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Ep.17「Requiescat In Pace」

 早朝教会に向かったが、折悪く峰理(みねり)さんは不在だった。相当忙しいようだ。

 ボクらは物騒なトランクケースを持ったまま近くの喫茶店で時間を潰すことにした。ガラの悪そうなひとが何人かいたけれど、席に座りざま銃口を向けられることもなく、至って平和だった。

 座って注文を終え、しばし。

 ネウも珈琲を飲むと言ったので、三人分の注文をする。ウエイターのひとにちょっと変な顔をされた。ボクの見た目でブラックコーヒーは不自然に思ったのかもしれない。慣れっこだからいいけれど。


 ほどなくして注文したドリンクが並ぶ。ホットミルク、コーヒー、クリームソーダ。意外と言ったらなんだけれど、凛彗(りんぜ)さんは甘党だった。クリームソーダは彼のものである。

 ホットミルクをひとから見えない位置に置いてネウに差し出す。ネウはフードから抜け出してふうふう息を吹いて冷ましながら飲んでいた。

 バニラアイスを削っていく凛彗さんを見ながら、ボクは昨日の件を訊くべきかどうか悩んでいた。

 凛彗さんは確実に『神霧教(しんむきょう)』のことを知っている。そもそも吟慈さんが教祖ということなら、決定打だろう。

 吟慈(ぎんじ)さんは物腰やわらかで誰にでも敬語を使うひとだった。凛彗さんと同じ赤い髪をしていて、中性的な見た目をしていた。でも父さんの起こした組織の内部抗争に巻き込まれて死んだ、と凛彗さんから聞いている。でも羅住(らすめ)さんの物言いから吟慈さんは健在なのだろう。


 なぜわざわざ嘘をついたのか。

 ボクが父を亡くしているからそれに同情して?

 いやいや、そんなのはありえない。ありえない、と思う。


 このひとがボクに同情するなんて、たぶんない。ボクの傷を見て尊いと言ってくれた彼の目は本当だった。嘘をついている目じゃない。だから、それは信じられる。

 だからこそわからない。父親が死んだという嘘をついている理由や『神霧教』のことを隠している理由も。


 でも。


 本人が語りたがっていない事実をボクが根掘り葉掘り聞いてよいものだろうか。だって、恋人とはいえ仮であるし。ちゃんと「好きです」「私もです、よろしくお願いします」みたいなやりとりしていないし。

 あまりにも公平じゃない。


「――ユウ君」

「え!?」

「……聞きたいことがあるのなら、僕に聞いてね」

「……えっと……」

「情報屋に聞いてはだめだよ」


 凛彗さんは微笑んだ状態で、自分の首を指し示す。それはボクの首にある盗聴器が仕掛けられているかもしれない首輪を示している。

 彼は真実を知るのにハニーBを使うな、と言いたいのだろう。

 無言の圧に閉口し――かけたが、ボクは怯まなかった。

 彼に伝えなければならない事案が発生していた。


「り、凛彗さん」

「……うん?」

「……口の端に、アイスついています……」


 指摘に「……ありがとう」と言ってアイスを舌で舐めとった。

 その仕草をした直後、背後で何人か倒れた音がした。気にしない。


 ◇


 喫茶店から再び教会に戻って呼びかけると、慈玖(じく)君が現れた。上半身裸だった。刺青を着ているみたいな裸身である。


「……ん?」

「どうも、こんにちは。……えっと、峰理さん……は」

「……」


 慈玖君は首をぐるりと後ろに向けた。背後でごそごそ動くなにかがいて、起き上がった。着乱れた峰理さんだった。白い肌が赤く色づき、その上に真っ白な髪が降りていてすごく扇情的だった。峰理さんもきれいな顔をしているよな。ボクが呑気にそんな感想抱いて眺めていると、


「慈玖、なんですか。もう少し寝させ……え?」


 ボクと峰理さんの視線が交わった。


「――えっ、あ……ッ! ちょ、じ、じ慈玖!!」


 峰理さんの顔が真っ赤になっていた。

 まあ、普通はそうだよな。すっかり感覚が麻痺していた。「すみません、出直します」とボクが踵を返そうとすると、後ろから峰理さんが「誤解です!」と叫んだ。転びそうになりながら慈玖君を押し退けて現れる。首の周りの転々とした鬱血痕については指摘しないほうがよさそうだ。


「すみません、ちょっと仮眠を取っていただけで……! 違うんですよ、慈玖とは割と健全かつ真っ当な関係で……!!」


 あたふたと弁解しているけれど、ボクとしては別に峰理さんと慈玖君がそういう関係でも問題ない。むしろ、バレていないと思っていたのか……。


「え? あ、えっと……別に大丈夫ですよ?」

「え?」

「なんとなくそんな気はしていたので、気にしなくていいというか……」

「え……えぇ!?」


 峰理さんは後ずさりながら叫んでいた。


「あ! 見たわけではないんですよっ? ……その、雰囲気に敏感というか……」


 峰理さんが首まで真っ赤になる。すごく初心なひとだった。なんだか申し訳ない。

 対する慈玖君は形勢逆転しているせいか、後ろで笑いをこらえる余裕があった。笑っている慈玖君は初めて見るなあ。


「……すみません、ちょっと待っていてくださいますか……」


 一度教会の扉が閉まる。それから数分経って再び開いた。きれいに服を着直した峰理さんだった。

 慈玖君は上機嫌だ。すごくわかりやすい。


「もしよろしければ奥へどうぞ」


 峰理さんに案内されて教会の奥の部屋に招かれた。扉を開けた瞬間異空間が出現した。


「え……!?」

「私の趣味なんです」

「わあっ……すごいですねこれ」


 三和土、色鮮やかな絵画の描かれた襖、そして廊下。空間を支配する『和風(ワフウ)』の様相にボクは目を丸くした。

『和風』はツクヨミ大陸に古くから伝わる様式で、源流ははるか昔に遡るという。ただ〝隠密の街〟や〝神秘の街〟なんかでは積極的に取り入れられているらしい。本で読んだだけの知識だけれど――技術性の高い『和風』の品々は持っているだけで金持ちの証とされるくらい高価だった。


「ここまで作るの大変じゃありませんでしたか? あ、ここで靴脱ぐんでしたっけ」

「ええ、はい。脱いだ靴はそちらの靴箱にどうぞ」


 漆黒の靴箱。これは、おそらく『漆塗(ウルシヌ)り』だ。

 すごいな、相当凝っている。


「最初期の『掃除屋』はひとりしかいなかったので我武者羅(がむしゃら)で。とにかく依頼を受けては不眠不休で働いていたのです。慈玖に怒られましたけれどね。それで懐が随分潤い始めたので以前から興味のあった『和風』物を集めようかと思いまして」

「へえ……でも住む場所を改築するほどってよっぽどですね」

「凝り性なんです。本当はお寺があればよかったのですが、生憎とそう気の利いたものはありませんで。ですから教会の裏に作りました」


 案内された部屋も『和室』だった。襖を開いた先は畳敷きで、床の間もある。凝り性ここに極まれり、だった。何かの資料にでもできそうな光景である。

 峰理さんが不意に視線を動かした。その先には中庭がある。整備されているけれど特に何も植えられていない。なんだかもったいない気がした。


「『枯山水(カレザンスイ)』を作りたいと思っていまして。……でもまだお金が足りませんね」

「『枯山水』……砂で山とか川とかを表現するあれ、ですか?」

「ええ。――遊兎都(ゆうと)君は物知りですね、大体みんなぽかんとするだけだから嬉しいです。金持ちの道楽だと思われることも多くて」

「いえ、ボクはただ本を読むのが好きなだけで……でも峰理さんはきちんとこだわっているのがわかりますよ。ただの道楽ならこうはなりません、高価なものを廊下に並べて終わりですから」


 博識なわけでは決してない。ただ読む本に見境がないだけだ。ボクに許された娯楽が料理か読書くらいだったから。選り好みすると自分の娯楽の幅を狭めるだけだったから、手あたり次第読んでいた。どんな物語も経験ができない分、すごく新鮮で興味深かった。

「こちらへ」と促されて用意された座布団に座る。凛彗さんはいつもと違って入り口で立ったままだった。


「――それで、依頼の件ですよね?」


 峰理さんが水を向けてくれた。はい、とボクが答えると凛彗さんが動いた。しゃがんでトランクケースをボクと峰理さんの間に置く。そしてすぐ先ほどと同じ位置に戻った。今日は座る気はないらしい。


「? これは……」

「……中に」


 峰理さんはボクの一言で把握してくれた。トランクケースは開けないまま手前に引き寄せ、後ろにいる慈玖君に手渡した。慈玖君は黙ってそれを受け取り、脇に置いた。


「……すみません、依頼は果たせませんでした」


 座った状態で頭を下げる。

 ――時間をかけすぎた。

 勧誘があった時点で捜索を急ぐべきだったのに、ボクは呑気に本を買いに行ってしまった。

 結果余計な手数が増え、依頼人は四等分される羽目になった。

 叱責も覚悟の上だったが、降り注いだのはやさしい声だった。


「いいえ、いいのです。頭を上げてください」

「……」


 言われた通りにすると、峰理さんは困ったように笑っていた。


「本当はなんとなく……そんな気がしていましたから」

「え?」

「死相、というのでしょうか。こういう仕事をしていると嫌でも感じるのです。なんとなく、〝ああ、このひと死んでしまいそうだな〟とか」

「……あ」

「私に死体の処理をお願いするのは基本的に脛に傷のある方です。ですから支払いが数週間滞ると、私は〝ああ、払えない状況にあるんだな〟と思って基本それ以上深追いしません」

「え? じゃあ……」


 どうして今回はボクらに……?

 峰理さんはますます困った顔をした。


「気になった……というのでしょうか。雰囲気はなんら一般人と変わりないのに、そこから逸脱しようとしている。……そんな無理をしているような感じがあって。様子見を、お願いしたかったんです」

「様子見ですか……」


「すみません」と峰理さんが言う。


「自分で行けばよいことだとは思ったんですが、なにぶん多忙な身、でして。猫の手も借りたい状況でしたから慈玖に身に行かせるのもできず……」


 峰理さんがうなじを掻きつつ経緯を説明した。

 つまるところ、未払い金回収という名目で依頼人の様子を見たかった、というわけだ。峰理さんが「申し訳ありません」とまた謝罪する。けれど、峰理さんに何の非もない。


「ボクらはなんでもするから『便利屋』なんですよ峰理さん。ですから、お気になさらず。過去に同じような依頼を受けたことがありますし」


 笑って答えると峰理さんは安心したように微笑んだ。


「ありがとうございます。……ところで、なにがあったか訊いてもよろしいでしょうか?」

「あ。……はい」


 ボクらが体験したことを掻い摘んで話した。峰理さんも慈玖君も最後まで黙って聞いてくれた。凛彗さんのことは言わなかった。言うべきではないと、そんな気がした。


「……霧の向こうに、神の『贈り物』……ですか。なるほど」


 峰理さんは疑っている様子はなかった。

 慈玖君は完全に興味を失っていた。足を崩して手持無沙汰に視線を宙に彷徨わせている。

 飽きっぽい、というより――このひとも凛彗さんと同じで峰理さんくらいにしか興味ないのだろう。


「ふふふっ……」


 唐突に笑ったので面食らった。慈玖君も何事かと目を剥いている。


「ど、どうしました?」

「――ああ、すみません。昔の私なら信じていなかっただろうなあって……」

「昔?」

「私は〝科学の街〟ガクカの生まれなんです。街から追い出されて彷徨っているところを攫われ、見世物小屋に数年おりました」

「へ」

「それから見世物小屋の座長が興行収入を着服し、ついで私を愛人にしてトウキョウに来ました。しかし座長は死にました。身の程を知らないひとだったので、やくざ者に喧嘩を売って殺されたのです」

「……結構、波乱万丈、……ですね。峰理さん」

「ふふふ、そうですねえ……。楽しい人生でしたよ。今も昔も」


 そう言えるのは強いひとの証だ。

 ボクは自分の人生を不幸だとは思っていないけれど、楽しいと感じてはいない。

 楽しめる余裕は、まだないと思う。

 笑っていた峰理さんがふっと真面目な顔に戻る。何か言われるかと背筋を正した。

 でも、厳しいことはなにもなかった。


「――先ほど依頼を果たせなかったとおっしゃっておりましたが、そんなことありません」


 やわらかくて、やさしい、母性というのか父性というのかわからない。

 とにかく泣きそうなほどやさしい声だった。


「……え?」

「……依頼人を連れて帰ってくださいました。私は『掃除屋』ですが、『葬儀屋』も兼任しております。故人を送るのも私も役目です」


 峰理さんがトランクケースに視線を移した。ボクもその視線を追って見つめる。

 黒いトランクケースの中にはひとがいる。ひと、だったものが。


 ボクは思う。

 ――霧の向こうに憧れさえしなければ。いや、『天使』に会うことさえなければ。

 彼はふつうに生きて、ふつうに死ねたのかもしれない。

 この世は不条理の玉手箱だ。けれど、ごくまれに非常に低い確率で、幸福な出会いをする。すると、出会ったひとは勘違いを起こす。


 ああ、世の中捨てたものじゃないな、なんて。


 でも所詮は勘違いだ。

 幸福は歩いてこないし、落ちてもいない。どこをどう見渡して、探しても、見つからない。

 最初からあるものではないから。

 作るしかないのだ、結局。想像し、そして創造する。そしてはじめて手に入れることが許される。許されるだけで手に入れられるとは限らないのだけれど。

 生きているうちには彼には難しかった。だから縋った。偽りであろうと血塗れであろうと、神に。

 神を(かた)り、神を(カタ)る者たちに。


「……峰理さん」


 峰理さんの目とボクの目が合う。

 赤い目だ。血と同じ色をしている。そして、宝石のような輝きがある。


「……よろしくお願いします」


 ボクはもう一度頭を下げた。

 峰理さんが静かに「承りました」と言った。

 せめて最期くらい幸せであってほしいと。

 名前も知らない、顔も知らない、声も知らない赤の他人の冥福をボクはあまりにも無責任に祈った。

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