Ep.29「そしていつも通りの展開」
あなたが好きでした。
本当に。
あの日までは。
ちゃんと。
◇
白の法衣も相まって、まさしく雪崩のごとく押し寄せる群衆を止めたのは銃声だった。
ボクの思考も、視界も、ようやっと元に戻る。激情は潮が引くように消えてなくなった。
冷静になった頭で発砲音のした方を見ると、雅知佳さんが黒い軍隊を引き連れて入り口に立っていた。
「いやはや……こうもうまくいくとは気分がいいね。私は上機嫌だ」
言葉の通り、雅知佳さんは嬉しそうだった。
凛彗さんが強く、ボクを抱き寄せる。群衆たちは軍隊に怯んだのか、その場に留まっていた。
白の塊と黒の塊のちょうど真ん中に、ボクらはいた。
「君と組んで正解だったな、ハニーB。――いや、遠瀧蜜波知」
雅知佳さんの視線の先には、ハニーBがいた。
強張った表情で、彼は真一文字に口を結んでいる。
「え? とお、たき……?」
「君は男だから心配したがね、さすがあの『遠瀧電工』の代表殿だ。判断が賢明で助かるよ」
「……うるせえ」
蜜波知さんは普段あまり見ないような、厳しい表情でぞんざいに答えた。
陽気なおじさんの気配はしない。ネウが怒りに全身の毛を逆立てていた。
『遠瀧電工』の代表だったのか、このおじさん。へえ、じゃあすごく偉いひとなんじゃないか。
え、ボクってばそんな偉いひとに好かれていたってこと? 色仕掛けしちゃったけどまずかったかな……。
危機感皆無のボクが考えていると、にわかに雅知佳さんが両手を広げた。
――何かが始まる。
物語の場面が、切り替わる。
予感がした。
「さて、『神霧教』の諸君! 吟慈殿は実の息子に殺された……それにより証明されたことがある。――真の教祖は〝神威を継ぐ者〟とは彼ではなく、ここにいる禮世だったということだ!」
高らかな宣言に、群衆たちがざわめく。
禮世さんはこちらに背を向けてしまったから、どんな顔をしているかわからない。
彼を縛る元凶は消えた。だから彼は自由のはずだ。
なのに。
「信じられないか? しかし吟慈殿は息子に執着し挙句、その息子に殺された。真に神に愛された者ならこのような無様を晒すだろうか? 神に愛されているというのなら、このように醜く死ぬだろうか!」
雅知佳さんが示したのは、吟慈さんの遺体だった。
彼の体は指の先から黒くなって、炭のように崩れ出していた。遺体が黒い砂になっている。
あの、王子様君と同じ死に方だった。
普通の人間ではありえない。
『異能』を持つ者は、ああやって死んでしまうというのだろうか。
「なんだ、あれは……?」
「神に愛されているのならその身は霧に還るはず……」
「我々は騙されていたのか……?」
ざわめきが少しずつ大きくなっていき、雅知佳さんに注がれる視線が疑念から確信に変わっていく。
正直、不気味だった。寒気すらする。
赤の他人の言うことを容易く鵜呑みにしてしまう心理も、今まで崇めていた者を一瞬にして疑ってしまう心境の変化も、怖かった。
これが〝信仰〟というものなのか。
「戸惑うのも無理はない。……だが、今目の前で起こっているすべてが真実だ。何を信ずるかは諸君らに任せよう――しかし、勇気ある者の判断でこの『神霧教』は生まれ変わる!」
空気ががらりと変わった。
――熱のこもった彼女の演説に、群衆の心が掌握された。
舞台の上の主役が、雅知佳さんに変わった。
ゆえに、すべては彼女の思い通りに事が進んでいく。
彼女が、この物語の主人公だから。
「禮世様!」と誰かが言う。
それを皮切りに「教祖様!」「万歳!万歳!」「新たなる『神霧教』の生誕だ!」と彼らは口々に禮世さんを称え始めた。
見事なまでの手のひら返しだった。
さっきまで吟慈さんを殺されて憤っていたはずなのに、今はもう禮世さんを崇めている。
崇める周囲の声が歪な音楽となって、鳴り響く。音圧の帳がボクらを包み込む。光景が凄まじい音の重なりによって滲んでいるようにさえ、見えた。
「……禮世」
凛彗さんが彼の名を呼んだ。彼は振り返らなかった。
「君が……、君がしたかったことはこんなこと、なの……? 君は、本当にこんなことを望んで……」
凛彗さん――凛兄ちゃんの声は、震えていた。
動揺していた。
「黙れ」
禮世さんの物言いはひどく鋭かった。でも強張っている。
虚勢を張っているのが、よくわかった。
「兄さんに僕の気持ちなんかわからないよ」
その時だけ、禮世さんは取り繕った敬語じゃなくて素の口調だった。
「禮世さ」
「――あまり、自由にしてもらっては困るね」
雅知佳さんだった。
彼女はボクを見て、悪役のように笑っていた。
でもその笑顔は、どこか歪だ。無理矢理、そう振る舞っているように。
「……雅知佳さん」
「君たちは『神霧教』にとって敵なのだよ。わかるかね? だから――」
「……どうして、あなたは」
こんなことまで。
ボクの問いかけに雅知佳さんは一瞬言葉を失い、そして眉間に皺を寄せた。
ひどく苦悩した顔に、困惑する。
どうして、そんな表情をするのかわからなかった。
「――黙れ。君なんかに私の気持ちなどわからないさ」
雅知佳さんのその声は、泣きそうだった。
――君にならわかってもらえると思ったんだが
――君なんかに私の気持ちなどわからないさ
その言葉の違いは、一体なんなのだろう。
彼女とボクを隔てるモノは一体なに――?
考える暇もなく、ボクの意識は暗転した。
◇
かくして、ボクらは別々の場所に閉じ込められた。
周囲をコンクリートに囲まれた、牢屋と言われてすぐ思いつく灰色の部屋である。
服は暫く法衣のままなのかな。包帯を取り上げられてしまってなんだかむずむずするから、包帯くらいはさせてほしいのだけれど。
ネウも同じ牢屋に入れられた。癒しを求めて抱き上げるとネウも「……なァん」と弱々しく鳴いた。怖かったのかもしれない。
「……やっぱりオレたちを騙しやがったんだな」
「……そうだね」
不思議と、怒る気持ちは湧かなかった。
最初から仕組まれていたのかもな、とボクは暇潰しに回想がてら推理とも言えない自論を口にした。
「峰理さんのことを教えたのはたぶん蜜波知さんだろうね。殺しちゃいけないってことも……彼がきっと言ったんだ」
「あ?」
「峰理さんが言っていたでしょ、依頼人は峰理さんのことを知人から訊いたって」
「ああ……そうだったか?」
「うん。それに依頼人の日記には〝『掃除屋』を殺してはいけないって言われた〟って書いてあった。ボクはてっきり〝あのひと〟が言ったのかと思っていたけれど……あれも、蜜波知さんだったのかも。彼はボクらがここにたどり着くことをわかっていたんじゃないかな。とすると〝あのひと〟っていうのは……王子様君の言っていた船乗りのお父さん……?」
王子様君は家族がいると言っていた。母親と父親と兄がふたり。
彼の言っていた特徴から母親は羅住さん、あと自己申告してくれたから、たぶんふたりの兄は漆々さんと錫流君だろう。とすると父親とは誰のことだろうか。普通に考えれば吟慈さんのことだよな。
でも吟慈さんは教祖だし、父親なんて親しみある間柄では呼ばないか。じゃあ父親って誰なのだろう。
船乗りのお父さんと霧の向こうに連れて行ってくれて人の殺し方を教えたのは同一人物なのか?
「……遊兎都」
「うーん、わからないなあ……あ、もしかして錫流君がお兄ちゃんでお父さんはもしや漆々さん……?」
「おい、遊兎都!」
「!? な、なに?」
「お前、……裏切られた、とか思わないのかよ」
ちょっと考えて、答える。
「思っていないよ」
本心だった。
ネウが不可解だって顔をするから、「だって裏切られたと失望するほど……ボクは彼のことを知らないから」と続けた。
本人から聞いていたというのももちろんあるけれど。
一番の要因は知らなすぎる、ということだろう。彼のことでボクが知っているといえば、陽気で時々すけべで、たぶんボクに気があるおじさんってことだけだ。『遠瀧電工』のトップって事実はついさっき知ったけれど。
ボクを好いている事実が裏切らない裏付けにはならない。寧ろ好意を見せて裏切ることだってあるわけだから、見ず知らずの人間に好かれている場合は警戒したほうがいい――のかもしれない。
「……ドライだな、お前」
「そうかな。そうなのかも……でもちょっと残念だなとは思っているよ」
「残念?」
「仕事が減るなあ、とか」
「……現金な奴め」
さて、ボクの役目は大方決まっている。
ボクが殺されない。その心配はしなくていい。
梵遊兎都という存在は白樺凛彗の操縦桿である。ボクを失えば制御不能の怪物を相手にすることになろうから、雅知佳さんもそんなヘマはやらかさない。
「……暇だなあ」
ボクは灰色の天井を眺めながら呟いた。
暇だと思うボクの感性はたぶん、どうかしている。
ボクは首を撫でた。あのひとのくれた首輪が、そこにある。
その事実に安心した。




