは思えない口づけだった。

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