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Ep.18「始まり終わり」

女装回です。

 天井からぶら下がるシャンデリアにも勝るのは、輝かしき生の終わり。

 フリルとレースで着飾った戦装束(ドレス)を纏って、さあ死出の舞踏(ダンス)を共に。


 ◇


 ハニーBが見せたのは一枚の封蝋された便箋だった。今時封蝋とは珍しいなと思いつつそれを受け取り、開封する。中身は活版印刷の招待状だった。

 開催場所は『緑』でも裕福層が集まる区画にある屋敷だった。


「わざわざあなたを介して……?」

「匿名だ。裏はあるだろうな」


 ハニーBを介しているということは、つまるところ正体がバレたくないのだろう。身元を隠して招く宴にロクはなことはない。けれど、この招待をボクらが蹴る理由もない。

 いかなる依頼も請け負う。それが『便利屋ラビットホール』暗黙の了解である。無論これはボクだけの規則だけれど。


「わかりました。でも困ったことがひとつ」

「ん?」

「……この服以外まともに持ってないんですけれど……」


 黒いワイシャツ、ネクタイ、半ズボン。全身に纏う黒の包帯。そしてパーカー。

 華々しい場所に行くのには向かない格好だ。さりとてこれ以外でボクが所有している服はない。

 トウキョウの店なんて数えるほどしか知らないけれど、その中に正装と思えるような立派な服を扱う店はあっただろうか。ボクが記憶を探っていると凛彗(りんぜ)さんが唇を耳元に寄せてきた。吐息がくすぐったい。


「っ、凛彗さん?」

「……僕の知り合いに『仕立て屋』がいるよ。……このパーカーを作ってくれたひと……」

「え? ここに?」

「ううん……でも、呼んだら来てくれると思うよ……」

「へえ、出張サービスってことですか?」

「……ううん」

「? よくわかりませんが、衣装を仕立ててもらえるならお願いしたいです」

「じゃあ、僕に任せてもらってもいいかな……?」

「あぁ……はい。サイズとか大丈夫ですか?」

「うん、平気だよ……」


 ボクがこの選択が間違いだと気づいたのは、当日になってからだった。


 ◇


「へえ、こいつは見事な……」

「すごくかわいいよ、遊兎都(ゆうと)……」

「……かわいい」


 ボクは()()をお願いしたはずなのだが。

 なぜ、()()しているのだろうか。

 凛彗さんが仕立ててくれたのは、ボクの体に恐ろしいほどぴったりと合う着心地の良い代物だった。

 首元に黒い大きなリボンを施した袖の膨らんだブラウス。コルセットがちょっと苦しいけれど、気になるほどではない。スカートは中にパニエをどっさり入れているから大きく膨らんでいる。包帯の上からオーバーニーソックス。落ちないようにガーターベルトを使用。……本格的だなあ。

 いずれもところどころにフリルが縫い留められているのが見る分には愛らしいと思う。しかしながら着るのはボクだ。愛らしいという感想はあくまで客観的に衣装だけを見た限りの話であり、主観的に言えば「なんで?」である。


「お前ほっそいな」


 ハニーBに言われてボクは自分を見下ろした。コルセットをしているからそう見えるだけで、実際は普通……だと思う。


「ちゃんと食ってんのかよ?」

「え? 食べていますよ」


 半分嘘。


「ふうん……」


 懐疑的な目をしたまま、ハニーBが手を伸ばしてきた。すかさず凛彗さんがその手首を掴む。

 嫌な沈黙が降りた。ふたりがにらみ合って数秒後、ハニーBの方が折れて顔をそむけた。

 心臓に悪いから、あんまり喧嘩しないでほしい。

 凛彗さんがボクを見て笑った。


目録(カタログ)を見せてもらったときにかわいいなって思って……でもさすがに普段着るには動きにくいでしょ……?」

「そ、そうですね……」

「ふふふ、よく似合っているよ……」

「あの……」

「なあに?」

「凛彗さんは相手に女装させる〝お遊び〟がお好きなんですか……?」

「え……?」

「お好きなら言ってくださればいつでも……」

「違う、けれど……?」


 心外だ、という目で見られた。

 違うの?


「いやだって」

「僕は遊兎都に可愛い恰好をしてほしいな、……って思っているだけだよ……スカートは女性だけのものでは、ないでしょう……?」

「……まあ、そう……、ですね」

「だから、そういうことだよ。……大丈夫、カッターナイフを収納するポケットもあるから……」


 ここだよ、と重なっている部分の一枚をぺろりとめくる。布地に収納ポケットが並んでいて、ボクの持っている得物の形に合わせて作られていた。おお、これはすごい。着心地もいいし、収納も抜群なら文句なし――いや、そういう配慮ではない。ボクが求めているのはそういうことじゃない。

 でも、わざわざ仕立ててくれたものだ。いくらしたのか聞いたけれど凛彗さんは頑として答えてくれなかった。使っている生地はどうやら上等な絹のようだし、施された刺繍も匠の技である。だからこの厚意を無下にするのは、心が欠けているボクでもできない。


「……あの」


 だから、いっそ。


「化粧をしてきてもいいですか?」

「……え?」


 完璧に仕上げてやろうじゃないか。


 ◇


 洗面所に引っ込んだボクは高いから捨てられなかった化粧品を置いた。化粧水なども引っ張り出して保湿などを終えてから鏡の中の自分と対峙する。

 良いものを着せてもらったら、それに見合う自分を見繕う。これも男娼時代の受け売りである。

 化粧は独学で覚えた。ウケは良かったから、たぶんそんなに変じゃないと思う。思いたい。

 薄く下地を塗り、ついで、ファンデーション。皮膚呼吸を阻むようで最初はいやだったが、慣れてしまえばどうということはない。肌色や粗を隠してくれるから、化粧品の発明とは尊いものである。

 口の端から伸びる傷跡はコンシーラーで丁寧に覆っていく。傷が深いから完全に隠すのは無理だが、わかりにくくはなるだろう。で仕上げにパウダーはたいて、土台は完成。

「へえ……手慣れているな」とついてきたネウが感心していた。自分でもまさか、昔使っていた化粧品が役に立つとは思わなかった。

 目元はアイラインと濃い目の色のアイシャドウで際立たせ、睫毛はビューラーで上げてより目をぱっちりと強調する。鏡で確認しながらマスカラを塗り付けて上向きの睫毛を固定、そしてピンクの頬紅。ふわっと乗せるのがポイント。

 最後は唇。最初は薄く、内側を濃く。上からグロスで艶を出して、完成。

 鏡の中のボクは服に似合う立派な少女だ。主観的に。

 衣装にあわせて箪笥の肥やしになりかけていた髪飾りをつける。軽く髪型も整えたし、短髪のご令嬢でまかり通るだろう。

 出来に満足したボクは洗面所を出た。


「お待たせいたしました」


 戻るとボクを見た凛彗さんとハニーBが目を丸くしていた。

 ほほう、なるほど。我ながら完璧だったわけだ。


「どうです? これがボクの培った技術です」


 スカートの裾をつまんで、それっぽく挨拶してみる。

 ごきげんよう、なんて言ってみようかな。

 いろいろ思考を巡らせつつ、顔を上げて前を向くと、


「……まじかよ……」

「……」


 凛彗さんは顔を逸らし、ハニーBは手で顔を覆ってしゃがみこんでいる。

 ネウが後ろで「……オレノツガイ、かわいすぎるだろ……」と言っていた。

 いや、だから〝オレノツガイ〟ってなに。


 ◇


 パーティー会場はザイカでも人気だった煉瓦造りの屋敷だった。

 しかし耐震性の問題で今はもっぱら混凝土(コンクリート)が使われている。その上から模様で煉瓦を装うのが昨今の流行りらしい。

 門構えも立派だし、屋敷そのものも巨大だ。広い庭のあちこちには薔薇が植えられていて大輪を咲かせていた。いかにも金持ち、といった感じ。その金の出どころが真っ黒でも、見た目は真っ白である。

 凛彗さんは普段見慣れない上下黒のスーツだった。きっちりと黒のネクタイに、白いワイシャツ。その上に金色のラインが入ったベストを合わせている。派手ではないけれど、華やかな装いだ。

 黒く染めた長い襟足をひとつに括って、片方の前髪を後ろに撫でつけているだけなのにすごくかっこよく見える。持ち前の美貌のせいだろうか。

 普段と雰囲気が全く違うので、隣に立っているのが彼だとわかっていても、少しドキドキしてしまう。

 入り口で黒服の男性が招待状をチェックしていたので、ボクらももらった招待状を見せる。名前を訊ねられたのでどう答えるか悩んでいると、凛彗さんが答えた。


「お招きいただきました白樺(しらかば)凛彗です。こちらは遊兎都」

「凛彗様と遊兎都様ですね。ではこちらを」


 え、本名で? まあ、でも別にいい……のか。偽名とか持っていないし。

 それにしても凛彗さんのしゃべり方、あまり聞いたことがないな。

 普段のしとしとと降る雨のようなそれではなく、はっきりと明瞭な物言いである。取り繕っている感じがした。

 そういう話し方を強いられる場面に遭遇したことがあるってことかな。


「――遊兎都、どうしたの? ほら」


 ぼうっとしていたら凛彗さんに呼ばれた。手渡されたのは黄金のプレートだった。名前が彫られている。何に使うものだろう。胸元に必ずつけるよう言われたのでその通りにする。重みもあるし純金か。

 案内通り進むとパーティー会場に着く。会場には既に多くの招待客が集ってにぎわっていた。白いテーブルクロスの敷かれた机がいくつか置かれていて豪華な料理が並んでいる。立食形式のようだ。


「……すげえな」


 ボクのカバンの中に身を潜めているネウが言う。ネウを置いていくことも考えたが、ずっと一緒にいるからいないとなんとなく気持ち悪くて、カバンに詰めてきた。凛彗さんには「……本当に仲良しだね」と半眼で言われた。


「誰も彼もすごくお金持ちって感じがするなあ……」

「ずいぶん豪勢なメシだな」

「そうだね、ちょっと摘まもうかな。……凛彗さんは何か食べますか?」


 凛彗さんは壁にもたれて所在なさげに当たりを見渡していた。ボクの問いかけに彼は首を横に振る。


「……僕は良いよ。……遊兎都、食べてもいいけれど。……食べすぎると服がきつくなってしまうからほどほどにね」

「え? あ、はいわかりました」


 そうか、ボクの今の体にほぼぴったりで作られているから、体形が変わると着られなくなるのか。気を付けよう。

 机に近づき、目に留まった料理を皿に盛る。ローストビーフ、サーモンのマリネ、ほうれん草のキッシュなどなど。これだけの食材集めるのが大変だったろう。

 せっかくだしと、ネウと食べることを想定してちょっと多めに取った。

 皿に盛って戻ってくると凛彗さんが知らない女性に捕まっていた。あっちもこっちも丸だしな感じの赤のドレスを纏った茶髪の女性は、これ見よがしに胸を押し付けて誘惑していた。

 凛彗さんはすごく迷惑そうである。


「あの」

「ん?」


 女性がボクを見ると、凛彗さんを見てからにやっと笑った。


「あらあらあら。可愛いお嬢ちゃんね、お兄ちゃんと来たの?」


 なるほど、そういう設定になるのか。

 プレートを見ると『粟屋 文鳥』と書かれていた。読み方は『アワヤ アヤトリ』らしい。


「お兄ちゃん、ではないんですけれど。そのひととは来ました」

「へえ……ああ、なあに? 義理、とか? 苗字違うものね」

「そうですね」

「お嬢ちゃん、いくつなの? かわいいわね」


 褒め言葉ではない。

 〝貧相で子どもっぽい〟という悪意を〝かわいい〟に置き換えているだけだ。


「二十二歳です」

「え」

「二十二歳です、成人済みです」


 冗談でも言われたみたいな顔をして、きょとんとする文鳥さんを無視し、ボクは凛彗さんの隣に並んだ。ローストビーフに口をつける。燻製した牛肉の旨みと絡み合う少しつんと辛みのあるソース。美味しい。ネウにも分けてやると今まで見たことのない顔をして、頬を前脚で押さえていた。器用なことをする。でもほっぺたが落ちるくらい美味しいを体現している料理ばかりだ。さて次はサーモンのマリネ。


「まあいいわ。ねえ、あなた……ふたりであっちに行かない?」


 気を取り直したらしい文鳥さんが負けじと誘惑を続けた。

 あっちってどっちだろうと横目に見ると、彼女の指さす先には非常口みたいな扉があった。物陰に巧妙に隠されていて、目立たないよう工夫されている。扉に付随する看板にはベッドが描かれていた。

 えぇ……、そういうことをする部屋もあるのか? 金持ちって何考えているかわからないから怖い。

 一方の凛彗さんは先ほどから無関心、無表情、無口を貫き通している。視界にすら入れていない。でも文鳥さんは諦めない。

 ……困ったなあ、諦めの悪いひとと凛彗さんは相性が悪いのだけれど。

 持ってきた食事を口にしながら、様子を眺めていた。ネウが「止めないのかよ」と言ったけれど、ボクが口出しすると事態は余計にややこしくなるのだ。だからここは黙って事の決着を待つのが正しい。


「ねえ、ねえってば! ……っもう、聞こえていないの?」

「……」


 凛彗さんは前を向いたまま、凝りをほぐすようにぐるりと首を回した。

 視線は交わらない。


「……っなによ、もう!」


 とうとう文鳥さんは怒ってどこかに行ってしまった。なんとかなったみたい。そしてボクの食事も同じタイミングで終わった。どれもこれも美味しかった。もう一巡しちゃダメかな。


「遊兎都」


 伺いを立てようとしたら、逆に呼ばれた。

 これ幸いとボクはお皿を掲げてねだろうとしたが――


「……っこっち来て」

「え?」


 手首を掴まれた。かなり強い力だ。ちょっと痛い。彼には珍しいことだった。

 ぐいぐい引っ張られて、先ほど文鳥さんが示していた扉へ歩いていく。

 扉を開くと、細長い廊下が続いていた。奥が見えないくらいに暗かった。


「あ、あの、凛彗さんっ、あの……!」


 呼んでも彼は振り返らない。

 あれ、止めた方がよかったのか? 怒っている感じがする。

 廊下の果てが見えてきた。随分と派手な扉だった。男と女のマークが絡み合うシンボルとハートマーク。これ以上ないほどわかりやすい。本当にあるのかよ。

 ――って。


「り、凛彗さんっ!?」

「……遊兎都はもう少し、……自分の危うさを自覚したほうがいいね」

「あ、危うさ?」


 何を言われているのか、伝えたいのか、わからない。

 ひとまずボクはどうやら、これからこの部屋で彼に襲われるようだ。

 目を白黒させるボクに凛彗さんは溜息をついた。

 扉を開くとピンク一色だった。物理的に。

 ランプもそうだし、家具もベッドもシーツも枕も全部ピンクだ。目に痛い。そんなピンクまみれのベッドにボクの体が放られた。


「わぷ」

「……」


 凛彗さんが覆いかぶさってきた。獣の目をしている。ネクタイを片手で緩めていて、余裕のない表情だった。捕食場面が脳裏をかすめた。


「はあ……ねえ、遊兎都」

「はい……」

「君の、その……かわいい食事姿に、何人もの男が目を奪われていたの……気づいていないの?」

「……え?」


 そんなまさか。

 たかだが小娘(仮)の食事姿に?

 唖然とするボクに、彼は笑いかけた。


「……ああ、本当にかわいいね……食べておかないと、食べられちゃうな……」


 紫苑色の瞳に欲の色がありありと映っている。

 心臓が大きく跳ねた。眼前にいるのは猛獣だ。

 制御不能の、獣である。


「……? えっと、た、……食べるんですか?」

「食べるよ……?」

「あ、あの!」

「……なあに? あまり余裕がないのだけれど……」

「お化粧! と服!」

「?」

「……お化粧が取れないようにしていただきたいのと、服を汚したくないので……一旦脱いでも?」


 ボクが訊ねると、凛彗さんは目を見開き、ついで額に手を当てて深いため息をついた。


「り、凛彗さん……?」

「……本当に、遊兎都は……。女王様だね……」

「? なぜ?」

「……大丈夫だよ、……全部、僕に任せてくれていいから……」


 そう言って彼はボクの服のなかに手を入れてきた。

 脱がなくていいのかな、お化粧のこと大丈夫かな、とかいろいろ考えていたが頭を動かせていたのはほんの数分だけだった。

 息を奪われて、それからは。

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