あきらめろん
俺は三枝さんにうちの近所の居酒屋に呼び出された。「先に入ってますので」と言っていたので、居酒屋に到着した俺はわくわくるんるんのスキップでもしそうな気分で店の一番奥の角の席まで行ってみると、三枝さんの隣に花川が座っていて俺は露骨に顔を顰めた。
花川が居心地悪そうにきゅっと体を硬くしている。
店員が注文を取りに来て「この子だけ未成年です」と三枝さんが言い、俺と三枝さんはビールを頼んで花川にウーロン茶を。それから適当に焼き鳥やら唐揚げやらサラダやらを注文する。
「おばさん、話ってなに?」
窮屈そうに花川が言う。
ビールと串ものが運ばれてくる。
「まあ。食べながらにしましょ」
こん、と軽くグラスを打ち合わせて一口ビールを飲んだ。
「ねえ、花川さん。斎藤さんのことは諦めなさい」
「ヤだ」
「斎藤さんは迷惑がってるわ」
「そんなことない。おっさんだっておばさんよりJKのがいいよ。そうでしょ?」
「失礼な。三枝さんはまだぴっちぴちだぞ」
「まだ?」
眼鏡の奥がぎろりと光った。
俺は思わず震え上がった。
「ねえ、花川さん。あなたはすっごく運がいいのよ?」
「……」
「男の人はね、好きな相手じゃなくても簡単にHできちゃうの。あなたの心と体を玩具にして、高校を中退しなくちゃいけなくて大学に通えなくなるような、そんなふうにしておいて自分はさっさと行方を晦ますようなことだってできちゃうの。あなたは自分からそうなるように仕向けてたのよ? 二十代から三十代の男性にとって、あなたくらいの年齢の女の肌と身体はそんなふうな間違いを犯すくらいの魅力があるものなのよ。あなたが疵物になってないのは、斎藤さんが堪えてくれたから。ただそれだけのことなのよ?」
花川は真一文字に口を引き結んで「……おっさん、そんなやつじゃないもん」とだけ言った。
「どうしてわかるの?」
「……」
「一度か二度会っただけで好きになっちゃったんでしょう? どうしてそんなことがわかるの」
「……わかるよ」
三枝さんはさらに追い打ちをかけようと小さく息を吸ったけれど、花川がぼろぼろ泣き出したのを見て言葉を止めた。
「……わかるよ。おっさん、いいやつだもん」
俺はビールを飲んで焼き鳥を摘まむ。
ことさらに“おまえのことなんかなんとも思ってない”という態度をとる。
花川は“おっさん、なんか言ってよ”という目で俺を見たが、俺は努めて無感情な視線を返した。花川はおしぼりで涙を拭って焼き鳥をむさぼり唐揚げを噛み砕いてサラダを飲み込んでウーロン茶を流し込み、すっくと席を立った。
「かえる」
泣き声で言った。居酒屋を出ていく。
花川が立ち去ってから少しして「わたし、ずるいですかね?」と三枝さんが言う。
「いえ、助かりました」
「正直結構グッと来てたんでしょ。若い子に迫られて」
「や、そんなことはぜんぜん」
俺は目線を泳がせた。
それから俺たちはビールの二杯目を注文した。しばらく飲んでいたのだが、途中から三枝さんは赤くなってきて俺が「あの、そろそろ」と言うのも聞かずに「カルーアミルクを」、「カシスオレンジ」、「梅酒ー」と次々に頼んで飲み干して、そのうちぐにゃぐにゃになってしまった。
「だいてゃいー、しゃいしょーしゃんがー、にゅーしゅーふたんしゅぎるのがいけにゃいんれすよぉ」
呂律が回っていない。
これはいかんと思いつつ、あ、この三枝さん、かわいいとも思ってしまう。
俺は残った料理と酒を平らげて会計を済ませて三枝さんをほとんど背負って居酒屋を出た。タクシーを拾って、三枝さんに住所を聞くが「ぐーすかぴー」三枝さんは女性がしてはいけない感じの顔をして眠っている。ごめんなさいと内心で謝りながら三枝さんの財布から運転免許証を取り出して、住所を読み上げた。タクシーが小さなマンションにたどり着いて、金を払い、三枝さんを背負って降りる。
「三枝さん、部屋番号」
軽く頬を叩くと「んー。むにゃむにゃ。しゃんまるよんごうしゅちゅ」との返事。
三枝さんのバッグからカギを抜き出して、三〇四号室に三枝と書かれた表札を確認してカギを突っ込む。回った。ドアを開けた瞬間に生ごみの匂いがした。
うわ。
三枝さんの部屋はいわゆる汚部屋だった。服は脱ぎっぱなし。ゴミはちらかり放題。コンビニ弁当のプラスチック容器が投げ出されている。頻繁に飲むのだろうか、アルコールの甘い匂いまで混ざっていた。まあ社会人の、一人暮らしの女性の部屋ってこんなもんかもしれない。
俺はゴミをどうにか避けて歩き、寝室を探し当てて三枝さんをベッドの上に降ろした。
正直言って、送り狼になるのもやぶさかではなかったのだがさすがにこの家ではする気になれずに三枝さんに布団をかけて、さっさと汚部屋をあとにする。
余談だが翌日の朝に三枝さんは事態に気づいて俺が部屋に踏み込んだことに気づき「ぎゃあああああ部屋見られたぁぁぁぁぁ」と悲鳴をあげたらしい。