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1話-B 志原英智の日常

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「すぐ向かう!お前現場の方には連絡は?」


 午前10時、愛知県中区三の丸2丁目、天気は晴れ。 2階に位置するここ資料室には、鬱陶しいほどに眩い陽光に加えて耳を劈くような怒声が廊下から聞こえてくる。あぁうるさいな。


「坂梅さん、物証届きました!1階で待ってるって!」

「今人いないんだよ!後で回すように伝えておけ!それと模沢、連絡取って地取り行ってこないとダメだろうが!現場待たせとるんだぞ!」


 はぇーそりゃ大変なこった。でもうるさいな。


「長尾任同任せた!ちょっと今、立て込んでるんだよ…すまん!」

「急過ぎますって…んー…あぁ!今度奢ってくださいよ?!」


 あぁ、うるせぇ

 うるせぇどいつもこいつも


 自問自答の如く悪態をつくが、それは心の中でこだまして消化されていくだけだった。

 飲み込もうにも味は最悪だ。


「志原さん」


 扉のノック音と共に女の声が聞こえた。こんな時間に誰だろうか。いや、誰だろうがどうでもいいか。こんな調査書類をただ処分するだけの無理矢理生み出された雑務に情熱もかける労力もありゃしないのだから。


「…あーはい、どぞ」


 ガチャリと開き、外の喧騒と共に長髪の女警が書類を持って部屋に入ってきた。事務的な雰囲気から生活安全課の人間だろうか。襟元から規律正しく、服装に一切の乱れもない。

  それが普通だというのに気がつくのに時間を要したのは、長年の隠居生活の果ての賜物なのかもしれない。


「失礼します、こちらの資料を…」

「分かったからその籠の中置いといて。まとめて検印して物品と総務に送るから」

「分かりました。それと刑事課の三上様から伝言が届くみたいなのでそちらも…」

「あー…はいはい分かったから」


 強制的に会話を終わらせたにも関わらず、律儀にその女警は一礼をして部屋を出ていった。

 堅い奴だ。あんなバカ真面目に仕事に勤しんだところで、給与が上がるわけでもないのに。

 扉が閉まり、外で騒いでいる奴等の声量が元に戻った。扉の横につまれた書類の山を見て、反射的に溜め息を吐く。


 吐くと言えばまだタバコは残っていただろうか。

 胸のポケット辺りを探ると、潰れた箱が出てきた。その中には4〜5本のタバコが入っていた。


「ふー…」


 箱から取り出し口に咥えて、陶酔感に酔う。

 白い溜め息がその場に漂い、消えてゆく。


 やはりタバコは最高だ。今ある悩みから解き放ってくれる現代の合法魔法だ。

 これを吸っていない人間は何を使って現代人に課せられた重みから身を守るのか実に気になる。

 今日は天気がいい。

 晩酌ならぬ昼酌でも始めようか。


 今朝買ってきたおつまみピーナッツを口に放り込んだそのとき


「昼間っから随分と呑気なもんだな、志原」

「ッんふぐっ」


 目の前には仏頂面の男が腕組みをしながら立ってた。


「そこに晩酌用の酒でも有れば満足か?」

「ゲホッ……空気読めよ……折角のヤニ休憩を無碍にしやがって…エホッ」


 喉に詰まりかけていたピーナッツは胃の底になんとか流れていった。死ぬかと思った。


「……で、何の用だよ。一課のエースがこんな左遷部署に?」

「左遷とは人聞きの悪い。しっかり『資料整理員』の名ならついてるだろ?」


 銀の装飾が煌めく時計を見せ付けるかのように弄った後、俺と同期だったその男は古びた革のソファに腰掛ける。

  三上伸一郎は30代にして捜査一課の長に就任している。敏腕を振い数々の事件の真実を暴いてきた三上は一昨年、警察功績賞を、去年は功労賞を獲得。まさにエリート街道を突き進んでいる。

 だからと言って三上は仕事一筋に突き進む訳でもない。規律の上で成り立つ警察組織の、上下関係の隔りを三上は平気で乗り越えて、他部署であろうと部下の後押しをしたりなど、"一部の人間"以外には対等に、そして懇ろに接している。


「昨日帰り側に見てから処理済みの調書の山が減ってないように見えるんだが…」

「来客用だぞ、それ」

「堅いこと言うな。…ていうかこのソファ硬てぇな」

「嫌なら上に言ってくれ。お前事務によく顔出すだろ」

「予算が足りないんだと。財政改革のデモ活動も都内で広がり始めてるみてぇだし、次の選挙辺り保守派が落ちるかもな」

「そのクズ共の尻拭いをするのがテメェらだろ」

「お前も…あ、火あるか?」

「…ほれ」


 投げられたライターを掴み、手際良く三上は煙草を吹かす。"一部の人間"に優しいというのは実質的に俺以外ということだ。三上とはある事件を境目に同じ場所の勤務であるにも関わらず疎遠になってしまった。 もっとも、こちら側が一方的に関係を断ち切ったわけで今もこうして、たまにではあるがコイツなりに仲を取り繕ろうとしているのだろう。


「悪いな。で、話だ」


 白い息を天井に吐いた後、灰皿にタバコを押し付け、改まったように座り直す。一挙一動、腕に付けてる時計をアピールしているのが小賢しい。


「お前、自分がここに来て何年経つか知ってるか?」

「さぁな。7ヶ月くらいか?」

「違う。…何で7なんだ?」

「さっき出回り先のパチスロで777が揃ったからな。2000発出た」

「…公務員勤めの人間が勤務中にパチンコ打ちに行くとか聞いた事ないんだが」

「仕方ないだろ。今あそこ高設定のイベントやってんだから。その為に態々会員カードも作ったし行かなきゃ損なんだよ」


 呆れた様な顔をしながらも三上は話を続けた。


「…話を戻すが4年だ。」

「おぉ、4年。もうそんなに」

「そう、今日できっかり4年だ。おめでとう志原」


 無表情のまま三上は拍手をする。乾いた音が資料室に虚しく響く。皮肉だというのを分かってはいたが、俺は1000日を超えていたのがおめでたい気分だった。


「…なんだよ、祝辞かよ。お前意外と元パートナーを大事にするんだな」

「良いところに触れてくれた。そこでだ志原、お前の4年資料室勤務を祝ってあるものをくれてやる」

 そう言って三上はずっと手に持っていた大きめの袋の中を手探りし始めた。

「お、何?純米の吟醸酒か?前に行った鎌倉の珠善酒とかも良かったよな」

「あー、ちょっと待ってな。奥に入り込んでんな…うまく掴めん…」

「なんだよワインか?あ、じゃあいっそここで一杯やるか?確かコップが──」


 期待を断つように三上は無言でこちらに何かを投げ捨てた。それはペシッ、と胸に当たり床に落ちる。

 財布の様なものだ。いや、俺からしたらそれ以上に慣れ親しんだものだ。


「見ろ」


 つい数秒前まで冗談混じりのやんわりとした雰囲気が消え失せる。冷たい声で言われるがまま、黒い財布上の入れ物を開いて中を見る。



「…これ」

「警察手帳だ」

「2人分…なんだが」


 困惑する俺を他所に、三上は扉に向かって「入れ」と叫んだ。


「失礼します」



 嫌な予感というのは何故こうも当たるものなのか。


 女の声と共に、ガチャリと扉が開いた。


「……お前…さっきの」

「志原英智並びに加瀬森彗奈、本日付けでお前達を愛知県警本部捜査三課へと一時的に任命する。」



 本日付けで俺の、志原英智の窓際生活は終わりを告げた。


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