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Ep.28「悲喜交々」

 後ろ手に拘束されて連れて行かれたのは、最初に訪れた場所ではなかった。

 いうなれば玉座である。相変わらず白い部屋で、周囲には大勢の法衣姿の連中がいる。見物客、いや証人だろうか。玉座に通ずる道のみ赤い絨毯が敷かれていて、天井からは装飾の一環なのか、薄い布が垂れ下がっていた。

 少しせり上がった部分に吟慈(ぎんじ)さんが座っていた。脇には、捕らえられたひとりと一匹がいた。蜜波知(みつばち)さんは抵抗して殴られたのか、頬が赤く腫れていた。ネウは檻に入れられて大人しくしている。

 座っていた吟慈さんが凛彗(りんぜ)さんを見て笑った。いつ見てもぞっとする笑顔だ。


「よい子ですね、禮世。お前は立派に凛彗としての役目を果たしていますよ」


 舞台の上の主役は吟慈さんだった。

 脚光を浴びる彼に対し野次も罵倒も起こらない。

 彼をすることを止める者は誰もいない。


 吟慈さんの称賛の言葉を、禮世さんは首を垂れて受けていた。

 ――当然でしょう。私はあなたの身代わりなのですよ。

 あの時、彼が言ったその言葉の意味をようやっと理解できた。

 吟慈さんの目に、禮世さんそのひとは映っていない。あくまで凛彗さんの身代わり。

 なぜ、そこまで凛彗さんにこだわるのだろう。


「凛彗。これでわかったでしょう? あなたはずっと私の息子なのです」

「……」

「であれば、役目はわかりますね?」

「……」


 凛彗さんは答えなかった。

 役目、つまりそれは吟慈さんと子作りをすること。

 今更近親で云々なんてことは言わない。けれど、彼と他の誰かが交わってその証を残すのがこれ以上ないほど嫌だった。

 黙ったままなんて、いられない。


「――どうして、凛彗さんにこだわるんですか」

「無駄口は控えなさい。教祖様の御前ですよ」


 ボクが言葉を紡ぎ終える前に、禮世さんに鋭く注意する。

 でも聞く気はなかった。

 ――知るもんか、ボクにだって意地ぐらいある。


「控えません。ボクは聞く権利がある。なぜならボクは彼の恋人だから、将来を共にする伴侶だから。引き裂かれるのであれば理由をお聞きしたい。――慈悲深い教祖様ならボクのような下々のお気持ちも汲んでくださるのではないのですか」


 自分でもびっくりするくらい冷めた声が出た。

 周囲が騒然となったが、吟慈さんが手を上げるとすぐに静まった。


「いいですよ。思い合う者同士が意図せず引き裂かれる気持ちは私にもわかります……だから答えて差し上げます」


 胸元を抑える大仰な仕草を挟んで、それから。


()()()()()()()()()()()()()()()、です」

「は?」


 もっともらしい理由を述べられたようだが、全く合点がいかなかった。


「私の美しさは宝です。決して途絶えさせてはいけない……だから次世代に受け継ぐのです。凛彗だけがそれは可能にする。私の美しさと凛彗の美しさ。これらが掛け合わさった時、至上最も美しい我が子がこの世に誕生するでしょう!」


 吟慈さんは立ち上がり、まるで神の生誕でも宣告するみたいに叫んだ。周りがわ、と沸く。

 大衆の沸いた声も、遠くに聞こえた。それくらい、意味がわからなかった。


「……え?」


 何を――言っているんだ?

 美しさ? それを継承する、それだけのために凛彗さんはこんなに執拗に追われているのか?

 禮世さんにもわざわざ整形を施して?

 意味がわからない。理解できない。

 目の前にいるのは、本当に同じ人間なのか?


「何……言っているんだ、お前……? そんなもののために、凛彗さんに毒を盛って禮世さんの顔まで作り変えたのか……!?」

「そんなもの? ああ、いやだいやだ……美しさを正しく見抜けぬ者は愚かしくて見ていられません。美醜とは命の価値と同じ、醜い者は生きる価値などないのです」


 文章として、言葉として、理解できても、わからなかった。

 価値観の相違なんて甘っちょろいものじゃない、これは世界観の相違だった。

 住んでいる世界が、見ている視界が、なにかもが違う。


 自分の世界観に、子どもたちを閉じ込め、苦しめて。

 ボクの一番大切なひとの人生を阻んで、薬を盛って犯そうとまでして。

 美醜が命と同じ価値? そんなの――


「そんなの……お前の勝手な考えだろ……っ、――お前の生き方に他人を巻き込むな!!」


 感情が沸騰していた。

 ぐつぐつ煮えたぎる怒りが、溢れ出して、止まらない。

 理性など、どこかに置いてきてしまったみたいだ。


「凛彗さんも禮世さんもお前の道具じゃないッ!! ふたりともふたりのための人生があるんだ、お前が左右していいものなんてひとつもないッ!」

「はあ? 何を言っているのです? 私はふたりの親なのですよ? だったら道を示してやるのが親の役目でしょう」

「違うッ! 決めているだけだ! 押し付けて、決めつけて、囲っているだけだ!! 選ぶ権利すら剥奪して何が親の役目だ!! お前はただ自分の思い通りに動く奴隷が欲しいだけだろうがッ!!」


 親なんて聞こえいい言葉を使っているけれど、結局は子どもだなんて思っていない。

 〝道具〟あるいは〝奴隷〟。

 自身の理想を実現するためだけの犠牲。

 白樺吟慈の目指す美の創生のためだけに生きる糧。

 そんなの、あってたまるか!!


「ふたりを解放しろッ!! しないんだったらボクが……ボクが、お前を殺してやる!!」


 なんてことを言ったのだ、と冷静な自分が言った。

 でも一度手放した言葉は戻ってこない。

 ボクの言葉に禮世さんが振り返って驚いていた。吟慈さんは眉間に皺を寄せていた。


「……言いたいことはそれだけですか?」


 吟慈さんが立ち上がってこちらへ歩いてくる。靴の音がやけに大きく響いた。

 お互いに立っていても、吟慈さんは背が高いから圧倒される形になる。

 見下ろす瞳は刃のように鋭かった。


「殺してやる、だなんて物騒ですね。さすがあの男の息子と言いますか……」

「……ッ」

「何を言われようと私は凛彗と子を成します。特別にお前には見せてあげると言っているでしょう? 私と凛彗が深く愛し合い、果てに愛の結晶を孕むその瞬間をね……!!」


 その刹那。

 目の前が、真っ赤になった。


「……し……やる……」


 こ ろしてや る

 ころして、 やる

 コロしてヤル

 殺して、殺る


 ――殺してやる!!


「殺してやる……」

「え?」

「殺してやる……殺してやる……ッ殺してやるッ!!」


 ()()()()にして()()()()にして臓物をぶちまけて骨のすべてを折って砕きなにもかも一切合切徹頭徹尾お前のことを殺してやる完膚なきまでにお前のことを、お前を、おまえを、おまえだけを!!


「ああ、さすが『暴君』の息子。怖いですねえ……禮世」

「はい」

「この哀れなモノを始末しなさい」

「……はい」


 殺してやる。殺してやる。殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる――


遊兎都(ゆうと)、駄目だよ」


 あれ? だれのこえ?

 ぼくのからだが、くうちゅうに、ういている。

 これは、


「僕のために怒ってくれるのは嬉しいけれど……()()()()()()()()()()()


 すべてが、遅い。

 世界が、止まって見える。

 何かが潰れる音がした。赤、赤、赤。赤。真っ赤。

 なんだろう、これ。


「教祖様ッ!!」

「早くだれか!」

「いやあああ!!」


 叫び声。赤色。真っ赤。

 あふれる、それは血の色。

 吟慈さんの体を、凛彗さんの腕が。

 ()()()()()


「……凛、彗……?」

「……さようなら、父さん」


 あなたのこと、尊敬していました。

 振り絞るようにそう言って、凛彗さんは腕を引き抜いた。純白の衣装が血を吸って深紅に変わっていた。頬にも返り血がついていた。なにもかも赤い。

 手を伸ばした。無我夢中に、それが離れていかないように。

 輪郭が浮かび上がる。凛彗さん。凛兄ちゃん。ボクの大好きなひと。


「……りんにいちゃ……」

「遊兎都」

「……どう、……して?」


 殺したんですか。

 殺さなくちゃいけなかったんですか。

 あなたが。ボクではなくて。

 どうして?


「僕がここに戻ろうと思ったのは」


 彼はボクの額に口づけた。


「……父を殺すためなんだ」


 凛兄ちゃんは苦しそうだった。

 ああ、嫌だな。そんな顔しないでほしい。

 強くてきれいなこのひとの弱い部分。

 やわらかくて脆くて触れたらあっという間に崩れてしまうような弱いところ。

 暴かれてしまわないで。お願いだから、このひとをそんな風にしないで。

 このひとを、悲しませないで。


「……泣かないで……」


 涙なんか一粒たりとも流れていないのに。

 でもボクの口からはその言葉は滑り落ちた。

 凛兄ちゃんはボクの目の下を拭う。

 泣いているのは、ボクだった。


「……ありがとう、ユウ君」


 ボクの大好きなひとは、ボクに触れるだけの口づけを送った。

 お礼を言われることなんか、していない。ボクはただ挑発して罵倒しただけだ。

 ふと見ると、禮世さんは、怒っているような安心しているような悲しんでいるような――いろんな感情がごちゃ混ぜになった顔をしていた。


「――何をしている、早く連中を捕らえろッ!」


 白装束の誰かが言った。

 現実味がない世界で、白が雪崩れ込んできた。

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