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Ep.16「天使たちは死して」

 嫌なんだ。

 彼の中に、僕以外の誰かがいるというのが。

 おぞましい。

 彼の中に、僕以外の誰かの痕跡があるというのが。

 この獣を飼い馴らす気はさらさらない。

 僕はこの獣に従順に生きていく。二度とあんな思いはしない。

 あの子を、絶対に放さない。


 ◇


暴力的な区画()』であれ『平和的な区画()』であれ、トウキョウで夜中に出歩くのは一般的に推奨される行動ではない。けれど危険なのはこの仕事をしていれば日常茶飯事だから、気にすることでもない。

 ボクらは治安の悪さを肌に感じつつ、記憶をもとに『天使の家』を探していた。凛彗(りんぜ)さんはきっと何か知っているのだろうけれど、話す気がなさそうなので聞かなかった。

 無理にひとの過去をほじくり返すのはよろしくない。

『天使の家』は鬱蒼と生い茂る森の中にあった。周囲との整合性を無視して突如として現れた森を見て、合成か何かかと目を疑った。コンクリートジャングルにまさか本当にジャングル――もとい森があるとは思わなかった。道中何度かトラバサミに足を持っていかれそうになったから、家につくまでボクは凛彗さんの腕の中だった。

 家は木造りの小屋で、窓から煌々と明かりがこぼれていた。童話でよく見る小人の家みたいだった。ボクはなんとか凛彗さんに降ろしてもらうのを承諾させて、家の玄関に近づいた。手を触れる前に、扉が開いた。

 出てきたのは頭から白い布を被った女性だった。髪も布の中に入れ込んでいるようで、見えるのは唇だけだった。つるつるした生地のワンピースを身に纏ったそのひとはボクを見るなりにっこり笑って、「お待ちしておりましたわ」と言った。

 お待ちしておりました?


「……ボクらが来るのをわかっていたんですか」

「ええ。『贈り物』を頂戴しておりますので」


 川のせせらぎのような、細やかで澄んだ声だった。ボクは「そうですか」と返した。女のひとはどうぞとボクらに道を譲り、中に案内した。警戒しつつもそれに従って室内に足を踏み入れる。

 室内は異常に冷えていた。凍えるほどではないけれど、敢えて温度を低く保っているようだった。

 家の中は小さなキッチンと食卓、それから暖炉とソファがあった。ボクらはソファに案内された。


「ごきげんよう。お会いできてうれしいわ」


 女のひとが胸に手を当ててうっとりと息を吐く。その視線はボクの背後を陣取る凛彗さんに向けられていた。座るときの彼の定位置だ。ついでとばかりに抱き締めてくるので、ボクはクッションの気分だった。


「知っているんですか」


 ボクが訊ねると、女のひとは頷いた。


「もちろんです。教祖様の息子……〝神威(かむい)を継ぐ者〟だもの、みんな知っているわ」


 神威――神の威光を示す言葉。

 やはり凛彗さんは『天使の家』もとい『神霧教(しんむきょう)』と関わりがあるらしい。

 いや、今はそれよりも。


「ボクらはその……あなた方の弟さんが踏み倒そうとしているお金を支払っていただきたくてここに来ています」

「ええ、それも承知しております。――錫流(すずる)


 女のひとが誰かを呼んだ。呼ばれて現れたのは大きなトランクケースを抱えた少年だった。こちらも真っ白な衣装に身を包んでいる。

 生気を感じさせない虚ろな目をしていて、不気味だった。錫流というらしい彼はトランクケースを女のひとに渡した。そのまま彼女の膝の上に乗る。年齢は十歳くらいだろうか、あの名もなき王子様と似ている。


「こちらは羅門(らもん)錫流(すずる)。かわいいでしょう? 私の息子なの」

「はあ……」

「ああ、そうだった。まだ自己紹介をしていなかったわね。私は堂々巡(どうどうめぐり)羅住(らすめ)と言います」


 息子と言いながら苗字が違うのか、まあ形式的な家族なのだろうな。

 ボクは礼に倣って自己紹介した。


(そよぎ)遊兎都(ゆうと)です」

「存じております。死んだ漆々(しちしち)から聞いたから」


 口元だけは笑っている。でも目が見えないから実際のところどう思っているのかわからない。

 そもそもここは敵地だ。油断は禁物。

 目が合わないけれど視線は感じた。つま先からてっぺんまで見られた感覚がある。


「随分と、仲がよろしいのね?」


 それはボクと凛彗さんのことだろうか。この状態で否定しても仕方がないので「そうですね」と答える。


「教祖様とも……お会いしたことがあるとか」


 教祖様? 教祖様というのは吟慈(ぎんじ)さんのことだろうか。


「まあ、小さい頃には。……でもそれ以降は会っていません」

「そうですか。私たちはね、一度もお目にかかったことがないんです。教団本部に行けるのは徳を積んだ者だけだから」

「……はあ」

「だからね、羨ましいのです」


 口元が半月型に歪んだ。

 鳥肌が立つ。とても嫌な感じだった。


「でもここであなたにこの感情をぶつけても無意味です。得にはならない、徳にもね」

「……寛容で助かります」

「ああ、お金ですね。錫流、トランクケースをあちらに」


 錫流君がトランクケースをテーブルの上に置いた。やけに大きなトランクケースだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。

 ――いや、まさかな。物騒な考えを振り払って、それに手を伸ばす。しかし凛彗さんに止められたので、ボクは座ったまま凛彗さんが代わりに蓋を開けた。


「っ!」


 本当に、ボクの予想は嫌なものばかり的中する。

 トランクケースに入っていたのは、四等分にされた人間だった。頭と胴体と手足に分かれている。おそらくこれが依頼人だ。

 腰を浮かせながら、パーカーの裏地に手を滑らせる。カッターナイフの硬い感触を確かめた。

 慎重に口を開く。相手はまだ腰を上げていない。


「死んでいますね」

「そうですね」

「あの、お金を支払ってほしいだけであって……ボクらは」

「――『家族を殺されたら必ず復讐を遂げよ』という家訓があります」


 その言葉で一気にカッターナイフを引きずり出す。刃を出すのとほぼ同じタイミングで錫流君が飛び出してきた。からくり仕掛けみたいな動きだった。彼が大きく開けた口の中には、ナイフのような歯がずらりと並んでいた。そのまま錫流君は突進してくる。カッターナイフを盾にしてボクは自身を守ったが、全体重をかけられて体制を崩して、ソファに座り直す事態になった。


「う、うぐぐ……」


 錫流君はカッターの刃諸共ボクを齧ろうとしている。幸いにも、彼の歯とボクの刃の強度は互角らしい。間近に迫ってわかったが、錫流君は人間ではなく、人形だった。


「遊兎都!? 凛彗はどうした!?」


 寝ていたのかもしれないネウが悲鳴のような声を上げる。

 しかしながら、起きるタイミングが良くない!


「し、……知らないよ……ていうか……っ、いま……、しゃべりッ、……かけ、ないっで……」


 一瞬でも集中を切らせるとボクの頭は半分になる。がじがじ、と迫りくる錫流君を手と足で制しながら、凛彗さんの様子を窺った。

 彼は微動だにしていなかった。羅住さんの顔をじっと見て動かないでいる。

 違う、あれは動けないんだ。

 神の『贈り物』の効果なのだろうか。

 ――目を見ると動けなくなる。

 まるで神話の女神のようだった。頭が蛇の、目を合わせると石になると言う女神。羅住さんが布を被っているのはそういうことか。

 錫流君との距離が縮まって、ボクは慌てて思考を自分の攻防へ戻した。


「……ッ、ぐ、ぅう……」

「遊兎都!」

「ネ、ネウ……」

「クソ、テメエッ! オレの(ツガイ)から離れろッ!!」


 ネウが前脚で錫流君を引っ掻いた。表面に微細な傷がついただけだった。つまり、無意味だった。

 え、っていうか、今なんて言った?


「あぁ!?」

「か、彼は……人間じゃ……な……ッい……!」

「っち! ……だったら!」


 ネウがフードを飛び降り、錫流君の足元へ向かった。そして思いっきり彼の足に噛みついた。それも意味ないのでは、と思ったが。意外にも錫流君は反応した。彼のがらんどうの目が、ネウを見た。


 チャンス!


 ボクはほぼ全身の力で彼を押し返した。錫流君はよろけて、机に背中を強打する。がしゃん! と人体から発せられたとは思えぬ破壊音がした。

 羅住さんがその音に引き寄せられて顔を凛彗さんから逸らした、のだと思う。なにせ、すべてが一瞬のうちに終わっていたから。体感としては、一秒に満たないくらい。

 あまりにも一瞬すぎて、ボクの目には羅住さんの頭が突然破裂したように見えた。真っ赤な血が背後の壁に飛び散って凄惨な模様を生む。真っ白な衣が彼女自身の血で赤く染まった。

 凛彗さんは既に足を下ろしているところだった。彼の靴には僅かに血がついている。

 蹴り殺したのだ。人間の蹴りで人間の頭が破裂した。


「……ママ」


 錫流君が変わり果てた羅住さんを見遣って、小さく呟いた。感傷的にならないうちに、彼の胸に刃を突き立てた。木板みたいな感触だった。たとえるなら俎板に包丁を突き刺した感覚。

 錫流君はぼうっと自分の胸に刺さるカッターナイフを眺めていた。それからほどなくして彼の頭もなくなる。凛彗さんだった。首が根元から引っこ抜けて床に転がった。断面からはなんのことやらわからないコードや基盤が垣間見えた。


「凛彗さ」

「――遊兎都っ! ごめんね、大丈夫だった?」

「え」

「ごめんね……すっかり異能に当てられてしまって……。痛くなかった? 怪我は、していない……?」

「……あ、はい……大丈夫です……」


 ふだんの凛彗さんと様子が違うので面食らった。

 こんなに焦っている彼は初めてだ。


「異能は僕でも防げないんだ……あの女が何故、目を隠しているのか考えるべきだった……」

「……凛彗さん」

「うん、どうかした?」

「……知っているんですね」

「……」


 〝異能は僕でも防げない〟。

 異能が如何なるものか、わかっているひとの物言いだった。


「『神霧教』のこと……」

「……」


 凛彗さんはすごく悲しそうな顔をした。

 どうしてそんな顔をするのだろう。何を隠しているのか、ボクは何を知るべきなのか。

 わからない。けれど、仕事は終わった。

 ボクはトランクケースに視線を移す。工具セットみたいに型抜きされたスポンジにきれいにはめ込まれた人間だったモノ。血抜きをされているのか、肌は青白かった。

 ボクは考え、そして凛彗さんにお願いして持ち帰ることにした。

 夜ももう遅いから、明日峰理さんに報告をしよう。


「……帰りましょうか」

「……そうだね」


 ボクらはその場を後にした。

 天使たちの死んだ家はただ静かだった。

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