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3話-B 上司

10/15


「おはよう御座います、志原先輩」


次の日の朝10時過ぎ、資料室へ向かうと加瀬森が既にいた。昨日の事務作業は終わっているようで、加瀬森はノートに何かを書いている最中だった。


 椅子に腰掛けて久方ぶりに埃や灰が粉雪の如く降りかかったパソコンを開く。途切れ途切れの空調音を出していたので少し心配だったが、暫くして汚れた画面は無事光を放った。

 業務用アカウントでログインし、総務や地域課、他部署からのメールが届いていないのを確認する。そして心に満ち溢れる安堵を味わいながらレジ袋を机に置き、午前の仕事が終わった自分への祝福の準備をする。今日の朝食はツナサンドとカフェラテだ。


「そういえばこの後の予定は大丈夫でしょうか?」

「この後?」


 甘美な朝食ムードの脳内に一片の影が差し込む。


「はい、確か三課の木場さんが第4会議室に来いと仰っていました」

「木場…何の用だって?」


 ここでの人間とは大体殆ど面識はあるが、『木場』という名前など聞いたことが無い。


「面談、だそうです」


 手帳をペラペラと捲りながら、加瀬森は言う。


「はっ…この歳にもなって面談かよ。馬鹿馬鹿しい」

「道標となる上司直々の面談は今後に大きく響きますね」

「意外とお前はポジティブなんだな」

「様々な知恵を自分の元へと手繰り寄せる術を享受してくれるんですよ?」


 加瀬森は屈託の欠片も無いような瞳で自分を見つめる。


「溜め息ばかりしてますね、志原先輩」

「面倒くさい業務が増えるのが好きなのか、お前は?」

「それで事件が解決する糸口につながるのであれば大歓迎ですよ」

「…質問した俺が悪かった」


 根っからのワーカホリックと話してるだけでこっちの頭がやられそうな気がした。






「失礼します」


3階、 あまり日の届かない第4会議室に足を踏み入れる。既に怪訝な表情をしながらこちらを睨み付けている男が座っている。


「あの、今日はどんな要件で─」

「座れ」


 低い声で一言、こちらが生み出そうとした柔らかな雰囲気を一蹴する。自分が資料室よりかは何倍も良い椅子に掛けたのを見計らい、プリントを投げ捨てるように渡される。


「三課の木場 正俊だ」

「志原英智です。この度は…」

「長い間の隠居生活は快適だったか?"荒技師"」


 木場は俺の自己紹介を遮る様に話す。


「昔の名前ですよそれ。今は三上が代わりに躍進してます」

「三上"さん"な。お前みたいな引きこもりが気安く呼ぶな。それで今日はお前の異動の件でのお話しだ。その書類を熟読して目を通しておくように。まぁ俺はそもそも認めんがな」

「はぁ。異論でもあるなら人事にでもどーぞ」


 いちいち罵倒しながら話す木場にほんの少しだけ視線を送り、手元の資料に戻す。書類には堅苦しい言葉が延々と書かれていて、げんなりする。


「異論なら各課の長が全員愚痴ってんだよ。俺も聞き飽きたほどな」

「じゃあ何ですか。また資料室にでも置いておいてくれるんです?」

「…それはそれでいい反面教師になるから悪くはないかもな?」


 合間もなく飛んでくる罵詈雑言。ただ今は過去の記憶が小骨の様に引っかかっており、そちらに神経を注いでいた為あまり気にはしなかった。


「お前みたいな脳カラが刑事として職にもう一度就けるのはな、三上さんが上と取り繕ってくれたからだよ」

「そうだったんですね」

「4年分の謹慎を清算してくれたのにその態度か」


「良い気になってんじゃねぇぞ」と愚痴を溢し小馬鹿にしている様に話す木場を見て、僅かだが過去自分が出会ってきた人間の輪郭と徐々に一致し始める。

 ついでに副産物として、あまり思い出したくない記憶も浮かび上がってくる。


「精々靴でも舐めながら感謝しておくんだな」

「…お前、京都にいたか?」

「敬語を使え」

「…大変失礼ですがぁ京都に配属されていた過去はお持ちでしょうか?」


 カス野郎と語尾に付けたくなったが、心の中に留めた。


「いたな。それがどうした?」

「いえ、聞いただけです」


 ボヤけた人物像のピントが漸く定まり始めてきた。


「お前が刑事として成ってしまった以上は、今まで公務員のガワを被った自堕落な職務は看過せんからな。脳裏に刻んでおくように。いいか?」

「東山…江島蔵橋の捜査本部長か?」

「あ?」


 木場は射抜く様な目線を飛ばしてきた。


「…いや、なんでもない」

「…語学やり直してこい。敬い方も知らねぇ引きこもり野郎が」


 最後まで悪態を垂れ流しながら、木場は会議室から出ていった。

 荒々しく扉を閉める姿は、過去の景色を再現するのには十二分だった。


「…あぁ東山の時のあいつか」





「お疲れ様です、志原先輩」

「…なんでいるんだよお前は」


外に出ると廊下の椅子に座りながら、加瀬森が書類を読んでいた。さらにその隣にはどういうワケか、一課の泉も苦笑いを浮かべながら座っている。


「志原さんすみません…なんかすごい剣幕で尋ねられたもんで、断れずにここに…」

「泉ぃ…」


 体格こそ大きいが、根は真面目かつ大らかな性格で数少ない俺の話し相手がこの泉涼助だ。コイツも三上や坂梅の属している一課に従事している。昔は良き仕事仲間として共に時間を過ごしたものだ。


「失礼ながら外で会話を聞こうとしたのですが、資料室より断然防音対策が完備されていたので直接話を聞く為に待っていました」

「分かったから、その一本調子の話し方やめてくれ。朝っぱらから頭が痛くなる」


 昨日の夜、酔い潰れるまで飲んだことはすっかり脳裏から消え去っていた。


「先輩は木場警部と何を話されたんですか?」

 資料室に戻る最中、加瀬森が尋ねてきた。

「何っていうほどじゃねぇ。よくある"禊"だ」

「禊…と言いますと?」

「中坊とかがやる式の練習みたいなもんだな」

「なるほど」

「志原さんそういうの苦手ですよねー。なんか身体が先に動くみたいなスタンス、昔からマジ憧れです!」

「昔だけで止めとけよその憧れ」

 目を煌めかせながら話す泉の隣で、頷きながら加瀬森は手帳に書き込んでいた。

「ところで木場警部と先輩はライバル関係なんですか?」

「は?」


 予想外の質問に驚嘆の声が自分の口から漏れる。


「…なんでそんな事聞くんだ?」

「先程部屋を出ていった木場さんが、『昔やったことへの天罰だ』とぶつぶつ言っていたので」

「あーたしかそんな事言ってましたねー。木場さんってたしか半年くらい前にここに異動になった人っすよね?僕、地団駄を踏むって生で初めて見ましたよ」

「そういうことか…」


去り際の木場は確かにどこかバツが悪そうだったので、恐らく本人は忘れていないのだろう。


「…昔な、京都の事件で俺とアイツ…三上と増田ってペアで同じとこ任されてたんだよ」

「つまりパートナーということですか?」

「いや、そこまでじゃねぇな。捜査で一緒つっても、1ヶ月くらいだったからな」

「それで、そこまで仲が悪くなるものなんですか?志原さん大切な仕事の時は結構温厚ていうか、落ち着いてるじゃないすか」

「多分だが、鑑取りの時俺がアイツを一方的に振り回したからな。調査の主導権がどっかからフラッとやってきた警部にあったのが気に食わなかったんだろ」


 もし木場が謙虚な態度で三課に出迎えていたら、多少の罪悪感も記憶の奥から這い上がってきたのかもしれない。


「で、その途中でアイツが匙投げていなくなったんだが、その不在中に立件できる証拠が手に入ったんだよ」

「なるほど。で、木場さんは証拠を独り占めされたという事で志原先輩に辛辣な態度を取っている、という事でしょうか?」

「いや…実際はその証拠は不十分でな。三上からは使い物にならなかったって伝えられて…だけど、結局俺が木場を振り回した事は事実だからな。それっきりだ」


 木場とはそれ以降出会う事もなく、時が経つにつれて存在自体忘れていた。まさかこんな形で再会するとは思いもしなかった。







 泉と別れ、俺と加瀬森は部屋に戻り今日の業務内容を書き込む。説教、とでも書いた方がいいのだろうか。


「今日からいよいよ本格的な業務が始まりますね」


 加瀬森の顔はほんの少し微笑みが混じっていた。まるで今から遊園地へ向かう子どもの様だ。どうせ仕事が増え、無駄な労力を使わなければいけないというのに何故楽観出来るのか理解ができない。


「そういえば先輩はどうして刑事になったんですか?」

「どうしてって…成り行きだよ、ただの。お前こそなんで刑事になったんだ?」


 そう聞き返すと加瀬森は数秒程沈黙した。何か触れてはいけない線だっただろうか。


「単純ですよ、自分が選択出来る職業の中で世間の役に立てる仕事が警察だけでしたので。それとどうしても知りたい事があるんです」


 暗い影を含んだ顔で加瀬森は言った。本人なりに何か心残りな事があるのだろう。警察という職の中から刑事をやつなど大体そうだが、過去自分の手から零れ落ち、助けられなかった被害者の"亡霊"に囚われている。


「あんま信念に囚われすぎんなよ」


 後押しする訳でもなく、当たり障りのない言葉を自分の後輩に与える。


「…そうですね。助言、ありがとうございます志原先輩」


でもその亡霊を産み出したのは他でも無い自分自身という事を忘れてはならないのだ。


「おい、そこの2人!」


 扉が開き、今日もまた仏頂面がやってきた。

 今度はハゲだ。


「…なんすか」

「なんすかじゃない対応だよ対応!ガイシャが来てんだから!ここ三課なんだろ?」


「被害者の方ですか!?」


 先程とは打って変わって、加瀬森は椅子から勢いよく立ち上がり、そのハゲ頭の元へ駆け寄る。


「あ、あぁ。受け付けのとこで盗難の方が待ってるんだ。行ってあげてくれないか?今ちょっと俺は手が離せないから」

「だそうです、行きましょう志原警部補!」

「………はぁ」


 嫌々ながら志原英智の5年ぶりの仕事が始まった。いや、始まってしまったというべきだろうか。




 取り敢えず今は早く収束してくれる事を祈るだけだ。

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