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epi.2

「これだけ?」


下働きの子供に乱暴に起こされ、リエラはそれに癇癪で応える。

当然のような態度で居座ったままの従者に叱責され、渋々、生まれて初めて自分の手で顔を洗い、準備をする。

何の飾りもついていない、質素な素材のワンピースを身につけ、食堂へ赴く。

どれほど身分が高かったのだとしても、時がたてば腹は減り、体は食事を要求する。

彼女もまた、昨日からほとんど口にしていなかったせいなのか、子供に起されるまでもなく、空腹で寝具の上でごろごろしていたほどだ。 ようやくありつけた食事を前にして、リエラは思ったままの言葉を口にした。


「ここは神殿です。今までの生活は忘れなさいと言ったのを忘れましたか?」


神殿の祭主である老女が、静かにリエラを窘める。

だが、リエラは神に感謝も捧げず、さじをもったまま朝食を睨みつけている。

用意されたのは、主食であるパンと豆から出来たスープ、それだけであった。庶民からすれば、それでも十分贅沢な朝食ではあるが、今まで散々贅沢をしてきた彼女には、用意されたものは犬の餌にしかみえない。

新鮮な野菜も、料理長が苦心して作ったパイも、程よく冷やされた果物もない朝食など、本当に生まれて初めてなのだから。


「嫌なら食べなくとも結構ですよ、下げ渡してもらいたい人は大勢いますからね」


祭主が、尚もリエラを諭すように言い聞かせる。

先に食事を始めていた神殿の人間は、綺麗にそれらを食し、次々に食器を持って食堂を後にしていく。

神殿に従事する祭主はじめ、神に仕える人間は総勢十名ほど。彼らは食事の後も決められた仕事をこなすべく、それらにとりかかっていく。

取り残された彼女は、渋々古びたパンをスープに浸しながら口にする。

空腹だったせいなのか、思った以上に美味であったそれらを、あっという間に食べきり、彼女は物足りなさを抱えながらも、従者に促され食器を手にして洗い場へと歩いていった。


「これからはこれもあなたの仕事となります」


同じ食事をとったはずの従者は、リエラのように文句一つ言わず、己の手で食器を洗って見せた。

彼もまた、貴族出身のはずであり、侍女の仕事と違って王子付きの従者ならばこのような端仕事などをやったことはないはずだ。

だが、彼は嫌な顔一つせず、それをこなし、さらには元王女にも強制する。


「どうして、私が」

「自分が食べた食器を自分で洗うのはあたりまえのことです。あなたはもう王女でもなんでもないのだから」


やはり冷たく言い放たれ、慣れない手つきで言われたとおりの仕事をする。

すでに王女は、彼に強く言い返す気力を失いつつあるのだ。


「これから祭主に仕事の内容を伺います。いいですか?よく聞いていてくださいよ?わかりましたか?」


所定の位置に食器を収め、リエラはのろのろと従者に付き従う。

だが、彼女はやはりまだ、本当にどうしてこのようなところに自分が入れられているのかを理解することはできないでいた。



 リエラの父であり、歴史あるこの国を担う国王は苦悩していた。

リエラがフィムディアから返されたことを知られ、今国は存亡の危機に瀕している。もともと歴史を誇るだけの国だ、形式だけは美しい騎士団と形だけの軍事力で新興国のそれらに対抗できるわけはない。それでも今まではこの国の歴史への憧れや、互いの牽制という危うい均衡の元に平和が保たれてきたのだ。それらの障壁はたやすく突破され、今まさにこの国を飲み込もうとしている。

お飾りの大臣たちでは解決の糸口すら見つけ出すことができないでいた。

幾度も開かれる会議、それは罵声と愚痴で彩られ、その場にいるだけで疲労が蓄積されていく。

今日もお決まりの会議が開かれ、王は一段高いところにて座し、円卓を取り囲む王子や大臣たちを見渡していた。


「ですから、再び王女殿下をフィムディアに差し向ければ」

「あそこにはすでに側室が二人もいる、あれが入り込めたのも奇跡みたいなものだ」


大臣の一人の答弁に、世継ぎである王子が即答する。

情勢を鑑み、他国に似合いの娘がいないことをいいことに、フィムディア王国へと第一王女を向かわせたのはわれながらいい考えではあった、と、王は感慨にふける。

あの国の安定と規模では、他国の政治的思惑からの婚姻、などというものは必要としない。そこにこぎつけられたのは、相手国に俄かに混乱がみられたからであり、フィムディア王国の一貴族の言質をことさらに取り上げ、既成事実としてリエラを王妃へ据えることができた。よもや彼女が返される、などという事態は想定していなかったが。

しかし、二度目はない。

フィムディアの側室は二人とも美しく、また賢い女たちであったことを王は知っている。

リエラの様子伺いを兼ねて訪問したさい、彼女たちと娘との格の差を思い知らされたからだ。

確かにリエラは彼女たちよりも美しい。

あの金の色の髪も、透き通った肌も、上目遣いに見上げる青い瞳も、誰も彼もが彼女を美しいと誉めそやすだろう。

だが、それだけだ。

口を開けば幼さをひけらかし、自国の歴史すらおぼつかない少女であれば、話して数刻のちには黙って彼女から遠ざかるだろう。彼女をそうさせた責任は自分にもあることを棚に上げ、彼女によく似た元王妃に憎悪を募らせる。

それでも、まだフィムディアに世継ぎが生まれていなければ可能性はあったのだ。

この国にとって残念なことに、次々と世継ぎとなる男児が産み落とされ、かの国はそのめでたい出来事に沸き上がったという。

まして、美貌、血筋とも返された王女に劣る他の王女たちでは、付け入る隙などどこにもあろうはずはない。

国王は、不毛なやり取りを続ける大臣たちを見下ろし、再び深いため息をついた。




 リエラの毎日は、決まった時間に起き、決まった事を行い、決まりきった食べ物を口にする日々で紡がれていった。

それは彼女の自尊心を打ち砕き、だけれども誰にも見張られない日常というものにも心のどこかで居心地のよさを感じ取っていた。

王女時代は贅沢な衣服に身を包み、侍女たちの賛辞で一日が始まった。

それは非常に心地の良いものではあったのだけれど、だがしかし一挙手一投足を監視されるような日々は、今思えばどこか鬱屈としたものであったと、リエラはぼんやりと考える。

この神殿で彼女に任されたのは庭の掃除や生計を得るために神殿が行っている機仕事の準備だ。

重要部分の清掃や、機仕事そのものなどは迷惑になることを考えれば、さすがの祭主でも彼女に任すことはできない。案の定彼女は、勝手に触った機織機を故障させ、すかさず穴埋めすべく従者が新しいものを手配しなくてはいけない有様に陥った。それ以来彼女にはあたりさわりのない仕事しか与えられていない。

ここでもリエラは、結局のところお飾りであり、ただの邪魔者である。

漫然と箒を手に庭をうろうろしているリエラは、まだそこまで考えがいたってはいない。

ふと、彼女の方に何か硬いものがぶつけられた。

リエラは驚き、それが放たれた方に顔を向ける。

そこには、大きさはそれぞれではあるが、まだ幼さの残る子供たちが彼女を遠目に伺っていた。どこから漏れ伝わったのか、王家ゆかりの人間がこの神殿に匿われている、との噂が近隣の村に拡がり、リエラは容易にそれに該当する人間だと断定されてしまった。それは、彼女のかもし出す傲慢な雰囲気によるものなのだけれど、リエラはそれを理解することはできない。今のこの情勢を、手に届かない上の人間によるものだと考える人間は多い。過激なほどの憧れは、己の立場一つで簡単に反対方向へふれてしまうものだ。


「何をする!」


彼女の反論に、彼らは距離を縮め、そして黙ったまま彼女に礫をぶつけはじめる。

無数に飛んでくるそれらに、箒では防げるはずもなく、彼女はほうほうのていで建物へと逃げ込む。

質素だが清潔な衣装は泥で汚れ、血がにじみ出ている箇所もある。

彼女はわけのわからなさと悔しさとで、涙を流しながらも扉の向こうを睨みつける。


「それがあなたの行った結果です」


ぎくり、として後ろを振り返ると、従者が音もなく彼女の後ろへ近づいていた。

リエラは後ずさり背がぴったりと扉へと接触する。


「……わからない」


涙声の彼女は、乱暴に手で顔をぬぐいながら、それでもしっかりと従者の顔を見据える。


「あれは親兄弟を亡くした子供たちです」

「それが、私に何の関係があるというの?」


彼女の視線など気にも留めず、彼は淡々と事実を述べていく。


「あなたのせいですよ」

「だから、どうして」

「あなたが、大人しくフィムディアに納まっていないから、新興国が我が国に攻め入ってきたのですよ」

「うそ!」


彼女の言に、彼は酷薄な笑みを浮かべた。


「伝統国、などとおごってはいても、所詮脆弱な軍隊しかもたぬ国。その歴史ごと吸収しようとするやからは昔から後を立たない、と教わりませんでしたか?」


彼女が勉強を好かぬ、ということを知っていながら殊更に彼は言い立てる。


「幸い我が国は現王が英邁でいらした。様々な策略をもってあなたを大国へと嫁がせたというのに」

「それが、それが私が石を投げられることとどういう関係があるっていうのよ」


まだ、理解をしていなリエラは、そう言って従者を詰る。


「ようやく手に入れた最強の後ろ盾を我が国は失ってしまいました。いや、あなたの扱いからいって親交国としての援助すら期待できないでしょう」

「だから」

「我が国は弱いのです、元王女」


元王女、という部分を殊更際立てて発音し、彼はリエラを挑発する。


「簡単に蹂躙されるほどに」


従者の言葉は、どこかでそれを知っていたリエラの脳裏にしみこんでいく。


「侵略されたものがどうなるかはご存知ですね?いくらあなたでも」


リエラは押し黙る。


「そこには殺りくがあるのみです」


従者は彼女の背中を押し、簡素な医療具のある部屋へと連れて行く。


「ご自分でおやりなさい。あなたはもう王女ではないのだから」


部屋の扉は閉ざされ、そこにはもう元王女という肩書きが不似合いな汚れた女が一人取り残された。

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