Ep.20「白は赤く傷を刻み」
二階を探索する。
どの部屋も随分広かった。それにいろんなところをいじると、何かしらの致死性の仕掛けが稼働するようになっていて、気軽に抽斗を開けることもできなかった。大体こういうのって抽斗とかに地図なんかがしまわれていて攻略の手助けをする、という展開だと思うのだけれど。
まるで殺し合いのために建てられた屋敷みたいだった。パーティーはカムフラージュということか。或いはデモンストレーション。餌たちが宴に興じる様を狩人たちはどんな気持ちで見ていたのだろう。ボクが狩人側だったら、料理に毒でも入れて全滅を狙うのだけれど。
あくまで参加している狩人たちは自分の手で殺すことにこだわっているらしい。そんな気がする。
廊下を歩いていると途中、倒れているひとを見つけた。壁にもたれて俯いている。
左サイドを刈り上げにした短髪の女性だった。
刈り上げた部分は黒で、全体の髪色は明るい橙色だった。黒髪を橙色に染めているのだろう。半袖で、長い脚にぴったりとフィットしたズボンを履いている。サバイバルには向いていなさそうな格好だが、動きやすくはありそうだ。ボクは周囲に罠がないかを確認しつつ女性に近づく。
プレートには『御是 久那白』と書かれていた。
「あの……大丈夫ですか?」
「……う、ぅ……うぅ……」
「ええっと……」
「う、うぅ……おぇっ」
「えっ」
嫌な予感がして後退する。的中、女性は口を押さえて突然嘔吐した。「最悪だな……」とネウがうめいた。
びしゃびしゃと絨毯に吐瀉物をまき散らしてすっきりしたのか、女性は口を拭って立ち上がった。彼女はボウガンを手にしている。
「あ……ああ。……ありがとうね、恩に着るよ」
「え?」
「気にかけて、くれただろ? だからお礼」
「あ、ああ……いえ。どう、いたしまして」
気にかけただけで恩に着られても困るけれど。
女性は目を強調した化粧をしていた。派手だけれど彼女の持つ雰囲気のせいか、かっこよく見える。なるほど、化粧に雰囲気を寄せるというのもアリだな。
感心していると、ボウガンがボクの方を向いた。
「――とりあえず、仇で返すよ」
え、という暇もなく。
ボウガンの矢が射出された。
「おれの名前は御是久那白だ! お嬢ちゃん、名前を教えてくれ! 恩人の名前は! 覚えておきたい!」
「恩人を! ボウガンで! 撃たないで! ください!」
ボウガンによる強烈な第一印象の書き換えを行われた後、追いかけっこが始まった。一射目はすんでのところでかわした。ギリギリだった。
絶えずボウガンの矢が飛んでくる。それらをなんとか交わしながら廊下を疾走していた。
「ははは! そいつはちょっと無理な願いだね! お釈迦様だって糸も垂らさないお願いだ! おれは恩を仇で返すのが好きなんだ! 最高に仏不幸だろう!?」
「仏不幸ってなんだよ……」
ボクは目に留まった部屋に体当たりの要領で飛び込んだ。馬鹿みたいに広すぎるランドリールームだった。
真っ白な洗濯機が空間に溶け込むみたいに、一列に等間隔にきれいに並んでいる。部屋は煌々と照らされていて、壁と床の境界を曖昧にしていた。ところどころにタオルの載った金属製のカゴが置かれている。
さながら洗濯機製造工場の保管室、みたいな。そんなものがあるのならば、だけれど。
洗濯機の合間に身を滑り込ませて隠れる。ほどなくして余裕綽々な久那白さんの足音がやってきた。
「おーい! なんだ、隠れん坊か? いいぜ、おれはどんなお遊戯だって付き合ってやる。仏は嫌いだが、人間は好きなんだ」
「……仏嫌いで人間好きってよくわかんないひとだな……」
独り言を言いつつ場所を移動する。久那白さんとは逆方向へ。
けれど足元にあった洗剤が入っていると思しきアルミ缶を蹴ってしまい、音で気づかれた。
「そこかい!?」
ボウガンの矢が真っ直ぐボクに向かって飛んでくる。しゃがむことで回避できたが、場所が気付かれてしまった。隠れん坊は鬼ごっこに変わった。久那白さんが走ってくる。
「お嬢ちゃん。無駄なことはしないほうがいいぜ。ひとはいつか必ず死ぬんだ、おれに殺されるか殺さないかの違いだけだ!」
「なんで、その二択なんだよ……!」
それは大抵〝ひとはいつか必ず死ぬ、早いか遅いかの違いだけだ〟というところだろう。なぜ久那白さんに生殺与奪の権を握られなければならないのか。
洗濯機を盾にしながら、ボウガンを避ける。さてどうするか――ボクはこと遠距離攻撃と相性が悪い。投げナイフの技術は生憎と会得していない。反撃としてできうる方法は、ボウガンの奪取、或いは。
「イチかバチかやるか……」
ボクは、走りながらヤケクソに叫んだ。
「久那白さん! あなたはどうしてひとを殺すんですか!」
「あ?」
「ひとを殺すなんて……っ、ひどいとは思いませんか!」
「あぁ? なんだあ、そのクソッタレな仏が喜びそうな台詞はよ。聖人君主気どりかい、お嬢ちゃん。ひとは早々改心しないぜ? おれみたいに過去からぐちゃぐちゃな人間はずっとぐちゃぐちゃなんだ」
知っている。
身に染みてわかっているよ、そんなものは。
「でも、人間がお好きなのであれば! 人間の声に耳を貸すのも人間というものですよ!」
「はあ? ふうん……なあんだ、そいつはあれかい。改心を狙って言ってるんじゃあなくて、時間稼ぎかなにかかい?」
「……っ」
「図星かなあ、わかりやすいねえお嬢ちゃん。お嬢ちゃん、よく生き残れたなあ」
久那白さんの足音がランドリールームに響き渡る。徐々に徐々に、近づいてくる。
動こうにも動けない。緊張で強張る体と煩く鳴り響く心臓。
死の気配が間近に迫っている。ボクは息を呑んだ。
「ああ、お嬢ちゃん。あのまま鬼ごっこしておけばよかったな……隠れん坊はあんまり、得意じゃないらしい」
久那白さんが近づく。頼む! 気づかないでくれ!
祈るような思いでいると、久那白さんは――
「スカートの裾がはみ出て……あ!? 猫!?」
「なァん」
かかった!
ボクは高く積み上げられたタオルの陰から飛び出して久那白さんめがけて横から体当たりする。彼女はぐらりと体勢を崩した。ボクに気づいて倒れながらもボウガンを打ち出す。矢が眼前に迫ったが、ギリギリで避けた。目の下にかすって血が出る感覚がした。彼女は足を出して踏みとどまろうとしたが、失敗した。あらかじめ床にアルミ缶に入っていた粉洗剤をぶちまけておいたからだ。
「な、南無さ……ん!」
ずるりと滑って、久那白さんは床に頭を強打した。ごちん! とかなり痛そうな音がした。ボウガンは握ったままだったが、構わずボクは彼女に馬乗りになる。間髪入れずに頸部にカッターナイフを突き立てた。
「うっ! ……ぐ、ぅうぅ……」
「――殺人に善悪もありません。人を殺すことは、人を殺す以上の意味はない。……ひどいもなにもないんです、それは殺されて残された方が言う言葉」
久那白さんが血のあぶくを吐き出す。もうボウガンを撃つ気力はないだろう。
「……う、ぶ……ッ」
「ボクは生き残るために、あなたを殺します」
「……あ、……あ……」
目を見開き、口の周りと顎を血で汚して、御是久那白は絶命した。
ボクは例のごとく彼女の瞼を下ろし、プレートを外した。
「……なァん」
ネウが洗濯機の陰から現れる。彼にはボクが切り裂いたドレスの裾を踏んでおくように頼んでおいた。
切れ端よりも猫がいた方が、もっと気を引き付けられると思ったからだ。案の定久那白さんはネウを見つけた瞬間に叫び、それがタイミングを計る合図になった。
「お前もなかなか……容赦ねえ」
ネウはボクに付き合っているせいなのか、最初の頃より叫び声をあげなくなった。
慣れというのは恐ろしい。本当に。
ボクは袖をめくって包帯を解き、爪で糸さんの分に久那白さんの分を加える。
「……おい、それ。なんの意味があってやってんだ?」
それ。人を殺した時、殺した分だけボクは腕に正の字を刻んでいる。爪で表面を強く傷つけているだけだから、ほどなくして消えてしまうものだけれど。習慣化しているからやらないと気持ちが悪い。
「……慣れないように、かな。せめて」
「ん?」
「人を殺すのに理由はいらない。小石を蹴るみたいに、人を殺す人もいる。……ボクはせめてそうならないように身に刻んでいるんだ。いつか薄れてしまうのだとしても、ボクは人を殺して生きているってことをさ」
「……」
「最初はカッターでつけていたのだけれど、凛彗さんに見つかってね。〝そんなものは僕が負うから君はいいんだよ〟って」
「……で、爪か……」
「……ボクの父は『殺し屋』だったんだ」
やさしい父は冷酷非道な男だった。
どちらが本当の彼なのか、実のところよくわかっていない。
「……前に聞いた覚えがあるな」
「彼はいなくなる間際にボクに言った。〝お前は『殺し屋』になってはいけない〟と」
「……それは」
「人を殺すのを仕事にするなって話さ。……できうる限り、ね」
『殺し屋』は職業だ。お金と引き換えに人の命を奪う仕事。
ザイカではそれが有能の証左だった。強い者であればあるほど、依頼や報酬は増える。弱ければ収入がなくなるから『殺し屋』を辞めざるを得なくなる。ザイカで他の仕事と言えば、ロクなものはない。
「『便利屋』なら必ずしも人を殺すことにはならない……と思っていたのだけれど。うまくいかないね、どうにもボクの人生に流血は切っても切れないようだ」
「……なァん」
ネウが裾をくいくいと引っ張ってきた。フードに潜り込みたいときの催促だ。ないから肩にでも乗りたいのだろうか。ボクはしゃがんで腕を出す。でもネウはのぼって来なかった。
「? ネウ?」
「オレは猫だからな。難しいことはわからん」
「うん?」
「猫だから。……癒し効果は、あるぞ」
そう言ってネウはボクの手のひらに頭をこすりつけてきた。ふわふわの感触が気持ちいい。
慰めてくれているのだなと思ったら嬉しくて「……ありがとう、ネウ。大好きだよ」と自然に口からこぼれていた。ネウがきょとんとしてそれから、「ふん、当然だ」と誇らしげに言った。
なんだ、それ。
「うわ……っ」
「え、なに。どうしたのネウ?」
「……悪寒がした」
「えぇ? 風邪でもひいた?」
「わかんねえ……」
ネウはしきりに首を捻っていた。
まるで人間みたいな仕草で面白かった。




