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Ep.26「Emperor&King」

 久遠寺(くおんじ)雅知佳(まさちか)

 〝罪業の街〟ザイカを〝神都市(しんとし)〟エデンに変えた『女帝』。

 その比類なき手腕であらゆる業界に顔が利き、今やツクヨミ大陸で彼女を知らぬ者はいないと実しやかに囁かれる存在。

『絶対的王者』『氷輪の君主』『満月を支配する者』などなど大仰で多種多様な異名で呼ばれている。

『久遠寺財閥』創始者であり、ボクを凛彗さんと引き合わせた張本人だった。


「迎えがなかなか来ないからまた()()()()()()()()のかと思えば……違う盛り上がりだね、吟慈(ぎんじ)殿?」

「ああ、少し痴話喧嘩をね」


 親子喧嘩の間違いだ。

 怒りが神経の端っこを焼いたが、自制した。


「それにしても久しぶりだなあ、二年ぶり……くらいかな? 遊兎都(ゆうと)君、凛彗(りんぜ)

「……そうだね」


 ――凛彗さんは彼女を睨んでいた。

 彼は、雅知佳さんがしようとしたことを許していない。最初こそ、ボクが幸せであればと考えていたようだが、実際には単に洗脳するのだとわかって反発した。

 ボクを害するとわかった瞬間、凛彗さんにとって雅知佳さんは敵になった。

 たとえボクらの再会の手助けをしてくれた恩人であっても。


 ――君にならわかってもらえると思ったんだが


 別れ際に放たれたその言葉を、未だにボクは覚えている。

 拳銃を構えた彼女の、憎悪に燃える瞳と共に鮮明に。

 〝君になら〟というように、彼女とボクの過去に類似点が多い。早くに両親を亡くしていること、『使用人』であったこと――。けれど多いからといって共感性が高いかどうかは別だ。

 彼女は不条理に対して怒り、ボクは不条理に対して順応した。

 その圧倒的差異が今の立ち位置を決めている。

 怒りを原動力に彼女は『久遠寺財閥』を築き、そしてザイカに変革をもたらした。そのおかげでボクは『使用人』の身から脱した。

 救うものと救われたもの。その関係性を、彼女は利用した。凛彗さんたちの介入によってそれはご破算になった。でも、そんなことはどうでもいい。

 彼女のしてきたことを、しようとしたことを、ボクは糾弾するつもりはこれっぽっちもない。ただ、危険だとは思う。

 なにが、と言われると言語化が難しいのだけれど。


「どうして、あなたがここに?」


 ボクの問いを受けた雅知佳さんの目は静かだった。何の感情も宿っていなかった。


「――()()()()()()()


 雅知佳さんはそう答え、吟慈さんへ目を向けた。

 彼の姿を視界に入れた雅知佳さんは途端嫌な顔をした。


「ああ……吟慈殿。私はその姿は好まない、申し訳ないが()()()()もらえるかね?」

「ああ、そうでしたね。失礼いたしました」


 変わる?

 そう思って見ていると、吟慈さんは自分の胸に手を当てた。周囲を煌めく粒子が取り囲む。すると彼の体つきが見る見るうちに変わった。

 肩は丸く、胸部は膨らみ、腰はくびれ、太かった首が細くなり――そして女性へと変貌したのである。


「えっ!?」


 ボクが思わず声を上げた。慌てて口を手で押さえたけれど、叫ばずにはいられない状況だろう。

 男が女に変わったのだ。凛彗さんは普段通りだったし、周囲にいる誰も驚く様子はなかった。


「ふむ……。いつ見ても見事なものだ。任意で解けるのだったね?」

「ええ」

「確かその姿で禮世(らいせ)君を産んだのだったね? 出産までそのままなのかい?」

「母乳が出なくなるまで女性体は維持されます」

「へえ。永続的に女の姿が維持されるのであれば、是非その遺伝子を解析して男どもを女にする薬でも開発させたいところだったが」

「ふふふ、あなたも恐ろしいことをお考えになりますね」

「世界平和のためさ」

「ただ……」

「ただ?」

「……生憎と幹部との間にできた子だったせいか、私の美貌を受け継がなかった〝失敗作〟でしたので、顔を変えさせましたが」

「それは……吟慈殿。なかなか酷なことをなさる」

「親の愛ですよ、〝獅子は我が子を千尋の谷に落とす〟と言いますから」


 違う、そんなものは愛じゃない。

 エゴだ。親のどうしようもないエゴ。

 吐き気がする話だった。どうして、自分で産んだ子どもに平然とそんなことができるのか。

 人道倫理のかけらもない。ボクが言うのもなんだが……、あまりにひどすぎやしないか。

 思わず凛彗さんの襟元を強く握った。彼は気持ちを汲み取ってくれたのか、ボクの手に手を重ねてくれた。あたたかさに、また黒い気持ちが瓦解していく。

 ひとを好きになるってすごいなあ……。

 ――相変わらず危機感のないボクが物思いに耽っていると、その様子を見ていた雅知佳さんが嘲った。


「っふ……。相も変わらず、仲が良いね君たちは。君の遊兎都君への入れ込みようは『活動員』の時よりひどいように見えるが?」

「ええ、反抗期で困ります。親の言うことを全然聞かなくて」

「ははは、反抗期ってタチかね」


 ふたりの会話はまるで、井戸端会議だった。内容に反して口調は軽い。

 吟慈さんが再び凛彗さんを見る。彼は険しい表情だった。


「凛彗。子どもは親の言うことを聞くものです、昔はもっと聞き分けの良い子だったでしょう?」


 なめらかでやわらかい物言いなのに、ベタベタして心地悪い声だった。

 懐柔しようとする意志がありありと感じられるからだろう。


「……僕はもうそんな子どもじゃないし、昔はむかしだよ。……今の僕は君の敵だ」

「敵だなんて……悲しいことを言わないでください、凛彗。ね? 大丈夫、子どもができればもうあなたを追うことはありませんから」

「……」


 たとえば、吟慈さんからの襲撃を、執念を、ただ免れるだけなら、凛彗さんが吟慈さんと子を成すことはおそらく最善の解決方法だ。誰も死なずに済むし、誰も傷つけなくて済む。

 でも、ボクはそんな最善なんて選びたくない。

 好きという気持ちを曖昧に濁していた時期だったのなら、きっとここで明確に嫌だとは言えなかった。でも今は違う。好きだとわかったら、ボクは彼を、誰にも。


「……ッ」


 下唇を噛む。

 ああ、これは嫉妬だ。

 嫉妬をしているんだ。だから、こんなに嫌な気持ちになる。

 襟をつかむ手に力が入る。〝嫉妬〟――口にすると苦い言葉だった。

 嫉妬ってこんなに苦くて嫌な気持ちなんだ。


「……ユウ君」

「……はい」

「……僕があのひとと子どもを作るの、嫌?」

「……」

「遠慮しなくて、いいよ。もし君がこれ以上追われないことを最優先にするなら、僕は……」

「だめですっ」


 襟元をぐいと引き寄せて叫んだ。


「……遊兎都」

「だめです……いや、です……そんなの……」


 まともに言葉も出て来やしない。

 情けない。徐々に尻すぼみになるボクの言葉を、凛彗さんはちゃんとわかってくれた。


「……嬉しい」


 額をこつんとぶつけて吐息たっぷりに言うものだから、ボクはなんていうか。

 脳味噌がキャパオーバー、というか。

 くらくらしかけている視界で、凛彗さんがすっと前を向いてはっきりとした口調で、「……そういうわけだから。子どもは作らないよ。……諦めてくれる?」と断った。

 けれど吟慈さんは笑顔だった。


「ここまで来て諦めるとお思いで?」

「……さあ。……諦めないなら、こちらにも考えはあるけれどね」


 凛彗さんが足にぐっと力を入れたのがわかった。ボクも戦いたかったが、丸腰だ。振り落とされないように彼にしがみついておくしかない。ネウがどこからか跳躍し、腹のうえに落ち着いた。


「……なァん」

「ネウ……」

「……ふん、鬱陶しいやつらだ」


 ネウが苛立ちを隠しもせず呟いた。彼の喉のあたりをさする。ネウは満足したらしく、静かになった。


「――凛彗、私たちを忘れていないかね?」

「……!?」


 雅知佳さんのその声と同じくして教団関係者ではない軍勢が部屋に入ってきた。

 黒い軍服に身を包んだ彼らは、目元にサングラス型の機械を装着している。


「『都市軍(としぐん)』だ。『活動員』の上位互換……いや、それ以上かな。ひとりひとり強化してあるから、『肉体型規格外(フィジカル・エラー)』の君と言えど、侮らないほうがいいよ」


 一列に並んだ軍人たちは、腰に帯びた長刀を迷いなく抜いた。

 多勢に無勢――圧倒的数の暴力である。しかしこれで怯む凛彗さんではない。ではないけれど、不利だ。


「り、凛彗さん……あの」

「……問題ないよ。……塵が積もれば山となるというけれど、所詮塵だからね」


 横顔がすごくかっこいいなあ……――じゃない!

 確かに、凛彗さんから見ればどれだけ軍勢が押し寄せようと塵芥と変わらないだろう。でも先ほど雅知佳さんは言っていた。

 強化されている、と。


「凛彗さん……、今さっき雅知佳さんは強化されていると言っていました。人道倫理を無視した改造をされている可能性が高いです。だから、油断しないほうがいいかと……」


 お荷物のボクが助言なんて差し出がましいとは思いつつ、凛彗さんに言う。彼女が行う改造はおよそ普通ではない。腕が外れてロケットランチャー、なんてなってもまったく驚かないくらいである。

 彼は口の端を持ち上げてやさしく笑った。美人の笑みの破壊力、凄まじい。


「……ありがとう。……心配、してくれているんだね」

「し、心配は……そうですけど、あの……」

「大丈夫。……しっかり捕まっていてね」


 自信に満ち満ちた顔に、ボクはぐっと言葉に詰まった。

 ボクは弱肉でも、凛彗さんは強食である。つまるところボクの言葉は余計なお世話なわけで。

 だったらと大人しく彼に任せようとした時だった。


「ッ!?」


 凛彗さんの体が、ぐらりと傾いた。

 ――え?


「り、凛彗さん……ッ?」

「……な、なにこれ……体に、力が……?」


 凛彗さんの額にはうっすら汗が浮かんでいた。動揺している。

 滅多に表情を崩さない彼が。


「ふふふ……」


 気味の悪い笑い声が聞こえた。


「ふふふふ……。ふふふっ。可愛いですねえ、凛彗。私に反抗しながら私の用意した服は着るのですから。詰めが甘くてとても可愛い」

「まさか服に細工を……!?」


 ボクの問いかけに、吟慈さんは笑い声を抑えながら答えた。


「そう。細工と言っても神経毒を染み込ませた糸で作った服だというだけだけれど」

「神経毒……? 凛彗さんは毒が利きづらいはずなのに……?」

「凛彗と言っても、皮膚呼吸はしているだろう? それは経皮吸収さ。ああ、でも心配するな、致死性ではない。毒が抜けるまでの数時間ばかり体が動かないだけだよ」


 笑みを含ませた声で、雅知佳さんが解説した。ふたりの余裕が忌々しかった。

 凛彗さんを無力化すれば、ボクなんてひとひねりであるから当然だ。

 どうしてもっと、注意しなかったのか。

 油断していたのは凛彗さんではない。ボクのほうだ。

「ああ、それと」と言ったのは、吟慈さんだった。


「その毒にはね、媚薬の効能もあるんですよ。体は動かなくてもちゃあんと快楽は拾えます。……あなたが私を拒むことなんて、お見通しです。――だって私はお前の親なのだもの」


 吟慈さんが近づいてくる。凛彗さんの頭を抱くようにして庇ったが、――天地がぐるんと回って、背中全体に激痛が走った。そして、放り投げられたのだと理解する。ネウも首根っこを捉えられてじたばた暴れていた。


「遊兎都ッ!!」

「……遊兎都……ッ」


 ネウも凛彗さんもボクを心配していた。なんとか上体を起こしたが、上から押さえ込まれて完全に身動きを封じられた。

 成す術なしである。


「ぐっ……」

「ああ、折角だから遊兎都君。私と凛彗が愛し合う姿を見せて差し上げましょう。あなたは存分に堪能したでしょうから」


 せせら笑う吟慈さんの、細くしなやかな指先が凛彗さんの首筋を這う。

 なんておぞましいのか。鳥肌が立った。


「……やめ、ろ……、さわ……るな……ッ」

「うるさい子ですね、まったく……」


 吟慈さんは冷たく言って、凛彗さんの頬に手を添えた。彼の顔が苦悶に歪む。

 やめろ、いやだ、そんなの見たくない……!! りんぜ、さ……っ! 凛兄ちゃんっ、やめて、おねがい、やめてくれ!!


「そんなの……ッそんなの親の愛じゃない! お前の一方的な都合の押し付けだろう!! 誰も望んでない……ッ、禮世さんだってそんなの……っ、望んじゃいない……!!」


 ボクは無様に喚いた。

 時間稼ぎだった。


「はあ……、なんなんでしょう。家族の話に部外者が首を突っ込まないでいただけますか」

「ぶ……部外者なんかじゃないッ、ボクは、――そのひとの妻になるって約束しているんだッ!!」


 妻、だったっけ。

 あれ? お嫁さん? いやでも同じ意味だし。

 頭がうまく回らない。


「ふんっ、そんなもの……私が認めません」


 だめだ、やっぱりボクにはなにも、できない。

 絶望に視界が眩んだ瞬間。


「――目ぇ閉じろ!!」


 声が響いて、光が室内に弾けた。

 聞き覚えのある声だった。

遊兎都は表向きはずっと「凛彗さん」と呼び、気持ちが弾けると「凛兄ちゃん」と呼ぶ傾向にあります。

なので呼び方はごちゃ混ぜです。

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