Ep.3「蜜蜂の知らせ」
ボクらは二年前、ここ〝清濁の終点〟トウキョウにやってきた。ここには様々な事情で故郷に戻れないひとびとが集う。ボクと凛彗さんもそのひとり。ネウはもともとここの野良だったようだ。
収入なくして生活はできないのはどこでも同じだ。そんなわけで、様々な折り合いをつけた結果現在は凛彗さんとネウと共に『便利屋ラビットホール』を営んでいた。
人捜しに物探し、家電修理引っ越し手伝い、そして荒事まで。基本的に頼まれればなんでも請け負う。
お金で揉めたくないので、成功報酬制にしている。依頼を完遂したら支払ってもらい、そうでなかったら支払いは不要。決めたのはボクだ。というより、『便利屋ラビットホール』における全権はボクが握っている。不本意ではあったけれど、凛彗さんはボクの言葉に絶対従うと言うし、ネウは猫だから知らねえと突き放すので、仕方がない。
「そういえば、報酬を渡しにハニーBが来るって連絡がありました」
朝食を終えた後の、食休み。
依頼が来るまではボクらの自由時間だ。こういう時大抵本を読んでいる。
ふと思い出したので、ボクの傍らにいる凛彗さんに声をかけた。凛彗さんは基本ボクの傍を離れない。
読書をするボクを眺めているのが好きらしい。
報告に彼は緩く笑って、「……そう。……ユウ君、頑張ったものね……」と一番の立役者が言った。皮肉か、なんて最初のころは思ったけれどどうやら本心らしい。彼の口からは基本、ボクへの讃辞と甘やかししか出てこないのである。あと、ごくまれに、意地悪が少し。
居た堪れない気持ちで、「……ボクは捕まえられただけですから……」と遠慮すると「……いいんだよ、遊兎都はそれで」とやさしく、甘い、堕落を誘う言葉がかけられた。
「ダ……、ダメですよ、それじゃあ。一応ボクは……その、リーダーですし」
「ふふ……ユウ君は責任感が強くて、……素晴らしいね……」
凛彗さんは極上の微笑みを浮かべた。脳味噌がいい感じに煮えるクスリ――凛彗さんの笑みが十分その効果を発揮すると思う。
これ以上イカれてしまわないよう、ボクは意識を本へと向けた。
◇
物語が佳境に入ったタイミングで、受付から来客を告げる電話がやってきた。名と特徴を短く伝えられ「知り合いなので通してください」と返事をする。
ほどなくしてノックもなく、部屋の扉が開かれた。現れたのはサングラスをかけた年齢不詳のおじさんこと、ハニーBだった。彼は『情報屋』だ。
鎖骨おろか胸筋が見えるまで開襟されたよれよれのシャツと色の褪せたジーンズ、足元は使い古されたサンダルという、一見するとお洒落なのか、単にだらしがないだけなのかわからない格好を常にしている。対人を主とする仕事ではないから、もしかしたら後者なのかもしれない。でも、よく見ればシャツの柄などが変わっているようだから、清潔にはしているのだろう。
彼の特徴といえば、髪の毛だった。ぼさぼさの茶髪の一部分を黒と黄色の縞模様で染めている。初めて会ったとき、「お洒落な髪型ですね」と言ったら「そんなこと言うのはお前だけだぜ」と照れたように笑っていた。社交辞令でも媚びを売るつもりでもなく、本当にただ目に留まったから口に出しただけの、純粋な感想だった。
「……あぁん? はあ、なんだそれ。入れ子人形か?」
特徴的なその頭をがりがり掻き毟りながら、ハニーBが開口一番、ボクらに向かって言った。
現在ボクは後ろから凛彗さんに抱き締められていて、ボクの膝の上にはネウが寝転んでいる。その構図を見ての、ハニーBの感想だった。素晴らしい表現力である。
「はー……あいっかわらずラブラブだねえ、お前ら。うらやましーわ、俺もそういう相手ほしー」
「ハニーBはそう悪くない見目していますから、モテるんじゃないですか?」
実際愛想はいい。受け答えも明瞭だし、人嫌いって感じでもない。
思ったことをそのまま伝えたのだが、妙な沈黙があった。やがて「ふうん」とサングラスの奥の目でボクを見たかと思うと「お前はそう思うのか?」と逆に問うてきた。
「……は? え? ボクですか?」
「そう、お前」
「……まあ、そこそこ……?」
「そこそこかー、そこそこな。そこそこだったらがんばっちゃおうかな~?」
「はあ……?」
何を頑張るというのだろう。見た目の話だろうか。
よくわからずハニーBを見返していると「っち」と膝の上で舌打ちが聞こえた。ネウだ。
ネウは獲物でも狙うみたいに睨んでおり、「テメエは生き方を見直さねえと一生無理だ」と唸った。
「あ? ……るせえよ、クソ猫」
ハニーBとネウは仲が良くない。初手、ネウがしゃべった事実に驚いて「電池どこだ?」と無遠慮に体を検分したことが原因である。正直猫がしゃべる珍事に対し、ハニーBの対応は正当だと思うのだがどうにも気に食わなかったらしい。それ以降犬猿の仲だった。顔を合わせると大体口喧嘩になるが、そこまで激しくなることはないので、放っておいていた。
ハニーBは向かい合わせのソファに大股に座ると、ジーンズのポケットからくしゃくしゃになった茶封筒を取り出した。ボクが無様に捕まった依頼の報酬だった。彼は無造作にそれを机に放った。重みのある音で机に着地した。
「……随分多いですね」
「『赤』でも厄介者だったらしいぜ。お前さんらのおかげで依頼人は大手を振って悪事ができるんだと」
「そうですか、それはよかったです。巡り巡ってこないといいのですが」
「祈るだけ無駄だ」
ハニーBがソファの背もたれに両腕を広げて身を任せた。ついでのように足を組む。
茶封筒を手に取り、中身を確認する。かなりの実入りだった。対して仕事をしていないボクが受け取るにはやや気の引ける量だった。
ハニーBはふうう、と息を吐き出し、ボクを見遣る。それから眉をひそめた。
「? なんですか、ハニーB」
「遊兎都。お前、無防備すぎやしねえか?」
「え」
おおかたハニーBのことだから、そこらへんの誰ぞがつけたかわからぬ野良監視カメラ映像引っこ抜いて見ていたのだろう。トウキョウには結構多くて、誰が誰の生活を覗き見しているのかわかったものじゃない。ハニーB曰く、「お前らの情報は俺がまとめて管理しているから安心しろ」だそう。一応ボクらの情報漏洩の恐れはなさそうだ。
見ていたことを凛彗さんに伝えて場所まで移動――というのが毎回の流れみたいだが、ボクは詳しくは知らない。知ろうと考えてもいないので、今後知ることはないと思う。
もっともそんなものなくても、凛彗さんの獣じみた嗅覚でボクを見つけたろうが。
「連れ去れるときされるがままでよ、ほとんど抵抗してねえじゃねえか」
「え……だって。抵抗すると殴られたりするかもしれないじゃないですか。一応痛覚は生きているので、痛い思いはしたくないです」
「いやいや……。だとしてもよぉ……もっとこう……、動揺するだろ」
「乱暴にされるのは、慣れているので……」
「あ? なんだ、慣れているって」
「そういう〝お遊び〟が好きな方々がいるんですよ」
「……」
目隠し、手枷、足枷、時には鞭、縄――あらゆる道具を用いた〝お遊び〟には慣れている。感情をほぼ捨てていた後のことだったから、怖いとかつらいとかそういう気持ちにはならなかった。
ただなぜこんなことで喜ぶのだろうか、と不思議ではあった。
「一番不可解だったのは、ここにピアスをするっていう〝お遊び〟でしたね。なにが楽しくてこんなところにピアスを開けなくちゃいけなかったんでしょう」
ボクが胸のあたりを指し示すと、凛彗さんが一層強く抱き締め、ネウが「なァん」と猫みたいに鳴き、ハニーBが額を手で覆った。見事な連鎖反応だった。並べられたドミノを倒すみたいな気持ちよさがある。いや、気持ち良くなっている場合ではないのだが。
ハニーBが微妙な面持ちになって、手をひらひらと振った。
「……いい、いい。お前の過去の話はいい。つうか、物のついでみてえに言うな」
「すみません。でも、そうじゃないと割り切れないんですよ。笑ってください」
「笑えるかよ……」
ハニーBが口をへの字に曲げた。
「すみません」と謝罪をしつつ、『情報屋』に向いてなさそうだと内心で呟く。外見はかなり胡散臭いけれど、割と真っ当な感性を持っているのだろう。彼を正常と示すなら、なるほどボクは狂気的かもしれない。
なんて、どうしたって決着のつかない問答をしていると「ま、仕方ねえか」とあっけらかんとしたハニーBの声が聞こえた。
――ボクは思考に浸かりやすい傾向にある。直したい癖だった。
「それよりも仕事の話するか。なあ」
「はい、お願いします」
ハニーBは人懐こい笑みを浮かべた。
こうしているとこのおじさん、本当にいくつなのだろうかと考えてしまう。
くたびれたおじさんのようで、無邪気な少年のようで、なんだかつかみどころがない。
まあ彼がどうであれ、ボクには関係ないのだけれど。ボクと彼は利害関係の一致している仕事相手なのだから。
ハニーBは再びジーンズのポケットに手を突っ込んで、これまたくしゃくしゃにされた紙くずを取り出した。
「ハニーB」
「うん?」
「あなたは一度書類の運搬方法について再考したほうがいいです」
「ん? ははは、悪ぃ悪ぃ」
「欠片も思ってないな……」
笑いながら彼は、紙くずと化したそれを拳でアイロンがけした。けれど限界まで丸められていたから、完全復元は無理だった。書類はメールのコピーのようだ。
「これ、『緑』……『平和的な区画』から?」
トウキョウは危ない場所とそうでもない場所、なんともいえない場所と分かれている。明確な区別がされているわけじゃない。類は友を呼ぶ――そういう言葉があるように、同じような思想を持つ人間たちが自然と集まっていっただけである。
それらをわかりやすくするために名前が付けられていて、危ない場所を『暴力的な区画』、そうでもない場所を『平和的な区画』、どちらにも属さない場所を『どっちつかず』と呼ぶ。
ボクらは常に『どっちつかず』だ。
「そうそう。依頼は『朝踏高等学院』の生徒でな? 依頼内容がおもしろくってよ、『物置小屋に幽霊が出るから確かめてほしい』っていう内容で」
「……それはボクたちが出る案件でしょうか。幽霊って物理攻撃効くんですか」
「なんで祓う前提なんだよ。幽霊が出るから確かめるだけだろ、戦う必要ねえ」
「でもトウキョウなら専門家がいっぱいいそうじゃないですか」
「エセ、な。ほとんどが能力もねえのに、金だけふんだくって適当に仕事して終わり、だ。そういうやつらがゴロゴロしてんだよここは。知ってんだろ?」
「そうですね、ロクデナシが徒党組んでいる場所ですもんね」」
「そのロクデナシん中じゃお前らはまともだ。仕事を完遂するって一点において、お前らに勝るやつらは俺くらいしかいねえ」
「……ああ」
さらっと自画自賛が入ったが無視した。自画自賛というか、真実なのだけれど。
ありがたいことに真面目に仕事をこなしていたら、トウキョウでのボクたち――主に立役者は凛彗さんだけれど――の評価は着々と上がっているらしい。半分ほどハニーBの宣伝効果だが、新参者には手厳しいトウキョウで、『便利屋ラビットホール』は確実に仕事をこなす信用できる業者として評判だという。
「わかりました。依頼はええっと……」
「『朝踏高等学院』。トウキョウで数少ない教育機関のひとつだ。もとは落ちぶれた教師の始めた私塾だったんだが、同じようなやつらが集い集って、最終的にまともな学校になったんだと。マイナスとマイナスかけるとプラスになるってんのは、計算式上だけの話じゃなかったんだなあ」
「……へえ」
教育機関なんてものが存在したのか。
ああ、でも〝清濁の終点〟だからあるにはあるか――正常なのか異常なのかは見てみないとわからないけれど。
「それなりにでかい学校だよ、ここいらじゃな。生徒数は千三百人。年々入学志願者が増えてってるらしくてな、校舎も増築予定なんだと。物置小屋ってのは私塾として開設したときに使っていたちっちぇ小屋のほうだな。そこに幽霊が出るんだと。私塾時代のろくでもねえ教師のろくでもねえ産物なのか……まあわからねえが、それをお前たちに確かめてほしいらしい」
「いるか否かを知れれば依頼達成でしょうか」
「そういう風に書いているな」
「とりあえず、詳細は依頼人から聞きます」
「言ってくれると思ったぜ、依頼人との待ち合わせ場所は――」
そういうことでボクたちは『幽霊退治』ならぬ『幽霊対峙』に向かうことになった。