前編 メリー十代から二十代は混乱を極めた
本作は長岡更紗様主催の【ワケアリ不惑女の新恋企画】の参加作品です。
◇仰天◇
ほへっ?
ヘンな声が出そうになりましたわ。
いけない、いけない。
淑女たるもの、感情を出すのも憚れますのに。
「あの、サザス様。申し訳ないのですが、もう一回おっしゃっていただけます?」
裏返りそうな声をなだめ、私は目の前に座るサザス様にお聞きしました。
「だから、シモーヌの代わりに、我が息子、カトラスを育てて欲しいのだ、メリニア」
あんた、何言ってんの!
思わず怒声を上げそうになりましたが、拳をぎゅっと握って耐えました。
何といっても私はアガピア侯爵家の令嬢ですから。
「まあ、サザス様、それは良いお考えですわね」
コロコロと、隣席の義母アルーダが笑います。
神様、ぶん殴って良いですか。
視線をずらして我が父、アガピア侯を伺うと、目を閉じ頷いておりました。
クッ!
やはりあの時、この家ごと潰しておくべきでしたわね。
それはもう、三年前のこと……
◇◇◇
「すまない、メリニア。君との婚約を解消して欲しい」
サザス・ポエトリー様が頭を下げた。
生まれた時から決まっていた、私メリニアの婚約者。
彼はポエトリー伯爵家の三男で、六歳上の方。
サザス様の隣には、シモーヌ姉さまが、ぴったりとその豊満な身体をくっつけている。
姉さまといっても、私と血の繋がりはない。
父の後妻の連れ子である。
「理由を、お聞かせ願えますか、サザス様」
別に聞きたくはなかったが、「婚約破棄もしくは解消」を告げられた時の、様式美みたいなものだ。
「俺は真実の愛を見つけたのだ! そしてその相手、シモーヌのお腹には……子どもが……」
当時十二歳だった私は、思春期を迎えたとはいえまだまだ純粋なお年頃。
婚約者がいる。
義理とはいえ、妹の婚約者であることを知っている。
そんな立場同士、しかも結婚前の男女に……
子どもが、出来たあ!?
おそらくは、田畑を荒らす害虫を見るような目で、二人を見たと思う。
すうっと目を細めた私を、姉さまは鼻で笑った。
「お子ちゃまのあなたより、アタクシの方が魅力的ってことよ。気にすることはないわ、メリニア」
いや、気にするでしょ!
ていうか、家同士の婚約って結構固い契約ですよ、分かってます?
「それは問題ない。既にポエトリー伯とは話がついている。我がアガピア家の跡取りが生まれるやもしれぬ、目出度い話だからな」
母亡きあと、迎えた後妻とその娘には、ゲロ甘な父がそう言った。
おめでたいのは、あなたの頭ですよ父上。
アガピア家の爵位を継ぐのは、亡き母の血を受け継いだ私なのですが。
ともあれ、生まれてくる子に罪はない。
私もまだ十二歳。来月からは王立学園の中等部に通い始める。
新しい相手を適当に見繕って、婿を迎えれば良いだろう。
達観と楽観。
私は幼かったのだ。
王都の学園に通うようになって、私は思い知らされた。
五歳上のシモーヌ姉さまも、同じ学園に通っていた。
姉さまは学園に在籍する間中、自分がいかに、妹のメリニアによって可哀そうな目にあっているかを語り続けていたのだ。
結果、学園内では、先輩や教師から白い目で見られ、同級生らは遠巻きにされ、ボッチの生活をおくるはめになった。
新しい婚約者など、見つかるはずもなかった。
◇◇◇
「では、アガピア家の領地邸で、メリニアがカトラスの育児と教育を行うことでいいな」
いいわけないだろ!
けれど私の心の叫びが、父様に届くことはなかったです。
幸か不幸か、私はこの春で学園を卒業します。
なまじ高位貴族なので就業という選択もなく、卒業後は行先の宛てもないのに嫁入り修行。
爵位を継げる立場でありますが、少なくとも十八歳を越えないと申請書類を出せません。
不貞を働いた元婚約者と、婚約者を寝取った(あら失礼)身内の子どもを育てるなんていう、理不尽な役割を甘んじて受けるくらいしか、道は残っていないのです。
義理の甥カトラスと侍女を一人連れ、王都の邸を離れたのは、花が一斉に咲き始める五月の初めでした。
◆カトラス◆
「あなたの名前は、カトラス・ポエトリーよ。こんにちは、カトラス」
新緑の葉っぱの様な、穏やかな瞳。
母よりもずいぶん若い女の人が、僕に向かって微笑んだ。
誰?
僕は自分の名前くらい知ってるよ。
「私はメリニア。メリーって呼んでね」
メ・リ・ニ・ア?
僕は頭の中で、その名を探す。
ああ、母の妹? だっけ。
母と似てないな。
似てなくて。
良かった。
立ったまま何も言葉に出来ない僕を、メリーはそっと抱きしめてくれた。
ふわりとメリーの髪が舞うと、良い匂いがした。
野原の花の香りだ。
母のような、思わず咳き込んでしまうような、キツイ匂いじゃなかった。
メリーは僕の手を取って、馬車に乗せる。
馬車に乗るのは初めてだ。
嬉しくて、僕は窓の外をずっと見る。
あの家から、抜け出せた。
あの母から離してくれた。
この馬車が、何処に向かっているのかは知らないけど。
ひょっとしたらこのまま、捨てられるのかもだけど。
それでも良い。
隣のメリーは僕の手の甲をずっと撫でてくれている。
僕の指先は、少しずつ温かくなった。
◇育児放棄◇
領地へ向かう馬車の中で、私はカトラスを初めて間近で見ました。
細い。
男の子だけど小さくて華奢。
顔立ちは、大変整っているのに、目だけ大きくギョロッとしていて半魚人のよう……
半魚人、見たことないけど。
サザス様のお話は、大袈裟ではなかったようです。
サザス様と姉さまは、アガピア邸の一角に離れを建て、そこで暮らしています。
父の執務を少しばかり、サザス様が手伝っていらっしゃると聞きました。
カトラスの育児は、主に乳母が担っていたそうです。
ところがカトラスが二歳のお誕生日を過ぎた頃、乳母だった女性は急遽、故郷に帰ることになりました。
あの姉さまが……
自分のことだけしか興味のない姉さま。
他人のものを欲しがって奪って、飽きたらポイの姉さま。
私が可愛がっていた子猫を、いきなり奪った姉さま。
すぐに飽きて、使用人に捨てさせた姉さま。
そんな姉さまが子育てなど、出来るはずはなかったのです。
丁度同じ頃、サザス様はポエトリー伯から爵位を一つ貰うことになり、我が邸とポエトリー邸とを行き来するようになり、必然的にお姉さまが一人きりで、幼いカトラスと向かい合うようになりました。
そして……
離れ邸からは毎日、お姉さまの怒声が響くようになりました。
お姉さま付きの侍女が、見かねてサザス様に直訴。
サザス様が慌てて戻ってみると、部屋の片隅でじっと動かない我が子と、鏡の前で自分の髪の毛をむしり続けている妻に驚愕したそうです。
三歳のお誕生日を前にして、カトラスは一歳児のような歩き方しかできず、言葉を発することは、殆どなかったのです。
◇領地にて◇
王都にあるアガピア邸から、領地の別邸までは、馬車で一日ほどかかります。
別邸に着いた時には陽が落ちて、カトラスは眠っていました。
別邸には、私の実母の時代から仕えている侍従たちがおります。
侍従長の手を借りながら、カトラスを抱え部屋に行き、私はベッドに寝かせます。
ランプを消そうとしたら、カトラスはいきなり私の手を握りしめました。
そして一生懸命、顔を横に振ります。
「うんうん、暗いのやだね。あなたが眠るまで、一緒にいるね」
そう言うと、カトラスは大きく息を吐き、目を閉じました。
私の手を、握りしめたまま……
憐憫と義憤。
そんな感情が湧いた自分に驚きながら、私は決めました。
この子が、カトラスが、年齢相応の成長を遂げるまで。
暗闇を怖がらないで、眠ることが出来るまで。
私はカトラスに寄り添うことにする、と。
次の日から、私はカトラスと一緒に過ごすようになります。
カトラスは発語は出来なくても、話を聞き取ることは出来るようです。
「おはようカトラス! まずは顔を洗おうね」
器に入れたぬるま湯を用意すると、カトラスは小さな手で、ちゃぱちゃぱ顔を洗います。
目尻に残る涙の跡に、私の胸はきゅっとなります。
「朝ご飯は食堂で食べますよ」
カトラスは手づかみで食べようとするので、スプーンの持ち方から教えることにしました。
食後は散歩に出かけます。
よちよち歩きのカトラスに合わせ、ゆっくりのんびり領地を歩きます。
春の日差しは心地よく、カトラスはしゃがんで石を拾ったり、野の花を摘んだりしています。
がさっ
振り向くと野ウサギが、草むらからぴょこんと、頭を出しています。
「あ、あっ!」
珍しくカトラスが声を上げます。
彼が転びそうになりながらも追いかけていくと、野ウサギの姿は瞬時に消え、齧りかけの野イチゴが一粒、落ちていました。
「野イチゴ野イチゴなぜ赤い」
下手くそな歌を唄いながら、カトラスと歩きます。
声が出ないのは、声を出す筋肉がついてないからだと、お医者は言ってました。
いずれ、カトラスが一緒に唄ってくれるといいな。
夜はカトラスの枕元で、絵本を読んで聞かせます。
「今日は『光の勇者の物語』ね」
それは、勇者が光の剣を奮って悪の権化と闘い、捕らわれた姫を助け出すというお話です。
初めて読み聞かせた時に、カトラスの目がキラキラ光りました。
男の子、なんですね、やっぱり。
読みながら私も眠くなり、そのままカトラスと一緒に、寝てしまうこともありました。
そうそう、領地の邸にやって来て、嬉しいことがありました。
捨てられたと思っていた猫が、こちらで飼われていたのです。
子猫から大人の猫になっていました。
「メリー、メリー。朝だよ」
こちらに来て三ヶ月も過ぎる頃、カトラスはスラスラと喋るようになり、骨が浮き上がって見えていた身体も、ほんの少し丸みが出てきました。一安心です。
肉付きが良くなると、カトラスの端正な顔が際立ってきました。
なんという美少年!
おばちゃんは嬉しいよ。
子どもの成長は思っていたより、ずっと早いようです。
猫と同じ?
とはいえ、私もまだ十六歳。世間的には子どもなのかな。
カトラスと一緒に生活しながら、私も次のステップに進もうと思います。
◆カトラス◆
メリーと一緒に暮らすようになって、俺は本当に救われた。
お腹を空かせて泣くこともない。
泣いたとしても、叩かれたり、爪で刺されることはない。
お風呂には毎日入ることが許されている。
そういえば、ここで最初にお風呂に入った時、俺の体を見てメリーは泣いた。
俺の腹や太ももには、青や赤の痣が、たくさんあったからだ。
それから俺は、毎日メリーと一緒にお風呂に入るようになった。
俺はチビだしガリガリだし、裸を見られるのは正直恥ずかしかった。
でも。
メリーの素肌は真っ白で、綺麗な形の胸があって、目を伏せながら俺はチラ見した。
七歳になって、領地内の小学校に通うようになった。
その小学校は、メリーの母上が建てたものだという。
俺を引き取ってから、メリーは俺に読み書きや計算をはじめ、国の歴史や領地の天気を毎日教えてくれた。
だから学校の勉強で、困ることはなかった。
俺が小学校を卒業する頃には、メリーは二十歳を越えていた。
「ねえねえ、あなたの『おばさま』って、結婚しないの?」
学校では時々、クラスメートから質問される。
その質問、俺は嫌いだ。
「この前、君のお邸の近くで、メリニア様が綺麗な男性と一緒にいたけど、メリニア様の婚約者?」
うるさいうるさい!
それはきっと、俺の体を時々診に来る医者だよ!
良い医者だけど、俺は好きになれない。
だって。
メリーとお似合いだから……
心配になって、俺はメリーに訊いてみた。
「ねえメリー。あの医者のこと、どう思ってるの?」
「医者ってクアトロス先生? 良いお医者様よね。ケガに詳しいっていうので、わざわざ王都から来てもらって良かったわ。あなたの昔の傷、良くなったでしょ?」
「うん。いやええと……その、男としてどう見てるのかって……」
メリーは口を開けて笑った。淑女の笑いじゃないぞ、それ。
「クアトロス先生は、もうご結婚されているわよ」
俺は心底ほっとした。
作中に出て来る「クアトロス先生」は、拙作「婚約破棄は構わないですが、あなた様がケンカを売ったお相手、誰だかご存じですの?」にも出て来る医師と同じ人物です。「婚約破棄~」を読んでなくても本作の読了に影響はないと思いますが、興味が出ましたら、ご一読を。
近日中に完結します。




