Ep.21「契り千切られて」
二階での戦いを終え、ボクらは三階へ上がった。この屋敷は何階まであるのだろう。外から見たとき精々三階くらいの高さだったような気もする。
三階には客室はなく、宴会場らしきものがふたつほど用意されていた。片方はがらんどうだった。しかしもうひとつの会場はなにやら準備がなされていた。円卓にはテーブルクロスが敷かれ、食器類の準備がされている。そしてすべての円卓には中央に花が添えられている。匂いはしないから、たぶん造花だろう。会場の装飾の仕方を見るに結婚式のようだ。
「こんなところで結婚式かよ」
ネウの言葉に、「そうだね」とボクは返す。
「殺し合いで、殺し愛?」
「……寒ぃ」
「……思いついただけだよ」
「ふう……やっときたか、私の運命の人」
「ぅわ!」
びっくりした。
心臓が口から飛び出るかと思った。
「そんなかよ」とネウに言われたけれど、油断しているところに突然声をかけられるとびっくりするものじゃないだろうか。
それはいいとして。
声をかけたのは男性だった。白いタキシード姿で優雅に足を組んで座っていた。ぱっちり二重に長い睫毛、やや童顔寄りの相貌。タキシード姿がああも似合う人間が存在するとは思わなかった。普段着だと言われてもなんとなく信じてしまいそうな雰囲気がある。花を愛でて爽やかな風に吹かれ、そして〝姫〟と女性を呼んだとてそれがキザっぽくならない奇跡の男性――というのが存在するのだとしたら、たぶんその正体は彼だろう。
プレートの名前は『坂中邉 仲人』と記されている。結婚する側であろうひとが、仲人なのか。いや名前は親からの贈り物というし、ボクの知り得ない親の深い愛情が込められているのに違いない。ボクがなんのかんのと言うのは失礼にあたる。
ところでさっきこのひと、ボクのこと運命の人って言った?
「ご機嫌よう、麗しの私の花嫁。私の名前は坂中邉仲人、君の花婿だよ」
彼の笑みは美しいが、なんだか気味が悪かった。
「ふうん……いやいや、美しいお嬢さんじゃないか。ふふふ、私の三十六回目の結婚相手に相応しい」
仲人さんは椅子から立ち上がった。向かう先は新郎新婦が座るであろう、最も多種多様な花で飾り立てられた壇上の席だ。
え? 三十六回目?
「私の趣味は離婚でね。離婚って結婚しないとできないだろう? 結婚するまでに築き上げたすべてのものが台無しになるあの感覚……たまらないよねえ」
仲人さんは頬を恍惚と染めながら自身の性癖を語ってくれた。
いや、離婚が趣味って。明らかに関わっちゃいけないひとじゃないか。
ネウも足元で「変態だ……」と絶句している。ボクもちょっと引いている。
「さあ、結婚式を挙げよう」
「今日は晴れですね」みたいなノリで求婚された。
凛彗さんだってしないぞ、そんなこと。
「ボクと結婚するまでに築き上げたものがなにもないのに、ですか……?」
「うん? ああ、流行りの〝ボクっこ〟かな? 可愛らしいじゃないか、僕の出会った人にもそういう子いたよ。俺でも僕でもオレサマでもわっちでもあちきでもなんでも私は愛すよ」
なんのことやらさっぱりだが、要するにこのひとはボクと結婚しようとしている。
築き上げた云々言っていたのに、その段階をすっ飛ばしてただ離婚したいがために結婚しようとしている。仲人さんはやっぱり、名の通り仲人をやっていた方がよかったのではないだろうか。
いや、でもこのひとにスピーチを頼んだらロクなこと言わなさそうだな。
「ほら、おいで」
「……お……お断りします……」
「え?」
「ボ、ボクには一応……一応ですが恋人が……いるので。なので、結婚は」
「ああ、いいねえ!」
仲人さんは手を叩いて席から立ち上がった。興奮しているのが目に見えた。
「略奪愛だよ、素晴らしい! 命の危機を感じるねえ!」
「……は?」
「私は二十二回目の結婚をしたときに披露宴で相手の親に殺されかけたんだ。あれはすごかったなあ……あとはね、十五回目……くらいだったかな、そう、最初のほうだ。その時に裏切者って、大勢の女性が私の式場に押し寄せてねえ……はああ、思い出しても興奮するよぉ……」
ネウの言葉が正解だった。正当だったし、花丸満点だった。
変態だ。
ボクは初見で感じた彼に対する評価が、単なる見た目からの先入観に過ぎないのだと痛感した。人は見た目が九割とか八割とかかち割とかいうけれども、まさにそうだ。
王子様? とんでもない! 王子様の皮を被った変態だ。
これならゾンビを作っていたあの子の方が、まだちゃんと王子様をやっていた。
「あの……えっと、ボクは恋人を裏切るような真似はできません。結婚はお断りさせていただいていただきます」
戦いたくなかった。
いやもう会いたくもなかったけれど。
とりあえず踵を返し出て行こうとした。その時手を伸ばしたドアノブが弾けた。
「!」
「だめだよ……私に求婚されたら答えなければならない」
「……は?」
振り返ると仲人さんはその手に散弾銃を構えていた。
真顔になった目の奥に邪悪な感情を察した。何が何でも己の目的を遂行したいという意思がある。
ボクとなんとしてでも結婚し、そして離婚する。それを果たさない限り、彼はボクを逃がさないつもりだ。
「私と結婚するんだ、梵遊兎都ちゃん」
はて、ボクは名乗ったろうか。いや、今そんなことはどうでもいい。
散弾銃を構えて言うそれは口説き文句ではなく、脅し文句だ。
何度だって自分に言い聞かせてしまうけれど、ボクと遠距離武器の相性は頗る悪い。
間合いを詰めるか奇襲を仕掛けない限り、勝利の活路は見いだせない。間合いを詰めるにしても詰めようとした瞬間にずどんだろうし、奇襲を仕掛けるにも円卓同士の間隔がありすぎて逃げているうちに補足される可能性が高い。
それに銃口を突きつけられている現状、下手に動けばボクは隠れる前に致命傷を負うだろう。そこからは煮るなり焼くなり結婚するなり離婚するなり自由だ。
しかしながら、戦いに勝つことは目的じゃない、あくまで生き残ることがボクの人生の目的である。危険な真似、怪我はできる限り避けたい。
ならば、選択肢はひとつだけ。
「……わかりました」
「いい子だね……ああ、武器は捨てておいてくれよ? 抱き締められて、ついでに私を殺そうなんていうのは、神聖なこの場所に相応しくない」
仲人さんが散弾銃を構えたまま言った。
目論見は看破されていた。となると、逃げ道は完全に塞がれた。
ボクは持っていたカッターナイフを捨てた。仲人さんは「スカートの中にあるもの、全部だよ」と続けた。ネウが「遊兎都……!」と小さく叫ぶのを聞き流しながらスカートの中に収納していたカッターナイフ五本をすべて床に放った。
これで完全に丸腰だ。
「いい子だね、さあ。おいで」
結婚するだけなら精々キスぐらいだろう。だったら、まだマシだ。
ボクは迎え入れる準備をしている仲人さんのもとへ歩を進めた。仲人さんはとても満足そうだった。
結婚したとてすぐ離婚する羽目になるのだから、これは茶番――ままごとの類である。
ならばボクがこれまで受けたどんな凌辱よりも格段に健全だし、平和的解決だろう。
相手はすごく変態だけれど。
ボクと仲人さんが抱擁するまであと数歩。抱き締め返そうとボクも手を広げたところで。
ばたん、と扉が開く音がした。
振り返ると宴会場の扉は倒れていた。現れたのは両手になにかをぶらさげた凛彗さんだった。
「あ……」
真顔だ。何を考えているのか察しようもない。
「遊兎都」
「……はい」
「……僕は君に言ったはずだよ。その首輪をしている限り、君の体は僕のものだよ、って……」
「あぁ……えぇっと……」
また言い訳を探している自分がいて、ボクは口を噤んだ
――首輪をしている間は誰かに身を委ねてはいけない。
言われたことをボクは守れなかった。生存するためにだとしても、約束を反故にしたのは事実だ。
黙って沙汰を待った。しかし、降ってきたのは笑い声だった。
「ふふふ……。構わないよ。……言ったでしょ? 僕は遊兎都に人生を左右されるのが好きだって。それに……」
「それに?」
「……あんな口約束を、ちゃんと守ってくれている君が僕はとても愛おしいよ……」
「……えっ」
つまりあの約束、そこまでちゃんと守らなくてもよかった……?
あんなに熱を込めて言われたのに……?
「――へえ、恋人のお出ましか?」
仲人さんの声がボクは我に返る。戦闘中だった。
凛彗さんは嫌そうな顔をしながら会場に入ってくる。両手に下がっているあれは、なんだ?
「……勝手なこと、しないでくれるかな。……ユウ君は僕のお嫁さんになる予定だから……候補が増えると困ってしまうよ……」
凛彗さんは持っていたそれを放った。ぐしゃ、べしゃ、と湿った音を立てて床に落下する。
それは首だった。ふたりの顔はそっくりで、性別は顔立ちからでは判断できなかった。首の皮膚が引きちぎられたみたいな切断面になっている。文字通り、引きちぎったのだろう。
「……ユウ君が困っていると思ったから……慌てて首をもいで来たんだ……プレートもちゃんとあるよ」
凛彗さんは微笑んでふたつのプレートを見せてくれた。『殿栗 仕返』『殿栗 仕置』と書かれていた。
「凛彗さん……」
「……捨てる前提で結婚、だなんて。……不誠実すぎるよ……ユウ君の心を弄ぶのは許せないな……」
凛彗さんはボクを強く抱き締めながら言った。嫌悪感を露わにしている。
反対に仲人さんの興奮度合いは異常だった。全力疾走したのかと思うほど、息が荒い。
「ああ、いい! いいぞ、この緊張感! はああ……感じる、生命の危機……人道倫理への冒涜……たまらないぃぃぃ……」
だめだ、もうついていけない。
胃もたれしてきた。
「……遊兎都」
「はい……」
「……あのひとは危ないから……隠れていてね」
「……はい」
わかっています、もう十二分に。
ボクは言われた通り、近くの円卓に身を潜めた。
凛彗さんが仲人さんと対峙する。
ネウが走ってこちらにやってきたので、胃もたれ解消に抱き締めた。
ああ、ふわふわ。心地いいなあ。
「……残念なイケメンってやつ、か」
「……残念に済ませられるならまだいいと思うよ」
「……たしかに」
ボクとネウが他愛もない会話を交わしている中、散弾銃が連続で発砲される。
飾り付けが吹っ飛ぶとともに、凛彗さんも宙を舞っていた。筋肉がすごいから体も重いだろうに、ああも軽々と空を飛べてしまうのはなぜだろう。足の中にバネでも仕込んでいるのかな。
さすがの凛彗さんも無傷で済む銃弾ではないのか、ちゃんと避けて戦っている。ちゃんとというのもおかしな話だけれど。
もともとあのひとはあんなに筋肉質ではなかった。もう少し細身だった。いかんせん幼少期だから、仕方がないといえば、仕方がないのだけれど。
再会した時には既に体は出来上がっていた。ボクは筋肉には詳しくはないから、どの部位がどういう名前の筋肉かはさっぱりだけれど、とにかくあちこちの筋肉が大きく発達していた。
でも筋肉の鎧を纏っている感じではなく、内側に詰まっている感じだ。だから弾丸や刃が表面で止まる。普通はありえないけれどね。どういう鍛え方するとそうなるのか。
「いい! すごくいいぞ、君! 名前を教えてくれ!」
「……」
「あぁ~……なるほど、無口なんだねえ……いいっ……すごく! 興奮するぞ!」
「……」
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
発砲、装填、破砕音、跳躍音。
様々な音がひとつの音楽のように流れている。顔を出すと、出した顔が半分になりそうだから、身を縮めて耳を傾けるほかない。けれど、この戦いの勝敗は決まっている。
「ああ、……くそ! 装填が追いつかな――あぴゃっ」
変な声が聞こえた。
断末魔にしては気の抜けた感じである。音が止んだ。ボクはちょっと顔を出す。
ああ、やっぱり。仲人さんが頭を潰されて死んでいた。奇しくも新郎の席に座った状態で、だ。
「……終わったよ、遊兎都」
凛彗さんのその言葉を合図にボクは立ち上がる。
宴会場はあちこち穴だらけになっていて、せっかくの装飾が無残な姿を晒していた。
凛彗さんがこちらへ歩いてくる。服装に乱れもなく、返り血ひとつ浴びていない。恐ろしいひとだ。
「あの、凛彗さん……」
「……いいよ」
「え?」
「……謝らなくて、いいよ……」
「……あ」
「遊兎都は生きるための最善を尽くした……それだけ、……なんだよね?」
「……はい」
「まさかとは思うけれど……」
長身の彼がぐっと背中を屈めると、なんだか捕食される気分になる。
大型の猛獣が口を開いたような錯覚を起こすのだ。
「彼と結婚することが、……自分が受けたどんな凌辱よりも健全で平和で平穏なやり方だなんて……思っていないよね……?」
「……ッ」
「……僕がいる限り、誰とも結婚なんてさせないよ」
口説き文句じゃない。これは、脅し文句だ。
銃口よりも明確な致命傷を与える牙が、ボクの首にかかっている。
どっと冷や汗が湧く。
「……わ、……わかり、ました……」
「いい子……」
慈しむように頭が撫でられた。
嬉しいようで怖くて、でも心が落ち着くような複雑な心地だった。
「……さてと」
凛彗さんが上体を起こす。それから壊した扉の方を向いた。
「……もう、……いい? いつまでこんな、くだらない……お遊びを続けるのかな」
「え?」
誰に向かって言っているのだろう。
彼の視線を追うと、そこには背の高い白装束の男性がいた。
ボクは息を呑んだ。
そこにいたのは、もうひとりの凛彗さんだった。
赤い頭髪、紫苑色の目。眉、鼻、耳の形。輪郭。体つき、佇まい、すべてが瓜二つ。
違うのは髪の毛に黒が混ざっていないこと、襟足が長くないこと、目の下にある十字傷がないこととだろうか。
それ以外は全部、凛彗さんだ。普段と違ってスーツを着ているから余計に酷似して見える。
「さすが、〝神威を継ぐ者〟。看破しておられましたか」
凛彗さんと同じ静かに降り注ぐ雨のような声。
でも彼のそれよりもずっと感情がこもっている――ような気がした。
「……」
「ああ。それよりも、……兄さん、とお呼びしたほうがいいですか?」
「え……」
兄さん?
「……ライセ」
凛彗さんは険しい顔でその名を呼んだ。
呼ばれた彼は微笑んだ。彼と同じ顔で、全く違う笑みだった。
首だけの双子の名前の読み方は、『でんぐり しかえし』『でんぐり しおき』です。




