Ep.19「燕は爆ぜて糸は切れて」
服も汚れなかったし、お化粧も崩れなかった。凛彗さんは芸達者なひとだな。
部屋にはシャワールームも完備されていたけれど、どうにか使わずに済んだ。
それにしても、どういう意図でこの部屋を作ったのだろうか。金持ちの道楽というやつかな? どこかにカメラか何かが取り付けられていて別室で覗き放題とか?
見られるのには慣れているから、別にいいのだけれど。
支度を終えて部屋から出ると、真っ暗闇の一部が猫の形に切り取られた。ネウだ。大方ボクが凛彗さんに連れていかれた時にカバンから出て行ったのだろう。察しが良いから。
「おい! 終わったか!?」
「うん、おおむね。……どうしたの、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもねえ……やっぱりただのパーティーじゃなかったぞ」
「え?」
「とにかくついてこい!」と言われてネウの後を追って元の部屋に戻る。扉を開けて目に飛び込んできたのは――死体だった。
死体と死体と死体しかなかった。斬殺されているもの、銃殺されているもの、殴殺されているもの、いろいろだった。見るひとによっては地獄絵図と表現する惨状だった。
徹底して生の気配は虐殺されていて、冷たい死のみが存在を許されている。そんな空間だった。
ボクはカッターナイフを取り出してあたりを見渡した。人の気配はなかった。
「ネウ、何があったの?」
「わからねえ……」
ネウが言うには主催者のような男が現れて、「それでは皆様、ご準備よろしいでしょうか」と言った。参加者たちはゲームか何かすると思って色めきだったが、突然参加者のひとりが殺害された。そこからは次々と殺人が連鎖してあっという間にその場にいた全員が死んだという。そして彼らを殺した殺人者たちは胸の黄金のプレートを奪取した、と。
「どうやらそのプレートの数を競うゲームらしい。殺し屋同士でも殺し合ってたからな……」
ネウの説明で大体の事情は把握した。つまり、殺人パーティー。
なるほど、やはりロクでもない招待だった。
「――あれえ?」
頬袋を膨らませた女性が机の陰から出てきた。血まみれの状態でなにやら貪っているらしい。
彼女はワイングラスを煽ってから口の中身を嚥下すると、腕で口元を拭った。豪快な女性だった。迷彩柄のツナギには、あちこちナイフが収納されていた。足元は凛彗さんが普段履いているような武骨なブーツで、黒髪を頭の高い位置でくくっている。まさに馬の尻尾のように彼女の動きに合わせて揺れていた。
「やあやあ、可憐なお嬢さん。あなたも狩人側の人間?」
「……狩人?」
「あれ、知らないの? 知らないのに生き残ったのかあ、運がいいのねえ」
「これはあなたがやったんですか?」
ボクが訊ねると彼女は「うん?」と首を捻り、それから「ああ、違うよ」と否定した。
「あたしじゃないよ。あたしはこんな派手なやり方しないさ――あの子も、好まないしね」
「あの子?」
女性が視線を向けた方向に、巨大な鷲がいた。鷲は死体から臓物を引きずり出して食らっているところだった。見るところ、ハゲワシだった。確か死肉を食べるのだったか。
鷲は女性が合図を送ると食事を辞め、滑空して彼女の腕に留まった。おお、目の前で見るとなかなかの迫力。
「この子ははっちゃんよ。ハゲワシのはっちゃん。あ、動物大丈夫? アレルギーとかない?」
「はい、大丈夫です」
「そ。あたしは巣作燕っていうの、字はこう。――あたしのことは気軽に『世渡り上手ちゃん』って呼んでちょうだいな!」
腰に手を当ててポーズを決める彼女に、何か効果音をつけたい気分になった。
本名よりあだ名が長いとは新しい。しかし、鷲を操る燕、か。海老で鯛を釣るようなもの、ではないな。
燕さんはボクの背後にも目をやり、「うわあ、美人ね! 孔雀界隈なら負け知らずの美人よ!」と称賛を送る。あまりピンとこない褒め言葉だった。
それからボクに視線を移し、ぐっと身を屈め顎に手をやりながら観察する。ぱっちりとした目に、そばかすという素朴な顔立ちが間近に迫る。
「君は……そうねえ。雀界隈じゃあ、負け知らずって感じだわ」
また新たな界隈が出てきた。
雀界隈で負け知らずってどうなんだ。
強いのか、それは。
「……はあ、どうも」
一応お礼言っておこう。たぶん褒め言葉だし。
「で、君は餌側なんだよね?」
「え?」
「つまるところ、殺されるために存在する弱肉ってことよね」
燕さんはさも当たり前のように言った。そして、
「じゃあ死んでもらえると助かるかな」
彼女はどこかに収納されていたナイフを引き抜いた。銀色がボクを捉えようと眼前で光る。
けれど、何もかもが一瞬だった。ぐしゃ、と紙を丸める音がして燕さんの頭が破裂した。
ぱらぱらと血の雨が降り注いだが、凛彗さんがジャケットでボクを覆ってくれたので血を浴びる心配はなかった。
燕さんの体が後方に傾き、鷲が混乱して羽音を大きく立てる。茶褐色の羽根が何枚か落ちた。凛彗さんは鷲一匹では何もできないと踏んだのか、はっちゃんには攻撃しなかった。
「……危なかったね」
「……そうですね」
凛彗さんは燕さんのプレートを奪い、ポケットに入れた。
「遊兎都、……どうする? 僕が代わりに集めてあげても構わないけれど……」
ボクが凛彗さんにくっついてプレート集めをするのか、ボク自身がプレート集めをするのか、どちらがいいかを聞いている。だから答えた。
「ボクはボクで集めます。後ほどここで合流しましょう」
「……そう」
凛彗さんは不服そうだったけれど、彼に甘えてばかりではいけない。
ボクだって『便利屋ラビットホール』だから。
◇
一階の会場を出ると三つに道が分かれていた。中央の道は玄関に続く道だから行くとするなら、左右どちらかだろう。ボクは右へ凛彗さんは左へ。凛彗さんは僕と別れる際に力いっぱい抱き締めて「……無理をしてはだめだよ」と囁いた。大丈夫ですよ、と答えると短いキスを頬に送って彼は走っていった。服が違うから紳士的に感じてしまう。先ほどまで猛獣だったのに。
その背をある程度見送って選んだ右の道を進んだ。ネウが並走するのが見えた。
「乗る?」
「首にか?」
「丸見えだから危険だけれど。ああ、それともスカートの中……」
「それはいい……」
「ああ、そう?」
ネウはどうやら歩いてついてくるようだ。
廊下はすべて赤い絨毯が敷かれていた。おかげで足音が響かないから奇襲にはうってつけだ。二階に上がる階段を見つけたので、用心しつつのぼる。
踊り場付近で足に何か当たった。
「ん?」
足元を見ると転がっていたのは女性の首だった。凛彗さんに絡んでいた文鳥さんだ。
彼女は目が開いたままだった。不憫に思えたからせめて目を、と伸ばした。すると触れるか触れないかの距離で、頭が三等分に割れた。均等ではなく、でたらめに。ずるりと中身がはみ出たのでネウが「んにゃッ」と叫んだ。
なんだ、この切れ方? 切断面はきれいなのに。
ボクは階段に視線を移して、その理由を知った。
――糸だ。
ボクらがのぼろうとする階段の頭上を糸が縦横無尽に張り巡らされていた。視認しづらいけれど、よく見ればわかる。文鳥さんはそれに気づかず、階段を登り、そしてこの有様らしい。
「……ありゃ、気づかれちまいましたか」
曲がり角のところからひょっこりと顔を出したのはボブヘアの少女だった。
水着を着ていた。上下白の装飾のないシンプルなやつ。
それはいいとして。彼女はその上から赤い紐を体に巻き付けていた。紐は背中でリボン結びにされて終わっている。個性的なファッションセンスだ、寒くないのかな。室内とはいえそう温暖な環境でもないのだけれど。
「ごきげんよう……。わっちはドイドイトと申します……」
噛みそうな名前だった。プレートを見ると、『土井戸糸』と刻印されている。
糸さんはとぼとぼと現れて、ボクをじいっと見た。数分ボクを観察したのち、「……よわそ」と言った。言ってすぐ、彼女は階段の糸を回収してしまった。
「……え?」
「……意図はありません。……ただの慣性です」
「かんせい?」
独特な感性だなあ……なんちゃって。
ボクがくだらないことを考えている間に、糸さんは背中を向けてさっさと歩いて行ってしまった。
二階は客室だった。去っていく糸さんの背中には奪取したと思しきプレートが一本の紐に連なってぶら下がっていた。
ボクは少し考えてから、走った。ローヒールだから転ぶ心配はないし、足音は絨毯に吸収され、さほど響かない。糸さんは気づいていない。リボンに向かってカッターナイフを振りかざした。半歩もない距離だ。
「……はれんえっちー、ですよ」
振り上げた右手が後ろから糸で括り上げられていた。糸さんがゆっくりと振り返る。視線が合った。色素の薄い目は眠そうだった。
「……はぁん? 弱いくせに……、卑怯なコトですか……?」
ものすごい軽蔑の眼差しを向けられた。
欠けた心は無反応だった。
「生き残る手段に気を遣っている場合はないので」
「……ふぅん……ま、弱いやつほど……生き残る意思があって鬱陶しい、ですからネ……」
――突然だが、ボクは現在五つのカッターナイフを所有している。
大きさはサバイバルナイフくらいのがふたつと果物ナイフくらいのが三つ。いずれも工作用ではなく実戦用の刃を備えているので、切れ味は抜群だ。ひとの頸動脈くらいは簡単に掻き切れる。骨はちょっと時間がかかる。
現在、ひとつは宙に浮いた右手の中にあって、もう四つは未だスカートの中。そして、片腕は自由。なので。
「……ちょっと、聞いて……? は? ……は? ……え? あ……?」
「ボクは生き残るためならどんなチャンスも見逃さない男なんです」
「……おぉ……こ……?」
「……あ。今は女でしたね」
ボクは自由な左手を使って、糸さんの首にカッターナイフを突き刺した。
予想通りだった。彼女の〝糸〟は至近距離では発動しない。だから攻撃を行おうとした右手は後ろから糸で制圧されている。つまり、距離さえ詰めれば攻撃が通ると考えた。
ぶしゅうと噴き出す血を眺めながら、ボクは硬いコルク栓を抜くみたいにカッターナイフを首から取り出して、一歩後ろに下がった。糸さんが目を見開いた状態で倒れる。どくどくと流れていく赤い血だまりが絨毯に染み込んでいく。ボクは近づき、彼女の目を閉じさせて黄金のプレートを外した。
生命の終わりを眺めていると、背後から「……お前、死にに行くのかと思ったぞ」と淡々とした声をした。ネウがとことこ歩いてくるところだった。
「やあ、ネウ。どこにいたの?」
「お前が走り出したあたりで嫌な予感して、そこの花瓶の陰にいた」
「そう。さすがだね、君は頭がいい」
「世辞ならいらねえが」
「お世辞じゃないよ、本心」
「……それにしても」
ネウが糸さんを見た。
全体的に気だるげな感じが凛彗さんに似ていた気がする。
遊び半分であやとりやっていたらひとが死んじゃいました、くらいの勢いで人殺ししてそうな印象である。一瞬の邂逅だったけれど。
「よく攻略方法がわかったな?」
「糸使いって空間を広く取りがちなんだって。張り巡らす領域が狭いと自分も巻き込んじゃうからって……ボクの友だちが前に教えてくれたんだ」
「……糸使いの友人がいるのか」
「うん。それを思い出して、術者と近い位置にいれば攻撃されないかと考えました」
「大当たりだったわけか。でも最悪、お前の手首が吹っ飛んでたんじゃねえのか」
「吹っ飛んでもなんとかくっつけられるよ、きっと。だから大丈夫」
「何も大丈夫じゃねえよ……」
ネウが嘆くように言うから、「冗談だよ。ボクだって五体満足でいたいさ」と付け加えた。
痛いのは得意じゃないから、体の部品がバラバラになるような事態は避けたい。
生き残るのに必要なら見捨てるけれど。
「しかし」
「うん?」
「なんでこいつ、最初の時点で遊兎都を殺さなかったんだ?」
「油断だろうね」
「油断?」
「自分を強いって思うのは……、油断なんだよ」
糸さんは、ボクが彼女よりずっと弱いと思ったからすぐ殺さなかった。
スキマ時間に暇つぶしで殺せる相手だと思ったわけだ。背後を取られても自分は対応できる能力がある、だから問題ない。格下相手に負けるわけがない。積み重なった油断が彼女の命を奪った。
ザイカでいやというほど見てきた光景だ。――弱者と侮っていた相手に意表を突かれて殺される。
窮鼠猫を噛むという言葉はあるように、追い詰められた弱者の力は、時に強者を上回る。
「……まあ、参加者の中でボクが最弱というのは事実だけどね」
多少なりとも卑怯な手を使わなければ、ボクの生存確率は低いままであろう。
ちっぽけな矜持など重荷になるものは捨てて、生き抜かねば。
視線を感じて足元を見ると、ネウがこちらを凝視していた。「なあに」と訊ねると彼は「首」と言う。
「首?」
首に触れて、気づく。
ああ、そうだった。ボクにはこれがある。
首輪がある限り、ボクはあのひとから逃れることはできない。
たとえ、死んでも。




