「今後の取引を考えることになるけど?」ドヤ顔外資系女社員の無茶振りに、若手下請け営業の俺が契約破棄を突きつけた件
「えぇ!そんな……今になってキャンセルだなんて困りますよ!」
思わず声を上げると、目付きの鋭いスーツ姿の女性がふんと鼻で笑った。
彼女は俺の勤める『山猫商事』の一番の大口取引先『ブルドッグ・インベストメント』の担当営業『犬神さおり』だ。
「は?えっと……真鶴さんだったかしら?それはそっちの都合よね?」
「いや、でも、流石にこのタイミングだと、ウチから発注先にキャンセル料が発生しますし、下手すれば違約金も……」
前任者が急性胃炎だっていうからヘルプで来たものの……この女、マジでヤバい。
顔は綺麗系だが、話が一切通用しないし聞く素振りすら見せない。
下請けの営業などゴミくらいにしか思っていないような態度だ。
「だー、かー、らー、それはそ・っ・ち・の問題でしょ?ったく、こっちもボランティアじゃないんだから。とにかく今回の発注はナシ。どうせまた来月発注入れてあげるんだから、これくらいで文句言わないでくれる?」
「そんな……」
あまりの理不尽さに言葉を失っていると、彼女の同僚らしき髪の右側だけ刈り上げた男がやって来た。
高級スーツに針のように尖った革靴、これ見よがしな厳つい高級時計。
これで良く営業ができるな……もしかすると、顧客層が違うのかも知れないが……。
「うぃーっす、あれ?さおりさん、まだ商談中っすか~。じゃあ、俺、店の方で待ってますよ、へへへ、今日は良い面子揃ってますから、期待しててくださいっす~」
「え、ホント?じゃあ、すぐ行くから車回しといてくれる?」
「さすが、さおりさんは仕事早いっすねぇ~!んじゃ、車回して来まーす!」
おいおい、マジかよ……。
「あ、あの……犬神さん、もう一度お考え頂けませんか?せめて半分でも……それか来月の分を先に納品という形では……」
「ったく……あなたそれでも営業?ちょっとは努力しなさいよ!あー、だから、山猫なんて三流でしか就職できないのね?」
我慢の限界だった。
前任が胃炎になったのって絶対原因コイツだろ……。
「何、その顔?これ以上クレーム入れるなら、今後の取引を考えることになるわよ?」
嘲笑し、勝ち誇った顔で俺を見下す犬神。
くそ……確かにブルドッグ・インベストメントは山猫商事にとって大切な取引先だ。
俺の上司のヤマさんから聞いた話では、ウチの社長がアメリカで修行していた時に、ブルドッグ・インベストメントの本社で仕事を学んだらしい。
その関係もあって、会社創立時からブルドッグ・インベストメントの仕事は、他社よりも優先してこなしてきたと言う。
だが社長にあっても、俺達社員には恩義もクソもない。
むしろ、こんな取引先なんて無くなってくれた方が、よっぽど業績が上がると思うんだが……。
「では一旦、持ち帰って……上と相談させてください」
「ハッ、呆れたわね?まあ、あなたみたいな人に決裁権を持たせないだけ、会社はわかってるってことかしらね。いいわ、相談して上手く対処して頂戴。では、今日はこの辺で」
「ありがとうございました……」
頭を下げて、俺は応接室を出た。
もちろん見送りなどあるわけも無い。
扉の向こうから、やたらハイテンションな犬神の声が響いてくる。
「あー、やっと帰ったわ!下請けの癖にしつこい奴だった~、これならまだ前任のおっさんの方がマシね、あははは!」
俺は拳を握りしめ、やり場のない怒りを抑えたまま会社に戻った。
* * *
翌日、俺は上司のヤマさんと二人で、朝一から得意先へ謝罪行脚に向かった。
「……本当に申し訳ありませんでした!」
二人揃って深々と頭を下げる。
「もう、いいっていいって、ヤマさん頭上げなよ、ほら、真鶴まづる君も」
キンクマフーズの熊田社長は上司の肩を優しく叩いた。
熊田社長のヤマさんを見る目は、取引先の営業としてではなく、まるで親友に向けるような温かい眼差しだった。
俺の上司は山田健太郎と言って、業界では山猫のヤマケンと言えば通じるくらい顔が広い。
入社から半年で二桁億を売り上げ、営業部長に成り上がった伝説の営業マンだ。
一見、のんびりしてそうに見える熊田社長も、同じように若手の一社員から社長にまで上り詰めた成功者。
有能な二人はすぐに意気投合し、単なるビジネスパートナーから、今では家族ぐるみで付き合う良き友人となっている。
昨今のインスタ映え需要を見越して、キンクマフーズに商品開発を提案したのもヤマさんだ。
熊田社長もブルドッグ・インベストメントの無茶な要求で、困っていたヤマさんを何度も助けている。
二人は互いに助け合って大きくなってきたのだ。
「ありがとうございます、本当に社長には貧乏くじ引かせてしまって……」
「よせよせ、しかし……ブルドッグ・インベストメントのやり方は酷いな」
「まあ、愚痴を言っても仕方ないんですがね……正直、参ってます」
ヤマさんが珍しくため息をついた。
今まで取引先でそんな姿を見せたことがなかっただけに驚く。
それだけ、熊田社長と深い付き合いがあるということか。
「でもおかしいな……ブルドッグ・インベストメントって本国じゃかなりのホワイト企業だろ?何で日本法人はこんな対応ばっかりしてるんだ?」
「確かに……変ですよね」
「よし、ちょっと知り合いに当たってみるよ。何かわかったら連絡するから」
「社長……ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
ヤマさんに続き、慌てて俺も頭を下げる。
すると熊田社長は俺の背中を軽く叩いて、にっこりと微笑んだ。
「真鶴君、ヤマさんからしっかり学ぶと良い。彼は最高の営業マンだからね」
「は、はいっ!」
* * *
謝罪行脚が終わり、帰社した俺は机に突っ伏した。
「あ゛~……しぬぅ……」
「ほら、飲め」
「あ、す、すみません、いただきます!」
社内にあるディスペンサーで淹れたブラックコーヒーをヤマさんが持ってきてくれた。
本来なら俺が持ってくるべきだったのに……今日は疲れ果ててぼーっとしてしまっていたな。
「今日は疲れただろ?」
隣の席にヤマさんが座る。
「あ、いえ、大丈夫です!」
「よせよ、ここは得意先じゃないぞ?もっと肩の力を抜け」
「は、はい……」
そう言われても流石にヤマさんの前だと緊張する。
しかも今日の謝罪行脚が成功したのは、ヤマさんが居たからだ。
「さっき、社長と話してきた」
「え……」
「以前、社長がブルドッグ・インベストメントで修行したって言っただろ?」
「あ、はい、本社ですよね。その時の恩義があるとか……」
「ああ、それは今でも変わらないそうだよ」
やっぱりそうか……。
なら、俺達社員は、あんな無理な要求をこれからも黙殺しなければいけないんだ……。
そう思うとやるせない怒りがこみ上げてくる。
「おいおい真鶴、勘違いするなよ」
「え?」
「ははは、お前はすぐに顔に出るな。そんなんじゃこの先、営業マンとして有利な交渉ができないぞ?」
「あ、す、すみません!」
ヤマさんはふふっと笑って、俺の肩に手を置いた。
「いいか、驚くな?今までの件も含めて考慮した結果……社長がブルドッグ・インベストメントを切る決定を下された」
「そ、それって⁉」
「そうだ真鶴、あのクソ女に引導を渡してやれ!」
「は、はいっ!!!」
* * *
――数日後。
「あらあら、今日はわざわざ部長さんまでお越しいただいたんですねぇ」
犬神は相変わらず失礼な物言いだ。
ここまで来ると清々しいものを感じるな。
「それで、前回の件の謝罪でいらしたんですか?」
は?何言ってんだコイツ?
そう思って隣を見ると、さすがヤマさんだ、顔色一つ変えていない。
いかんいかん、俺も顔に出さないようにしないと……。
「いえ、今日は別件でお話があって参りました」
「話?」
「ええ、ここからはウチの真鶴から説明させて頂きます」
そう言ってヤマさんは俺に目配せをした。
「何かしらねぇ?新商品なら間に合ってるけど?」
「単刀直入に申し上げます、山猫商事は貴社との契約を打ち切ることにしました」
「は?打ち切る?」
「はい、今後、ブルドッグ・インベストメント様からの仕事はお請けできません」
「はぁ⁉決裁権も持たない底辺が何を偉そうに!あなたじゃ話にならないわ!」
「持ってます」
「え?」
「ですから、この件に関して社長の山猫より一任されております。もちろん決裁権は私に」
「そ、そんなわけ……」
「本当ですよ、営業部長である私が責任を持ちます」
ヤマさんの一言で犬神の顔が真っ青になった。
「ふ……ふん!あ、そう、折角目を掛けてやったのに!ウチから仕事回さなきゃ終わりよ?わかってんの?」
「ご心配には及びません、それはこ・っ・ち・の話ですから」
* * *
会社に帰ると、皆がスタンディングオベーションで出迎えてくれた。
皆、ブルドッグ・インベストメントには頭を悩まされていたのだ。
「やったな真鶴!」
「良くやったぞ!」
「ありがとうございます!いやぁ、スーッとしましたよ!皆にも見せたかったです」
その時、部長が顔を出した。
「あ、部長、お疲れ様です!」
「ヤマさん、おつかれさまです!」
「みんな、お疲れさん」
また、ヤマさんが皆のコーヒーを持ってきてくれた。
あちゃ……俺って気が利かない奴みたいだな……。
「真鶴~、お前ヤマさんに何やらせてんだよ……」
「すみません!つい……」
「いいんだよ、真鶴は今日のヒーローだからな」
「ヤマさん……」
「さ、皆聞いてくれ。知っての通り、今後ウチは、ブルドッグ・インベストメントからの仕事は請けない!」
「「おぉ~!!」」
皆が手を叩いて歓喜する。
「だが、その分、早急に新規開拓が必要になるぞ。皆の協力が必要だからな、頼んだぞ!」
「「はいっ!!」」
* * *
それから、社員が一丸となって新規開拓、そして顧客満足度を高める努力を続けた。
その結果、業界でも三流と言われていた山猫商事は、順調にその業績を伸ばしていった。
しかも、ブルドッグ・インベストメントに匹敵する大手、ダックスカンパニーとの契約を皮切りに、続々と契約を結びたいという企業が現れた。
聞けば、以前から我が社の誠実な仕事ぶりは、業界の間で高く評価されていたそうだ。
だが、ブルドッグ・インベストメントとほぼ専属に近い契約をしていたため、他社がアプローチをためらっていたらしい。
まったく、とんだ疫病神だったというわけだ。
そして俺の方はあれから、ヤマさん直々に営業の交渉テクニックを叩き込まれた。
古くから付き合いのあるヤマさんの顧客も俺が引き継ぐことになり、この春、小さいながらも顧客開拓チームを任されることになった。
同時に「これからは若い力が必要だ」と、山猫社長が引退し、山猫会長となった。
後任に選ばれた山猫商事社長は、もちろんヤマさんだ。
これからは気軽にヤマさんなんて言えないな……。
「真鶴班長、ご指名で来客が……」
「ん?誰だろう……今日は約束ないはずだけど……」
「それが……ブルドッグ・インベストメントの人なんです」
「え⁉」
* * *
俺は深呼吸をして扉を開けた。
「お待たせしました」
応接室に入ると、犬神とあの髪の右側だけ刈り上げた社員がソファに座っていた。
しかし、立ち上がろうともしないとは……ここまで来ると笑えるな。
「久しぶりね、真鶴君」
「いやぁ、意外に綺麗っすね~ここ」
「それはどうも」
俺は表情を崩さない。
「それで……今日はどのようなご用件で?」
「もう、そんな敬語とか良いわよ、私たちの間で水くさいじゃない?」
「そうっすよ~、あ、今度真鶴君も合コンやりますか?俺、良いの集められますんで!」
「いえ、結構です。他にご用件がなければ……」
話を切り上げようとすると、犬神が信じられない言葉を吐いた。
「あら、いいのかしら?後悔するわよ?」
「一体、何の話でしょうか?」
「ふふ、まあ私の権限でね、山猫商事とウチとの取引を再開してもいいと思ってるのよ」
「……本気でおっしゃってますか?」
「そうよね、まあ、すぐには信じられないかも知れないけど、これは大きなビジネスチャンスだと思うわよ?」
「そうっす、そうっす、なんたっていくらでも仕事があるんすから!」
自信満々の笑みを浮かべる犬神達。
以前ならここでブチ切れていたかも知れないが、俺もヤマさんとの特訓で成長した。
アンガーマネージメントってやつだ。
「いやぁ、とてもいいお話だと思いますが、お断りいたします」
「はぁ⁉な、なんでそうなるのよ!ウチはブルドッグ・インベストメントよ⁉」
「ええ、日本法人の、ですがね」
これは熊田社長が教えてくれたのだが、ブルドッグ・インベストメントの日本法人は、本国からライセンスを買っているだけで、その経営母体は別会社になる。
そりゃあ、本国と理念も経営方針も違って当然。
山猫社長はこの事実を知っていたのだが、本社の元上司に日本法人もよろしく頼むと言われていたらしく、その人の顔を立てていた。
でも、その社長も今は会長となり、山猫商事は新しい時代に入った。
もう、気兼ねすることもない――。
「わかったわ、負けたわよ。今までの倍でどう?悪くないでしょ?」
勝ち誇った犬神の顔。
隣で他人事のようにそっぽを向いている刈り上げ。
これじゃ何処にも相手されないだろうな。
「あの、何か勘違いをされてませんか?」
「はぁ⁉」
「たとえ倍いただいたとしても、相場よりやや少ないくらいですよ?それに、いまウチには契約希望が殺到してましてね、わざわざ安い契約を結ぶ必要がないんです」
「ど、どういうことよ!」
「はぁ……だー、かー、らー、わかりませんかね?そちらを助ける必要なんてウチには無いんですよ、どうぞお引き取りください」
「な、なんですって⁉」
「あのねぇ、犬神さん。あんなボランティアみたいな条件で請ける会社なんてあると思います?ま、せいぜい頑張って新規開拓してくださいよ、何てったって、あのブルドッグ・インベストメントさんですもんね?楽勝でしょ?」
犬神は顔面蒼白になり呆然と宙を見つめている。
「あれ、話終わりました?よっしゃ!さおりさん、早く合コン行きましょうよ!」
「ははは、犬神さん、とてもお忙しいようなので、私はこれで失礼しますね」
俺は席を立ち、応接室を後にする。
何も理解していない刈り上げは、俺に笑顔で手を振っていた。
しかし、俺もまだまだ修行が足りないな……つい、感情的になってしまった。
もっとヤマさんみたいにクールにならなきゃな。
だが、これであいつらも二度と来ることはないだろう。
さ、気持ちを切り替えて、仕事するか!
* * *
――三年後。
「遅くまでお疲れさん」
「あ、真鶴部長、おつかれさまです!」
俺は新人の部下にコーヒーを渡す。
「すみません、私ったら気が利かなくて……」
「ははは、いいんだよ。俺もそうだったから」
「え?」
「ああ、いや何でも無い。どう調子は?進んでる?」
「はい、今週は新しいアポが……」
俺は部下の話に耳を傾けながら、コーヒーに口を付けた。
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