2話-B 後輩
「…いや、は?」
何事も無かったかの様に、そのまま資料室を出て去ろうとする三上を慌てて追いかけ問いただす。
「ちょっ、ちょっと待てよ。待ってくれよ三上」
「分かってる志原。急に資料員から刑事に昇進したんだ。慌てふためくのも無理はないな」
「いやっ…え、は?」
「それに大丈夫だ。初見かもしれんが、業務内容は以前と"殆ど"変わらないからな。お前も一課で培った知識を思う存分振るえばいい」
呆気に取られている俺をよそ目に、薄ら笑いを浮かべながら三上は言う。状況が全く把握できない。
「待ってくれホントに意味が分からんぞ。急に刑事課に昇進?ふざけてんのか──」
「同僚の大切な異動報告でふざけるわけないだろ?まぁそう心配するな、幸い1人じゃないわけだし」
「お前いい加減に…!」
「4年だ志原」
肩透かしといった具合だった三上の表情から嘲笑の微笑みが消える。代わりに冷徹な眼が俺を刺す。
「……あ?…あぁ、さっき言ってたな」
「違う。4年間上層と人事はお前の横暴に耐えてきたんだ。…ただの異動、それも"昇進"で済んで良かったな」
そう俺を遠ざけるように三上は言った。
「…俺はもう刑事なんてやらねぇぞ」
「それを決めるのはお前でも俺でも無い。異論があるなら上に言うことだ。まぁ…俺はお前に伝えに来ただけであって、手続きは既に済んでいるんだがな」
「…」
俺は敢えて聞こえるように舌打ちをした。どうせ何か騒いだ所でもう俺の異動は免れないだろう。
最後の抵抗といったところだ。
「そろそろ、前を向いていいんじゃないか?志原」
「向いてるわアホ。…道を変えただけだ」
「そうか、なら精々酩酊しない様に真っ直ぐに歩いてくれ」
相変わらず淡々と三上は話すだけだった。
昔からコイツの口を開けて言葉を並べる様な言い方が俺は苦手だ。貼り付けた様な仕事ヅラが俺のストレスの琴線にピンポイントで触れやがる。
「それで?アイツはなんなんだよ…」
「アイツ?…あぁ加瀬森のことか?」
三上は一瞬チラッと目線を送った。見ると加瀬山は部屋に入って止まった場所から微動だにせず、俺のデスクの前で静止していた。
「…そうだな、敢えて言うなら"利息"だな」
「利息?」
「話は終わりだ。俺も暇じゃないからな、何かあったらメール送っといてくれ」
「ちょ…待てよ!おい三上…!」
「じゃあ仲良くしろよ。天才同士」
無理矢理話を切り上げて三上はどこかへ行ってしまった。
「…アイツ」
自分がこの立場になってしまった以上自由があまり効かなくなるのは明白だろう。勝手に"上司"に殴り込みなんて行こうものなら免職待ったなしだ。
こんな事なら愚痴の1つや2つ三上にぶつけてやればよかった。
「だけど今はこっちだよな…」
部屋に戻ると、その『加瀬森』と呼ばれた女はソファにこじんまりと座っていた。相変わらず微動だにしていないので置物の様に見えて気味が悪い。
「なぁ、加瀬森さん…だったか?アンタはあのバカにどういう経緯で連れてこられたんだ?」
「あのバカとは、三上伸次郎警部のことでしょうか?」
「あ、あぁ…そうだ、三上だ」
機械的な話し方に思わずみじろいでしまった。
「私は貴方の補佐及び補助としてここに派遣された捜査一課、改め三課の加瀬森彗奈と申します」
「…同じく今さっき三課になった志原英智だ」
「了解しました。志原警部補、これから宜しくお願いします」
なんなんだよコイツは。まるで自動翻訳みたいな話し方しやがって。さっきから顔色ひとつ変わってないのも合わさって奇怪さを全面に出していてこの上なく不気味だ。
「…なぁ、三上から何か言われたか?」
「はい。三上一課長からは"経験豊富な先輩から世間を学んでくるように"と伝えられました。志原警部補は過去に捜査一課で様々な事を見聞してきた様なので、機会があれば是非体験談を伺いたいです」
「…経験豊富、ね」
三上め、余計なことをしやがって。今度会ったら引っ叩いてやる。
「まず先に言っておくが、俺は何かノウハウを教える訳じゃない。一々あれこれ指図してたらキリがないからな。それは分かってくれるよな?」
「はい」
よく透き通った声でひとつ返事をする。
ここに来る最中に煮えたぎった反抗心を今のうちに冷ましておかなければ、後々面倒なことになる。保険を厳重にかけておかなければならない。
「だからお前がこの場所に来て何かを得ようとしているのなら、それは何ら意味の無い行動だという事も分かってくれるよな?」
「はい。ですが志原警部補」
「…なんだ」
「三上警部から聞いたのですが、警部補は警部の元パートナーと呼べる存在だったのでしょう?」
「それがどうした」
「三上警部ほどの優秀な刑事のパートナーであった貴官の行動そのものに価値があると私は思います」
褒めているのだろうが、堅苦しい話し方のせいでどうにも釈然としない。
「分かったからまずその"志原警部補"って名前やめてくれないか?なんていうかこう…すげぇ癪に障るんだよ」
「ではどう呼べばいいでしょうか?」
思考を放棄した様な仏頂面顔で首を捻りながら加瀬森は訊いてくる。三上の堅物みたいな顔とはまた違った意味で人を苛つかせる顔をしてやがる。整った顔立ちな故に、三上よりさらに苛々する。
「…じゃあもう先輩でいい。志原先輩な?一応年上だろうし」
「わかりました、志原先輩」
「うい、じゃあこの話は終わりな。俺は少し休むから」
再び一方的に会話を終わらせて、俺は椅子にもたれかかった。
「私は何をすればいいでしょうか?」
「…それを学ぶ為にお前はここに来たんだろうが。見て学べ、見て」
なるほどと言わんばかりの顔で加瀬森は納得した。案外喜怒哀楽がはっきりしてる奴なのだろうか。ならば余計な会話をしなくて済みそうで手間が省けて助かる。
「私はまず自分の荷物を持っていきますので少々お待ちを」
加瀬森は一礼をして部屋を出ていった。
再び、資料室が静まり返る。
「…クソッタレが」
誰に向けたか分からない怨毒の言葉を宙に向けて放ち目を閉じる。
煙草と酒のせいか、視界が真っ暗闇だろうが歪んでいる様な気がして気分が悪い。いや、ここ数年ずっとそうだ。でも仕方ないだろ、現実を1番気楽に忘れられるのがこの2つなんだから。
「頭いってぇ…」
それでも、どれだけ酒に身を溺れさせても、どれだけ煙草の羽衣を着ても、あの問いが脳から離れる事はないのだろう。
…ジリリリリリ
自分だけの終業のタイマーと共に目を覚まし、重たい瞼をゆっくりと開く。辺りを見渡すと、加瀬森がパソコンで事務作業をしていた。
「おはようございます、志原先輩」
「…おはよう」
「溜まっていた保管審査の書類でしたら全て総務課に回しておきました」
「あぁ…」
扉の横を見ると、籠に積まれていた紙の山は綺麗さっぱりと無くなっていた。
「他に何かやる事はありますか?」
「……いや、いい。大丈夫だ」
「了解しました」
加瀬森はまたパソコンに目線を移し、カタカタと打ち込み始めた。なんでこんな真面目の権化みたいな奴がこんな場所に送られたのか。
左遷するには惜しい人材じゃないのだろうか。
「…はぁ」
煙草を吸いながら、ブラインドカーテンから差し込む夕陽に当たる。「感傷に浸る」というのをやってみたかっただけだったが、存外この部屋から見える景色は悪いものではなかった。
「煙草、よく吸われるんですか?」
加瀬森が指を動かしながら訊いた。
「…吸ってない時間のほうが短い」
「そうですか」
再びタイピングの音だけが響く。
「なんだよ、心配してくれんのかと思ったのによ」
「した方がいいでしょうか?」
意地の悪い言い方を敢えてしたが、加瀬森は気にしていないようだった。
「…聞き流してくれ」
誤魔化す様に言い、煙草の箱の中に指を入れて残りの煙草を探す。が、感触は無い。どうやら先程のが最後の1本だった様だ。
「今日はもう帰る。もし誰か来たら明日に回すように伝えてくれ」
「分かりました、先輩」
部屋から出るとき、後ろを一瞥すると加瀬森が頭を下げていた。
つくづく律儀なやつだ。
資料室から早足で離れて1階の喫煙所へと向かう。帰宅前にここで一本吸い、今日の分の鬱憤を煙と共に吐き出すのが癖になりつつある。
ライターのオイルがまだ入っていたかどうか気になり、ワイシャツのポケットを探っていると前に気配がした。避けようとしたが、前方からやや大股でズカズカ歩いてくる男は当たりそうな肩を引く事も無く、そのまま俺にぶつけてきたた。
「って…お前…」
「…あ?」
そいつは悪びれる素振りも無く、澱んだ目で俺を見つめた。
「…あ、坂梅…か」
名前を呼ばれて、その男一瞬意外そうな顔をしたがすぐに
夕陽に照らされた自販機で煙草を買い、近くにある備え付けの灰皿に吸い殻を落とす。僅かに火粉を含んだ灰は暗闇に煌めきながら落ちていった。今日は疲れているのか、吸っても頭に溜まった苦悩が煙と共に外へ出ていかない。
"天才同士仲良くしろ"
三上の去り際に言った言葉も相まって、噛み砕いて飲み込むことも出来ない。最悪に歯痒い気分だ。
「相も変わらず陰鬱ですねぇ、志原さんは」
「…増田か」
後ろからツーブロックの男がズボンに手を入れながら立っていた。逆光という事もあってか、神々しい。内面を除けばの話だが。
「やさぐれ資料整理係が久しぶりに現れたと思いきや煙草休憩ですか。暇なもんですねぇ」
「申し訳ないが俺は今から帰るぞ。それともう資料整理係はやめたんだよ」
「なんと!いよいよ円満退社ですか!」
そう言うと嬉しそうな顔でこちらに駆け寄った。増田雄一、生活安全課で雑務処理をしている俺の指折り数える程しか存在しない友人の1人だ。口を開けば皮肉を交えて他人の嫌なことをピンポイントで小突いてくる毒舌家。それでも、一課で共に捜査をしてからそれなりに波長が噛み合い、三上よりかは高頻度で遭遇し駄弁ったりする。
「ちげぇよ警部補だ。戻るんだよ。ついでに後輩も出来たしな」
「え?貴方みたいな人がまた刑事を?」
「悪いかよ」
「えぇ。少なくとも世にとっては」
「…悪かったな」
容赦ない増田の罵倒を何とか飲み込む。我ながらよく我慢した。
「そういえば、知ってます?一課で左遷された奴の話」
「お前、他人の不幸話好きすぎないか?」
「いやぁ好きってわけじゃないんですよ。ただそういう話にアンテナを常に張ってるってだけです。ほら、刑事なら誰もがそうしてるでしょ?」
増田は照れくさそうに弁明する。
「で、噂によると、聴取の時に結構キツイ事問い詰めたみたいでしてね」
「それがアイツらの責務じゃないのか?真実を探究するのには必要だろ」
「いやーまぁそうなんですけどね。でも普通は“夫が死んだ時清々したか"なんて事件から1日も経ってない被害者に聞きます?」
「そりゃあ……まぁケースバイケースだろ」
「それでもう向こうの方がめちゃくちゃに泣いちゃって、遺族の方もとんでもない剣幕でしたし」
「…それは流石にダメだな」
「挙句には現場そっちのけで聴取勝手にやっちゃって」
「……刑事向いてないだろ」
「でも担当した事件どれもこれも1ヶ月以内に全て解決してるんですよ。そこは褒めてあげないと可哀想じゃないですか」
「可哀想なのは訳も分からず尋問される被害者だと思うんだが。ていうか其奴の名前って…」
「えーそれ聞いちゃいます?まぁいいですけど。たしか…加瀬森」
そう言いかけたとき、突如増田の胸からバイブレーションの音が鳴った。
「あ、すいません。ちょっと呼ばれましたんで僕はこれで」
「あ、あぁ引き止めて悪かった」
「後輩にも自分にも優しく、ですよ?」
「余計なお世話だ」
「じゃ、昇進祝いにこれを」
増田は一本だけタバコを取ると、残りの入った箱を俺に向かって投げた。
「それと志原警部補」
去り際、増田はほんの少し微笑んだ。
「期待してますよ。一課で見た貴方の勇姿」
最後まで鼻につく口調を保ったまま中に戻っていった。
三上にしろアイツにしろ他人の残穢に過剰に期待している。自分がそんな荷を背負う資格はとうの昔に失われた。
「…チッ」
それなのにアイツはこんな優秀な人材を送ってきやがったさしずめ「最前線で活躍する新人でも見て、己の行いを省みろ」といった具合だろう。嫌味な奴だ。
今更そんな天才肌の新人と巡り合いをしたところで何の意味があるというのか。
「…椅子くらい事務に頼んどくか」
俺がアイツにやってやれる事など、精々これが精一杯なんじゃないだろうか。